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<<   作成日時 : 2014/11/27 12:57   >>

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杉野希妃監督作品第二弾。
2週間限定の単館ロードショー。
初日・2日目は80名のキャパで立ち見・満員札止め。
日曜のレイトショー5時間前に行って整理券28番。
12月5日まで! (その後は『禁忌』<杉野主演・プロデュース>を1週間のみ上映)

2014年11月23日 新宿武蔵野館
『欲動』
 (杉野希妃)

Taksu 2014年 日本 1時間37分 脚本:和島香太郎 撮影:シディ・サレー 出演:三津谷葉子、斎藤工、コーネリオ・サニー、杉野希妃、ほか
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前の晩にレイトショーを観た余韻が、翌日も1日続いている。
あの、世にも美しく、生傷のように深く悲しい黄昏が、僕を夢ではない別のどこかにいざなっているらしい。
朝目覚めると、あの夕焼けは朝焼けだったのかもしれないとも思える。

後半に進むにしたがってセリフが少なくなり静寂に満たされるのが心地よかった。それが余韻を長引かせているのだろう。

全編バリ島で撮られた作品は、音・光・色の要素が湿った靄のように淡褐色の紗がかかり、役者の声も籠っていて、官能のオーラとなってスクリーンから匂い立つ。
カメラの動きも、ときになまめかしい。(『動物園からのポストカード』エドウィン/'12)の撮影監督)


ユリ(三津谷葉子)とその夫・千紘(斎藤工)は、バリに住む出産間近の妹クミ(杉野希妃)のもとを訪れる。
千紘は病で死の淵におり、深い葛藤を抱えていた。ユリは看護師だが、夫を支えきれるかどうか不安を感じていた。
バリの自然や文化に触れ、生命の鼓動や自由な生気を感じる彼らだったが、千紘だけは負の感情をコントロールできずに暴発してしまう。
傷ついたユリはひとりさまよい、誘われるまま危険な香りのする場所に迷い込む。
海岸でジゴロを生業とする男に無理やり身体を求められる。初めは激しく拒否するも、翌日再会すると、海岸でレイプまがいに始まった行為は、やがてユリの求めるものとなっていった。

クミの出産が始まった。自宅でユリ・千紘・クミの夫が立ち合い、産婆に無事とりあげられた。

ユリは千紘の横たわるベッドに近づく。千紘とユリの欲動は交わるのか、それとも・・・

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「生」と「死」
その両方を象徴する「性」

生と死は表裏一体であり、それを即反転可能にする触媒がセックスである。

「陰」であり「虚」である男が、「実」であり「陽」である女によってエネルギーが補填され、磁場が生まれて生への回転を始めるという点も面白い。

生と死と性の象徴でかたちづくられているこの作品は、物語が単純化・類型化されるリスクを孕んではいる。
フロイトの「エロスとタナトス」などで説明される向きもあるだろう。
しかしこの作品に象徴主義のあざとさはなく、師匠キム・ギドクの近年の作品より慎重で抑制的だ。

不老不死の沐浴場に入るシーン。
闘鶏のシーン。
妊婦と出産という充実したエネルギー。
ケチャの肉体と声という高密度の生命力。
そのくらいだ。その他の象徴的映像で見せようとすればいくらでも見せられるのに。

音楽も、登場するケチャとガムランの演奏以外は使っていない。
過剰な煽情効果は皆無。
あとは自然音(波・風・鳥・虫)が伴奏する。

男女の関係の、生死と性に関するテーマが、単純化されて済むわけはない。
個人の複雑で繊細な内面や、他者とどう交わり、夫婦間でどう化学変化するか、という想像するだに難しい心理描写を、表象だけで済ませようとは思っていない。
しかしきわめてシンプルなプロットだけで、それを成功させているのはどういうわけか。

そこに監督は余白をおいた。
イマジネーションを喚起する時間を与え、あえてカットを長めにする。
言葉や絵で説明しすぎず、あえて説明のいらないカットを挿入する。
観る者のイマジネーションへの信頼に委ねているのだ。

たとえばサイフォンで珈琲ができるまで全部見せるシーン。
ケチャの舞踊シーン。
ジゴロとの夜のセックスシーンも長い。その後、早朝の光のなか海岸で目覚めたユリの表情を映すシーンは、すべての人があらゆる思いを巡らすことのできる、映画的時間をもつ魅惑的なシーンだ。

それらが、主人公たちの内面について思索する余地を与えてくれる効果を生んでいるように思う。
そして役者の貢献度は高い。
斎藤工はもちろんだが、三津谷葉子の表現力は新たな発見だった。
必見。

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脚本は和島香太郎となっているが、杉野監督の原案で6年前から構想し、共同で脚本開発をした。

「生・死・性」をテーマにした作品といえば、今年公開された感動作『2つ目の窓』(河瀬直美)も南の島で、共通項は多い。
あれは「死」を扱いながらも清々しいまでに「いのち」の活力と再生を礼賛する息吹に充ちたものだった。

『ベニスに死す』も連想する。
あれは「死」の背景が色濃く迫るなか、「老い」に対する「若さ」、「醜」と「美」を対比させていた。

海岸がロケ地として共通しているが、この『欲動』においては、主役のユリが一度も水に入らなかったのはなぜだろう。
思い返してそういう謎を考えるのも楽しい。

杉野監督第一作『マンガ肉と僕』は、ほぼ純和製、作風も純和風だったが、今作は『マジック&ロス』(’11年/杉野プロデュース/リム・カーワイ監督)以来の多国籍製・熱帯官能作品。
ガムランの響きは、『ほとりの朔子』(’13年/杉野プロデュース/深田晃司監督)からもすでに聞こえてきた。

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ラストシーンは、人間の意識下の、湧き立つ欲動だけではなく、鎮静による癒し・慈愛を含んでいて見事。

高揚感を得ながら沈潜へと向かう終わり方は、新人監督とは思えない才気を感じさせる。

あらゆる解釈を受容し、生か死かさえ曖昧にし、決別か和解か以上の想像を委ねる。
あの夕焼けは、いつ朝焼けに反転してもおかしくない可能性も秘めている。
いや、「こっちにおいでよ!」と呼びながら波間に消えていく男の声は、黄泉の世界からの誘惑のように恐ろしくもある。

実に多義的で深遠なマジックアワーだ。

(やはり今年公開の感動作『そこのみにて光輝く』(呉美保)における、朝焼けの海岸にまばゆく立つ二人の名ラストシーンの裏返しのよう)

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映画の未来も、斜陽と没落から夜明けに転換させるようキキ監督に託したい、とまで言ってしまいたくなる。


★★★★



「あれは何と呼ぶの?」
「暁と呼ぶのでございます、お嬢様」


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