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zoom RSS グブラ、死の棘、下女 「めをと映画祭」

<<   作成日時 : 2017/02/24 00:51   >>

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新百合ヶ丘の川崎市アートセンター/アルテリオ映像館で、日本映画大学の学生による好企画が打ち放たれた。
その名も「めをと映画祭 愛と翳りの風景」

「恋愛の墓場」やら何やら様々な呼ばれ方をする結婚の風景をテーマに、新旧取り混ぜたいわくつきの、ほとんどが夫婦の修羅場を暴く、レアでシビレる作品群。
これまた4日間だけというのは勿体ない。

2017年2月11日
『グブラ』 (ヤスミン・アフマド)

Gubra 2006年 マレーシア 1時間53分 脚本:ヤスミン・アフマド 出演:シャリファ・・アマニ、アドリン・ラムリ、ほか
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ヤスミン監督のミューズ、シャリファ・アマニ演じる「オーキッド4部作」の1本で、『細い目』(04)の続編。

前作で華人系の恋人ジェイソンが交通事故で亡くなったあと、マレー系のビジネスマンと結婚したオーキッドは、夫の浮気に気づいて苦悩する一方、ジェイソンの兄と出会う。

イスラム教聖職者の夫婦を同時並行で描き、ほかにもオーキッドの父母やジェイソンの父母、メイドの恋などいくつものカップルの群像劇風に進行する。

誰でも楽しめる広い間口で誘い入れてくれるいつもの作風だが、ときにドキリとさせる残酷な隠し玉も織り交ぜる。
「グブラ」とは不安という意味。

ヤスミンの作品を鑑賞する際に押さえておくポイントとしては、マレーシアという国が多民族国家だということ。
登場人物はマレー系・中国系・インド系で、それぞれの文化と宗教を持ちつつ3種の言語を入り混ぜて会話する。

実際には他民族同士の男女交際は多くないと聞くし、文化や宗教もそれぞれの分立を保っている。この映画のようにメイドがご主人より偉そうにしているのもありえないという。
つまりヤスミンはユニバーサルな理想をもって、あえて人種・宗教・男女・階層などの障壁を(少しだけ)取り払った仮想現実をプレゼンテーションしている。
国内に、そして国外にも新しいマレーシアを意識させる、ある意味、戦術なのだろう。

以前書いた『細い目』のレビューには、マレーシアの民族多様性と映画新潮流についても少し紹介しているので、こちらもご参照ください。
http://tapio.at.webry.info/201107/article_4.html

そしてついに今年、ヤスミン監督作品の日本初のロードショーが封切られることとなった。
作品は、遺作の『タレンタイム』
51歳で急逝したあまりにも惜しすぎる伝説の監督の作品が、ようやくハレの興行に至ったわけだが、しかしこの作品は「雇われ監督」として撮ったもので本人は気に入ってないのだそうで、そこは残念。

(ヤスミンに関するいい文章を見つけたので、ここに引用します。『ワスレナグサ』とは、日本と合作するために準備していた監督の幻の次回作のタイトル。)

ワスレナグサ――ヤスミン・アハマドへの手紙
  私は、あなたの映画がマレーシアの現実を厳しく見据えながらも、「マレーシア映画」を超えていたからこそ心奪われたのだということを告白しなければなりません。
エドワード・ヤンの映画が台湾の現実に根ざしながらも「台湾映画」を超えていたように、チョン・ジェウンの『子猫をお願い』が韓国の現実に根ざしながらも「韓国映画」を超えていたように、マレーシア以外のどの国からも生まれなかったであろうあなたの映画も、「マレーシア」や「東南アジア」という枠に閉じこめて語るべきではないと確信されたのです。
同じように、あなたの映画は女性にしか撮ることのできない映画でありながら、「女性映画」の枠を軽く飛び越えてしまっている。
それどころか好きな映画は『男はつらいよ』だというあなたにあっては、「芸術映画」と「大衆映画」の区別すらまるで通用しない。
あなたは「ナントカ映画」ではなく、ただ「映画」を撮りつづけたのです。しかしただそれだけのことが、現代の作家誰もが直面するさまざまな困難に加え、マレーシアに固有の検閲と因習の壁に阻まれての苛酷きわまりない消耗戦であっただろうことは容易に推測できます。
(中略)あなたの映画はどこを取っても映画的としかいいようのない瞬間に満ち満ちており、評価を下すより先に頬がゆるみ、目頭が熱くなってしまう。そのような瞬間を前に言葉は要らないと何度つぶやきかけたことでしょう。
難解なところなど一つもないあなたの映画は、ただただ純粋に「映画」であることによって批評家を試練にかけるのです。    藤井仁子(映画評論家)

★★★☆



2017年2月11日
『死の棘』 (小栗康平)

1990年 日本 1時間55分 原作:島尾敏雄 脚本:小栗康平 出演:松坂慶子、岸部一徳、木内みどり、ほか
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冒頭からドキリとさせる。

静寂の中、水が滴る音。
松坂慶子が身体を横に向けて、夫を非難している。
オフシーンで岸部一徳の声。
「おまえ、どうしても死ぬつもり」
「おまえなどと言ってもらいたくありません。誰かと間違えないでください」
「それなら、名前を呼びますか」
「あなたはどこまで恥知らずなのでしょう。あたしの名前が平気で呼べるの。『あなたさま』と言いなさい」

カメラ正面を向き正座している岸部。
「あなたさま。どうしても死ぬつもりか」
「死にますとも。その方があなたには都合がいいでしょ。すぐその女のところへ行きなさい。」
二人のカットの切り返しがここで、二人とも正面を向いたツーショットに変わる。
驚愕。
二人並んだままセリフが続く。

「けど、あたしはあなたとちがって、生涯かけてあなたしか知らないんですから。これだけははっきり言っておきます。あたしは体も心もあなたに捧げ尽くしました。その報酬がこうだったのです」

最初から二人の体の向きは平行して同じ方角を向いていたことになる。
視線は交叉していないのだ。
正確に言うと岸部がやや奥に引っ込んで暗く、遠近感が出ている。
会話にはきわめて不自然な位置関係であり、カメラも二人の関係を隔絶させた角度から切り撮る。
胸の奥がひんやりとする。
会話というものは二人がお互いを向いてするものだという思い込みが覆される。

台詞のゆっくりとした慇懃無礼な言い回しも不気味だ。
松坂慶子と岸部一徳の、原作のセリフをそのまま読むかのような「〜のです」口調、とくに岸部の棒読み調は彼独特の無表情が相俟って、戦慄が走る。
その無表情はニュートラルすぎて、むしろ穏やかに見えるから余計に不気味。

“棘”としても洗練された、毅然とした言葉がそのままセリフになると、映像もまた厳しく美しく張り詰める。
声の質、背後の環境音もまた緊張感を研ぎ澄ます。

小説を読むときとはちがう言葉の立ち上がり方。
映像と言葉が拮抗して、言葉があってこその映像になっている。

原作小説を映画化する際の既成概念に対して、小栗監督は何かのっぴきならない挑戦を仕掛けているようにも感じる。

監督は夫婦間の怨嗟を描く原作以上に、スリラーやホラーを意識したのか、どこまで意図的なのか、結果的になのか、だいぶ見た目聞く耳的にそらおそろしい映画だ。
ある種「トラウマ映画」とも言える。

現代音楽の細川俊夫による劇伴が少々ホラーっぽいから、意図的な演出で戦慄を生じさせているのは確かだ。
このような不自然なまでの無表情や一本調子のセリフ演出は、カンヌでも日本特有(いや、岸部特有か)の奇異さとして映ったのかもしれないが、それだけではないだろう。やはり「のっぴきならない挑戦」のスピリットを感じ取ったのだと思う。(カンヌ映画祭審査員グランプリ

無表情の裏側にはどろどろとしたものが煮え立っている。
妻はしばしば反転し、発狂する。
いつ反転するかわからないスリル。
そして暴発してからの松坂もすごい。相手の女との取っ組み合いの喧嘩。駅のホームで女を見つけた時の絶叫、旦那の前で突然裸になる、など。
静かに、激しく狂ってゆく松坂慶子の演技の凄みは、彼女の履歴の中でも金字塔なのではないだろうか。

夫も過去のことをほじくり返されると、たまに我慢しきれなくなってつい暴発する。
線路に向かって走り出して身投げしようとする。

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時折、言葉では説明できない、ショットのための抽象的映像が挿入される。
干からびて水のない川にある一艘の舟に乗る家族4人のショットなど。

ひとつ気になったのは、妻ミホの出世の地・奄美のショットも入るが、松坂が南国出身にはとても見えないこと。色白だし方言もない。前日譚を知っている人でないとわかりづらい文脈になっている。

今年、島尾敏雄生誕100年とのこと。
この作品の前日譚で、妻・島尾ミホが書いた『海辺の生と死』が、満島ひかり主演で製作・公開される。
満島家のルーツでもある奄美でのロケで、満島ひかりも「自分の本性を暴き出してやる」と気合をむき出しにしている。

★★★★☆


2017年2月12日
『下女』 (キム・ギヨン)

1960年 韓 1時間48分 出演:キム・ジンギュ、イ・ウンシム、ほか
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「アジア映画オールタイムベスト100で韓国映画最高の9位にランクされ、映画史上に輝く衝撃作」「キム・ギヨンの原点にして最高傑作」と紹介されて見てみれば、なんと意外にも、これはどこから見ても映画史上に残る純然たる「トラウマ映画」の典型!

冒頭のタイトル・デザインからして、おどろおどろしい。
劇伴音楽は、いちいちぎょうぎょうしい。
雷も必要以上に落ちる。

良妻賢母のプライドの高そうな妻と一男一女の子どもを持つ音楽教師の、一家団欒。
紡績工場で働く女工たちにも授業を受け持っている教師は、カタブツの中年だが、なぜかモテモテ。でも儒教的精神が強いせいか、全く相手にしない。
その報いが異様に大きく、周りの女性たちに次々と翻弄される受難が待ち受ける。
教師に恋文で告白してふられた女工は自殺し、もう一人の女工は教師の家にピアノのレッスンを受けに通うが、告白してふられると、自分で服を破いて「暴行されたと訴える」と脅す。
メイドとして雇った女はハスッパな悪女で、あの子と同じようにピアノを教えてくれ、と色気と脅しで誘惑。
肉体関係の末、妊娠。
妻に打ち明けると、妻はメイドに、階段から落ちて堕胎せよと説得する。
メイドは言われた通りにするが、ここからメイドの教師一家に対する報復がエスカレート。
自分の子が殺されたことをネタに、一家を支配し屈辱を与えていく。
メイドは夫婦の寝室で毎日教師と夜を共にし、妻に食事を運ばせる。

最初からしばしば登場する殺鼠剤は、果たしていつ誰に使われるのか。
妻の復讐は? 子供たちは犠牲になるのか?
想像しうる限りの最悪の事態を予想していただければいい。

一世帯の中で起こるめくるめく家庭崩壊のドミノ倒し。
とめどもない悲劇のカタストロフィ。
これでもか、と奈落へのスパイラルが見事なまでに展開していく。
階層、男女、夫婦などの儒教からくる主従関係をすべて皮肉りながらひっくり返す。
踏み込んだら逃れられない蟻地獄のようなストーリーテリングは、ヒッチコックにも通ずる。

しかし!
最後の最後で、唐突に主人公がカメラを向いて、「みなさん、」と案内役のように語りかける。
B級かよ!
場内、笑いがそこかしこで。
トラウマ映画とはいえ、演出やシナリオなど、かなりのレベルだと思うのだが、わざわざ自ら蛇足を付けてしまった。

1960年の韓国という点で、ただでさえ今の僕らからは特殊に見えるが、それ以上の「イッチャッテル」映画だったのだった。

★★★★

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