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zoom RSS 標的の島 風かたか

<<   作成日時 : 2017/04/06 18:02   >>

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東京での公開初日には、辺野古にいた。
県民集会に翁長知事が参加し、3500人が集まった。
そして沖縄のチェ・ゲバラこと山城博治さんも5か月ぶりに晴れてスピーチに立った。
その1週間後、この映画を見た日、辺野古では不屈の座り込みが1000日目を迎えていた。

2017年4月1日 ポレポレ東中野
『標的の島 風かたか』 (三上智恵)

2017年 日本 1時間59分 撮影監督:平田守 編集:砂川敦志 音楽プロデュース:上地正昭、三上智恵 ナレーション:三上智恵
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冒頭のショットから涙腺が決壊しそうになる。
たて続け3ショット(3シーン)のつなぎ。
ズルイくらいに三上監督の編集術は、沖縄を応援する者の心に刺さる。

昨年、米軍属に暴行殺人遺棄された20歳の女性を追悼して6万5千人集まった県民集会の壇上。
大学生・玉城愛さんの、悲しみに震えながらも全身の怒りを言葉に替えて命をかけて訴える声。
古謝美佐子さんの、三線を奏で『童神(わらびがみ)』を唄う声。
稲嶺進・名護市長がその歌詞を受けて「一つの命を救う『風かたか』(防波堤)になれなかった」と言葉を詰まらせながら語る声。


実は何度もネットなどで見た動画ではある。
しかし、何度も何度も見るたびに情けなさからくる独特の、怒りと悲しみと申し訳なさの入り交じった涙で自分も喉が痛くなる。

2年前に三上監督の沖縄映画第1弾『標的の村』を見て、国家が7歳の女の子に対しても座り込みによる「通行妨害」で訴えたことなどに悲憤慷慨した。以来、沖縄の反基地運動を東京から応援しつつ、たまに現地に赴くようになった、まだヒヨッコの自分が言うのもおこがましいのだが、もはや主観の色眼鏡でしか見えなくて、客観的にこの映画がどう見られるのかを判断することができない。

沖縄の歴史と現在の状況について知らない人にとっては、まず知ってもらわなければならない。
第2弾『戦場ぬ止み』を経て、今作は第3弾。
やはり第1弾から見てもらうのが、村民・県民目線で見るためには最良なのだろうが(ネットで45分TV版は見られる)、もちろんどこから見てもここ数年の政府のあからさまな県民弾圧について把握することはできる。

三上監督のドキュメント作品が常に優れているのは、取材対象の人物への「親和力」だ。
これによって、人々は友人にしか見せないような表情をカメラの前で見せてくれる。
相互に信頼とシンパシーがあるからだ。
現在の反基地運動に三上監督作品が果たしている功績は大きく、そのことはウチナンチュもわかっているから。

圧倒的な強者に圧倒的な弱者が対峙するとき、必要なのは弱者への徹底的なシンパシーだ。あるいは当事者目線だ。
監督はもうすでに当事者になっているからこそできること。

今作は、今までにも増して、撮影と編集どちらの妙も際立つ。
険しい顔で見ざるをえないシーンが続いたら、子供の笑顔や祭りのシーンで緩和される。
怒号と揉み合いのシーンに優美なメロディーがかぶさると、哀しみと無力感に拍車がかかる。
豊かな自然を背景に、豊かな伝統、リズム、舞い、のびやかな声で生き返る。
硬軟・明暗とりまぜてテンポがよく、飽きさせない。

モチベーションは「怒り」だが、持続力は「笑い」である。

とりわけ地元の伝統行事にも尺を割く。大学で沖縄民俗学を講じる三上監督ならでは。
「日本の伝統を重んじよう」などと聞こえのいいことばかり声高に言う政府は、琉球の伝統は守らないんだな、ということがよくわかる。
「日本を取り戻す」なんていう偽善の言葉は、戦前軍国主義への回帰であって、沖縄を捨て石にして単なる戦争の道具にすることを意味する。  

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庶民の奮闘と圧政の事実を見事に網羅・凝縮した記録ダイジェストだが、同時にこのドキュメントは、ひとつ大きな知られざる国家機密を告発する役目も果たしている。
「エア・シー・バトル構想」という世界戦略のことだ。

宮古島や石垣島など先島諸島に自衛隊を配備しミサイル基地を建設するという計画が住民に唐突に簡単に知らされたことで、また新たな局面に入った。
今度は『標的の村』ならぬ『標的の島』である。「島」とはどこか。宮古とか石垣というレベルではない。沖縄全体だけでもない。日本列島全域だ。
まさしくいわゆる「不沈空母」の発想。

弓なりの日本列島弧を使った「防波堤」は中国から「日本を守る」と言われているのは嘘である。地政学上も地図を見ればおかしいと一目瞭然。
アメリカが対中防衛のために太平洋規模の戦争にならぬように使う防波堤であって、「アメリカを守る」のである。

その中でも先島諸島エリアは、持久戦に持ち込むための捨て石となり、またもや先の沖縄地上戦と同じ悲劇が繰り返されることになるのだ。
これに沖縄県民が怒らない方がおかしい。少なくとも歴史さえ知っていれば。

しかし宮古・石垣で特有なのは、基地受け入れ賛成派が大勢を占めるということ。
政府の言うことにコロッと騙されてしまう。

離島の民はもともと本島で戦後米軍から土地の接収に遭い、住む場所を求めてやむなく離島に居を移したはずの島民である。
反対を唱える一人ひとりは、大勢の恫喝に耐えながら小さき声を上げ続けている。
ここで紹介されているうちの一人のママさんは、その後宮古島市議会議員として立候補し当選を果たした。
しかし最近、市議会で辞任要求などの憂き目に遭っているとの報道が聞かれ、前途多難のよう。

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監督がこのドキュメントを編集中にも、次々と自体は進行する。
山城博治氏が末期癌の集中治療から復帰し、万全ではない身体を酷使して毎日高江の工事に立ちはだかっていると、ある日軽微な案件で不当逮捕される。
以降、保釈請求を却下しては、新たにずっと過去の罪状で起訴するという異常な超法規的拘留を5か月間強いられ、面会も差し入れもほぼ禁止された。
反対運動の精神的リーダーを臆面もなく見せしめのごとく拉致してあからさまに運動自体を弾圧するという事態に、アムネスティからも日本政府は国際的に告発された。
どの時代のどこの全体主義国家だろう?と背筋が寒くなるような国に、僕らは住んでいるのである。

これを読んでいる日本人の中で、どれだけの人が自国内のこの事態に声を挙げただろうか。
海外の報道の方が、より理解して寄り添ってくれている。
日本人にとって、不幸はいつも他人ばかり。


そしてこの1年だけでも、防波堤を権力側の嘲りに乗って内側から崩そうとする動きが波のように押し寄せている。
所謂「ネトウヨ」と言われる欲求不満分子が、リベラルな平和的活動を嫉妬し揶揄する程度が激しくなっているのだ。
そのネット上の言説は、今度は百田尚樹などの作家や高須克弥などの医師や芸能人、評論家、議員・首長までもが公然と口にし、扇動する。

「ネトウヨ文化人」の言うことは、一様にネット上の名もない人々の受け売りである。
権力者とネトウヨ庶民が、相互にデマを発信・拡散しあっているのだ。
ひどい例になると、福岡県行橋市の小坪慎也市議は、「高江のデモは救急車の出動をも妨害した」と、現地で取材していないどころか裏を取る作業もしていない悪質なデマをブログで拡散している。
松井大阪知事が「土人」「シナ人」発言をした機動隊員を擁護し「どちらが騒動を起こしているか」というツイートを流したことも、同じ文脈である。

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僕らの活動の一環で、あるカフェ・イベントを開いたときに、ある参加者が「政治に無関心な私が場違いなところに来てしまった」と困惑しながら、沖縄の基地反対運動で座り込みをすることについて「私はいいとは思えない」と言った。

お、無関心層が来てくれた、という喜びと同時に、ため息も出た。
こちらとしては、この温度差に絶対にいきり立ってはいけないと慎重に言葉を選びながら、相手の心理を探った。
「ほかに止める方法があるなら教えてほしい」と言いたくて仕方がなかったが、そこは我慢。
たぶん、単に「知らない」だけだ。
「座り込み」「ごぼう抜き」⇒「機動隊と衝突」「暴動・暴力」というイメージだけのことだろう。

完全非暴力なのに。
大挙して仕掛けてくるのは機動隊なのに。
威圧と挑発をしてくるのは防衛局なのに。
選挙で沖縄の基地反対の民意を掲げた候補(伊波洋一氏)が大勝し島尻沖縄担当大臣が惨敗した直後に、高江のオスプレイパッド工事を強行再開するという暴挙に出たのは政府なのに。(2016年7月参院選後)
対話の前提が共有されてないと対話が成立しない。

沖縄の歴史と民衆は、「イメージ」ごときで語られるほど生半可な対象物ではない。
死体の血を飲んで生き延びた、生々しい歴史だ。
死屍累々の山と数多の暴行殺人遺棄と土地略奪の地層の上に築かれた島だ。

戦争の道具とされない当たり前の生活を取り戻すために、県民が当たり前の主権と土地と尊厳を奪い返すために、そして子供たちの未来に希望を与えるために闘う彼らウチナーンチュの魂と、どこまでシンクロできるかが問われている。


「ヒロジ」と呼び捨てにしたいほど愛すべき反基地運動のヒーロー・山城博治氏や、沖縄戦を生き延びた島袋文子おばあをはじめとして、子供たちも、ママさんも、海人(ウミンチュ)も、泣き、笑い、怒り、踊る。
打ちひしがれて道路に突っ伏してボロ雑巾のように泣き崩れるヒロジさん。
またある時は喜びを爆発させ、カチャーシーでみんなを鼓舞し、短い手足で空手のように啖呵を切る。
大型トラックの前に、歩くのもままならぬ87歳の文子おばあが立ちはだかる。
「私はぶれない。ぶれたら、死んだ人に申し訳ないでしょ」

民意が勝った時は、ふたりの人懐こいカリスマは抱き合って歓喜する。

彼らの切実な激情に、少しでも近づこうとは思えないだろうか。

そこまで感情が爆発する理由がわかるだろうか。
そこまで感情が爆発する理由が、もちろんありすぎるほどあるのである。
それを共有するには、行って目撃するしかない。
簡単に会える。
嘘いつわりがかけらもないことがすぐにわかる。
(ヒロジはこの作品が東京で公開される1週間前に保釈がようやく解かれた。)

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映画の冒頭の大学生・玉城愛さんのスピーチはほんの1フレーズしか抜粋されていないが、実際は次のようにも訴えている。

安倍晋三さん、日本本土にお住いのみなさん、今回の事件の第2の加害者は、あなたたちです。しっかり沖縄に向き合っていただけませんか」
https://www.youtube.com/watch?v=EAL5tHY1wO0

沖縄問題について知っている人であるほど、この言葉はグサグサ刺さる。
あまり知らない人には、きっと刺さらないだろう。
そして知ろうとしない人やこの映画を見ない人には、意味すらなさない。

この言葉を発するのに、彼女はどれだけの勇気と覚悟と緊張を強いられただろう。
案の定、ネトウヨ界隈ではバッシングがあったようだ。

この絶対温度較差をなくすには、みなさん一人ひとりが小さくとも声を挙げていかなければならない。
オキナワは待っている。


※最後に念のために記しておきます。
辺野古基地は、世界一危険な普天間基地の「代替」とか「移設先」ではありません。
そもそも普天間は(すべての米軍基地がそうであるように)、米国が一方的に収奪した土地だから、返還して当たり前。「代わりの基地をよこせ」というのは盗人猛々しい言い分だということ。
そして辺野古基地は、普天間の代替どころか、軍港を敷設し、「強襲揚陸艦」が接岸できるようになり、戦闘機にミサイルなどを積み込む弾薬搭載エリアもつくられ、オスプレイが100機装備されるようになるとも言われており、耐用年数200年の世界屈指の大規模戦闘基地となるのです。
総工費1兆円とも言われる経費を、思いやり予算つまり日本国民の税金で賄うというわけです。


『標的の村』TV版46分はこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=raJ8vTr8r4c

当ブログ内『標的の村』のレビューはこちら
http://tapio.at.webry.info/201501/article_8.html
『戦場ぬ止み』はこちら。
http://tapio.at.webry.info/201508/article_1.html

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