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zoom RSS 午後8時の訪問者、ムーンライト、汚れたミルク

<<   作成日時 : 2017/04/14 01:10   >>

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2017年4月9日 ヒューマントラストシネマ有楽町
『午後8時の訪問者』 (ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ)

La fille inconnue 2016年 ベルギー・仏 1時間46分 脚本:ダルデンヌ兄弟 撮影:アラン・マルクーン 出演:アデル・エネル、オリビエ・ボノー、ジェレミー・レニエ、オリビエ・グルメ ほか
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この映画に「サスペンス」「ミステリー」という宣伝文句を使っているが、それは許されない。
「ジャンル映画」を拒絶する作風のダルデンヌが、そういう括りで言われるのは心外にちがいない。
だいいちこの作品には劇伴音楽が一切つかわれていない。
それだけで「ジャンル」の条件からは外れる。

ある若い女性医師の心理劇である。
ただし一人称的視点というのともちがう。
ダルデンヌの作品はすべてそうだが、主人公ひとりにカメラがつきっきりになっていても、どこか距離感を置いていて、感情移入できる主観性がないのだ。
登場人物すべてを客観的に見る公平な距離感が感じられる。

「心理劇」なのに主観性がない、というのは矛盾しているだろうか。
たぶん、ふつうの「サスペンス」映画は観客が受動的にスリルを享受するのに対して、これは観る者が能動的に「心理を探る」ための劇なのだ。

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医師ジェニーが、診療時間を1時間過ぎて午後8時に鳴った玄関のブザーをたまたまやり過ごしたことが発端。
翌日になってその時の訪問者が近くで遺体となって発見されたということが警察から知らされる。
ジェニーは誰からも責められることはないが、亡くなった若い黒人女性の映った玄関のカメラ映像を見ると、身元も名前もわからない彼女が誰なのか、なぜ死んだのかを自責の念からひとりで探ろうと躍起になる。
それだけがプロットのシンプルな話。

同時並行のサブ・プロットもある。
午後8時に一緒にいた未熟な男性研修医とのストーリー。
そちらにも悩みと謎の種がある。

犯人捜しのサスペンスやミステリーでは決してないのだが、ジェニーの心理と行動の行方を追ううち、結果的に黒人女性の身元と、死に至らしめた当事者の真相が、たまたま最後に判明する。
男性研修医の沈黙も明かされ、閉塞が解ける。

必ずしも「でき事」を追うわけではなく日常の時間をそのまま切り取る手法は、ヨーロッパではよくある「スライス・オブ・ライフ」
医師ジェニーの日常をただ追うだけのカメラには、「電話がかかってくる音」と「玄関のブザー音」「ドアの開閉音」がひっきりなしに入ってくる。
携帯電話に出、玄関を開けることによって、会話などの日常が一時中断され、そこで新たな繋がりが生まれ、新たな亀裂が入る。
「嘘」や「沈黙」だったものが、「告白」や「動転」「安堵」に切り替わる。
そんな人と人とのあいだの「分断」や「結び」を生んでいるダイナミズムが、呼び出し音などによるミニマムな展開だというのが面白い。

真摯に真剣に日々患者と向き合っている真面目な医師が、トラブルに巻き込まれるとともに自分の心の本質を問われ、行動した末に、自分の医師として人間としての信義に間違いはなかったことがわかり、安堵する。
患者以外の人間からも、究極の局面で人として報われる結果が訪れた。

ラストの突然の訪問者に向けて、言葉少なに「ハグしていい?」とだけ言うジェニー。
二人の軽いハグだけでこんなにも感動がこみあげてくるものか。
情動を司る音楽が皆無であることが、こんなにも逆に情動を打ち鳴らすものなのだ。
感動が能動的に生まれる瞬間だ。


(それにしても、若い美人の医師が往診で少年の部屋に入って唇どうしでチュッとキスするのは普通なんだろうか。どんな国なんだ、と羨ましがる日本人がここにいる)


★★★★☆


2017年4月10日 TOHOシネマズ川崎
『ムーンライト』 (バリー・ジェンキンス)

Moonlight 2016年 米 1時間51分 脚本:バリー・ジェンキンス 撮影:ジェームズ・ラクストン 音楽:ニコラス・ブリテル 出演:トレバンテ・ローズ、アンドレ・ホランド、ジャネール・モネイ、アシュトン・サンダース、ジャハール・ジェローム、アレックス・ヒバート、ほか
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およそアカデミー賞らしくない作品によくぞ作品賞を与えてくれた。
黒人映画だからということではない。
娯楽作品や社会派作品に必要な明快なメッセージやキャラクターの役割やスッキリした起承転結がないということ。

たとえば主役のシャロンを奈落に落とした同級生が白人だったりしたら、なんとわかりやすいことか。
白か黒かではないのだ。灰色ならいいということでもない。色分けされていない、ということだ。

街のボスが父親のように庇護してくれるが、シャロンのヒーローになることはなく、ある挫折とともに姿を消してしまう。

あるいは、シャロンが初めて「触れた」彼との淡い恋情がたちまちのうちに同じ彼によって破壊され、そんな裏切りの末路は絶望しかないと思いきや、10年後に再会したときのあまりにも波立つふたりの感情のゆらめきは、想定の枠を軽く超えるほどの意外なものだった。

「こうしたからそうなる」というような一筋縄にはできていないのだ、この世の中は。
それを劇的にせずにそのまま映し取った。

それにしても少年から大人への3つの時期を演じた役者3人それぞれの持つ“非力な眼力”が印象に残る。
とくにマッチョな姿に変貌して現れたマフィア然としたシャロンが最後に見せる“かよわい”まなざしには心を奪われる。

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およそ黒人映画でこれほど繊細な作品があっただろうか。
静かな、静かに激しい映画。

カエタノ・ヴェローソ『ククルクク・パロマ』という鳥のさえずりを模した楽曲が挿入される。
この天使のように美しい曲が使われた『トーク・トゥ・ハー』(P.アルモドバル)も、繊細な映画となって強く印象に残っているし、『ブエノスアイレス』(ウォン・カーワイ)もしかり、共通点がある。
バリー・ジェンキンス監督は今作に『ブエノスアイレス』へのオマージュを込めたとも語っている。

黒人というマイノリティの中の更なるマイノリティへの差別。
「二重の差別」という問題でもあるのだが、この映画では白人が店の客以外には出てこない黒人ばかりのコミュニティでの話だから、色にこだわらずに、より繊細な部分を見つめることができている。

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テクニカルな表現手法についてひとつだけ言っておきたい。
とくに前半に顕著なのだが、至近距離から撮る主役の少年の姿だけに焦点を合わせ、背景は極端にボカシている。
台詞が少ない一人称的心象風景を映し出す接近撮影。
この手法を大胆に究極なかたちで使ったのが『サウルの息子』(2015/ハンガリー)で、驚嘆したが、閉塞感・孤立感を出すには効果大。


ところで、黒人の少年がアップに映っているポスターやフライヤーが、なぜ青色に染まっているのかがわかった。
「月明かりの下では、ブラックはブルーに見えるのよ」

映画を見た帰り道、自転車から空を見上げると黄色い満月が浮かんでいた。
イエローはしょせんイエローにしか染まらないのか、と舌打ちして夜を走った。


★★★★



2017年4月8日 ジャック&ベティ
『汚れたミルク あるセールスマンの告発』 (ダニス・タノビッチ)

Tigers 2014年 印・仏・英 1時間30分 脚本:ダニス・タノビッチ、アンディ・パターソン 音楽:ブリータム 出演:イムラン・ハシュミ、ほか
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「ネスレ」がそんな会社だったとは。
知らなかった。恥ずかしい。

パキスタンで乳児にミルクを作って飲ませることを企業と医師が奨励した結果、不衛生な水で溶かしたために下痢によって大量に死亡した事件を内部告発した1セールスマンの実話。

すでに1977年に問題になっていたのに、1997年に事件が起きている点も唖然。
家族も自分も身の危険が迫るなか、主人公が海外逃亡したのち、有志によって映画化が企画された。

しかし少しの瑕疵や事実誤認があったりしたら、権力や闇からの圧力で即つぶされるというリスクの中、その製作過程も含めて再現ドラマにしている。

大企業を相手取るということは、ある意味で公権力を訴えることよりも危険なことなのかもしれない。
「グローバル市場」という「マネー」「利益」至上主義に直接関わってくるから、相手も闇の手を使って物騒なことを仕掛けてくる。

だからこの映画自体も相当な覚悟によって作られたはずだ。
正義があっても、内容に落ち度やツッコミどころがあれば、スポンサーやマスコミはすぐ手を引くし、大衆を味方にできず批判にさらされて終わるだけだ。

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最初の方で「ネスレ」という名前を出すべきかどうか、と映画制作スタッフで話し合うが、(その時点ですでに名前を明かしている確信犯なのだが)(笑)、とりあえず仮名でいこうということになる。

実際の映像は使われていず、すべてが再現ドラマではあるが、すべてはノンフィクション。
最終的に作品が完成するまでに7年、公開するのにもそれから3年目にして日本でようやく世界初公開となった。
幻になるかもしれなかった貴重な労作。
しかしスタッフはこれからも安心していられないのではないか。
日本ならこういうのも「テロ等準備罪」という名の「共謀罪」適用になるかもしれない。

なんせ医薬産業複合体として政治とも深くコミットメントしているだろうし、スイスに本社を置く「ネスレ社」は2010年、新たに糖尿病や心臓病、肥満などの病気の予防や治療を念頭に置いた新たな活動を開始すると発表したというのだから、全く懲りていない。
この先10年間で、医療用栄養食品部門におよそ5億ドル ( 約421億円 ) を投資するという。

1977年に「ネスレ・ボイコット」という不買運動に発展し、ネスレ社は1984年には全面的にWHOコードの受け入れを表明した。
しかし、WHOコードを守っていないとして1988年に第2回ボイコットが開始され、以降、終息宣言はされていないという。(wikipediaより)

★★★☆

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コメント(3件)

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ムーンライト見ました。開演が金曜日の午後4時40分という中途半端な時間だったせいかVillageEastCinemaなのに観客は私を含め3名のみ。悲しかった。でも、美しい作品だった。劇場で見れてよかった。主人公の悲しい現実を写す美しい映像が何とも言えず切なかった。この「繊細な映画」をハリウッドが評価したことは喜ばしい。トランプの米国にもマトモな奴はいるのかな。日本のメディアはどうかな?
ヒラディークリキントン
2017/04/25 02:12
トランプ帝国の中でこの映画は濾過装置あるいは蒸溜装置のように働いてくれるかな。
観る前に選別されてしまわれないことを願うが・・・
たぶんあまり客は多くないのだろうな(-.-)
たぴおかきんつば
2017/04/25 09:08
そう、ムーンライトの客はララランドなんかに比べると全く少数派ですね。だからこそララランドではなくムーンライトについて語ることが重要だと思う。がんばれタピオカ!
クリキントン
2017/04/25 10:50

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