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zoom RSS 天国はまだ遠い、不気味なものの肌に触れる

<<   作成日時 : 2016/12/31 00:44   >>

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2016年12月24日 ポレポレ東中野

『天国はまだ遠い』
 (濱口竜介)

2016年 日本 38分 脚本:濱口竜介 出演:岡部尚、小川あん、玄理
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一人の男と、なぜか一緒にいる女子高校生。そこにその妹が現れる。
その3人の関係設定を明かす手法にまず舌を巻く。

どう見ても不自然な3人。年齢からして不可解。
「???」とあえて思わせてサスペンス的に引っ張った末に、ヒントを1回、2回、と出して「ああっ!」と一気に理解させる。
人物設定だけで感嘆するのは初めてだ。
ツカミがいきなり見せ場になっている。

(ネタバレあり)
17年前に殺人事件の被害者となった女子高生ミツキ。
その同期の雄三(34歳)のもとに、ミツキの妹を名乗るサツキ(28歳)から電話があった。
大学でドキュメンタリーを作っていて、姉の死を題材にしたい、インタビューを撮らせてほしいと。
雄三と一緒に住んでいる女子高生こそが、その姉ミツキだった。
雄三はミツキの姿が普通に見えて、普通に会話ができる。天国に行けずに年をとらないままの姿で、事件後ずっと雄三のところに居候している。
そんなことは想像だにせず勿論姉の姿など見えないサツキは、嫌がる雄三を説得してカメラを向ける。
「俺は関係ないじゃん」と雄三。
「姉の『不在の時間の強固さ』みたいなものを確かめたい」「関わりが深かった人からあまり関わりがなかった人までを取材することで、姉の存在の輪郭を掴みたい」というような趣旨を語るサツキ。
AVのモザイク付けの仕事をするガサツなタイプの雄三と、生真面目タイプのサツキとは、全くウマが合いそうもない。
そのあいだに、霊的存在のミツキが入って傍観する。
「ミツキが死んだあと、ミツキが好きだった男の人に、雄三さんはミツキを装って告白しましたよね」「そのことについて話を聞きたい」とサツキ。

インタビューが始まる。
雄三は、ミツキが死んだ現場をたまたま通りかかると、ミツキの姿を目撃したと言う。
「ミツキは今もここにいるよ」と言うと、サツキは取りあわない。雄三の態度にむしろ悪意を感じ腹を立てる。
「証明すべき」ということになり、ミツキはその場で雄三に憑依し、姉妹ふたりにしかわからない過去の思い出について語る。真に迫ったその語り口にサツキは思わず涙し、雄三の姿のミツキに抱きつく。
胸のマイクロフォンがぶつかりあって思わぬノイズとなる。

「はい、そこまで」
と、サツキは自分で言い、「演技」をやめさせる。
雄三は何食わぬ顔で、演技だったと認め、サツキの言い分に乗るが、また一方ではぐらかし、不信感をあえて増長させる。

サツキがはぐらかされ、雄三をますます疑う。
観客は一旦ポーンとメタ的視点に投げ出される。

これは、38分という短時間の中に凝縮された、おそろしく濃密な映像と演技の実験場だ。

カメラの正面を向くショットの切り返しの中で、二人は演技と非・演技のあいだを往復する。

サツキを演じる玄理(ヒョンリ)は冷静で現実的な視線を雄三に向けるが、モニターの中の雄三の憑依が始まると容易に姉ミツキに向かい合う妹サツキの視線になる。そして憑依が終わると途端に元の理性を取り戻す。

雄三は憑依した状態と素の状態を往復する。

しかしモニターに映る雄三の姿は、モニターの枠内にいることによって、どちらの状態も虚構=メタ的存在として受け取れる。だから雄三役の役者・岡部尚の憑依も演技であり、素の状態も演技であるという当たり前の現実にあらためて気づかされる。そして虚構の中の雄三が憑依という演技をしているのかどうかは、どこまでも曖昧なまま残される。

見る・見られる
疑う・信じる
演じる・演じない + 憑依する

二項対立に霊的存在の傍観者を介入させること。
さらに「憑依」という状態をもってきて「異化」させる。

まさに、演劇用語で言う「同化」と「異化」の実験場。
本来「同化」であるはずの「憑依」が、ここでは「異化」として作用し、見る者をドキリとさせているのだ。

何重にも考えさせる仕掛けが施されている

「演技」とは、憑依なのか確信犯なのか、冷徹な理性なのか昂揚した感情体験なのか。
というプリミティブな問いが、自ずと湧き出てくる。


いちばんの食わせ者は誰だったのか。
もちろん、濱口監督だ。


★★★★☆


『不気味なものの肌に触れる』 (濱口竜介)
2013年 日本 54分 脚本:高橋知由 出演:染谷将太、石田法嗣、渋川清彦、瀬戸夏美、水越朝弓、河井青葉、村上淳、ほか
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最後に「to be continued to 『FLOOD』」というクレジットが大きく現れて、あ、この54分間は壮大なる予告編だったのか、と気づかせられる。

どうりで、わからないわけだ。謎が謎を呼んだままで全く収拾がついていない状態で終わる。

わからないなりにも、この作品が文字通り「不気味」であることだけはわかりすぎるほどわかる。
不穏、の一言に尽きる。音も、照度も、セリフも、行為も、テーマも。

表面的にはクライムサスペンスのふりをして物語が進行しつつ、全く違うテーマを提示することを目指している。そのテーマは、これ見よがしに目の前に迫ってきているのに、なかなか正体を現してくれない。

染谷将太のもったりした肉体と石田法嗣の細マッチョ。
二人が互いにからみつくように“互いに触れない”インタラクティブなダンスを行う。
『ダンスの時間』(野中真理子)に出てくる、手だけ触れて反応しあうダンスとは似て非なるタイプで好対照。

肉体、それに触れること、触れないこと。
齧ること。傷。
即物的な事物が徹底して見せられる。
そこに人間の凶気がしのびよっているのだが、そのただならぬ気配は原因なのか結果なのか。

いまこれを批評しようなどという大それたことは到底できない。
感覚的であれ形而上的であれ、目指すテーマには、続編を見てたどり着かなければいけない。

時間がかかりそうな予感がする。

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