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zoom RSS 母の残像

<<   作成日時 : 2017/04/29 16:59   >>

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2017年4月15日 ジャック&ベティ
『母の残像』 (ヨアキム・トリアー)

Louder Than Bombs 2015年 ノルウェー・フランス・デンマーク・アメリカ合作 1時間49分 脚本:エスキル・フォクト、ヨアキム・トリアー 撮影:ヤコブ・イーレ 出演:ガブリエル・バーン、ジェシー・アイゼンバーグ、イザベル・ユペール、デビン・ドルイド、ほか
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著名な戦場写真家だった母イザベルが死んで3年。
残された夫と、息子二人の、それぞれの葛藤、お互いの関係の変容を描く。

自分が知っていた母と、死後3年たった現在の母。
その差異は、彼女自身の秘密のせいでもあり、周囲の変化でもある。

男3人それぞれの亡き母との関係が、死後初めて知らされる事実によって変わる。
同時に男たち自身の変化によっても、母との関係が変わる。

とくに、当時12歳の次男は15歳になり、いちばん多感な時期にいちばん知るべき母を知らずにきた。
結果、母に関する新たな事実の衝撃は、少年の思春期という激しい内面の季節を直撃した。

この次男についての描き方は、思春期に今はまり込んでいる少年にしかわからない感覚を再現するのに長けたガス・ヴァン・サントの世界のように、刺々しくも瑞々しく、切なくて、愛おしい。

こうやって今書いてみて初めて整理できたが、観終わってしばらくこの映画は意外と明快な物語として収斂しなかった。
それがなぜなのか、考えてみた。

父と母の関係があり、それが変容する。
長男と母の関係があり、変容する。
次男と母との関係があり、変容する。
それらすべてが、それぞれちがう物語なのである。

母自身の物語がひとつ固定したものがあるように描かれるが、実は三者三様の別のイザベルなのだ。
『羅生門』のように、違う人が見ると全く違う事実になるような話としては描かれていないから、よけい注意が必要。

あるいは、兄から見た弟。
弟から見た父。
父から見た次男。
この3人相互の関係も、母の死後に変容していくドラマだ。

もっと言えば、妻イザベルの浮気相手として男が夫に明かす妻の物語。
次男が片思いで見つめる女子との関係。
長男の元恋人から見た母。
長男と元恋人との関係、今の妻子への思い。
そして、生前の妻が思っていた夫。

この映画にはひとつの1本の大きな物語があるわけではなくて、登場する人物の、思いを込めて見つめる人物の数だけ物語がある。
それぞれが連関しあっているが独立もしている。
虚像と実像がせめぎあう。
だから、きっちり描いているのに筋が収束していく感覚がないのだ。

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この監督、エキセントリックの塊・ラース・フォン・トリアーの「遺伝子を受け継ぐ」と宣伝されるのはいい気持ちはしないだろう。
叔父とはちがって、ヨアキムは非常に誠実な作品をつくる。
ドライ過ぎず、ウェット過ぎず、鮮烈で痛切。

★★★★

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
「母の残像」って邦題、いいね。最近、英語のタイトルなんかを、そのまま又は和製英語的にカタカナ化する手抜きが多いような気がするけど、実際どうなんでしょう。上手い邦題付けるのってプロモーターの方々にとっての見せ場ではないのかな。邦題やり放題なのにもったいない。
怒鳴奴寅糞(クリキントン改め)
2017/04/30 00:07
怒鳴怒さんはキーンさんとは一文字ちがうんですね。トラフンさんもいいお名前ですね。
んぷ!!
多比尾加多比尾
2017/04/30 00:50
有難うございます。でも私はフーテンの寅さんのウンチほどの小っちゃくて詰まらない奴です。キーン先生のように立派じゃないです。声がバカでかいだけです。怒鳴る声が
寅糞
2017/05/01 06:19

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