AGANAI-地下鉄サリン事件と私/SNS-少女たちの10日間



『AGANAI -地下鉄サリン事件と私-』
さかはらあつし
監督
2020年 日本 1時間54分 ドキュ 横浜シネマリン

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「新興宗教団体の広報担当」といえば、どんな身ぶり素ぶり話しぶりを思い描くだろうか。

心の内を表情に出さず、借りてきたお面を貼り付けたような営業スマイル、当意即妙の立て板に水トーク、変幻自在の声色で相手の追及をかわす、など抜かりのない人物像を想定しがちだ。

しかし、この荒木浩氏はそこから大きく外れている。
現・アレフ(元オウム真理教)の顔としてマスコミ等前面で対応する広報部長は、20年前のドキュメンタリー『A』『A2』(森達也)でも主役だったが、教団内部を密着撮影させながらそんな違和感を放っていた。

喋りは朴訥でむしろ口下手、物柔らかな物腰。
核心をつく質問にはじゅうぶん間をとって黙考し言葉を選んで自信なさげに答える。

20年の年月は彼の外見を老けさせたが、今回もその素直なキャラクターは変わっていない。
それだけではない、このドキュメンタリーはそれ以上に個人の内面に踏み込み、荒木氏は涙を何度も見せた。

何があったのか。

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20年前の画期的だった森監督作品の趣旨とは違い、このさかはらあつし監督作品が特異なのは、もう一人の主人公が監督自身であるということ。
地下鉄サリン事件の被害者当事者である監督と、加害者側(の代表的存在)で今なお信仰を続ける荒木氏との、個と個の対峙を激写しているのだ。

ときに明るく軽く、ときに重たすぎる、ふたりの対話。
沈黙と饒舌、軽と重、明と暗、が何度も反転する。
荒木氏の言い淀む沈黙が多く、それを省かずそのまま記録するダイレクトシネマは、それだけ時間がかかる。

監督はあることを追及しようとする目的を持ちつつも、相手と友達のような関係にもちこんでいることにまず驚く。
20年以上、身体とメンタル両面の後遺症の苦痛と毎日闘ってきたにもかかわらず、みずから宿敵との親密な関係をつくってカメラを向ける。

双方、京大卒で出身地も近い、年齢も2コ違いだけ(監督が上)という関係も作用しただろう。
二人は一緒にそれぞれの故郷や大学など思い出の地を巡り、ルーツをたどる思索と告白のロードムービーとなっていく。

こんな関係でなければ、そこまでは到底踏み込めなかった。
ときに突然、ドキッとするような要求を監督は荒木氏に突きつける。
あるいは原体験の場所に連れて行くことによって、心の底に眠っていた感情を呼び起こす。

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「人間・荒木浩」を引き出すことには成功した。
ともすると官僚的な差し障りない逃げの言葉が口から出てくることもあるが、鉄面皮のロボットのような実際の官僚とは全くちがって、実にふつうの人間的な感じがする。
なのに、脳のほんの一部分の、自己を客観視する機能が欠如しているということなのだろうか。

事件に対して、教団の責任はある、じゃあ、荒木氏個人はさかはらあつし個人に対して「罪悪感」「贖い」の気持ちがあるのか?
監督がこだわるのはそこだ。

声を絞り出して、
「負い目を感じて生きていくしかない」
とは答えるが、決して謝罪の言葉は口にしない。
マスコミ対応でも同じ。
監督はそこが許せない。

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さかはらあつしという監督自身のプロフィールも実はもう一つの本題だと、あとで思い知る。
本来ならテロップやナレーションで説明した方が、より背景を理解できただろうが、監督はそうしなかった。
とくに元妻のことは、対話の中で少し触れられているが、とても辛い葛藤があったらしく、それだけでも1本の映画ができそうだ。
半端なことをここで書くつもりはない。
映画を観た人だけが、それぞれあとで情報を入手してほしい。
検索でも容易に知ることはできる。


当ブログで紹介した森達也監督作品の過去のレビューはこちら。
『A』
https://tapio.at.webry.info/201911/article_5.html?1620095602
『A2』
https://tapio.at.webry.info/201912/article_1.html?1620094843



『SNS -少女たちの10日間-』
バーラ・ハルポヴァー、ヴィート・クルサーク
監督
V siti 2020年 チェコ 1時間44分 ドキュ キネカ大森

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どんな映画か知ったうえで見たつもりだったが、見た後でごく初歩的な疑問を持ってしまった。
「これって、ドキュメンタリー?」
と。

たしかにドキュメンタリーだ。
「リアリティーショー」という名で周到な仕掛けや囮はつくってはいるが、パソコン画面に飛び込んでくるのは紛れもなく予測不可能な現実。
おそろしく胸くそ悪いリアル。

10日間に2458人もの中高年男性が色欲目的で12歳の少女と知ったうえでアクセスしてきた。
チャットのみならず、スカイプで自分の恥部をさらけ出し、相手に猥褻な要求をし、ひどいときには脅迫し、直接の接触を図ろうとする。

すべて、犯罪のオンパレードだ。
この映画が証拠となって、これら犯罪者たちの捜査を警察が開始したという。
この犯罪傾向は、定義から言って「小児性愛」ではなく「支配欲」なのだそう。
弱い相手に対するパワハラ・セクハラを増長させたものなのだろう。
もちろん、被害者は少女だけではない、少年もだ。

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映画制作側も、かなりきわどいリスキーなことをやっている。
12歳の少女に見える容貌の女性たちをオーディションし、実際にSNSで「友達募集」する役を3人決め、スタジオでスタッフ監視下でカモを演じるのだが、応募した女性たちのほとんどが過去に同様の被害に遭ったことがあるというのだ。

彼女たちのトラウマが呼び起こされないように願いたい。
さらに驚くことに、終盤には、外に出て喫茶店で実際に男と待ち合わせさせる。
もちろん隠しカメラと監視役や私服ガードマンを配置してのことだが。

3人の女性たちは実に巧く立ち回る。
個人的な復讐心もあっただろう、感情が爆発したシーンもあり、面白いが、こんな風に後半はハラハラものだ。

さらにそのあと、監督・スタッフ・少女役たちはどこに向かうかといえば、何度もコンタクトしてきた男たちのうちの一人の自宅に突撃インタビュー!

そこまでやるか的な衝撃度はあったが、決してTV的なワル乗り感はない。
それどころか、スタジオでも途中でたえず監督(男女二人)は教育的・心理的ケアをし、精神科医や弁護士が常駐して指導・解説をした。

ゲスな男どもの所業もひどいし数の多さに驚くが、一方で少女たちが寂しさを埋めるために容易に他人とオンライン交流し、承認欲求のために相手の要求に乗ってしまうというケースが想像以上に多発しているという事実にも目を向けなければならない。
「知ってはいたけれど、うちの子に限って・・」
は、通用しない。
事前に家庭でSNSの使用を厳重に規制しなければ、こどもの理性だけでは決して予防できないことだということがよくわかる。

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実はひとりだけ「本物の好青年」が現れた。
アクセスしてきた20歳の青年は、逆に甘い言葉に乗ってはいけないとやさしく諭す。
あたりまえのことを言われたのが、奇跡的な救世主出現のように感じられ、パソコンの前の女性の目からは涙が流れ落ちてしまう。

※その後何度かトークして、本当にいい人だったと確認(^_-)
※but,そこでいかにも癒しの劇伴を付けて演出してしまうのは、このドキュのドキュらしくないところで(^^;)

映画自体が教育的価値を意識して作られていて、万人に見てもらいたいと思うのだが、なんせえげつない画像の連続で(もちろんボカシは入っているが)、R15であることは付け加えておく。

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<その他の鑑賞作品>

『彼女』(廣木隆一)
2021 日 2:22 Netflix ★★★☆
水原希子さとうほなみゲスの極み乙女のドラマー)ダブル主演。中村珍の漫画『羣青』が原作。二人の役への没入度が、不可能なものはないレベルにまで達している。センセーショナル重視の作品ではある。


『祈り~サムシング・グレートとの対話』(白鳥哲)
2012 日 1:29 Vimeo ドキュ
筑波大名誉教授で著明な分子生物学者・村上和雄氏をメインフィーチャーして「祈り」の効用を科学的に検証しようとする。「スピリチュアルではない」かのような導入だったが、やはりスピリチュアル系だと結論付けざるを得ない内容。ネズミに対して行った実験でも祈りによって同様の効用が出ているといったあたり、マユツバというしかない。言霊で水の結晶が美しくなると“検証”した『水は語る』のような感触。『理性のゆらぎ』の青山圭秀氏や『人は死なない』の矢作直樹氏のような例を否定するつもりはないが、功績のある学者だからといって「信じる」必要もない。
ただ、「祈り」が検証されてもされなくても、必要であることはたしかだし、自己にとって瞑想的効果があるのは疑いを容れない。そこにモチベーションを与えてくれる映画ではある。
村上氏は先日4月13日に永眠。天理教信者で産経新聞「正論」メンバーでもある。


『アクロス・ザ・ユニバース』(ジュリー・テイモア)
2007 米 2:11 AmazonPrime ★★★☆
「実によくできた壮大なMV」と評する向きもあるだろう。ミュージカル映画としても歌と踊りはけっこう多め。ビートルズの33曲をふんだんに使い、60年代のアメリカつまりベトナム戦争に青春を苛まれる若者たちの生き様を悲喜こもごものストーリーにしている。物語るうえで使うのはもちろんビートルズの歌詞で、抵抗運動の文脈から聞けばあらためて真意を理解することができる。使用曲はほとんどがジョンの書いたものだと推察するが、そもそもドラッグやセックスを詠ったものも多く本来の歌詞の意味は判然としないながらも、こんな風な文脈にそって聴いてみればたしかに反戦・平和・自由を訴えていると読め、解釈が拡がるのが面白い。
抵抗運動に次第に没入していく彼女と、温度差を感じる英国人の主人公という設定もなかなかいい。60年代の熱気と陰鬱、絶望からの希望を描いていて、ホットに楽しめる。
MVとしての創作・美術も凝っている。





海をあげる/これからの男の子たちへ/表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

2021年1~4月

今回は書籍です。


『海をあげる』 上間陽子
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悲しいだけで泣けるのではなかった。
それを書く言葉がやさしさに満ちているから泣けるのだった。

こんなに「やさしさ」そのものを感じられる文章に遭うのは、記憶にないくらい久しい。

書き手が聞き取りに特化した学者さんだということに、また感じ入る。
10代の女性に話を聞くたびに、あとでひとりで泣き、怒り、吐いたりするひとだ。

エンパシーと共感力は、『僕はイエローでホワイトでちょっとブルー』(ブレイディみかこ)にも共通するテーマ。
そして、わが子もほかのこどもたちも、みんな包み込んで、かわいさとたいせつさを自分ごととして表現できるひと。

こんな風に語られる風景がオキナワだったのかと、なんとも意外な感じ。
童話のように子どもの視点と母親の視点からふと呟かれる詩的な文章は、どこかまほろばの世界のことのようにも感じられるが、ページをめくると今度は、どうしようもなく現実的な日常が現れて、かなしみの言葉で覆われる。

現実とは、性被害にあった10代女子たちの沈黙の叫びのことである。
普天間の、辺野古の、基地のあるオキナワの叫びのことである。
それを叫べない、呟けない、沈黙のことである。

終わり近くになって、書き手の言葉が「絶望」から沈黙を経てようやく紡がれた言葉たちであることがわかる。

真綿にくるまれたようなやさしさの言葉たちは、本土とオキナワを対照的に俯瞰したときには豹変し、厳しい刃となってこちらに突き刺さる。

決して傍観者ではいられないことを確認する。

叫べない10代少女たちの沈黙。
呟けない基地の島の住民たちの呻き。
本土では熱心な活動家でさえ共感し得ない、そんな沈黙の叫びを、地元出身の書き手は自分ごととしてなんとか腰をすえて胸をひらいて聞き取ろうとする。

そんな絶望の中の厳格なやさしさこそが、絶壁でことばに真綿をくるませているのである。




『これからの男の子たちへ』 太田啓子
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これはある意味、画期的な本かもしれません。

「フェミニズム」とか「ミソジニー」とか、そんな言葉を避けて通りたい男性陣にも、間口は広く敷居は低く難なく入っていけます。

男性との対談が挿入されているのが何よりも効果的なのですが、これは昨今、性差別について発信する男性が増えてきたことの現われでもありますね。

とはいえ、もはや中高年男性は聞く耳を持たない存在として見放され、あえて男の子を幼少期から育てるときに必要なこととして書かれています。

もちろん、中年男性にも読んでもらいたいです。
「もうすでに知っている」つもりの男性でも、とくに後半はグサグサきます。
これを読んで何も感じなかったら、森喜朗と同じだと思ってください。

むしろ、男であることは、「原罪」なのかもしれない、とさえ思いました。

ウーマンリブとか、メンズリブとか、これまでの功績は大きいけれど、ようやく両者が膝を交えて語り合う時期に入ったのかな、とも思います。

僕も、日々、訓練・鍛錬です。

(引用)
属性の違いによって世界の見え方が違うというのは仕方ないことですが、「自分は男性だから性暴力被害のことなんて考えたことがなかった」というのが当然なまま、多くの男の子が大人になるのは問題です。こんなに重大で深刻な暴力が毎日起きていて、苦しんでいる女性がたくさんいるのに、社会のもう半分である男性がそれにまったく無関心でいていいはずがありません。自分の家族や友達など身近な女性が被害を受けている可能性もあるのです。

(引用)
社会学者のケイン樹里安さんは、「『気づかずにすむ人々』『知らずにすむ人々』『傷つかずにすむ人々』こそが、特権を付与されたマジョリティである」と書いています。これにならえば、世の多くの男性はこうした女性の不安や悩みについて、「気づかずにすむ/知らずにすむ/傷つかずにすむ」人であり、やはり「マジョリティ」なのです。

(引用)
目の前に性差別や性暴力があって、できることがあるのに何もしないということは、消極的に不正義の状況に加担するということです。「中立」というスタンスはないのです。

↑ ↑ ↑
これはBLM運動やウイグルやミャンマーのジェノサイドや日本の現政権の市民弾圧に黙っていることは「中立」ではない、というのと同じですね。



『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』 若林正恭
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4年前のベストセラーで齊藤茂太賞を受賞したオードリー若林のキューバ紀行エッセイに、モンゴル編とアイスランド編が増補された文庫本。
「あとがき」がまたいい。

色眼鏡ではない目で観察し、まっさらな心から出たすなおな言葉で語る。
内面をみつめてきた身の上から、現在の社会の生きにくさの原因を探り、異国の地で比較社会学的に掘り下げるということを、あざとさのかけらもなくやっているのはすごいことだ。
「共感」を得やすいキャラと文体で、ウーマン村本並みの鋭い社会批評さえ大衆に訴えられる。
とすればアウトリーチ力は計り知れない。


文庫版あとがき「コロナ後の東京」より、少し抜粋。

「この国は世間を信仰している。それが、俺が3か国に行って感じた一番大きい他の国との違いだ」

「この国で世間の空気を読まなくていい人間は、一目でわかるほどの圧倒的な何かを持っていなくてはならない。それを持っていないならば、多数派に身を寄せつつ自分の位置を把握して空気を読んでいればそう生き辛くはない。だがしかし、自分の位置を弁えず少数派の意見を貫こうとする時に、空気はもの凄い勢いで頭を揃えようとしてくる」

「異物や異端を受け入れる幅はかなり狭いと思う」
「この国の“世間の信仰”と新自由主義が生む“格差と分断”の相性は格別に悪いと思う。でも、世間は言う『空気を読め』と。新自由主義は言う『個性で稼げ』と。
10代の頃から本当にずっと疑問だった。『空気を読めばいいのか、個性が大事なのか、どっちなんだよ』」

「新自由主義と資本主義の中で生きていくことは、格差と分断の中で生きていくことだから基本的にはずっと生き辛い。時に資本主義の外的価値に心を乗っ取られ、時に血が通った関係と没頭によってそれを打破する。それを繰り返していくしかないのだろう」

そしてこのあと、あとがきの後半で内省の旅はさらに深く考察を掘り下げていく。
最後の一行は極めつけの自己批評で締めくくられているので、ぜひ。






僕が跳びはねる理由/モキシー/ブックスマート/夏時間/Buffalo'66/DressingUp

2021年4月10~13日



『僕が跳びはねる理由』
ジェリー・ロスウェル
監督
The Reason I Jump 2020年 英 1時間22分 ドキュ
角川シネマ有楽町
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ポエティックな映画だ。
ドキュメンタリーとは思えないほど。
原作者や自閉症当事者たちの繊細さやセンス・オブ・ワンダーに触発された映像と音。
映像作家は、原作本を読んだり当事者に会ったりした時のインスピレーションをコラージュしている。

原作の東田直樹さんが13歳の時に自閉症の内面を吐露した画期的な著書は、古今東西謎とされてきた闇に光を当てる「希望の書」であり、人々の固定観念が加害と被害を生んでいた「証言」であり、医学的に貴重な「臨床データ」だった。

その後、英訳版が生まれ、海外30か国で出版されて広まり、今回映画まで制作されるに至ったのも頷ける。

僕らは当事者に関わりを持とうと持っていなかろうと、偏見を持っていたことに対する贖罪を少なからず感じるのだろうし。

外面と内面のギャップには、もはや「人は見かけによらない」どころのレベルではない、周囲の人の認知・感知・察知能力を根源から覆すほどの衝撃をもたらすのだろうし。

そして家族が当事者本人(たいていは子供)とのコミュニケーションをあらためてイニシエイトしていくことの歓喜と武者震いに共感の涙を禁じ得ないのだろうし。

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これまでNHKが何度も東田さんを撮ったドキュメンタリーを制作・放映しているので観た方も多いだろう。
そこには、翻訳したデイヴィッド・ミッチェル(自閉症の子を持つ)とのコミュニケートも映されていた。
今回の映画は、やはり自閉症の子を持つプロデューサーが触発されて映画化したものだ。

その子も含め、世界各地の5人の当事者たちを取材して映し、バックに東田少年(当時)の文章を時々ナレーション(英語)にしてかぶせるという手法をとっている。
光や音が過度に襲いくるときの受像機のような効果もふんだんに使っていて、観るものを少しばかり「未体験ゾーン」へ送ってくれる。

当事者のひとりの男性は文字盤で流暢に語る。
自分とコミュニケーションが不可能だと思われていた時はどう思ったか訊かれて、
「人権が剥奪されたように感じた」と。
周りがそれを聞いて沈黙するしかないなか、彼自身はいつも通り意味を成さない発語と顔や頭の動きを反復していた。

またシエラレオネの女子は、ずっと親から守られつつも、古くからの因襲で周囲からは「悪魔の子」と呼ばれ、蔑まれ、家や人身を襲う者までいたという。
それが一冊の著書によって偏見は次第に小さくなっていき、支援者も増えてきて、両親の奮闘で自閉症の子たちのための学校まで作られるまでに到ったのだった。

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2018年のドキュメンタリー『いろとりどりの親子』(レイチェル・ドレッツィン/米)の中にも、自閉症の息子と初めて意思疎通に成功したときの感動シーンがある。
医師が長時間根気強く文字盤を使って言葉を引き出すところを倍速再生で見せ、
「僕は頑張っている。頭はいいんだ」
と訴えていることがわかり、両親とともに顔がゆがむほどに泣ける。
会話ができなかったのはどんな気持ち?と訊かれて、
「a tiger in the cage (檻の中のトラ)」
と答えている。
(当ブログ2018年12月15日)↓
https://tapio.at.webry.info/201812/article_6.html?1618375545



『モキシー ~私たちのムーブメント~』
エイミー・ポーラー
監督
Moxie 2021年 米 1時間51分 Netflix
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高校生女子のカジュアルなレジスタンス。
感情がすなおに揺さぶられてしまった。
うかつにも、一喜一憂。

それは人気の男子(シュワちゃん息子)があまりにもゲスで、女性の校長があまりにもことなかれ主義で、学校全体が男女較差と女性蔑視をそのままにしているから。
家族同然の親友が離れていきそうだから。
性格もリベラルセンスもイケてる男子との恋がダメになりそうだから。
抵抗運動が結果をともなわなくなりそうだから。

しかし、今だにここまで女性蔑視の高校があるなんて。
映画として誇張しているのもわかるけどね。
勧善懲悪を単純化したきらいはあった。

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けれども、地味で内気な女子が身の回りに起きている不平等と矛盾に気づき、親世代のフェミニズム運動に触発され、パンキッシュに覚醒してひとり匿名で立ち上がる姿は、「革命」という名のムーブメントの発生の瞬間を映していて、誰もが胸の高鳴りを感じるだろう。
そして、星★とハート♥でひそかに連帯が広まっていくのを見るときこそ、ゾクゾクウルウルの分泌液が脳内からあふれてくる。

“わきまえない”主人公は「patriarchy」(ペイトリアーキー=「男社会」「家父長制」)なんてクソくらえ!と叫ぶ。
それはときに母親や恋人にも矛先が向けられ、一方は「よかれ」と思って行い、一方は「うざい」と思うときに、どうお互いコミュニケートするか、という問題まで実は孕んでいる。
人種差別も障碍者差別も同列だ。

男性教師は「女性の問題だから口出ししない」とつい言ってしまうが、これこそ禁句。
男性も意識して変わらないと解決しない問題なのだ、つくづく。

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昨年の『パピチャ 未来へのランウェイ』は同じ主題でも、アルジェリアというイスラム社会=男尊女卑をよしとする文化からの抑圧だった。
対して今回のアメリカ映画は、いちおう体裁は「多様性」だとか「平等」だとかを看板に掲げている社会において陰日向でまかり通っている抑圧だからややこしい。

一方で『ブックスマート』(2019/米)のように、LGBTQや人種やルッキズムなどを超えたダイバーシティが当然の前提となった学園コメディも作られている。

そんなガールズ・バディ・ムービーが(3つとも)女性監督によって忌憚なく撮られていること、そしてそれがまっとうに評価されていることには、希望しかない。

ポップなレジスタンス映画は欧米ではこれまでもいくつか作られてきているけれども、いつであっても何度でも手を替え品を替え、作られ続けなくてはいけないね。

「多様性」という点では、日本は大きく世界から遅れをとっているから、学ぶところ満載だ。

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おまけ・・・
『ブックスマート』ではただのおバカキャラだったニコ・ヒラガが、ここでは理想的な恋人役に“昇格”したのが愉快。

あと、ストライキは、全員でやらなきゃね。
全員でやればけっこう成功する。

★★★☆



『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』
オリビア・ワイルド
監督
Booksmart 2019年 米 1時間42分 Netflix
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多様性はあたりまえ。差別こそダサイ。
それを大前提としたところから始まる、コンプレックス逆転作戦。
落ち込んでる暇などない!と、突撃する女子二人のパワーと学園のハッチャケぶりが痛快なコメディ。

映画だしコメディだしという点を差し引いても、日本と比べると高校生にしてはヤリすぎで荒唐無稽!と言いたくなるが、だからといってすべてを現実離れとして片付けると、大事なところを摑み損ねる。
アホなふりして実は若い世代はもう二歩も三歩もリードしている。
主人公のブックスマートな(頭でっかちな)ふたりが、序盤で周りのパリピたちに実は置いて行かれてたということに気づくショックと同じショックを、中高年世代は味わわなければいけない。

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女優である監督が「これからの映画」を作っていて、期待したい。

また、主演の一人、ケイトリン・デヴァーはNetflixオリジナルの『アンビリーバブル たった1つの真実』でも主演しているが、こちらはうってかわって硬派で深刻なレイプ告白をめぐる実話ドラマシリーズ。
多様性やジェンダーフリーでは済まされない現実が立ちはだかる。
僕もまだ見ていないが評価は高いらしい。

★★★☆



『夏時間』
ユン・ダンビ
監督
Moving On 2019年 韓 1時間45分
横浜シネマリン
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これほど台湾映画的な韓国映画があっただろうか。
エドワード・ヤンホウ・シャオシェンか、と呟かずにはいられない。

家族やその欠落を描きつつ、
控えめな感情表現、
食事のシーンの多用、
少年少女をナチュラルに起用し
家の構造を存分に生かし、
季節の風景と空間が寡黙に語る。

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抑えたエモーションが洩れ出るときの凝縮された尊さよ。

不在の母親がようやく現れたときの拍子抜けするほど淡白な再会シーン。
娘の耐える表情、弟のはじけた歓喜、一方で母の顔はほぼ見せない。

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ラストは、もうひとつの家族の欠落が訪れたのをきっかけに奔出する娘の嗚咽で終幕。
韓流のエッセンスもそこに凝縮される。

★★★☆



『バッファロー`66』
ヴィンセント・ギャロ
監督
Buffalo’66 1998年 米 1時間53分
横浜ジャック&ベティ
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野蛮なエゴイストの男が都合のいい女を都合よく翻弄しておいて、その反面、強がっているのは自分の弱さからだとこれ見よがしに弱点を垣間見せ、しかしそれは甘えにほかならないのに純情を気取り、しかも女はそれでも惚れてついてくるという、なんという虫のいい話。

それが主人公のキャラだというだけですまないのは、ビンセント・ギャロの自作自演だから。
彼自身がそういう人格なんだろうと思えてしまうし、じっさい彼がその後も思想的に難ありなのはわかってきているし。

今ならミソジニーの匂いを敏感に察知されるだろう。
こんな女性像はありえない。
おまけにホモフォービアを自演しているシーンまである。
作品の中の人物と実際の本人と同一視するなと言われてもムリだ。

今から当時の作品を観ると、こんなにもギャップを感じてしまうのだな。

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思想やジェンダーギャップだけではない。
アーティスティック・センスも、期待したほどではなかった。
ある種、伝説的な作品なので、見逃していた僕としては要確認だったのだが、当時34週もロングランされるほどホットに迎えられたにしては、それほどトンガッた映像や編集のテクはみられない。
『トレイン・スポッティング』(96)を10年後ぐらいに観た時と同じ感覚だ。

ヒットしたのは、オフビートなセンスがカッコイイとされたこと、ラストが意外にもバッドテイストじゃなく締めくくられたこと(むしろエモーショナリー・グッド)、そんな雰囲気ゆえなんだろうな。

劇伴に関しては、センチメンタルに過ぎずに当てられていて、選曲(キング・クリムゾンイエス)もよかった。

クリスティーナ・リッチの容姿にはこびりつく蠱惑さがあって、この映画の秘宝的魅力のひとつとなっている。

★★★



『Dressing Up』
安川有果
監督
2012年 日 1時間08分 配信(サンクスシアター)
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中一少女が自分の中のモンスターに気づき、父との葛藤を経て、亡き母の過去に向き合う。
そうして自分では制御不能な内面の暴発を、内的世界で咀嚼し、なだめ、腑に落とし、前を向いていく。

そんな難しい役どころを、セリフの少ない演技で当時14歳の(いのり)キララが不敵に表現していた。

★★★





ノマドランド/ザ・ライダー/アルプススタンドのはしの方

2021年4月2~5日


『ノマドランド』
クロエ・ジャオ
監督
Nomadland 2020年 米 1時間48分
TOHOシネマズ川崎
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目の前のスクリーンはなぜいつも透明な薄明りなのだろう。
黎明あるいは薄暮のマジックアワーばかり選んでいるのか。
日中も薄曇りか、弱い日射しの空。

その下で出会っては別れていく人々をとりまく外側の風景であり、心の内側の風景なのだろう。
光と影で、彼らの状況が投影されている。

どこまで行っても荒涼とした大地。
風景にさして変化はないのはロードムービーとしては地味すぎるとしても、“魂の彷徨”としては逃げ場がないことを明白に物語る。

変化といえば、荒い波しぶきの岩場の海岸もあったし、壮大な国立公園も、林の中に踏み入る場面もあったと思い出すが、僕の印象としては既存のイメージのアメリカ大陸とはちがって、寒々しく鬱々としている。

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物語の起伏も展開もあまりないのに、観終わるといろいろと語る言葉が湧き出してくる。
「路上の旅人」の背景には、あまりにも大きな全世界的問題があり、胸の内には「無常」という深遠なテーマがあるから。

「路上」・・・50~60年代だったらビートニクのシンボル・ワードだが、2011年のそこに、ヒッピーのユートピア的居場所はあるかと問われれば、明らかに「NO」。
ダウナーとかでもない、閉塞感、寂寥感。
諦めの末に摑んだ平常心、あるいは自由。

「自由」はあっても、自らがそれぞれ心の辺境へ向かっている。
年齢の問題が否応なくそうさせる。
涅槃へ向かう準備をしている人もいる。

彼らの顔の半分はレジスタンスを表しているが、もう半分は“敗者”が滲み出ている。
“勝者/敗者”という言葉はもちろん使いたくないが、彼ら自身はなおさら。
そこに葛藤して抵抗しているからこそのレジスタンスだ。

人によっては、経験の長さから“敗者感”を“レジスタンス感”が上回っているベテランがいる。
主人公のファーン(フランシス・マクドーマンド)の表情も、その比率が次第に変化していくのが見てとれる。

ただ、かなしいかな、その路上のレジスタンス行為は、都会の「スクウォッター」ほどにも効果は期待できない。

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彼らが「ノマド」という選択肢を選ばざるを得なかったのは、ほとんどがリーマンショックのせい。
COVID-19の10年以上前からの現象だ。
映画の舞台では、企業城下町自体が消滅してしまい、それを待っていたかのようにAmazon.comの巨大な倉庫が100km先で非正規雇用者の一群を迎え入れた。


ヴァンを自分で改装して、独りで移動しながら、行く先々で仕事を見つけては、季節労働者として働く。
キャンピングカーなら車内は広い。
でも車中泊できる場所とできない場所がある。

「ホームレス」ではない、「ハウスレス」だ。
と、ファーンはこだわる。
「ホームは心の中にあるから」というのがキーワード。

人々の結末は、親族の家に迎え入れてもらうか、路上で死ぬか、どちらかに一つ。
老後の福祉としては究極のゼロだ。

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原作のサブタイトル「漂流する高齢労働者たち」が示すように、これは日本でも喫緊の課題である「老人漂流」問題であるし、新自由主義による格差拡大の問題と一体の、構造上の悲劇。

もはや「都市の空気は自由にする」という社会学言説も成り立たない。
地方の方が自由か?
いや、路上なのか。

「グローバリズム」とは逆ベクトルの「ローカリズム」がアメリカの地方を活性化するのか?
大陸の一地方で農業を一大事業として成功させようとすると、映画『ミナリ』の家族のように途方もないリスクを負う。
ローカリズムとは、「小商い」による「非成長」「非拡大再生産」「自産自消」「交換経済」などを基本とするのであって、アメリカ式の農業とは根本からちがう。

ならば、やはりコミューンを形成するしかないか・・・
若者たちとともに。
(路上のひとりに若い青年が登場したのは示唆的だ)

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付け加えるなら、ここに黒人や人種マイノリティはほとんど出てこない。
白人だから恵まれている、と指摘されたシーンもあった。
たしかに、本当のマイノリティたちは地域コミュニティでふだんから互助的に危機を乗り越えてきた歴史があり、そうしないと昔も今も生きていけないということだろう。


「さよなら」さえ言わない。
何十年と路上ではさよならを言ったためしがない。
そんな美学が語られる。
じっさいまた会えるから、と言う。
でもそこに、ロマンはあるだろうか。
そこに現世の生きる希望はあるのだろうか。

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ジャーナリスト、ジェシカ・ブルーダーによるノンフィクション『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』が原作。
ほぼ全員が演技経験なしで、ノマドの当事者だったりする。
リンダ・メイ、ボブ・ウェルズ、スワンキーという登場人物は、原作でも登場する主役たち。
しかし、映画ではフランシス・マクドーマンドという名優が架空の人物の設定で主演を張っている。
原作者も、そして監督も主演も、それぞれノマドとして生活して入り込み、取材や撮影を行った。
そのうえで、あくまでマクドーマンドの一人称の視点で見つめ、聞き、語られる作品世界を作り上げたのだった。

無常なだけではない、頑固だがしなやかな個人の葛藤と発見と感情の動きがある。

滅びゆくバッドランド。
この寂寞の空は、この狭い島国の上空にもつながっている。(前回も描いたような台詞だなw)

撮影:ジョシュア・ジェームズ・リチャーズ

★★★★



『ザ・ライダー』
クロエ・ジャオ
監督
The Rider 2017年 米 1時間44分 Netflix
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観終わってあらためてこの映画のプロフィールを見てみれば、その“奇跡”に驚愕。

実際のできごとを実際の当事者たちが実演しているとは。

神ってる。

信じられない完成度だ。
実録再現ドラマなんてものじゃない。
それぞれが俳優としか思えないし、それ以上の含蓄やオーラをみせている。
とくに主人公はただならぬ気配を漂わせてはいたが、まさか本人とは。

さらに驚くのは、主人公が兄と慕う、酷い後遺症でリハビリ中の元ロデオスターも本人。
知的障碍をもつ妹も本人。
父親も、仲間たちも、みんな自分を演じている。
それでいて、わざとらしさがかけらもない。
これこそ、監督の功績だ。

今度のオスカー最有力の『ノマドランド』の監督による前作(長編第2作目)。
別の企画でリサーチ中だった2015年、ロデオスターであるブレイディと出会っていたが、再会した時には落馬事故で引退しており、映画化を思いつく。

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物語は、ブレイディが深刻な落馬事故で手術したあと勝手に退院したところから始まる。後遺障害に苦しみつつ、ロデオに再起したいという欲求や「夢を諦めるな」という周囲の期待とのジレンマの日々。
愛馬たちとの触れ合い・決別。
再起不能の兄貴分のリハビリを手伝い励ますブラザーフッド。
父との確執、亡き母への思慕、妹への愛情。

痛切な体験をした人のただならぬ感情は、本人でなければ持ちえない。
ただし、それをそっくりそのまま、ここまで引き出すことができるものなのだろうか。
魔術とでも呼びたい。

マジックアワーの広大な空を映すカメラは『ノマドランド』同様。

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中国生まれの30代女性監督であるクロエ・ジャオが、アジア系で、女性であるという逆境にもかかわらず、排他的な白人コミュニティの中に自身が入り込み、信頼を得て演出・撮影し、これだけの実力を作品にして送り出し、ついにはオスカー候補にまでなっているという実績も、驚異的な偉業といえる。

製作費はジャオ本人と恋人でもある撮影監督ジョシュア・ジェームズ・リチャーズだけで賄ったという。
結果、インディペンデントとは思えないクオリティとなった。

★★★★



『アルプススタンドのはしの方』
城定秀夫
監督
2020年 日 1時間15分
横浜ジャック&ベティ
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グラウンドを一度も見せずに、ただの送りバントに感動させる。
すごいな。
最後の15分で、「しょうがない」の青春を一気に「しょうがなくない人生」に大逆転させる。
すごいな。

矢野くんもすごいな。
一瞬も見てないけど。

若い身空に戻れて、ウルウルきます。

高校演劇部の作品(顧問の先生作)を、映画のプロが映画化したもの。
現場に背を向けたままのカメラに映る、観客席を舞台にしたシチュエーション・コメディ。
ベタなようで、ぜんぜん安っぽくない。
シナリオの勝利。
このホンさえあれば、映像があってもなくても、何にでも使える。
でも、映画なのに肝心なとこが観られないとこが肝心(^_-)-☆

★★★★



▶その他の鑑賞作品◀

『私は確信する』(アントワーヌ・ランボー)
Une intime conviction 2018年 仏・ベルギー 1時間50分 横浜ジャック&ベティ
★★★☆

『北園現代史 ~自由の裏に隠された衝撃の実態~』(長根光輝、中村眞大)
2021年 日 1時間16分 配信
レジスタンスの萌芽。
現役高校生による抵抗ドキュメント。
★★★☆




花束みたいな恋をした/ミナリ/ビバリウム/叫び声/わたしは元気

2021年3月13~27日



『花束みたいな恋をした』
土井裕泰
監督
2021年 日 2時間4分
TOHOシネマズ川崎
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この映画の主役は菅田将暉(麦)でも有村架純(絹)でもなくて、そのあいだに聳え立つ大物。
来るときはいつもふわっと軽くて、たちまちのうちに目に映る世界をガラッと反転させ、去るときはいつのまにかいなくなってるくせにいつまでも重くのしかかる物を残していく。

そう、「恋」だった。

その傍若無人な大いなる幻影を、そのはじまりから終焉までていねいにかたちどる。
二人の間に生じる感情を、嫉妬や死などの不純物を入れずに、正の波形だけでクリアな起伏を描いた。
いわば恋愛の純粋標本観察。

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坂元裕二の脚本とあって公開まもなく観ようと思っていたが、コロナ禍で観るものを厳選しなければいけないなかで、どうも内容的にオッサンのぼくが観るにはこっぱずかしいキラキラ軟弱系ではないかと、ずっと躊躇していた。
(映画.comのフォトギャラリーもラブラブの写真ばかり)
しかし、友人に勧められてようやく観た。
タイトルや宣伝で醸し出されるような“胸キュン”主体のこそばゆいラブストーリーとはちがい、いい意味で裏切ってくれた。

とくに後半、恋が自然消退していく過程を描くリアルな会話劇は、脚本家の真骨頂。
誰しも覚えのある、胸が締めつけられる感じ、ザワザワ感。

会社勤めを始めた麦が仕事に追われて、いちばん大切にしていたものに時間を費やすことができない。
「僕の夢は絹ちゃんとの現状維持」と宣言していたのに、たった2~3年で二人の思い出のパン屋さんも思い出ではなくなってしまう現実。

それはそのまま、「恋」というものの賞味期限、あるいは脳生理学的な現象を描いた景色だ。
「あこがれ」がはかなくも幻として滅びてゆく軌跡。

もうひとつの次元である「結婚」とか、つまり「愛」とか「親愛」とかは、ここでは扱わない履修対象外。

もう少し突っ込もう。
二人が大好きな漫画やゲームにさえ乗り気にならず、癒しを求めることもせず、唯一パズドラで頭を空っぽにすることでしか明日へのリセットができないリアル。
それは、決して「そんなの当たり前だよ、甘いよ」なんて言って済ませてはいけない社会構造的問題を孕んでいると思う。
「他の国よりはマシだよ」と言って焦点をぼやけさせる人もいるだろう。
この社会がいかに生きにくいか。
「イヤなんかじゃないよ、仕事だからやってるんだよ」という麦のセリフは、みなさんどう思うだろうか。

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また別の見どころは、カルチャー系にうるさい人にはうれしいディテール。
冒頭から、ややマニアック傾向の固有名詞が羅列されて、物語のツカミとしておおっ!とくる。
二人の趣味の相性がピッタリで意気投合する対象の作家・ミュージシャン・映画たちが、こちらとセンスが共通していてほくそ笑んでしまう。

会話の端々にチラリと出てくる「クーリンチェが今日まで」とか、『宝石の国』を読んで泣いたとか、聞き逃せない。
若い頃カルチャーに身を捧げた自分としては、若き登場人物の同様の身の捧げ方と、同様のジレンマを感じる姿に、ナミダ。

僕とあまり変わらない世代の坂元裕二が自分の青春時代の体験を交えているのだろうが、世代を超えて「いいものはいい」という価値観が確認できる。
もちろん、いまの20代にホットな音楽や作家やゲームも完璧にアップデートしていて、年齢層を問わず楽しめる。

就職活動をする学生、恋愛倦怠期に入ったカップル、結婚を考え始めた社会人、そんな子供を持つ親、かつての切ない過去を客観的/主観的に振り返りたい中高年、どの層にも。

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思春期を振り返るときの心象風景・特有の空気感を映像にするマジシャン岩井俊二ほどの胸キュンはないけれど、土井裕泰監督は違うアプローチでいまの20代のジレンマをかたちにしてくれた。

★★★★



『ミナリ』
リー・アイザック・チョン
監督
Minari 2020年 米 1時間55分
TOHOシネマズ川崎
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ごくごく私的な一家族の奮闘を描いているだけなのに大きなスケール感を感じさせる。
最近では台湾映画の『ひとつの太陽』でも感じたことだ。

アメリカ・アーカンソーに移住したコリアン家族の生き様。
父親の夢=アメリカンドリーム。
息子の心臓病。
トレーラーハウスと畑開き。
ヒヨコの雌雄判別。
祖母との共同生活。
苛酷な自然との対峙。

『アドベンチャーファミリー』的な冒険でも、『はじまりへの旅』的なエキセントリックなものでもないたった1年かそこらの物語は、一見散漫でとりとめもなく感じられるが、私小説的なものと広大な自然とのマッチングが功を奏しているのかもしれない。
ありがちなサクセスストーリーでもない、賛美でも絶望でもない、要するに「すなわちこれ家族なり」というシンプルかつ永遠普遍のテーマの提示のみで一貫しているように見える。

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父の苦悩と焦り。
母の不安。
老いた奇妙な雇い人。
息子と祖母の接近。
祖母の病気。
水道の枯渇。
水辺のミナリ(セリ)。

夫婦間のすれちがい。
夫の言葉に対して、あとになって切り返してくるまでの妻の表情。
予期せぬところで矛盾を突かれる、あの焦り、顔のこわばり。
先の『花束みたいな恋をした』でも見られたその男女間の緊張は、普遍的なものとしてここでも共有されている。

主役のスティーブン・ユァン『バーニング』の“ギャツビー”役でもあるせいか、広い空の下で家が燃えていくシーンには既視感があり、また記憶に鮮明に残りそうだ。

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A24と(ブラッド・ピットの)PlanBがタッグを組んで制作。
米アカデミー賞ダービーで先頭に立つ『ノマドランド』に次ぐ有力候補らしい。
トレーラーハウスつながりだが、広い空は今ここの頭上にもつながっている。

★★★☆



『ビバリウム』
ロルカン・フィネガン
監督
Vivarium 2019年 ベルギー・デンマーク・アイルランド 1時間38分
TOHOシネマズ川崎
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観終わって、ふと冒頭のシーンのイミシンさに気づく。

まだ羽毛も生えていないような雛鳥たちが親鳥から餌をもらっている。
そのうちの1匹が巣から落ちてしまう。

次のシーンは、保育園で子供たちと一緒に「木」の真似をする先生。
風にそよぐ。嵐に揺すられる。
彼女が外に出ると、地面に落ちた雛鳥が死んでいる。
「カッコウのヒナが他のヒナを押し出したのかも」(托卵のことだ)

すると、木の手入れをしていた夫が木の上から降りてきて、二人で地面を見つめる。
「埋めてやろう」
その場でヒナを土に埋める。

これだけの3シーンが、ずんずん意味ありげに思えてきて、うすら寒くなる。
この映画の結末までをメタファーにしているのだった。


こんなことを聞かされても、観ていない人には何のことやらわからないだろう。
でもサスペンス・スリラーなのだから、ネタバラシはできない。

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奇妙な案内人に導かれて迷い込んだ異空間。
完全に同型の建売り住宅が果てしなくつづく不動産エリア。
ニュアンスカラーで統一された街並み、エクステリア・インテリアもペールトーン。
ソフトな印象、異様な空気。
ジオラマのような風景と造形、スタジオの照明のような日射し、作り物のような青空とわざとらしい雲。
そもそも人も車も他にない。
風も吹いていない。

何かが起こりそうなゾクゾク感でツカミはバッチリ。
ターゲットにされた若い夫婦二人はどんな災難に巻き込まれるのか。

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『トワイライト・ゾーン』『ミステリー・ゾーン』の定番の雰囲気とも言えるが、洗練された北欧風の画風は、明るさの中に気味悪さが潜む『ミッドサマー』の感覚にも通じる。
登場する少年も青年も微妙にグロテスクだが、ホラーというほどでもない。

この映画の宣伝に惹かれて観ようとする人は、怖さの正体が目に見える怪物だったりするようなものは望んでいないだろう。
まさにその通りで、スッキリとオチのついたものを期待してもダメ。
「なんで?」の謎解きの答えも明確ではなくシュール。
アメリカ映画ではないから、後味も決してよくはない。
不条理劇だがSFでもあるので、ブニュエル『皆殺しの天使』などよりはわかりやすい。

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ジャンルは言うなれば一種の「トラウマ映画」だ。
眉間に皺を寄せながら、どうぞお楽しみあれ。

★★★☆



『叫び声』 渡辺紘文監督
2019年 日 1時間15分 ★★★
『わたしは元気』 渡辺紘文監督
2020年 日 1時間 ★★★☆
横浜ジャック&ベティ

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大田原愚豚舎」制作・渡辺紘文監督の長編第6弾・第7弾最新作。
ぼくが観たのはこれで長編4作目。
(この他に、『蒲田前奏曲』の中の短編『シーカランスどこへ行く』、愚豚舎以前の卒業制作『八月の軽い豚』も)

今村昌平の影響を受けた『八月の軽い豚』当時とは、愚豚舎以降作風が一変し、シニカルなユーモア、オフビート、ミニマリズムを追求してきたように見えるが、『叫び声』に到っては禁欲的なミニマリズムを前衛アートの域にまで極めた感がある。

何があったのか。
上映後にリモートトークがあったのでそこを知ることができた。
それまでほぼすべての作品に出演し続けてきたスーパーおばあちゃん平山ミサオさんの容体が思わしくなくなり、『叫び声』を遺作として102歳でお亡くなりになったということだった。
撮影中にこれが最後となるだろうと予感しつつだったため、叫びたくなるのを撮影で紛らわせるぐらいだった心境がこの作風とタイトルに反映されているのだそう。

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お馴染みのモノクロ映像は一段とコントラスト高め。
・主人公である監督自身が、ブタたちの鳴き声喧しい養豚場で飼育作業を黙々と。
・田園風景の真っ直ぐな道を歩く後ろ姿に和太鼓のベース音。
・自宅の卓袱台で祖母と向かい合って静寂のなか食事をかきこむ。
・風防の効かないマイクで強風を拾いつつ、高台でぽつねんと座り込む男の遠景。

など数少ないショットを反復させる作りが基本で、脇役以外のセリフは皆無。

これが75分間つづくとさすがに退屈する人もいるだろうが、ひとつの到達点としては興味深い。
この深刻さと前衛さはこのあとどこまで行ってしまうのか、と心配がよぎったが。

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しかし次作の『わたしは元気』を観れば、監督は元気であることが一目瞭然。
初めて子供たちを主役とした、明るいユーモアに満ちた作品が甦った。

子どもたちが何事もなく遊ぶ日常を映しながら、たびたびBGMのように小池晃議員が安倍晋三首相(当時)を追及している国会質疑の音声が流れていて痛快だし。(年金2000万円問題)

他の愚豚舎作品にも頻繁に出演するリコちゃん(小4・久次璃子)と、そのお兄ちゃん、お母さん、リコちゃんのクラスメイト、そして監督など、すべて大田原地元の日常のなかの人々。
撮られた風景も、いつもの通学路、実際の久次家、友人宅、渡辺監督宅と思われ、逆にどこが日常とちがうのかおしえてほしいくらい。
ある意味、「観察映画」に近い。
兄妹が食卓で宿題をする固定ショットも、なんら演技を要求された形跡はなく、子どもたちは気負いなく自分たちのワークやゲームをマイペースでこなしていく。
たまにふざけ、わりと真面目に、自然に、平和に。

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日常という奇跡。
普通という暖かさ。
がそこにあった。

あ、もちろん渡辺監督の押し売り業者役は非日常だと思いますけどね。
確証はないですが(笑)



<その他の鑑賞作品>


『愛の病』(吉田浩太)2017 日 1:36 Netflix
★★★☆

『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』(ウッディ・アレン)2019 米 1:32 Netflix
★★★☆

『禁断の惑星』(フレッド・M・ウィルコックス)1956 米 1:38 録画
“現代SF映画の前身”と呼ばれる作品。のちの数々の名作SFの元祖となっている要素を多分に含んでいる。B級的な面もほどほどにあるが、僕がいちばん感心したのは後の『惑星ソラリス』に似た「無意識の具現化」、あるいは「自分の深層心理の肥大化によって逆に支配される」といったアイディアが提示されていることだ。「サイコSF」「思索SF」という呼称もありそうだが、SFの概念を哲学的方面に拡げた功績はあるのだろう。
★★★

(再)『藍色夏恋』(イー・ツーイェン)2002 台・仏 1:24 AmazonPrime
台湾青春胸キュン💛映画の金字塔。みなさんにおすすめ。
かわいくポップなエンディング曲はFrente!というバンドの『accidently kelly street』
これは検索しても、今は入手も動画を見ることも困難。
★★★★

















ひとつの太陽/ヘイター/彼女がその名を知らない鳥たち/デイアンドナイト/最初に父が殺された

2021年3月2~10日

Netflix三昧。


『ひとつの太陽』
チョン・モンホン
監督
陽光普照/A Sun 2019年 台湾 2時間36分
Netflix
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これは希望でも絶望でもなく、その間の狭い狭い隙間を無鉄砲に疾走する少年の話だ。

大人たちはそれぞれ、絶望を見下ろす失望の淵に立って歩きながら、背後の希望に気づくこともない。

「掌握時間 掌握方向」
(=「今を生きろ わが道を選べ」)

と繰り返す父の一方で、

「万物の内でもっとも公平なのは太陽だ」

と語る兄は、太陽に照らされる場所からあえて淵の下へ飛び降りる。

日陰を走っていた弟はやがて螺旋階段を上り、両側の世界を見渡す塀の上に出る。
初めて選択肢を手に入れる。

父と母はやがて日の当たる高台に登り、自分たちのいた場所を見下ろして、自分たちの絶望の正体を知る。
そして抱擁の涙の得体のしれなさ=人生の運命の複雑さに、ただ打ちのめされる。

喩えていうならこんな感じかな。

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ラスト、息子の漕ぐ自転車の後ろに乗った母が陽光を見上げるショットは美しい。

ひとつの小さな家族のストーリーながら、この大きなスケール感はなんだろう。

少年役がいい。少女もいい。
二人がただ座って押し黙っているだけのカメラ正面のショットがたまらない。
兄も母も父も、チンピラ仲間もみんないい。

またひとつ、今を見つめる珠玉の台湾映画を見つけた。

★★★★☆



『ヘイター』
ヤン・コマサ
監督
脚本:マテウシュ・パツェビチュ
Sala samobojcow/Hejter 2020年 ポーランド 2時間16分
Netflix
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主人公の青年は、SNSを使ってターゲットにフェイク画像やガセネタを送り、炎上させてダメージを喰らわせる愉快犯。
私怨で始めたのだが、すぐに荒らし専門の企業に雇われて、政治家をターゲットにしたりする。

オタク気質で『ソーシャル・ネットワーク』マーク・ザッカーバーグ役と似てもいるが、もっとサイコパスっぽいアブナサを隠し持つ。
敵味方関係なく、どっちにもスパイ行為を働いたりする不気味なヤツ。

この青年役の俳優が、実にじわじわクル。
顔の表情だけの演技が多いのだが、こんがらがった胸の内を決して大仰ではなく露わにする。

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青年も、元はといえば格差社会の下層に位置する困窮家庭。
法学部生である自分のパトロンになってくれている裕福なリベラル家庭に学費などお世話になっている。
ところがその娘が自分につれない態度をとったことを勝手に逆恨みというかリベンジ心を燃やす。
本人は思想云々とは無関係だが、結果的にリベラル政治家や上層家庭を陥れることになる。

彼の内心に、格差への憎しみや劣等感や上昇志向があったのかどうかは掴み切れない。
むしろ無自覚で、意識されない鬱憤を滾らせていたのだろう。
得意分野における承認欲求が強かったのはたしかだろう。

最後には他人を操り、とんでもない事態を引き起こす。

ネガティブなエネルギーを糧にしてアンチヒーローに祭り上げられるパターンもあるが、この青年の場合は成りゆきで正義のヒーローに祭り上げられるのが痛烈な皮肉。
『タクシー・ドライバー』デ・ニーロのように。


ドキュメンタリー『グレートハック』が暴いたようなSNSの個人情報搾取システムやビッグデータを使うハッカーではなくて、あくまで個人の過激なネトウヨみたいなもの。
だから悪意さえあれば、誰でもどこでも十分ありうる。
頼まれれば誰でもフェイク炎上攻撃を仕掛ける“地下扇動専門企業”があるのはもっと恐ろしい。

官邸が官製フェイクのためにネトウヨを大量に雇っている日本もそーとーヤバイけれども。

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ほぼ実録である『聖なる犯罪者』の監督&脚本コンビが、次に作ったのがこれ。
ポーランドではこれが公開になる直前にそっくりの事件が起きて、リベラル政治家が暗殺された。
今回は完成後に実例が追いかけてきたかたちだが、似た例や潜在的なケースは多く、ヒント材料は豊富だった。
ポーランドの風潮として、差別主義・排外主義・極右勢力がメジャー化しているという現実があるらしい。

思想以前の未熟なマグマが煮えている。

いま、ひとつの国の危険な社会情勢を物語にすると、そのまま普遍性をもってどこの国にも通じる寓話となり、警告となる。

『聖なる犯罪者』といい今作といい、コマサ監督の演出する青年の無言の表情は複雑かつ虚無感を呈し、僕らの解釈を求めている。

★★★★



『彼女がその名を知らない鳥たち』
白石和彌
監督
原作:沼田まほかる
脚本:浅野妙子
2017年 日 2時間3分
Netflix
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「ふつうはありえないだろ」的な話だが、サスペンスあるいはミステリーとして楽しめる。
物語と役者が、刺激的でギュンギュンくる。

“イヤミスの女王”(何人もいるうちのひとり)沼田まほかるの原作を脚本でアレンジ。
僕には“イヤ”な後味にはならなかった。
出会いのシーンをラストに持ってきたりしたのは、やはり脚本で時制を組みかえたのだそう。
ぜんたいに、時制を前後させる術がハマっている。

なかなかに破滅型でエキセントリックな人物造形。
もともと戯画的な話のため、好みが分かれるだろう。

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阿部サダヲが善人なのか悪人なのか最後までわからないのがいい。
蒼井優は自堕落な性悪女か、ツンデレの薄幸美人か、はたまたアブナイ“メンヘラ”なのか、これも最後までわからない。
松坂桃李竹之内豊も、初めから謎めいたキャラ。
(出会ってその場でマジにキスするのはこちらが冷めるからやめてほしいw)

主語を阿部サダヲにするか蒼井優にするかで、見え方は真逆になる。
初めからずっと蒼井優の目線で、終盤になって阿部サダヲの目線にして、伏線を回収かつ全体像を見せるのに成功している。

「あ、こういうパターンのキャラね」とレッテルを貼ろうとすると裏切られる。
それぞれの背景がわからない状態から次第にわかってくるにしたがって、人物の印象が変化してくるのが面白い。

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それにしても蒼井優の演技にはあらためて感服。
名実ともにいままちがいなく国内トップクラスなのは『スパイの妻』でも実証されたが、正統派のうまさだけではなく、彼女のように見ていて独特の面白さがないと僕は魅了されない。

社会派でもなく、単なる純愛映画かと訊かれればそうとも言い切れない、なにか人間のどす黒いものをとことんまさぐって掴みだして愛撫するかのような“ニンゲン劇”。

★★★★



『デイアンドナイト』
藤井道人
監督
原案・企画:阿部進之介
脚本:小寺和久、藤井道人、山田孝之
2019年 日 2時間14分
Netflix
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憎悪と憤怒。
慟哭と咆哮。
ネガティブなエモーションで潮位は乱高下。
嘲笑と挑発。
茫然と悄然。
テンションとサスペンションは常に張り詰めている。
嗚咽と抱擁。

予想以上に骨太。
30代の若手3人=阿部進之介・藤井道人・山田孝之が意気投合して始まったこの企画は、社会の暗部かつ根深い汚点に食い込む物語を一から創っている。

もちろん、下請け会社による告発を大企業が潰しにかかる事件は枚挙に暇がなく、昔から続くムラ社会の「なあなあ」慣習と村八分案件は、誰でもいくつかは思い出すことができるだろう(僕は今でも雪印製品は不買運動をしている)。
それに続く警察・マスコミとの癒着、取引先や隣人や従業員から受ける二次被害、そして自死。
正義の見返りは、逆に弱い立場が追い詰められる理不尽。
(最近は同様のことが民間より「官製」の方で頻発しているが)

そんな事例を、信仰なき社会の「善悪の彼岸」にデフォルメして、昼と夜で違う顔を持つ人々の倫理を問い尽くす物語に仕上げている。

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善のために悪を成す。
悪を倒すために悪を成す。
その罪滅ぼしに善を成す。

善と悪は表裏一体。
ジャッジするのは警察でも法律でも宗教でもない。
誰だ。

陽の光に隠されて見えない月。
夜になっても月の裏側は見えない。
月の裏側を見るということは、絶望を直視するということ。
決してよくない後味を覚悟しなければならない。


主役・阿部進之介、安藤政信、そして当時17歳の清原果耶の、三者の人物関係が完全に明かされるのは終盤。
その衝撃までサスペンスは持続する。
演技はといえば、敵役・田中哲司の憎らしさが極まっていて、脳裡にこびりつきそうなヒールぶり。

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この直後に『新聞記者』でメガホンをとるまで「政治に関心を持ったことがなかった」という藤井監督が、その直前にこんな社会派作品を生み出していた。
実はこの社会問題は、ほぼ政治マターなのだから、社会の矛盾に気づいた時点で政治の方面に突っ込みを入れるのにあと1mm身を乗り出すだけでいいのだ。

河村光庸プロデューサーとの幸福な出会いをして『新聞記者』『ヤクザと家族』と2本の硬派作品を世に出せたのだから、さらに毒を強めれば白石和彌監督(『孤狼の血』など)につづく劇薬エンターテイナーの逸材になれるかもしれない。
なんてね。

★★★☆



『最初に父が殺された』
アンジェリーナ・ジョリー
監督・脚本・製作
原作:ルオン・ウン
First They Killed My Father 2017年 米 2時間16分
Netflix
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カンボジアのクメール・ルージュ支配下。
非人道的圧政に苦しむ家族の彷徨を、7歳の少女の視点で見つめる。
本人の手記をもとにした実録。

都市でまっとうに暮らす市民が、同じ民族であるにもかかわらず、一夜にして奴隷となり、飢餓と重労働に苦しみ、処刑に怯える身分に突き落とされる。

少女から見て同世代の子供たちが、銃を持って大人たちに命令口調で指図しいばり散らす姿は、異次元にジャンプしたかのような不条理。
こんな世界がこんな最近もそして今も、この地球に存在するということにあらためて愕然とする。

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アンジェリーナ・ジョリーは、このポル・ポト派による動乱を一貫してアメリカ(ニクソン政権)に起因するものとして糾弾する姿勢を見せる。
さすがのアクティビストだ。
出演はせず、監督と脚本に徹し、しかも製作(お金集め)から、という渾身の作。
(演技についてはクオリティを求める内容ではないが、子役たちが再会して喜ぶ場面などは少し興ざめ。)

それでもとにかくポル・ポト派の冷酷無比な支配下でどれだけ生き地獄の緊張を強いられたかを知ることができる。
エキストラの多さや空撮の多用など、予想以上の大規模な撮影にびっくり。

saishonititiga4.jpeg★★★☆



<その他の鑑賞作品>

『マンク』(デビッド・フィンチャー)2020/米/2:12/Netflix ★★★☆

『市民ケーン』(オーソン・ウェルズ)1941/米/1:56/AmazonPrime ★★★

人物がたくさん出てきてその相関関係や人名や顔を覚えながらの内容把握は苦手。
『マンク』は『市民ケーン』の裏話だけに秘かな愉しみを味わえたが、何十年ぶりかで見たおおもとの『市民ケーン』は「こんなもんだったっけ」と拍子抜け。
昔はそれなりの感動を覚えた記憶があったが、『マンク』で裏話を知ったうえで見たからさらに面白いと思いきや、情報を詰め込んで追いかけることに忙しいドラマだな、としか感じなかった。
当時の撮影技巧の斬新さも今となっては新しくないし。
そもそも、いちばんのキーワードである「ローズ・バッド(薔薇の蕾)」のオチって、全然大したことなかったんだね。



聖なる犯罪者/DAU.ナターシャ/みかんの丘/しゃぼん玉

2021年2月


『聖なる犯罪者』
ヤン・コマサ
監督
脚本:マテウシュ・パツェビチュ
Boze Cialo 2019年 ポーランド・仏 1時間55分
キネカ大森(2/28)
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神父版『ディア・ドクター』か。
いや、さらに面白いかも。
キリスト教が柱になってるから、より重層的だ。
人を救済できるのは、神か人間か。
聖職者か犯罪者か。
あるいは結局自分自身か。

善悪の境界が曖昧、いやむしろ、善悪の彼岸の方から物語は始まる。
更生されてない若者だが、少年院内のミサに親和性を示し、聖職に憧れる。
出所するや、嘘をつき聖職に就いてしまうところを、映画は初めから明かす。

主人公ダニエルのなりすましは意外なほどうまくいく。
彼の言葉や行動が、善人の性質を帯びてくるのだ。

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やがてこの教会の村で起きた凄惨な事故に関して、村人たちの心に巣食う憎悪が見えてくる。
聖人/罪人という境界型の存在であるダニエル青年の無垢な眼を通して、人々の欺瞞が暴かれる。
大きな嘘をついているダニエル自身よりも、憎悪にかすんで自分たちの偏見に気づかない人々の方が罪深く思えてくるのだ。

ダニエルの行為は利他的になり、参列者を前に立つときの所作も独特の伝道師的威光さえ見せる。

同時に、祭服を身に纏ったダニエルが、いつ誰に正体を見破られるか、というサスペンスも常につきまとう。
一人、二人、三人、と訪問者がスリル持参で現れる。

そして、沈黙のまま教会を去るときの彼の姿こそ、最もクールな見せ場だ。

そこから急降下するラストはあまりにも悲しいが・・・

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正義/不正義
聖/俗
秩序/無秩序
それらはつまるところ、所属集団の都合によって決まる。
立場がちがえば善悪も反転する。
ダニエルの冷えた眼差しは、寡黙にそれを露わにしている。


20代の若さで脚本を手掛けたパツェピチュは、実際の事件からインスピレーションを受け9年がかりで完成させた。
なんと、この手の事件は珍しくなく、毎年のように起こるという。
ポーランドで多発する理由として、以下のようなことを挙げている。

・神父/司祭は尊敬される立場ゆえ、居心地良く感じる。
・カトリックの信者が多く、偽る人たち自身も熱狂的な信者が多い。
・身分証というものがないし、要求されない。
・刑期を終えたのち、居場所がない。

たとえ事件がありきたりでも、この映画はありきたりではない。
刑務所と教会と福祉と貧困。
社会構造を巧みに取り入れ、端的な風刺画、刺激的な寓話に仕立てている。

監督も新進気鋭で、この若き脚本×監督の二人は、現在Netflixで配信中の最新作『ヘイター』でも再度タッグを組み、トライベッカ映画祭のインターナショナル・ナラティブ部門で最優秀作品賞を受賞、米HBOでTVシリーズ化も決定しているとか。

★★★★



『DAU. ナターシャ』
イリヤ・フルジャノフスキー/エカテリーナ・エリテリ
 共同監督
DAU. Natasha 2020年 独・ウクライナ・英・露 2時間19分
イメージフォーラム(2/27)
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この作品の企画コンセプトの壮大さや空前の撮影規模ばかり騒然と話題になっているが、2時間20分程度である今回の一篇は単なるその第一弾。
宣伝されている通り、途轍もない人員と労力と時間と製作費と撮影時間を費やしたのが狂気じみているのは確か。
ただ、『DAU.』シリーズが今後何作つづくのか全体像が見えないなかで、この一作を見ただけでは何も判断しようがない。
ロケーションはある施設の中の食堂でのことにほぼ終始し、登場人物もわずか。
ソ連時代の(実は今も続く)全体主義のリアリティをそのまま再現するという片鱗は見えるし、L.V.トリアーを彷彿とする冷徹な生々しさが蝕知されるが、いまだ目隠しされて巨象を撫でているようでもある。
むしろこの内容なら無駄を省けば1時間20分ぐらいに短縮できるし、その方が連作長編の一篇とするにふさわしいのでは、とさえ考えてしまう。



『みかんの丘』
ザザ・ウルシャゼ
監督
Mandariinid/Tangerines 2013年 1時間26分 エストニア・グルジア
Amazon Prime
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黒海沿岸の国境紛争。
互いに敵同士の負傷兵が、中立地帯で匿われる。
世話をする老人は、遥か遠くに故郷を持つ第三者。
「私の家では殺し合いは許さない」
毅然たる態度の命の恩人には従順になるしかない二人の男。

ひとつ屋根の下で療養するうち、ひとつのテーブルにつき、徐々に「敵」から「人間」へと変化がみられていた。

しかし。
突然の理不尽な外部からの襲来に、平和の兆しがあっという間に奈落へ落ちる。

絶望が訪れたものの、小さな希望の兆しまでは死ななかった。
老人の秘密が明かされるとともに、かなしみのなかの微笑みに救われる。

見事な反戦映画。

冒頭、材木でみかん箱を作っていた老人と、隣の家でみかんの収穫を気に病んでいた同郷仲間。
最後、みかんは収穫されぬまま仲間は死に、材木はみかん箱の代わりに棺桶として作られる。
「命」より「死」に乾杯する物語。

主役の老人がかっこいいことこのうえない。

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これと同様にグルジアの中立地帯を舞台とした『とうもろこしの島』(2014/ギオルギ・オバシュビリ)も同時公開された。(星5つを献上by たぴおか)
当ブログ・バックナンバーより ↓ 『コーン・アイランド』
https://tapio.at.webry.info/201411/article_1.html?1614925303

中立地帯を舞台とした映画としては、『ノー・マンズ・ランド』(2001/ダニス・タノビッチ/ボスニア・ヘルツェゴビナ)が有名ですね。

★★★★


『しゃぼん玉』
東伸児
監督
原作:乃南アサ
2017年 1時間48分 日本
Amazon Prime
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若者が重罪を犯す冒頭。
そこから始まる物語。
何を考えているかわからない彼が、どう心を動かし、どう生きるのかを考えるに到る姿が描かれる。

一人の老女との邂逅。
家族のような村人たち。
罪を負った者が刑に服する前に、人々のやさしさに触れることによって十分に更生できることを物語っている。

「ぼうは、ええ子」
と繰り返し褒める市川悦子

そんな風に言われたら、言わせたら、そりゃ泣くよ。
無法者の若造(林遣都)だって、観てる僕らだって。

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Amazonのすすめる「次の動画」が『きみはいい子』だったのにはニンマリ納得。

★★★★



すばらしき世界/ヤクザと家族/孤狼の血/ヤクザと憲法


ヤクザに人権はあるのか?
元ヤクザには?

この問題を果敢に切り込んで話題になったのが、東海テレビ制作のドキュメンタリー『ヤクザと憲法』だった。
(当ブログ記事バックナンバーはこちら ↓)
https://tapio.at.webry.info/201603/article_4.html?1614174888
このあと下記(ページの最後)に記事を再掲してあります。

現在、『ヤクザと憲法』を「二代目東組二代目清勇会」というタイトルでニコニコ動画でフリーで観られるのを発見。↓
https://www.nicovideo.jp/watch/sm31148394

しかしこのドキュメンタリーは、「元ヤクザ」のその後までは追いかけていない。

以前NHKが『ドキュメント 決断 ~暴力団“離脱” その先に何が~』(2014年8月14日放送)で「その後」を番組にしたが、残念ながら今はネット上でフリーでは見られない。

いま奇しくも「その後の元ヤクザ」を描いたフィクション映画が二つ同時に公開されていて話題だ。
2本セットで観るのがベスト。


『すばらしき世界』
西川美和
監督
2021年 日 2時間6分
109シネマズ川崎

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果たしてここはすばらしき世界なのだろうか。

その判断を委ねるために、作り手はよく“はみ出し者”を主役に据える。

たとえばそれは知的障碍者だったり身体障碍者だったり。
イジメの被害者だったり加害者だったり。
LGBTQだったり。
民族的マイノリティあるいは移民・難民だったり。
シングルマザーだったり貧困家庭だったり。
権力に立ち向かうレジスタントだったり。
単に空気を読まないひとだったり。
そして、刑期を終えた元極道だったり。

とりわけ、世間馴れしていない純粋なキャラとして、漫画でいうと『コジコジ』や『よつばと!』などのファンタジックなキャラたちや、ダウン症など知的障碍を持つひとたちが周囲に生む波紋によって、世間の矛盾や欺瞞に気づかせるパターンは効果的だ。

初めてカタギとして自立をめざす初老の男・三上正夫(実在/故人)も、言ってみればそんなキャラだ。
正直で一本気。
だけど短気で、直情径行。世間馴れしないどころかズレまくっている。
だから適当に折り合いをつけるということができない。
がんばろうとしても結果は裏目に出る。

そんな存在を通して周りを見ると、理不尽なことや人として許せないことばかり。
目の前の虐待を見て見ぬふりするのがこの世の常識なのか?
迷惑をかける弱者は排除すればいいのか?
それでいいのか?
と、観ているこちら側の胸ぐらを摑んでくる。

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でも、主人公はどうふるまえばいいのか迷走を最後まで続ける。
暴力をふるう人に暴力で懲らしめるのも、ちがう。
じゃあ我慢して見て見ぬふりをして一緒に嘲笑えばいいのか。
それも絶対にちがう。
どちらの両極に振れることなく、うまく生きてゆくことはできないのか。

そこには(今の日本には)絶妙な、子ども時代から習得が迫られる実に器用な熟練したペルソナ術が求められる。

さらに、人に注意をしたり諭したりするには、相当な自分のバックボーンとバランス感覚が要るのだ。

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十代から極道の世界に入り、情や恩義は任侠の世界でしか知らない。
いまだに罪に対して自省しきれていないのは、刑務所内で更生できていないせいだろうし、情をもつ“人”として扱われていなかったせいだろう。
生い立ちを汲む余地が十分にある。

どんなコワモテの男だって、母親への思慕はどこまでも自分の胸をしめつける。
家庭もなく戸籍もなく育った子どもには、自己のアイデンティティがない。
頼れる存在も、依存できる愛情もない。
ちょっとしたやさしさに涙してしまう。
幼少期の自分のルーツを求めることが、人生最大の使命となり、次のステップへのモチベーションとなってゆく。

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そんな三上にツッコミを入れ、最後には情にほだされ、自分の次のステップのモチベーションとするTVディレクター役の仲野太賀もいい役どころ。
佐木隆三の原作にない西川監督のアレンジ設定。


刑務所での更生の可能性/不可能性の問題はあるにしても、そのあとの現実課題に直面してどう自立していくか、というところに重心を置いた実録物語。

生活保護バッシングへの異議、障碍者・生活弱者に冷淡な社会へのアンチテーゼをしっかりと提示してくれていて、アウトリーチ効果も高い傑作だ。

★★★★☆



『ヤクザと家族 The Family』
藤井道人
監督
2021年 日 2時間16分
川崎チネチッタ
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前半と後半とでまるで別の映画のよう。

ケン坊(綾野剛)が組長と親子の契りを結び、激化する縄張り抗争に飛び込んでいく過程が描かれる前半は、言ってみればよくある現代の任侠もの。

その時点(1999年)では暴対法は既にできていたが、その影響はドラマ上はあまり見られなかった。

ところがケン坊が刑期を終えて出てくると、時代は変わっていた。

「もうとっくにヤクザに人権なんかなくなってんだよ」
とは登場人物の一人のセリフ。

そう、『すばらしき世界』と同じ設定だ。
こちらの主役はまだこの時点で40前だから、だいぶ将来はあるはずだが。

ここからの映画は打って変わってローテンション。
人物たちはおしなべてエネルギーをすり減らし枯れ果て、絶望からどう滑り落ちてゆくか、希望にどうすがりついていくか、という物語となる。

22歳となったツバサ(磯村勇斗)だけは例外。
ヤクザではないが半グレとしてエネルギーをフル稼働させていて、闇の世界を暗躍しようとする。
いずれにしても不幸は連鎖していく。

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ヤクザから足を洗ったにもかかわらず、制度的に「5年間は人間扱いされない」。
たとえその時期をしのいでも、ひとたびネットで「元ヤクザ」と同一化され拡散すれば、幼い子供までもが社会から弾き出される。
かつて名の知れた組長が言ったように、「これは第2の同和問題になる」。
今まさに現実となっている人権問題だ。

部落出身や在日で不遇を味わう被差別者にとってのセーフティネットとしての役割もあった極道が、暴対法によって完全に社会から排除され、生きる権利さえ奪われたことで、関わった全ての人が「不可触民」となる二次差別を、制度によって社会が作り出している。
その具体例をここまで描写して見せたドラマは稀だろう。

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絶望しか生まれないのは社会が「逃げ場」のすべてを奪ってしまっているから。
制度だけでなく、ネット自警団の過剰な正義はさらに怖い。
それこそコロナ禍の二次被害の今を象徴するかのようでもある。

昨年末公開の『無頼』(井筒和幸)は戦後からバブル崩壊までの極道一家の盛衰クロニクルで、美学やノスタルジーが強調されていて違和感が残ったが、対してこの1999年から2019年までの直近20年間の物語は悲愴感が凌駕していてしっくりくる。

バブルが終わり、終わりのない不況と暴対法が始まり、その後の虚無的日常はいま、グローバル資本主義の限界局面とシンクロしている。
ヤクザが美学を語れば唇寒いこの時代のリアルを、ただ衰亡と消滅を待つだけの弱者のリアルを、ひたすら虚しく描いていて、反社だけではなく逃げ場のないすべての人を代弁しているようだ。

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『新聞記者』でスマッシュヒットを放ったうえに国内で賞を総なめにし、なおかつ官邸の恐怖政治を告発し大衆に暗部を暴露して大きな功績をあげた河村光庸プロデューサーと藤井道人監督のタッグが、またやってくれたのだった。

★★★★



『孤狼の血』
白石和彌
監督
2018年 2時間6分 日 Netflix
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『すばらしき世界』の前に、ようやくこれを観た。
3年前のこの話題作、警察+ヤクザというジャンルはあまり得意じゃないので敬遠がちだったのだが、それでも役所広司の“極道っぷり”を見ておかないわけにはいかなかった。(白石和彌監督の仕事っぷりも)

のっけから拷問シーンで始まるが、やっぱり大した作品だった。
特筆すべきは役者たち。
役所は『すばらしき世界』の役とは対照的に、娑婆の裏も表も酸いも甘いも汚穢も禁忌も闇も泥沼も、海千山千知り尽くした破天荒かつ老獪な刑事。

彼に振り回される松坂桃李も、その演技巧者ぶりを存分に発揮。
役所も松坂も、肉体的精神的に傷めつけられる役に対して心身捧げ切っていて、その後大丈夫だったのか、と心配になるぐらい。

共演した阿部純子真木よう子も真に迫っていてよかった。
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内容的には原作の柚木裕子がすごいのだろうが、映画的にはとにかく、役所演じる刑事がどんな人物なのか知らないグレーの状態から始まって、その濃淡がどんどんどす黒くなり、ところが終盤になって急速に明度が増し、最後にはいぶし銀、いや輝くシルバーとなって驚かせる。

それで終わらずに、さらに松坂が極道への復讐と裏切り、警察本部への反撃も仕掛けるなど、ダークで痛快な結末を見せてくれるところが、天晴れカタルシス。
ダーク×ハード×エンターテインメントで、しかも泣かせる。
第2弾がこの夏、役所抜きの松坂主演で公開予定。

★★★★



<バックナンバーより再掲>

2016年3月19日 ジャック&ベティ
『ヤクザと憲法』 (土方宏史)

2015年 日本 1時間36分 
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ヤクザに密着100日!
これはそうとうなものだ。
撮る側も撮られる側も肝が据わっているなあ。

・謝礼金は支払わない。
・収録テープ等を事前に見せない。
・顔へのモザイクは原則かけない。
というルールは、当然といえば当然だけど、ヤクザ相手じゃ当然とは簡単には言えなくなってくる。

本物の暴力団の事務所の中。
聖域というかタブーというか、秘境。
覗いて見れば、ごくごく何の変哲もない事務所。
虎の剥製はあるべくしてあるが。

なんだかみなさんやさしそう。
親切だし。
「部屋住み」と呼ばれる見習いも、まだ少年な感じで世間知らずの純朴そうな男の子。いじめで引きこもり、宮崎学に憧れてこの世界に入ったのだという。
ひとりだけコワモテのNO.2(若頭?)は、その子を部屋の中でボコボコにしてたけど(撮影は閉め出された)。
その子は「辞める気はありません」

部屋の隅に置いてある細長い荷物をカメラがとらえ、「これは?」と訊く。
「テントですよ。外で使う」という答え。
「機関銃とかじゃないんですか?」と突っ込むと、
「それじゃ銃刀法違反になるじゃないですか。暴力団だからって持ってるって思うのはテレビの見過ぎですよ」とたしなめられる。開けて見せてくれる。

暴力シーンが全く映らない。抗争のハプニングもない。
“ヤクザ映画”なのに(笑)、落ち着いたものだ。

川口和秀という会長(二代目東組・副組長)がまたカッコイイ。
カリスマ臭プンプンで、(男にも女にも)惚れてまうやろオーラむんむん。
(あー、ええところしか見えてへんやん!)
23年服役した(冤罪の疑い)のに、服役前より若返ってるんじゃないか、と思うぐらい、不思議な艶がある。器が大きそうだ。撮影も何でも許してくれる。


おりしも、毎日のように山口組とその分派・神戸山口組の抗争がTV報道を賑わしていて、注目を集めている。
そんななか、あの気骨ある東海テレビが、指定暴力団「二代目東組」(大阪市西成区)の二次団体「二代目清勇会」(大阪府堺市)と、山口組顧問弁護士の山之内幸夫氏を取材した。

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「ヤクザ」を「暴力団」と呼び始めたのは警察。
彼ら自身は「任侠団」と標榜し、「極道」と美称する。

終戦直後などは「任侠道」だけあって、社会扶助としての貴重な役割を担っていた。
もし彼らや娼婦たちがいなかったら、戦災孤児(浮浪児)たちは生き残れなかっただろう。

映画の中でも、大阪の商店街のおばちゃんが「警察なんか、なに守ってくれんの。この人たちだけやんか、守ってくれるんは」と言う。
今もある程度は地域警護の機能を果たしてはいるようだが、もちろんそんな表面的な綺麗ごとだけで済むわけではない。


暴力あるいは暴力的脅迫によって自己の私的な目的を達しようとする反社会的集団
というのが暴力団の定義。
「シノギ」を稼ぐためにドラッグ、銃、売春、詐欺などに関わり、それら犯罪や抗争・暴力の温床になっていて、潜在的な反社会性は計り知れない。
もはや「必要悪」と言う人は少ない。
(映画にもシノギを稼ぐシーンが出てくる。何を売ったかは教えてくれず、怪しいことだけはわかる)

1992年の「暴対法」施行以来、規制や取締りが厳しくなり、ヤクザさんたちの生活も厳しくなった。(それが目的の法律である)
とくに最近の3年間は2万人が足を洗い、全国で6万人を割ったという。
辞めた後はどうなるのだろう。

ヤクザはもちろん、その家族も銀行口座がつくれない。入店お断りの店も急増、いろんな契約も断られる。車の保険も契約できない。保険請求したら、不正請求とか恫喝とか言われる。名刺を渡しただけで恐喝とされる。
落ち度がなくてもこじつけで逮捕され、弁護士にも断られる。
親がヤクザというだけで、子供がいじめられる。

憲法14条が定める「法の下の平等」は適用されないのか?
ヤクザに人権はあるのか?という問いに自ずと突き当たる。

「だったらヤクザをやめてしまおうとは思わないんですか?」と川口会長に訊く。
いちばん欲しかった質問だ。
「ここがなかったら、どこで受け入れてくれるの?」と、ぼそっとした答え。
会長は冤罪の恨みや日々の差別など、ここぞとばかりに声高に主張したりしない。

足を洗っても5年間は同様に規制されるという法律規定があるらしい。
でも5年なんて関係ない。一生「元ヤクザ」はつきまとう。
辞めた人のその後までは、この映画は追いかけていない。

暴力団(マフィア)自体の存在を認めない諸外国に比べると、日本は認めてしまっていることも問題なのかもしれない。
この映画を観ていかにこの人物たちに好感を持ってしまったとしても、暴力団の存在は「必要悪」ではなく「悪」だと思う。脱退後5年間の規制やその後の差別があったとしても、最終的には存在しなくなってほしい。
「戦争」のように。

ただ、そう話は単純ではない。
もしかすると、戦争よりも複雑かも。
指を欠き、刺青を入れ、前科のある者を雇うところがあるのか」という命題がまずひとつ。
法律・条例によって規制を強化し、脱退する人を増やす。その効果が出ている反面、元団員たちの更生・再就職対策が無に等しい。現状では、ほぼ無理。職につけたとしても、必ずバレる。それが続くと、ヤクザにも戻れず「半グレ」になり、以前よりひどい犯罪に手を染める。

もうひとつは、構成員たちの出自が、被差別地域だったり、在日だったりする割合が非常に高いということ。(部落民6~7割、在日3割と言われている)
つまり、再就職云々以前の話で、そもそもヤクザに入らざるを得ない、社会の光の当たらない場所で生きざるを得ない人々の受け皿になっていることは、紛れもない事実らしい。
そして、今の社会がそうした日陰で暮らさざるを得ない人々の受け皿を差別せずに用意してくれること、それでいてなおかつ犯罪の温床を駆逐することは、戦争を止めることよりも難しい気がするのだ。

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このあたりの脱退後の問題については、実はNHKがドキュメントを過去に制作している。しかも二代目東組の事務所の中に入っている。川口副組長たちが登場する。

『ドキュメント 決断 ~暴力団“離脱” その先に何が~』(2014年8月14日放送。現在ネット上フリーでは見られず)

いつも以上に今話題となっている日本最大のヤクザ組織・六代目山口組組長・司忍もこう語ったことがあるという。
 「われわれの子供は今、みんないじめにあい、差別の対象になっている。われわれに人権がないといわれているのは知っているが、家族は別ではないか。若い者たちの各家庭では子供たちが学校でいじめにあっていると聞いているが、子を持つ親としてふびんに思う。このままでは将来的に第2の同和問題になると思っている」(産経新聞でのインタビューからの抜粋/2011年)
http://www.sankei.com/west/news/150831/wst1508310022-n1.html

第2の同和問題になる」という言葉は、非常に重い。


右翼系の政治団体も、被差別者や底辺の人の受け皿になることが多いが、大抵はやはり暴力団の下部組織だったりする。
また左翼系も、各部落解放団体のように被差別者の受け皿となるし、本来は弱者の権利保障のための思想が根底にあるはずだが、同和団体は暴力団との関係が取り沙汰された。
宮崎学氏のように、ヤクザの出自で確固たるポリシーで共産党に入ったという人も珍しくはなかったのではないか。
なぜ今は、暴力団は右翼系政治団体とばかりつながっているのだろう。「義理と人情」の点で右翼とヤクザが親和性が高いということは前提事項としても。(まあ、今はそれは置いておこう)

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この映画のもうひとりの主役を忘れてはいけない。
山口組の顧問弁護士であった山之内幸夫氏だ。
『悲しきヒットマン』『シャブ極道』『鬼火』など映画化された小説の作家としても有名。
にこやかなおじさんで、コワくはない。
しかし当然、弁護士会も含めて世間の風当たりは強い。この人にも家族はいる。
報酬がいいわけでも決してない。
それでも続けてきたのだから強固な信念の持ち主だ。

ヤクザの弁護士はヤクザと同じように、罪にもならないどうでもいいような些細なことで起訴される。そして敗訴する。
ヤクザじゃないカタギが、ヤクザの憂き目を身を持って実感する。

社会で忌避される者たちが裁かれるとき、もっとも法の厳正さが試される。
ある意味、法そのものが問われる最前線にいる存在でもあった。

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さて、この映画について率直な感想。
『ヤクザと憲法』と大きく振りかぶったタイトルから、憲法や人権問題を切り口に深く考察するものと期待してはいけない。
初めTVドキュメンタリーとしてつくられたにしては、珍しく想田式「観察映画」的にノー・プランでとにかく撮影していこう、という進行で始まったと思われるつくりだ。
多少の字幕や音楽が入るが、意図されたテーマや問題点に迫ろうとする構成には感じられない。
じっくりとヤクザさんたちの日常をとらえようとする撮り方に好感が持てるし、人物の近くでその仕草や言葉を拾った映像は貴重だ。
あえて「人権」じゃなくて「憲法」にした、とプロデューサーは語っているが、いずれにしろテーマを明示しない方が、逆にテーマが浮き彫りにされてくる感じが出てきてよかったと思う。
一方で、字幕などによる解説が少し入っているが、どうせテーマを追究するなら、もっと人権について突っ込んで掘り下げて欲しかったなと思う。
つまり、どっちつかずだったような気がする。

(了)


リトル・フォレスト/シカゴ7裁判

2021年1月4~11日


『リトル・フォレスト 夏 秋』 2014年 1時間51分
『リトル・フォレスト 冬 春』 2015年 2時間
監督:森淳一
原作:五十嵐大介
Amazon prime
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しみわたる。

つくづく、食は五感だ。
色・音・舌触り・香り、もちろん味覚(渋み・コクも含めて)。
背後には自然。
季節によって移り変わる風景は、背景というだけでなくて、食の設計図であり、原材料。

里山があり、人がいる。
食のための農。
農のための大地、雨、日射し、湿気、冷気。
「寒さも大事な調味料」というセリフが出てくるように、厳しい自然あっての味覚。

そこに、橋本愛という女性を登場させる。
20代半ばの主人公に、18歳の大人びた少女を起用する。
黙々と丁寧に日々のルーティンを重ね、自給自足の生活を実演することで、食と農が生き生きと息づき始める。
巫女のように見えるその姿は、言うなれば「食」の物語の“触媒”として働いている。

ひとつひとつの食が口に入るまでの、時間軸と奥行きを拡げてくれる。
素材のもつ触感や色彩や香りなど、官能を色めかせる。
自然からの贈り物に手を合わせ、おいしさに胸をときめかせる。

ひとつひとつの彼女の仕草や佇まいに謙虚さが映され、決して出しゃばらせない。
圧倒的な大自然には、屈従し、委ねるしかないから。
囁くような呟きで、レシピの解説とわずかな自己表現をするばかり。

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農作業のフィジカルなハードさと、単調な手仕事の面倒臭さと。
台所でのちょっとしたひと手間と、機器や装備のメンテナンスと。
おそろしいほどの非効率と、長年のコツが生んだ効率性と。

まさしく生活の智慧の集積。
この感じ、まるで『この世界の片隅で』平成版を見ているようだ。
昭和、いや、はるかいにしえから変わらない文化の実践。
『暮しの手帖』のページをめくるようでもあり。

東北の山奥で身を粉にしつつ、悩んだり、頭を空にしたり、自分を見つめたりするのは2010年代の若者たち。
時間は過去から未来まで、ふしぎなほど、意外にもあたりまえに、つながっている。
ただし、都会と田舎とのギャップは甚だしく、個人の葛藤もそれなりに現実を映す。

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四つの季節それぞれ約一時間ずつ。
一つずつ紹介されていくdish(食)が、あとからありありと思い出されて、
「どれがいちばんおいしそうだった?」
と語り合うのも鑑賞後の愉しみ。

湯気や光と陰の加減、ふんだんに出てくる橋本愛の食べるショット。
CMかと見紛うシズル画像と“女性モデル”のコラボレーションの鮮やかさと官能性は、カメラマンの貢献度が極めて高い。

逆に、この音(ASMR!)と映像の作品クオリティのために用意された絶好の素材が、これら食材だとも言える。

漫画が原作で、韓国でもリメイクされた(2018年製作・2019年日本公開)。
漫画は読んでいないが、映画を観る限り、実写映画化されて正解だった。
むしろ、映画によって画龍点睛的な完成をみたとは言えないだろうか。
漫画の実写映画化は往々にして失敗するが、これは数少ない成功例だ。

ドキュメンタリーではないが、登場人物は素人もプロも区別なく入り混じって、ふだんの生活と空気そのまんまが切り取られているように見える。
会話に不自然なところも見当たらない。

時間の経過を表現する必要のある場面がひんぱんにあるが、じっくりゆったり撮るときと、画面効果で工夫してテンポよく撮るときとがあって、なかなかうまい。

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ローカリズムの礼讃や、過疎化の悲観や、大都市の一極集中と大量消費社会への批判を声高にはしない。
ただ生きるための確かなスタンスを持とう、地に足をつけて生きよう、というメッセージが若者たち自身から発せられる。
僕ら都会の中年には耳が痛いことこのうえないけど。

地方に移住して自家菜園を作って暮らす人たちが増えているが、このコロナ禍においてはますますその意義が高まっている。
今こそ、この映画を観るときではないかと思う。

80年代バブル期、「おいしい生活」なんていう糸井コピーが流行ったけど、本当のおいしい生活って、こっちの方だよなって今になって思う。

楽観主義でも悲観主義でもない、とてもきもちのいい映像体験だ。

★★★★☆



『シカゴ7裁判』
アーロン・ソーキン
監督・脚本
The Trial of the Chicago 7 2020年 米 2時間10分 Netflix
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ベトナム戦争時における「戦争反対」。
その目的はひとつなのに、レジスタンスの闘士たちの手段や思惑は人の数だけある。
そこでまとまれるか、分裂するのか。
意志は貫徹できるのか。

その一点に注目すると、終盤、思わぬかたちで風穴が空き、胸がすく。


声を上げる。
デモを組織する。
そんな市民の民主主義のための当然の行動を妨害する、警察の横暴と挑発と加害、検察と司法の陰謀。
白色テロのようなものだ。
それに加えて「スラップ訴訟」。
つまり刑事裁判でも民事裁判でもない「政治裁判」。
圧倒的に強い権力を持つ者が弱い立場の者を制裁のように裁く。

アメリカの司法もこれほど汚れているのかと驚いたが、どうやら裁判史に残るほどの無法な裁判だったらしい。
勝ち目がないと思われた不当裁判だったが、被告の7人と弁護側は諦めない。
権力側も酷いが、対抗する市民勢力の根性も据わっている。

証言席で、
「機動隊を前にして、対決しようと思ったか」
という検察からの問いに対して、YESでもNOでもなく考え込む一人のメンバー。
「NO」って言わないんだ!?とびっくり。
決して、一歩も、一言も、妥協しない。

同じ被告仲間の「襲撃を扇動した」容疑についての証拠が出され、検察から追及されると、さっきまで反目していた仲間を擁護し、聖書の一節などを持ち出してうまくかわして容疑を否定する。
その機転と知性と冷静さに脱帽。

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そして、最後のあのシーン。
欧米では起立して賛同をあらわすシーンがよくあるが、『今を生きる』でも『パレードへようこそ』でも、そしてこの映画でも感動的な名シーンとなって残る。
(ただし、それだけにちょっとあざとさを感じてしまうのは僕が天邪鬼だからだろうか)

でも事実に基づいているだけに、その強さは何ものにも代えがたい。

「負けない方法は、勝つまであきらめないこと」

沖縄でも繰り返し刻まれてきたこの言葉は、まちがっていなかった。

★★★★







たぴおかたぴおが選んだ2010年代ドキュメンタリー傑作選

「2010年代ベスト映画」ドキュメンタリー編

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10年間で観たドキュメンタリー196本のうち2010年代の作品165本が対象。

(とりわけ2018年はドキュメンタリー豊作の年だったように個人的に感じます)

前回の記事では<劇映画編>を特集しました。
今回はその続きですので、お読みになってない方は劇映画編のまえがきも合わせてお読みください。

ドキュメンタリーというもの、ランキングをつけるのは馴染まないし劇映画よりもさらに烏滸がましい。
あくまで自分にとってパーソナルに刺さった“インパクト”の強さで選ぶことにしています。

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観なくてはいけない! 16本


『標的の村』(三上智恵/日/2013年/1時間31分)※DVDなし
http://tapio.at.webry.info/201501/article_8.html

『戦場ぬ止み』(三上智恵/日/2015年/2時間9分)
http://tapio.at.webry.info/201508/article_1.html

『カンタ!ティモール』 (広田奈津子/日/2012年)※DVDなし
http://tapio.at.webry.info/201801/article_2.html

『隣る人』 (刀川和也/2011年/日/1時間25分) ※DVDなし
https://tapio.at.webry.info/201806/article_2.html

『愛と法』 (戸田ひかる/2017/日英仏/1時間34分)
https://tapio.at.webry.info/201810/article_2.html

『トトとふたりの姉』(アレクサンダー・ナナウ/ルーマニア/2014)
http://tapio.at.webry.info/201709/article_1.html

『恋とボルバキア』 (小野さやか/2017/日)
https://tapio.at.webry.info/201804/article_2.html

『主戦場』(ミキ・デザキ/米/2018)
https://tapio.at.webry.info/20190501/index.html

『私はあなたのニグロではない』(ラウル・ペック/2016/米・仏・ベルギー・スイス)
https://tapio.at.webry.info/201806/article_1.html

『アルマジロ』(ヤヌス・メッツ/2010/デンマーク)
http://tapio.at.webry.info/201508/article_6.html

『みんなの学校』 (真鍋俊永/2014/日)
http://tapio.at.webry.info/201503/article_5.html

『共犯者たち』 (チェ・スンホ/韓/2017)
https://tapio.at.webry.info/201812/article_8.html

『日本と原発』(河合弘之/2014/日/2時間15分)※YouTubeで無料公開中
http://tapio.at.webry.info/201502/article_2.html

『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』(長谷川三郎/2012年/日/1時間54分)
https://tapio.at.webry.info/201302/article_1.html

『プリズン・サークル』(坂上香/日/2019年/2時間16分)
https://tapio.at.webry.info/202001/article_7.html

『いただきます ここは発酵の楽園』(オオタヴィン/日/2019年/1時間21分)
https://tapio.at.webry.info/202003/article_3.html


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このドキュがスゴイ! 16本


『アクト・オブ・キリング』 (ジョシュア・オッペンハイマー/デンマーク・ノルウェー・英/2012年)
https://tapio.at.webry.info/201405/article_1.html

『FAKE』(森達也/日/2016)
信用するか? しないか? 監督と佐村河内が何度も問い、問われ、見ている僕らも問い問われる。作品中、真偽は黒と白の間を行ったり来たり。しかも、ラストが劇的・・・ いや、エンドロールの後がまた・・・! ちょっと! さすが、森達也監督。 マスコミを疑え。マスコミに騙され続ける自分を疑え。そしてこの映画を疑え。そういう自己欺瞞さえ包括した、メタ映画。

『リヴァイアサン』 (V.パラヴェル、L.C=テイラー/2012/米仏英)
https://tapio.at.webry.info/201409/article_2.html

『少女は夜明けに夢をみる』(メヘルダード・オスコウイ/イラン/2016)
https://tapio.at.webry.info/20191114/index.html

『レストレポ前哨基地 Part.1』(T.ヘザリントン&S.ユンガー/2010/米)
http://tapio.at.webry.info/201512/article_3.html

『標的の島 風かたか』(三上智恵/日/2017)
http://tapio.at.webry.info/201704/article_2.html

『サムライと愚か者』 (山本兵衛/2015/独仏英日デンマーク・スウェーデン)
https://tapio.at.webry.info/201805/article_2.html

『子どもが教えてくれたこと』(アンヌ=ドフィーヌ・ジュリアン/2016/仏)
https://tapio.at.webry.info/201809/article_5.html

『いのちの子ども』(シュロミー・エルダール/米・イスラエル/2010年/1時間30分)
https://tapio.at.webry.info/201301/article_6.html

『娘は戦場で生まれた』(ワアド・アルカティーブ&エドワード・ワッツ/2019/英・シリア)
https://tapio.at.webry.info/202003/article_3.html

『シリア・モナムール』(オサマ・ムハンメド&ウィアム・シマヴ・ベデルカーン/シリア・仏/2014)
壮絶なリアルと、ポエティックなメランコリー。 究極のネガティブ映像と、美しい音声のコラージュ。 告発ビデオと、情緒的アート。 相反したふたつの手法を同時に使って奇跡的に成立したこの作品は、悲惨極まりない事実の強固さにかろうじて拮抗するだけでなく、その手法と目的においてゴダール以上に達成度が高いのではないか。

『監督失格』(平野勝之/2011/日)
https://tapio.at.webry.info/201110/article_3.html

『祝福~オラとニコデムの家~』(アンナ・ザメツカ/2016/ポーランド)
https://tapio.at.webry.info/201807/article_2.html

『タリナイ』 (大川史織/2018/日)
https://tapio.at.webry.info/201810/article_3.html

『ジェイン・ジェイコブズ~ニューヨーク都市計画革命』(マット・ティルナー/2016/米)
https://tapio.at.webry.info/201805/article_2.html

『ハニーランド 永遠の谷』(リューボ・ステファノフ、タマラ・コテフスカ/Honeyland/2019/北マケドニア)
https://tapio.at.webry.info/202007/article_3.html?1609830492


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~その他オススメをジャンル別に分類~


生への歓喜/マイノリティ/いのち

『いろとりどりの親子』 (レイチェル・ドレッツィン/2018/米)
https://tapio.at.webry.info/201812/article_6.html

『いのちの深呼吸』 (ラナ・ウィルソン/2017/米)
https://tapio.at.webry.info/201809/article_4.html

『四つのいのち』(ミケランジェロ・フランマルティーノ/2010/伊・独・スイス)※これはドキュメンタリーではないかもしれない
https://tapio.at.webry.info/201106/article_2.html

『エンディングノート』(砂田麻美/2011/日)
https://tapio.at.webry.info/20111017/index.html

『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間』(常井美幸/2019/日) 
https://tapio.at.webry.info/202008/article_3.html?1609830144

『インディペンデントリビング』(田中悠輝/2019/日)
https://tapio.at.webry.info/202005/article_2.html?1609829715



告発/調査報道/メッセージ

『ほたるの川のまもりびと』 
https://tapio.at.webry.info/201808/article_1.html

『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』(ジェレミー・セイファート/2013/米・ハイチ・ノルウェー)
https://tapio.at.webry.info/201911/article_2.html

『死刑弁護人』(齊藤潤一/日/2012年)
https://tapio.at.webry.info/201912/article_3.html

『スーパーローカルヒーロー』(田中トシノリ/2014/日)
http://tapio.at.webry.info/201507/article_1.html

『華氏119』 (マイケル・ムーア/2018/米)
https://tapio.at.webry.info/201811/article_1.html

『ラッカは静かに虐殺されている』(マシュー・ハイネマン/2017/米)
https://tapio.at.webry.info/201805/article_1.html

『ラジオ・コバニ』 (ラベー・ドスキー/2016/蘭)
https://tapio.at.webry.info/201805/article_2.html

『人間機械』 (ラフール・ジャイン/2016/印・独・フィンランド)
https://tapio.at.webry.info/201808/article_2.html

『ニッポン国VS泉南石綿村』 (原一男/2017/日)
https://tapio.at.webry.info/201804/article_2.html

『太陽の下で-真実の北朝鮮-』 (ヴィタリー・マンスキー/チェコ・露・独・ラトビア/2015)
https://tapio.at.webry.info/201702/article_1.html

『すべての政府は嘘をつく』 (フレッド・ピーボディ/加/2016)

『世界侵略のススメ』(マイケル・ムーア/2015/米)

『シチズン・フォー/スノーデンの暴露』(ローラ・ポイトラス/米/2014) 

『ルンタ』(池谷薫/2015/日)
http://tapio.at.webry.info/201509/article_1.html

『ミツバチの羽音と地球の回転』(鎌仲ひとみ/2010/日)

『小さき声のカノン』(鎌仲ひとみ/2014/日)
http://tapio.at.webry.info/201507/article_3.html

『フタバから遠く離れて』(舩橋淳/2012/日)
http://tapio.at.webry.info/201503/article_4.html

『ヤクザと憲法』(土方宏史/2015年/日/1時間36分)
https://tapio.at.webry.info/201603/article_4.html

『ザ・思いやり』(リラン・バクレー/日/2015)
https://zaomoiyari.com/


沖縄

『沖縄スパイ戦史』 (三上智恵&大矢英代/2018/日)
https://tapio.at.webry.info/201808/article_1.html

『OKINAWA1965』(都鳥伸也/2017/日) 
https://tapio.at.webry.info/201807/article_2.html

『米軍が最も恐れた男 その名はカメジロー』(佐古忠彦/日/2017)
https://tapio.at.webry.info/201909/article_2.html

『沖縄 うりずんの雨』(ジャン・ユンカーマン/2015/日)
http://tapio.at.webry.info/201507/article_3.html



民主主義/憲法

『わたしの自由について』(西原孝至/日/2016/2時間45分)
https://tapio.at.webry.info/201605/article_7.html

『選挙に出たい』(ケイヒ/中・日/2016年)
https://tapio.at.webry.info/201812/article_3.html

『不思議なクニの憲法』(松井久子/2016/日/2時間2分)

『選挙2』(想田和弘/2013年/日米/2時間29分)
http://tapio.at.webry.info/201511/article_2.html



ローカリズム/グローバリズム/人類学

『ゲンボとタシの夢見るブータン』(アルム・バッタライ&ドロッチャ・ズルボー/2017/ブータン・ハンガリー)
https://tapio.at.webry.info/201809/article_2.html

『あまねき旋律』(アヌーシュカ・ミナークシ&イーシュワル・シュリクマール/2017/印)
https://tapio.at.webry.info/201810/article_3.html

『港町』(想田和弘/2018/日米)
https://tapio.at.webry.info/201804/article_3.html

『牡蠣工場』(想田和弘/日・米/2015/2時間25分)
https://tapio.at.webry.info/201602/article_4.html

『ある精肉店の話』(纐纈あや/2013/日)
https://tapio.at.webry.info/201709/article_2.html

『世界でいちばん美しい村』 (石川梵/日/2016)
https://tapio.at.webry.info/201709/article_2.html

『カピウとアパッポ アイヌの姉妹の物語』 (佐藤隆之/日/2016)
https://tapio.at.webry.info/201710/article_1.html

『渦 UZU』 (ガスパール・クエンツ/日/2016)
http://tapio.at.webry.info/201710/article_1.html



アートと人生

『シュガーマン〈奇跡に愛された男〉』(マリク・ベンジェルール/2012/英・スウェーデン)
https://tapio.at.webry.info/201306/article_3.html

『禅と骨』 (中村高寛/日/2016)
https://tapio.at.webry.info/201709/article_2.html

『顔たち、ところどころ』(アニエス・ヴァルダ&JR/2017/仏)
https://tapio.at.webry.info/201809/article_5.html

『デイヴィッドとギリアン~響きあうふたり』(コジマ・ランゲ/2015/独)
https://tapio.at.webry.info/201804/article_1.html

『人生フルーツ』 (伏原健之/2016/日)
https://tapio.at.webry.info/201801/article_4.html

『キューティー&ボクサー』(ザッカリー・ハインザーリング/2013/米)
https://tapio.at.webry.info/201401/article_3.html

『ピナ・バウシュ夢の教室』(アン・リンセル/2010/独)
https://tapio.at.webry.info/201305/article_1.html

『PINA/ピナ・バウシュ踊り続けるいのち』(ヴィム・ヴェンダース/2011/独仏英)
https://tapio.at.webry.info/201204/article_2.html

『演劇1・2』(想田和弘/2012/日米仏/172分+170分)
https://tapio.at.webry.info/201211/article_3.html



教育

『ニッポンの教育~挑む第二部』 (筒井勝彦/2017/日)
https://tapio.at.webry.info/201801/article_4.html


観察映画

『収容病棟』(ワン・ビン/3時間48分/中/2013)
https://tapio.at.webry.info/201407/article_5.html
『三姉妹~雲南の子』(ワン・ビン/2時間33分/中/2012)
https://tapio.at.webry.info/201306/article_1.html


『Peace』(想田和弘/2010年)
『演劇1・2』(想田和弘/2012)
『選挙2』(想田和弘/2013)
『牡蠣工場』(想田和弘/2015)
『港町』(想田和弘/2018)
https://tapio.at.webry.info/201804/article_3.html

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たぴおかたぴおの「2010年代映画」ベストテン(改訂版)~選んではみたけれど~

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東日本大震災・原発"大人災"の直前に始めたこのブログは、世界的コロナ災害のさなかに丸10年を迎えました。
この10年間の初めと終わりに、人類の太刀打ちできない未曽有のできごとに見舞われたことになります。

自然災害もさることながら、人災がつねにそれを増幅する。
逆に人災が引き起こす自然災害も、地球上の恒常的な風景となってしまいました。
もはや非日常が日常となり、引き返せないポイント・オブ・ノーリターン。
コロナ禍がたとえ一段落しても、今までのような消費生活からはシフトダウンしないといけないでしょう。
果たして人類は生き残れるのでしょうか。
ニンゲンという害獣が生き延びなくても、せめて生物たちだけでも。

というフェーズに入ったゆゆしき状況で、映画などひとたまりもありません。
今般のコロナショックによって、映画演劇界は風前の灯火。
文化芸術に対するこの国の援助の貧困さは、コロナショックが去っても劇場を砂のように崩落させて終わらせるのかもしれません。

形の見えない不安が遠くからしのび寄ってきている空気を感じます。
「国難」と名付けられたウイルスのように。
この期に及んでそれを国策の具にする悪政のように。

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2010年からの鑑賞作品計1304本のなかから、新作・初公開作784本を対象とします。
(ドキュメンタリーは除外し、次回にベストを発表します)

毎年のランキングをつけてはいても、今になって振り返るといくぶん印象が変化し、そのままの順位では違和感もあったりして、かなり悩みました。

もちろん、“毒断と変見”に満ち満ちています。
結局は、自分の「好き」と、社会の「切実」が基準です。


2011年以前と以後では、僕の内面もずいぶん変化してきました。
政治の国家的詐欺を目の当たりにして、遅ればせながら初めて感情が大きく揺さぶられ、日々怒りが募ってきた10年間です。
自ずと映画の見方も変わってきます。

「映画」が、その役割を最大拡張させ、切実な人々のために切実にアピールする役割を負っているものと考えれば、「映画」というメディアの枠や芸術性の概念は何なのか、という命題に突き当たります。

そこを観る者に否応なく意識させる作品こそを、「いい映画」として選びたいと思っています。
もちろん、それは「娯楽作」を排除するものではありません。



1位、2位、というランク付けは無理なので、一かたまり(クラスター)ごとに序列しました。


さて。

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◆「2010年代映画」たぴおかベストランキング◆


<第1群> 製作・公開年度順に11本

『ヤコブへの手紙』(クラウス・ハロ/フィンランド/2009年製作/2011年日本公開/1時間16分)
https://tapio.at.webry.info/201101/article_6.html

『ヘヴンズストーリー』(瀬々敬久/日/2010/4時間38分)
https://tapio.at.webry.info/201305/article_3.html

『未来を生きる君たちへ』 (スザンネ・ビア/デンマーク・スウェーデン/2010年/1時間59分 )
https://tapio.at.webry.info/201108/article_3.html

『ニーチェの馬』(タル・ベーラ/2011年/ハンガリー・フランス・スイス・ドイツ/2時間34分)
https://tapio.at.webry.info/201203/article_1.html

『おだやかな日常』 (内田伸輝/日・米/2012年/1時間42分)
https://tapio.at.webry.info/201212/article_1.html

『FORMA』(坂本あゆみ/日/2013年/2時間25分)
https://tapio.at.webry.info/201409/article_2.html

『ブラインド・マッサージ』(ロウ・イエ/中・仏/2014年/1時間55分)
 http://tapio.at.webry.info/201701/article_2.html

『聖なる鹿殺し』(ヨルゴス・ランティモス/アイルランド・英/2017/2時間1分)
https://tapio.at.webry.info/201803/article_2.html

『魂のゆくえ』(ポール・シュレイダー/米/2017年/1時間53分)
https://tapio.at.webry.info/201904/index.html

『存在のない子供たち』(ナディーン・ラバキー/レバノン/2018年/2時間30分)
https://tapio.at.webry.info/20190802/index.html

『異端の鳥』(ヴァーツラフ・マルホウル/チェコ・スロバキア・ウクライナ/2019/2時間49分)
https://tapio.at.webry.info/202010/article_5.html?1610183880



<第2群> 製作・公開年度順に27本

『悲しみのミルク』(クラウディ・リョサ/ペルー/2009年製作/2011年日本公開/1時間37分)

『ブルー・バレンタイン』(デレク・シアンフランス/米/2010年/1時間52分)

『息もできない』(ヤン・イクチュン/韓/2010年/2時間10分)

『BIUTIFUL』(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ/スペイン・メキシコ/2010年/2時間28分)

『歓待』(深田晃司/日/2010年/1時間36分)

『キャタピラー』(若松孝二/日/2010年/1時間24分)

『ヒミズ』(園子温/日本/2011年/2時間9分)

『ライク・サムワン・イン・ラブ』(アッバス・キアロスタミ/日・仏/2012年/1時間49分)

『サイの季節』(バフマン・ゴバディ/イラク・トルコ/2012年/1時間33分)

『かぞくのくに』(ヤン・ヨンヒ/日/2012年・1時間40分)

『ある過去の行方』(アスガー・ファルハディ/仏・伊/2013年/2時間10分)

『鉄くず拾いの物語』(ダニス・タノビッチ/ボスニア・ヘルツェゴビナ・フランス・スロベニア/2013年/1時間14分)

『オマールの壁』(ハニ・アブ・アサド/パレスチナ/2013年/1時間37分)

『ボーダレス ぼくの船の国境線』(アミルホセイン・アスガリ/2014年/イラン/1時間42分)

『あの日の声を探して』(ミシェル・アザナビシウス/仏・グルジア/2014年/2時間15分)

『とうもろこしの島』(ギオルギ・オバシュビリ/グルジア・チェコ・仏・独・カザフスタン・ハンガリー/2014年/1時間40分)※ブログ内では当時のタイトル『コーン・アイランド』で掲載

『そこのみにて光り輝く』(呉美保/日/2014年/2時間)

『淵に立つ』(深田晃司/日・仏/2016年/1時間59分)

『見えるもの見えざるもの』(カミラ・アンディニ/インドネシア・オランダ・オーストラリア・カタール/2017年/1時間26分)

『僕の帰る場所』(藤元明緒/2017年/日本・ミャンマー/1時間38分)

『心と体と』(イルディコー・エニェディ/ハンガリー/2017年/1時間56分)

『バハールの涙』(エバ・ユッソン/仏・ベルギー・グルジア・スイス/2018年/1時間51分)

『ローマ』(アルフォンソ・キュアロン/メキシコ・アメリカ/2018年/2時間15分)

『在りし日の歌』(ワン・シャオシュアイ/中/2019年/3時間5分)

『37セカンズ』(HIKARI/日・米/2019年/1時間55分)

『陰謀のデンマーク』(ウラー・サリム/デンマーク/2019年/2時間)



以下に、年度ごとに発表したランキングを再掲しておきます。


◆たぴおかベスト・ランキング2019◆

1.『魂のゆくえ』(ポール・シュレイダー/米)

2.『存在のない子供たち』(ナディーン・ラバキー/レバノン)

3.『バハールの涙』(エバ・ユッソン/レバノン)
  https://tapio.at.webry.info/201902/article_1.html

4.『ローマ』(アルフォンソ・キュアロン/メキシコ・米)
  https://tapio.at.webry.info/201903/index.html

5.『ギルティ』(グスタフ・モーラー/デンマーク)
  『ペトラは静かに対峙する』(ハイメ・ロサレス/スペイン他)
  『岬の兄妹』(片山慎三/日)
  『ジョーカー』(トッド・フィリップス/米)
  『水の影』(サナル・クマール・シャシダラン/印)

10.『夜明け』(広瀬奈々子/日)
  『よこがお』(深田晃司/日)
  『金子文子と朴烈』(イ・ジュンイク/韓)
  『バーニング』(イ・チャンドン/韓)
  『ウトヤ島、7月22日』(エリック・ポッペ/ノルウェー)
  『聖なる泉の少女』(ザザ・ハルヴァシ/グルジア他)



◆たぴおかベスト・ランキング2018◆

『聖なる鹿殺し』 ヨルゴス・ランティモス/アイルランド・英

『僕の帰る場所』 藤元明緒/日本
 https://tapio.at.webry.info/201810/article_3.html

『花咲くころ』 ナナ・エクフティミシュビリ、ジモン・グロス/グルジア・独・仏
 https://tapio.at.webry.info/201802/article_1.html

『菊とギロチン』 瀬々敬久/日本
 https://tapio.at.webry.info/201807/article_3.html

『心と体と』 イルディコー・エニェディ/ハンガリー
 https://tapio.at.webry.info/201805/article_1.html

『ロープ~戦場の生命線』 フェルナンド・レオン・デ・・アラノア/スペイン
 https://tapio.at.webry.info/201803/article_1.html

『スリー・ビルボード』 マーティン・マクドナー/英
 https://tapio.at.webry.info/201802/article_1.html

『象は静かに座っている』 フー・ボー/中国
 https://tapio.at.webry.info/201812/article_1.html

『カメラを止めるな!』 上田慎一郎/日本

『万引き家族』 是枝裕和/日本
 https://tapio.at.webry.info/201806/article_3.html

『ビューティフル・デイ』 リン・ラムジー/英
 https://tapio.at.webry.info/201806/article_3.html

『1987 ある闘いの真実』 チャン・ジュナン/韓国
 https://tapio.at.webry.info/201809/article_3.html




たぴおかベスト・ランキング2017

『ブラインド・マッサージ』 ロウ・イエ/中・仏/2014
 
『トトとふたりの姉』 アレクサンダー・ナナウ/ルーマニア/2014/ドキュ
 http://tapio.at.webry.info/201709/article_1.html<
『標的の島 風かたか』 三上智恵/日/2017/ドキュ
  http://tapio.at.webry.info/201704/article_2.html
『見えるもの、見えざるもの』 カミラ・アンディニ/インドネシア/2017
 http://tapio.at.webry.info/201712/article_1.html
『あゝ、荒野』 岸善幸/日/2017
 http://tapio.at.webry.info/201712/article_2.html
『幼な子われらに生まれ』 三島有紀子/日/2016
 http://tapio.at.webry.info/201709/article_3.html
『雪女』 杉野希妃/日/2016
 http://tapio.at.webry.info/201703/article_1.html
『午後8時の訪問者』 ダルデンヌ兄弟/ベルギー・仏/2016
 http://tapio.at.webry.info/201704/article_3.html
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』 ケネス・ロナーガン/米/2016
 http://tapio.at.webry.info/201707/article_1.html
『ブランカとギター弾き』 長谷井宏紀/伊/2015
 http://tapio.at.webry.info/201709/article_2.html
『オン・ザ・ミルキーロード』 エミール・クストリッツァ/セルビア・英・米/2016
 http://tapio.at.webry.info/201709/article_3.html
『殺人者マルリナ』 モーリー・スリヤ/インドネシア/2017
 http://tapio.at.webry.info/201712/article_1.html
『私は好奇心の強い女』 ヴィルゴット・シェーマン/スウェーデン/1968(日本ほぼ初公開)
 http://tapio.at.webry.info/201702/article_5.html
『アダムズ・アップル』 アナス・トマス・イェンセン/デンマーク・独/2005(日本ほぼ初公開)
 http://tapio.at.webry.info/201702/article_5.html

以上、14作品



たぴおかベスト・ランキング2016
 
第1群

オマールの壁 (パレスチナ)

リップ・ヴァン・ウィンクルの花嫁 (日)

淵に立つ (日)

この世界の片隅に (日)


第2群

ハッピー・アワー (日)

天国はまだ遠い (日/短編)

SHARING (日)

ケンとカズ (日)

ヒトラーの忘れもの (デンマーク・独)

ガール・オン・ザ・トレイン (米)

手紙は憶えている (加・独)

ルーム (アイルランド・加)

サウルの息子 (ハンガリー)

雨にゆれる女 (日)

ある戦争 (デンマーク)

ジュリエッタ (スペイン)

ヴィクトリア (独)
        
以上、17作品


◆たぴおかベスト・ランキング2015◆

    
サイの季節 (バフマン・ゴバディ) イラク・トルコ 2012
★★★★★

~~以下、ベスト10まで~~(記載順位はゆるやかな序列)

ボーダレス ぼくの船の国境線 (アミルホセイン・アスガリ) イラン 2014
http://tapio.at.webry.info/201511/article_1.html

ザ・トライブ (ミロスラブ・スラボシュビツキー) ウクライナ 2014
http://tapio.at.webry.info/201505/article_4.html

あの日の声を探して (ミシェル・アザナビシウス) 仏・グルジア 2014
http://tapio.at.webry.info/201505/article_1.html

おみおくりの作法 (ウベルト・パゾリーニ) 英・伊 2013
http://tapio.at.webry.info/201502/article_5.html

神々のたそがれ (アレクセイ・ゲルマン) 露 2013
http://tapio.at.webry.info/201504/article_3.html

恋人たち (橋口亮輔) 日 2015
http://tapio.at.webry.info/201512/article_1.html

トイレのピエタ (松永大司) 日 2015
http://tapio.at.webry.info/201506/article_3.html

百円の恋 (武正晴) 日 2014
http://tapio.at.webry.info/201501/article_3.html

さようなら (深田晃司) 日 2015
http://tapio.at.webry.info/201511/article_3.html


(過年度作品)

BIUTIFUL(A.G.イニャリトゥ)2010 メキシコ・スペイン
http://tapio.at.webry.info/201501/article_7.html

ペタルダンス(石川寛)2013 日
http://tapio.at.webry.info/201510/article_2.html

ガザを飛ぶブタ(シルヴァン・エスティバル)2010 仏・ベルギー
http://tapio.at.webry.info/201512/article_4.html



◆たぴおかベスト・ランキング2014◆
画像
      ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞の坂本あゆみ監督(左)

★★★★★     (記載順位はゆるやかな序列)

FORMA (坂本あゆみ)

とうもろこしの島(コーン・アイランド) (ギオルギ・オヴァシヴィリ)

ある過去の行方 (アスガー・ファルハディ)

そこのみにて光り輝く (呉美保)

アクト・オブ・キリング (ジョシュア・オッペンハイマー)

2つ目の窓 (河瀬直美)

鉄くず拾いの物語 (ダニス・タノヴィッチ)

愛の渦 (三浦大輔)

金の鳥籠 (ディエゴ・ケマダ=ディエス)


            ~以上、ベスト9

★★★★☆

リヴァイアサン (V.パラヴェル、L.C=テイラー)

ほとりの朔子 (深田晃司)

馬々と人間たち (ベネディクト・エルリングソン)

ジゴロ・イン・ニューヨーク (ジョン・タトゥーロ)

舞妓はレディ (周防正行)

欲動 (杉野希妃)

トム・アット・ザ・ファーム (グザヴィエ・ドラン)




◆たぴおかベスト・ランキング2013◆


おだやかな日常(封切は一昨年末)

恋の渦

父の秘密

ほとりの朔子(昨年映画祭で公開。封切はこの1/18~)

地獄でなぜ悪い

たとえば檸檬(封切は一昨年末)

        以上、ベスト6 (ゆるやかな序列)

偽りなき者

三姉妹~雲南の子

プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ

共喰い

そして父になる

少女は自転車に乗って


        以上、ベスト12 (順不同)

◆たぴおかベスト・ランキング2012◆

ニーチェの馬

おだやかな日常

ライク・サムワン・イン・ラブ

ヒミズ

少年は残酷な弓を射る

かぞくのくに

39窃盗団

ふかくこの性を愛すべし

おおかみこどもの雨と雪

たとえば檸檬

カミハテ商店

Drive


(以上12本)


◆たぴおかベスト・ランキング2011◆


ヤコブへの手紙 

悲しみのミルク

未来を生きる君たちへ  ブルーバレンタイン 

アリス・クリードの失踪

蜂蜜

歓待

ツリー・オブ・ライフ  四つのいのち  アジアの純真

症例X  監督失格

灼熱の魂  アンチクライスト  ふゆの獣 

名前のない少年足のない少女

光のほうへ  わたしを離さないで  

無言歌

キック・アス  家族X  NINIFUNI



◆たぴおかベストランキング2010◆

第1群

ヘヴンズ・ストーリー(瀬々敬久/日)

息もできない(ヤン・イクチュン/韓)

キャタピラー(若松孝二/日)

フローズン・リバー(C.ハント/米)

第2群

歓待(深田晃司)
パレード(行定勲)
半分の月がのぼる空(深川栄洋)

第3群

・イングローリアス・バスターズ(クエンティン・タランティーノ)
・白いリボン(ミヒャエル・ハネケ)
・隠された記憶(ミヒャエル・ハネケ)
・海炭市叙景(熊切 和嘉)
・シルビアのいる街で(ホセ・ルイス・ゲリン)
・パラノーマル・アクティヴィティ(オーレン・ベリ)

たぴおかベストシネマ2020 第2弾<ドキュメンタリー編>

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前回の[劇映画編]に引きつづいて、今回第2弾は、[ドキュメンタリー編]を発表します。


<2020年たぴおか映画鑑賞動向>

全160作品  (新作95本 旧作65本)

・フィクション/劇映画 125作品 (新64本 旧61本)

・ドキュメンタリー    35作品 (新31本 旧4本)

劇場 96本 : PC/DVD/録画 64本

邦画 79本 : 海外 81本



昨年観た作品の中でドキュメンタリー35本、そのうち新作31本の中から選びました。
そのほとんどが、拡散すべき優れた社会派作品であり、知識ベースとしても表現としても大事な作品です。
公開機会が限られたものが多いだけに、鑑賞機会も少ない、だからこそ配信などの機会があればすかさず発信・拡散していきたい作品たちです。

みなさまもご協力ください。



たぴおかベストシネマ2020
第2弾<ドキュメンタリー編>


インパクト順ベスト4

『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』
平良いずみ
監督
2020年 日本 1時間46分 vimeo(配信)
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やさしくてやわらかい。

ドキュメンタリーとしてはこれ以上ないくらいの、あたたかい手のひらで届けられたような、いとおしさとしたしみといつくしみを感じさせてくれる。

「沖縄のドキュメンタリー」と聞いただけで、かなしいかな「2分で結論がわかってしまうから見ない」と言われることが多いなかで、これはちがう。

15歳の女子・菜の花さんのまなざしと、
包み込んで語りかけるようなオジイ・津嘉山正種さんのナレーションと、
主題歌を唄う上間綾乃さんと、
そしてこの映画を作った監督女子・平良いずみさんと。
四者ともに、「告発」調とは一線を画したまなざしのコラボでできている。

なによりも、菜の花さんの「行動力」と「エンパシー能力」が物事を動かしている。

石川県出身の坂本菜の花さんは小学校時代にイジメにあった経験から、小5からは親元を離れて和歌山の全寮制「きのくに子どもの村学園」に移った。
沖縄への体験旅行がきっかけで、高校からは単身沖縄へ移住。
住み込みで働きながら、珊瑚舎スコーレという老若男女が集まるフリースクールへ通う。

アウトリーチ度★★★★★

(つづきはこちらの本文で)
https://tapio.at.webry.info/202006/article_5.html?1609815389


『プリズン・サークル』
坂上香
監督
2019年 日本 2時間16分 ドキュメンタリー
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ついにこんな画期的な映画ができた。
撮られるべくして撮られたが、日本では初めてだ。
刑務所内で受刑者を定点観測2年間。

初犯で比較的軽い犯罪だから比較的若い。
顔はボカシという条件で、許可が下りるのに6年(撮影期間は2年)。

ここは、セラピーを受けられる日本唯一の刑務所(更生施設)。
2008年開設の島根あさひ社会復帰促進センター

真新しい施設内は殺伐とした雰囲気はなく、むしろ照明も色づかいも明るいイメージだ。
ソフトイエローを基調としたユニフォームのメンバーたちが集まる部屋には、同じ色のイスが輪になって並ぶ。

そこで行われるのが、希望者を対象としたTC(Therapeutic Community=回復共同体)と呼ばれるプログラム。
当事者同士が対話をするなかで人間性を取り戻していく活動だ。

探求度★★★★★
目からウロコ度★★★★

(つづきはこちらの本文で)
https://tapio.at.webry.info/202001/article_7.html?1609815677


『いただきます ここは、発酵の楽園』
オオタヴィン
監督
2020年 日本 1時間21分 ドキュメンタリー
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なんで泣けるんだろう。
最後に宮沢賢治の詩でウルウルくるのは、そこに希望しかないから。
地に足のついたポジティブが、みんなの手からも目からもあふれてくるんだな。
「希望泣き」って、あんまり経験ない。

みんな、いい顔をしている。

このポジティブな作りって、人を動かす力があるよな~って思う。
まさにモティヴェイション。
賛同を得やすいし、やってみたくなる。

希望泣き度★★★★★

(つづきは本文で)

『娘は戦場で生まれた』
ワアド・アルカティーブ&エドワード・ワッツ
監督
For Sama 2019年 英・シリア 1時間40分 ドキュメンタリー
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切実度★★★★★
勇気ハンパない度★★★★★

上記2本はこちらのリンクからブログ記事に
https://tapio.at.webry.info/202003/article_3.html?1609816057


その他、14本の力作ぞろい

『ハニーランド 永遠の谷』
監督:リューボ・ステファノフ、タマラ・コテフスカ
Honeyland 2019年 北マケドニア 1時間26分
人生の縮図度★★★★★
観察力★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202007/article_3.html?1609830492

『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』
豊島圭介
監督
2020年 日本 1時間48分
知的コーフン度★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202003/article_4.html?1609830401

『精神0』
想田和弘
監督
2020年 日・米 2時間8分
原点回帰度★★★★★
慈愛度★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202005/article_1.html?1609830285

『普通に死ぬ ~いのちの自立~』
貞末麻哉子
監督
2020年 日本 1時間59分
風穴あけ度★★★★★
共助力★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202011/article_2.html?1609829815

『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間』
常井美幸
監督
2019年 日 1時間24分
慈愛度★★★★★
ナチュラル度★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202008/article_3.html?1609830144

『なぜ君は総理大臣になれないのか』
大島新
監督
2020年 日 1時間59分
真っ正直度★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202006/article_4.html?1609830176

『グレート・ハック SNS史上最悪のスキャンダル』
カリム・アーメル、ジェヘイン・ヌージャイム
 共同監督
2019年 米 1時間54分 Netflix
衝撃度★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202012/article_2.html?1609829766

『はりぼて』
五百旗頭幸男・砂沢智史 
監督
2020年 日 1時間40分
痛快度★★★★★
情けない度★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202008/article_5.html?1609830058

『インディペンデントリビング』
田中悠輝
監督
2019年 日 1時間38分
共助力★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202005/article_2.html?1609829715

『愛国者に気をつけろ! 鈴木邦男』
中村真夕
監督
2019年 日本 1時間18分
インクルーシブ度★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202002/article_1.html?1609829289

『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』
太田隆文
監督
2019年 日本 1時間45分
啓蒙度★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202008/article_4.html?1609830095

『もったいないキッチン』
ダーヴィド・グロス
監督
2020年 日 1時間35分
アウトリーチ度★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202009/article_2.html?1609829993

『ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ』
田部井一真
監督
2020年 日本 1時間38分
慈愛度★★★★★
親和力★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202010/article_5.html?1609831096






たぴおかたぴおの2020ベストシネマランキング<劇映画編>

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<たぴおかベストシネマ2020>第1弾 [劇映画編]


年のはじめの恒例の、昨年1年間のソーカツ号です。

一昨年末からNetflixをサブスクしたのに加えて、昨年はコロナ巣ごもり期間が続いたせいで、全世界的に自宅で映画を見ざるを得ない状況となりましたね。

日本では映画館が思いのほか早く復活したのはよかったですが、決して製作現場も劇場も安泰ではありません。
海外作品の配給・公開は中断・延期により、減っています。
欧米での劇場封鎖がいまだに続いているのは、海外作品の製作・配給の中断だけでなく、今後も映画界全体への影響が長引くでしょう。

一方で、Netflixは伸び続けています。
「映画は自宅でいいか」と思った人は多いでしょうが、僕からしてみれば、劇場と自宅とでは作品に対する集中度が雲泥の差です。
自宅で鑑賞しても、記憶の鮮明度が今一つなのです。

それでも、僕も例に洩れずおのずと自宅での鑑賞が増えました。
結果、新作は減り、旧作が増えました。


<2020年たぴおか映画鑑賞動向>

全160作品  (新作95本 旧作65本)

・フィクション/劇映画 125作品 (新64本 旧61本)

・ドキュメンタリー    35作品 (新31本 旧4本)

劇場 96本 : PC/DVD/録画 64本

邦画 79本 : 海外 81本


第1弾の今回は、[劇映画編]
次回第2弾は、[ドキュメンタリー編]を発表します。

さて。
今回も同じことを書きます。

「映画」が、その役割を最大拡張させ、切実な人々のために切実にアピールする役割を負っているものと考えれば、「映画」というメディアの枠や芸術性の概念は何なのか、という命題に突き当たります。
そこを観る者に否応なく意識させる作品こそを、「いい映画」として選びたいと思っています。
もちろん、それは「娯楽作」を排除するものではありません。


このブログも、まる10周年となり、11年目に入ります。

映画を観て、書く。
見るだけで終わらせず、書いて、頭の中を整理し、気づき、記録し、文章表現をする。
その一連の行為の、訓練。
「趣味」のように楽しいだけでもないし、「課題」のように義務感や使命感のように感じられることもあり、よくわからないのだけど、その両方だと思います。
つまり、娯楽であり、学習であり。
発見であり、アップデートであり。
瞑想であり、プラクティスであり。
自分へのインプットであり、社会への発信であり。

そうは言ってもお気楽に書いているからここまで続けられるのでしょう。
そんなわけで、今後もこのルーティンは続くものと思われます。



◆ベストランキング2020◆<新作・劇映画編>

1.『異端の鳥』(ヴァーツラフ・マルホウル/2019/チェコ・スロバキア・ウクライナ)
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出てくる大人たちはみな悉く堕落して、邪気と狂気に満ちていて、どうしようもなく醜い。

数えればたった3人だけ善人がいたが、それだけだ。

まだ幼さの残る少年はなぜか行く先々で忌み嫌われ虐待されるか、大人たちの好きなように利用される。

差別され迫害され続ける地獄巡りは、いったい何か所あっただろう。
次から次へと、世界の堕落を少年は見せつけられ、正視に耐えない状況に少年が巻き込まれるシーンをぼくらは見せつけられる。

―――たとえば宣材写真にある、土に埋められ頭だけ出す少年の目の前でカラスに狙われるシーン。複数のカラスに攻撃されるショッキングな映像を一体どうやって撮ったのか。(CGなのか、などの情報は見つからず)
演技未経験のペトル・コトラール少年こそ、こんな目に遭うとは思いもしなかっただろう。撮影自体が地獄巡りだ。
映画祭で「退場者続出」というレポートは嘘ではないらしいーーー

(以下、ブログ本文につづく)
https://tapio.at.webry.info/202010/article_5.html?1609575498


2.『スパイの妻』(黒沢清/2020/日本)

  『ソワレ』(外山文治/2020/日本)


4.『在りし日の歌』(ワン・シャオシュアイ/2019/中)

  『37seconds』(HIKARI/2019/日・米)

6.『生きちゃった』(石井裕也/2020/日本)

  『朝が来る』(河瀨直美/2020/日本)

  『陰謀のデンマーク』(ウラー・サリム/2019/デンマーク)

9.『パラサイト 半地下の家族』(ポン・ジュノ/2019/韓)

  『ラ・ヨローナ 彷徨う女』(ハイロ・ブスタマンテ/2019/グアテマラ)

~ ~ ~

<準ベスト>

 アイヌモシリ (日)
 透明人間 (米)
 ルース・エドガー (米)
 ミッドサマー (米)
 ラストレター (日)

<準々ベスト>

 おもかげ (スペイン・仏)
 鵞鳥湖の夜 (中・仏)
 許された子どもたち (日)
 はちどり (韓・米)
 MOTHER マザー (日)
 RED (日)
 名もなき生涯 (米・独)



【 お ま け = 各種 インパクト賞 ! 】

昨年観たなかで、個人的にインパクト大だったフィクション作品。
年度( )のないものは昨年公開作。

<口あんぐり大賞>

『ミッドサマー』

『異端の鳥』

『アングスト』(83)

『葛城事件』(16)

(再)『ポゼッション』(81)


<リアル・ヴィヴィッド大賞>

(現在進行中のcovid19の災禍を10年前にリアルに予測し詳細に描いている)
『コンテイジョン』(11)


<泣き腫らしアウォード>

『37セカンズ』

『ソワレ』

『朝が来る』

『ラストレター』

『生きちゃった』

『悲しみより、もっと悲しい物語』(18/台湾)

『デッドマン・ウォーキング』(95)

『妻への旅路』(14)


<抱腹絶笑大賞>

『そして泥船は行く』(13)


<社会派アウォード>

『パブリック 図書館の軌跡』

『ラ・ヨローナ 彷徨う女』

『ソワレ』

『蒲田前奏曲』

『パラサイト 半地下の家族』

『SKIN』

『はちどり』

『許された子どもたち』

『レ・ミゼラブル』

『陰謀のデンマーク』

『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(85)

『弁護人』(13/韓)

『デッドマン・ウォーキング』(95)



以上、どれも愛すべき作品です。
そして、ここに書ききれなかった他の作品たちも、見落とせない作品ばかり。
(僕は厳選して観てるので、ハズレは数本しかありません)

バックナンバーを振り返っていただければ幸いです。
上記リストのほぼすべて、ブログ内でタイトル検索が可能です。


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私をくいとめて/滑走路/アンダードッグ/無頼

2020年12月19日~29日

公開中の邦画新作4本。

闇は、ろうそくの光を消せない。
陽光の中にこそ、影はきわだつ。


『私をくいとめて』
大九明子
監督
2020年 日本 2時間13分
TOHOシネマズ川崎
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原作の綿矢りさ、監督の大九明子、主演ののん、3人の女性の世界観が絶妙にコラボされた、女性一人称作品。

監督の前作『勝手にふるえてろ』も今作も東京国際映画祭観客賞を獲得したが、松岡茉優主演の前作は、僕には不幸にも面白さのカケラもわからず何の引っかかりも残さなかった(^_^;)作品だっただけに、今回の同じ「綿矢=大九コンビ」もあえて期待せずに入ったのだが、なかなかどうして新鮮な魅惑たっぷりの果実だった。

コミュ障のネガティヴな内面を一貫してポジティヴなテンションで明るく描いてしまうエンカレッジングな作風や、こじらせ女子独特の一人称つぶやき形式は同様なのに、今作はなにがちがったのだろう。

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こればかりはどうしても僕個人の「好み」の話に帰結してしまうのだが、やはりのんのキャラクターの魅力に尽きると言ってしまっていいかもしれない。
全編を通してアップ気味に撮られたきれいな顔立ちと、纏う透明な空気感、ナチュラルな身ぶり・表情・発声を目の前にすると、ファンでさえ想定以上のかわいさにヤラれ、批評家のイマジネーションをも望外に刺激するのではないか。

小説は読んでいないが、32歳設定の主人公に27歳ののんを起用し、2歳年下の相手役には設定どおりの30歳の林遣都を起用するに当たっては、やはり監督にはのんに対するとくべつな思いがあったのだろうと思った。
ふだんから見た目では10代にさえ見られかねない彼女が31歳を演じることで、やや浮世離れしたニュアンスが醸し出されている。
ふつうならばジメっと湿っぽい空気になりそうなところを、カラッとしたそよ風を吹かせているのは明らかにのんのおかげだ。

ところがパンフを読むと、のんの起用はプロデューサーの提案で、何よりもシナリオを読んだのんが温泉施設の女芸人の一件で感情を爆発させるシーンをぜひ演じたいから、という強い要望があったからだとか。

「おひとりさま」にこだわる登場人物たち、なかでも主人公がなぜそこまでこじらせるに至ったかを垣間見せるシーンがいくつかあり、ハイテンションな中にもそこだけは表現にありったけの繊細さが払われている。
くだんの温泉シーン、過去のセクハラのトラウマを暗示させるシーンでは、のんの個人的感情が完全に移入されていたように見えた。
親友との葛藤を氷解させるシーンでは、橋本愛の表現力も相俟って、しっとりとしたローテンションが見事な逆アクセントとなっていた。

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暗く重たいトラウマ物語はたくさんある。
でも外面からして深刻だと、見ようとする人は多くはない。
深刻なのにこんな軽やかで清々しい映画は稀少価値。
明るいなかにこそ、陰に隠された傷がやんわりと沁みる。

ひとりで週末を優雅に過ごし、年末年始に海外旅行にまでリッチっぽく出かけてしまうなど、このコロナ禍とはかけ離れた一見呑気な話に感じられてしまうのは単に不運なだけだが、「孤独をいかに楽しむか」というスタンスや距離感は、生活が困窮しているいないにかかわらず、全女性への応援歌となっているだろう(たぶん)。

もちろん男性にもおすすめ。
作品の出来不出来とは別に、「話したくなる」映画ってあるけど、これもそんな作品。
コロッケ屋の店主など、笑えるキャラや微笑ましいシーンが数多く散りばめられているしね。

★★★☆



『滑走路』
大庭功睦
監督
原作:萩原慎一郎「歌集 滑走路」
2020年 日本 2時間
角川シネマ有楽町
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『私をくいとめて』とは逆に、深刻な外面、暗澹とした内容のトラウマ物語だが、どんなに逆境でも、たとえどん底でも、打ちのめされては前を向かせ、打ちひしがれては立ち直らせる「言葉」がしっかりと伝えられて、かすかながらもポジティブなベクトルへ、わずかながらも陽の当たる方へと導こうとする。

ともするとそれは、いきおい説教くさくなりがちなのが常だが、決してそうはならないのがこの映画の確かなわきまえ。
言葉は押しつけがましくなく、非言語的表現ではさりげなく仄めかす。
そんなバランス感覚に優れている。

ヒットした歌集が原作となっているが、この映画とは世界観のみを共有する。
初の歌集を上梓する直前に自死した萩原慎一郎の32年の実体験を、本作の登場人物に色濃く投影している。
また、死後つまり本人の知らない未来に、周囲の人物たちがどういう人生を送っているかを別の視点の架空の物語として加え、主に3本のストーリーを柱とした構成にしている。

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「こんな世界に生まれて、子どもたちはしあわせに生きられるのだろうか」
というテーゼが繰り返し現れる。
「それでも・・・生きる価値がある」
「宝物のように育て、しっかり守ってやりなさい」
坂井真紀演ずる、息子を亡くした母が語る言葉は、ひときわ心に響く。

★★★☆



『アンダードッグ』(前編/後編)
武正晴
監督
原作・脚本:足立紳
2020年 日本 (前)2:11(後)2:25 計4時間36分
丸の内TOEI
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安藤サクラ主演の名作『百円の恋』と同じスタッフが結集して、同じボクシングで今度は男を使ってそれを超えよう、とチャレンジしたという。

ボクシング映画というのは、物語性の必須要素が全部そろったうえでギュッと凝縮され、時間経過とともにプロローグ→モチベーション→挫折→復活→クライマックスといった展開になるため、気合を入れて作れば大抵は感動ものとして成立する。
なんて、門外漢が知ったかぶって勝手にヤラシイことを言う。
でもじっさい、ボクシング映画で失敗したものってあるんだろうか。

この映画も、とても引き込まれ、持っていかれ、振り回され、打ちのめされた。

あるレベルで。

ただ、『百円の恋』以上ではなかったし、『あゝ荒野』(岸善幸)のボクサーたち(菅田将暉、ヤン・イクチュン)の物語に及ぶものではなかった。
個人の感想としては、「映画としては普通」だったという言い方になってしまうが、森山未來も、北村匠海も、勝地涼も、瀧内公美も並じゃなくてよかった。

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いちばん印象に残っている演者は、二ノ宮隆太郎監督。
哀しみが滲み出てて、好きだなあ。
渡辺紘文監督とキャバクラで乱闘するところは監督同士の場外乱闘みたいで見ものだった。(一方的にヤラレちゃったけどね(´Д`)

★★★☆


今日ですべてが終わるさ
今日ですべてが変わる
今日ですべてが報われる
今日ですべてが始まるさ


これはご存じ泉谷しげる『春夏秋冬』で、次の『無頼』のテーマ曲にもなっているが、むしろ『アンダードッグ』のエンディングテーマにこそよく似合うと思った。


『無頼』
井筒和幸
監督
2020年 日本 2時間26分
ジャック&ベティ
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“昭和の色”って、まさにこれ。
昭和の香りまで匂ってくる。
スクリーンに沁み込んだかのような燻ぶった哀愁の色は、戦後の任侠史と任侠映画史を雄弁に物語る。

そこに、やにわに、しのつく雨。
降るべき時に降る“正しい”雨が、ヤクザ渡世をおさまりよく整える。

そんな年季の入った映画術を心得る井筒作品だが、あまり破天荒ではない理性的な“侠客”の、戦後の混乱期からバブル崩壊まで、昭和の一代記を縦覧するにとどまっている浅薄な全体像には、なんとも満たされない気分。

配下の荒くれ者たちの個々の造形や群像の凄みは大したもので、スター役者をほとんど使わない配役も流石だが、ひとつの事件にフォーカスすることもなく、人間関係の深みに踏み込む濃厚さもなく、あっさりと俯瞰するように時代を追うシナリオには、勿体ないと呟いてしまう。

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2時間半を長いとも思わず飽きもせず見入っただけに、惜しい。
井筒監督8年ぶりの新作ということで期待していただけに、失望感は否めない。

印象に残ったのは、柳ゆり菜のかわいさと堂に入った演技。
何十年たっても老けないのは、超越的存在なのかな。

★★★





バクラウ/キム・ギヨン特集/ラブ・レター

2020年12月6~13日


「クレイジーな映画」にも色々ある。
クレイジーなふりを装う映画、監督自身がクレイジーな映画、クレイジーを仕掛けとして利用する映画などなど。



『バクラウ 地図から消された村』
クレベール・メンドンサ・フィリオ、ジュリアノ・ドネルス
 共同監督
Bacurau 2019年 ブラジル・仏 1時間21分
イメージフォーラム
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「見事なまでに狂っている」
とチラシに大きな謳い文句が書かれていたので、数々のトンデモ映画やトラウマ映画や狂人カルト映画を観てきた僕としては、どう攻めてくるのか覚悟しながらワクワクしながら臨んだ。

ブラジルの乾いた辺境の地を舞台に起こっているこの事態は、南米特有の荒唐無稽な「マジックリアリズム」なのか、大真面目なディストピアなのか、はたまた単なる不穏な日常なのか。
早々に出現する空飛ぶ円盤も、すぐにアレだと判断がつくだけに、逆にますます物語の虚実が判断つきかねるまま、意外と坦々とした前半を送る。

村人たちも何が起きているのかわからない。
ただ、バクラウ村の状況や過去について、村人たちが前提として知っていることを僕らは知らない。
村人たちが何を恐れているのか、過去から今まで何と闘ってきたのか、そしてそれが今のこの事態とどう関係しているのか、後半、次第に明かされてくる。

そして、中盤から狙撃や殺戮がゲリラ的に展開される。
タランティーノ風なヒップなノリと、『七人の侍』的なスピリットで、西部劇の風味を借りて、サスペンスフルな活劇が愉しめる。

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バクラウ村は、この排除された世界は、何のメタファーなのだろう?と鑑賞しながら考える。
日本でいうと、虐げられた「部落」なのかな。

結末が訪れると、なるほど、と思う。
ちょっとオーバーではあるが、意外なほどシンプルで、シュールさはなく、けっこう現実的に納得のいくレジスタンス映画である。
娯楽としても、ポリティカルにも、懲悪劇にスカッとする。

現実から遠いように見せかけて、実はすぐそこにある現実を描いている。
そのスタンスに賛辞を送りたい。

この村の正体はこの映画を観るだけでは明示されていないが、由来として「被差別部落」的な成り立ちということで間違いなさそうだ。
ブラジルではその昔、アフリカからの奴隷を従事させていた。
彼らがもたらした武術カポエイラも劇中で演じられていたし、黒人や原住民や混血のメスチーソと見られる人々が集落に住んでいる。

ちょっと調べると、ポルトガル人支配から逃れた奴隷たちが集落を形成して共同生活をしていた歴史がわかる。
彼らを「マルーン」と呼び、とくに中南米の大陸に独特な呪術的文化を広く定着させていたわけで、人文学的にも興味深い。
(公式HPはなぜかずいぶん陳腐にできていて、全てを謎に包ませたいのはわかるが、そうした解説は一切書かれていないし、紹介文も知的好奇心をそそられない。もう少しそこに焦点を当ててもいいのではないか。パンフレットには解説があるのだろうか)

「地図から消された」というのも、ブラジルの現在の極右大統領ボルソナロなら実際やりかねない。
寓話どころかリアルな香りが漂ってくる。

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狂人をやらせたら古今東西随一のウド・キアーが、作品の虚実の真ん中を貫く。
村人もスナイパーも女性たちが躍動。
ソニア・ブラガ演じる「血の白衣」の医師も不思議な存在感。

ブラジルのまつろわぬ民たちの反骨不屈の魂が一気に炸裂するパワーを見せつけてくれる。
いちばんの首謀者=権力者の彼にいちばん酷い殺り方を施してくれれば、もっとスカッとできたのにな。

★★★☆




“傑作”にして“怪作”を撮る監督キム・ギヨン(金綺泳)は、
“異能”にして“怪物”かつ“変態”だった。
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今回の特集上映では7作品が公開され、今回観た2作以外にもトンデモ作品ばかり。
ソウル大学医学部卒(東大医学部並み)で医師資格を持つというのだから、その奇人ぶりに拍車をかける。
天才と狂気は紙一重。

トラウマ的マスターピース『下女』については数年前に書いたので、3番目に再掲載しておく。


『死んでもいい経験』
キム・ギヨン
監督
1990年 韓 1時間39分
シネマヴェーラ
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3人の女と2人の男の愛憎劇。
予測のつかない物語の展開が凄まじい。
予定調和が裏切られるどころか、ありえない偶然を無理やり必然に変える強引さが、「トンデモ」作品のパワーに変換されている。

演出(=導演や劇伴の付け方)の素人並みの下手さが相俟って、怪作と呼ぶにふさわしい。
場内では幾度となく笑いが勃発した。
結末も、こんなオチのつけ方でいいのか?と失笑してしまう。

90年当時の韓国、今以上に家父長制的な男尊女卑が色濃かったはずで、家庭内外のパワハラ・セクハラが過剰に主人公女性を傷めつける。
しかしそれに対する復讐劇も突飛で過剰。
デフォルメされたハラスメントは嗜虐趣味というわけではなくて、男尊女卑の不毛や滑稽さに焦点を当てている(と思われる)。
その意味では真面目な映画だ(^_^;

才気と逸脱がアンビバレンスに拮抗している、稀少な逸材。

この作品が晩年71歳の遺作というのだから、熟練の妙技やいぶし銀の味わいではなく別のベクトルを目指していたということだろう。
それが何の方向性なのかはわからないが。

★★★


『玄海灘は知っている』
キム・ギヨン
監督
1961年 韓 1時間57分
シネマヴェーラ
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片やこちらはフィルモグラフィー初期の作品だというのに、いたってシリアスな社会派映画。
太平洋戦争中、日本軍に徴用された朝鮮人男性が遭う激しい差別と虐待、日本人女性との悲恋が描かれる。

まずギョッとするのは、日本の軍隊内が舞台なのに全員韓国人による韓国語の演技だということ。
こうした作り方を余儀なくされることも、珍しくなかったことも承知しているが、それでもやはり違和感に圧倒される。

その状況で日本人と朝鮮人の軋轢を描くとなると、どうしても朝鮮人を贔屓目に、日本人を醜悪に描いてしまうのではないかと不安になる。
ただでさえ被害国側の加害国に対する恨みは鬱積しているのだから、韓国語で韓国人に見せる映画ならばつい表現を盛ってしまうのではないかと。

ところがどっこい。
まず、日本人の名前の発音や、生活の中の所作や、鼓の持ち方などの文化伝統に関するものは多少の相違はあれど、とくべつ気になるほどのものは驚くほど少なかった。
そのあたりの考証は日本人にしっかりやってもらったのだろう。

そして物語が進み、言葉の違和感に馴れてくると、日本人像の歪曲や侮辱表現などがなく、実に公平に描いていることがわかってくる。
上官からの苛めを描きながらも、同僚やいい上官からの援護もあり、日本女性が偏見を捨てて彼に恋に落ちるのも両者にとって美徳だ。

この監督が狂気の天才という顔だけでなく、誠実な側面を持ち合わせているのだと思い至る。

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主人公は日本軍の中で何のために戦っているのか、祖国のためでもない、日本のためでもない。
米国と戦っている? いや、戦争という馬鹿げた巨悪と闘っているのだということを全身で訴える。
最後は日本人も朝鮮人も、街の大空襲で炎の壁に囲まれて焼け死ぬ。
そこには文字通り差別のない無差別殺戮があった。

それまでチープな印象をもって見てきた人でも、このラストシーンだけは誰が見ても、目が釘付け、口があんぐりの圧巻のスペクタクル。
(と言いたいところだがしかし! 実際の空襲の記録映像が挿入されてリアルさが出たかと思えば、あまりに拙いジオラマに燃えた紙屑のようなものを撒いて都市全体を俯瞰させるようなミニチュア模型を何度も見せられるから、脱力してしまう・・・)

最後の最後、朝鮮人の主人公が・・・映画ならではの感情の渦に呑まれることはまちがいない。

★★★



2017年2月12日
『下女』 (キム・ギヨン)

1960年 韓 1時間48分 出演:キム・ジンギュ、イ・ウンシム、ほか
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「アジア映画オールタイムベスト100で韓国映画最高の9位にランクされ、映画史上に輝く衝撃作」「キム・ギヨンの原点にして最高傑作」と紹介されて見てみれば、なんと意外にも、これはどこから見ても映画史上に残る純然たる「トラウマ映画」の典型!

冒頭のタイトル・デザインからして、おどろおどろしい。
劇伴音楽は、いちいちぎょうぎょうしい。
雷も必要以上に落ちる。

良妻賢母のプライドの高そうな妻と一男一女の子どもを持つ音楽教師の、一家団欒。
紡績工場で働く女工たちにも授業を受け持っている教師は、カタブツの中年だが、なぜかモテモテ。でも儒教的精神が強いせいか、全く相手にしない。
その報いが異様に大きく、周りの女性たちに次々と翻弄される受難が待ち受ける。
教師に恋文で告白してふられた女工は自殺し、もう一人の女工は教師の家にピアノのレッスンを受けに通うが、告白してふられると、自分で服を破いて「暴行されたと訴える」と脅す。
メイドとして雇った女はハスッパな悪女で、あの子と同じようにピアノを教えてくれ、と色気と脅しで誘惑。
肉体関係の末、妊娠。
妻に打ち明けると、妻はメイドに、階段から落ちて堕胎せよと説得する。
メイドは言われた通りにするが、ここからメイドの教師一家に対する報復がエスカレート。
自分の子が殺されたことをネタに、一家を支配し屈辱を与えていく。
メイドは夫婦の寝室で毎日教師と夜を共にし、妻に食事を運ばせる。

最初からしばしば登場する殺鼠剤は、果たしていつ誰に使われるのか。
妻の復讐は? 子供たちは犠牲になるのか?
想像しうる限りの最悪の事態を予想していただければいい。

一世帯の中で起こるめくるめく家庭崩壊のドミノ倒し。
とめどもない悲劇のカタストロフィ。
これでもか、と奈落へのスパイラルが見事なまでに展開していく。
階層、男女、夫婦などの儒教からくる主従関係をすべて皮肉りながらひっくり返す。
踏み込んだら逃れられない蟻地獄のようなストーリーテリングは、ヒッチコックにも通ずる。

しかし!
最後の最後で、唐突に主人公がカメラを向いて、「みなさん、」と案内役のように語りかける。
B級かよ!
場内、笑いがそこかしこで。
トラウマ映画とはいえ、演出やシナリオなど、かなりのレベルだと思うのだが、わざわざ自ら蛇足を付けてしまった。

1960年の韓国という点で、ただでさえ今の僕らからは特殊に見えるが、それ以上の「イッチャッテル」映画だったのだった。

(このラスト、検閲のためにやむなくそうしたのだと後日知った。)

★★★★


~~~~~~~ ✕ ~~~~~~ ✕ ~~~~~~ ✕ ~~~~~~~

ここから先はクレイジーではありません(^_-)-☆


『ラブ・レター』
森崎東
監督
1998年 日本 1時間48分
シネマヴェーラ [追悼特集 森崎東党宣言]
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沿岸を漂う一艘の難民船。
ベトナムからのボートピープルの映像に、なぜか中東の民族音楽がかぶさるオープニング。
ナレーションは、「難民や外国人労働者の入国が増え、多民族国家になる日も近い」と語る。
舞台は新宿ゴールデン街界隈のアパートに移り、中井貴一がイスラム系の隣人たちのラジカセの音に文句を言っている。

徹底して最底辺の人々の視点から社会を告発する作品を世に出してくれるところが尊い森崎東監督の1998年度作品。
中島丈博との共同脚本と知って即とびついたのだが、実は浅田次郎の原作で『鉄道員(ぽっぽや)』の中の短編だった。
「泣かせるために書いた」という監督、すべてはラスト近くの手紙のシーンに物語が凝縮する。

チンピラのような稼業で妻子に逃げられたゴロー(中井貴一)に、偽装結婚の儲け話が舞い込む。
相手は中国から出稼ぎに来た白蘭(パイラン)という美女だったが、一緒に入管手続きだけ済ますと、その後ろくに会うこともなく、夜の街のホステスとして働かされていることを気にしつつも、ゴローはゴローで娘のことで悩んだり、野暮な嫌疑で捕まって留置されたりして時が過ぎていった。

服役を終えると、「妻が死亡」と聞かされ、遺体を引き取りに行かなければならなくなった。
その時点からゴローの様子がおかしくなっていく。
「いったい何が起きているんだ?」とようやく真相を知ろうとし始め、それまであまりに無知で能天気だった自分への情けなさと、人身売買もどきを見て見ぬふりの警察や闇社会に憤然とする。
命尽きた房総半島の先端の街・千倉まで、舎弟のサトシ(山本太郎)と悪酔い小旅行。
遺体と面会し、焼き場へ行き、お骨を拾い、あたりへ怒鳴り散らす。
意外と純真なゴローは、騙されて高く買わされた指輪を白蘭に渡していて、情がなかったわけではなかったのだ。
白蘭が働かされていたスナック(売春あっせん所)の寮に遺品を取りに行くと、残されていた手紙が見つかる。
それは、白蘭からゴローへのラブレターだった。

自分の境遇を恨むことなく、一目惚れしたゴローへの想いを切々と語り、もらった指輪を毎日見つめては、もうすぐこの世を去る運命を受け入れ、ゴローへのせめてものお願いをする言葉が記されていた。

一般に、手紙が映画でキーとして使われるシーンは枚挙に暇がなく、長い文面の中身を紹介する方法はそれぞれ監督の手腕の見せ所となるが、ここでは白蘭がつたない日本語で読む音声をかぶせながら、中井貴一が手紙に目を通す顔面のアップがそのまま長回しで撮られる。
ツァイ・ミンリャン監督おなじみの超長回しで常連リー・カーションの無言の表情を撮り続けるSMプレイには及ばないけれども、ここは中井貴一の役者魂の見せどころ。

手紙の内容も、それまでどちらかというと大味だった映画の印象を、一気に画龍点睛のごとく収斂させ納得させる劇的なもので、それに呼応するようにゴローの表情も変化していくのだった。
まあ、あざとさの香りも漂うが。

主人公からの視点で描かれた表面的な物語が、最後になってもう一人の裏側からの視点で語られる意外なアナザーストーリーが生ずると、予期せぬがゆえの自らの無防備な感情の決壊に遭ってしまうことがある。
これもその一手の亜種と言えるのかもしれない。

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徹底して弱者の視点に立つ森崎監督作品の、準主役ともいえる眉を剃ったコワモテの山本太郎が、この15年後に覚醒し一念発起して議員となり、今も身を削って最底辺の人々からの声を掬い取り拡声する立場となっていることを思うと感慨深い。
むしろこの作品では中井貴一の方がこの世の理不尽と不条理に覚醒する役で、太郎はそれを傍から呆れ顔でツッコミを入れる側だったが、その後、前者はA首相との食事会に出席し、後者は同首相との対決姿勢を強めていくという好対照となってしまう。

それはあくまで余談であって(笑)、中井貴一のチンピラもなかなかのものでしたよ。

★★★☆




監視資本主義/グレート・ハック

2020年12月2~9日

Netflixから、恐怖のオリジナル・ドキュメンタリー2本。
ネットを使うすべての人が観ておくべき、新たな基礎知識。



『監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影』
ジェフ・オーロースキー
監督
The Social Dilemma 2020年 米 1時間34分 ドキュメンタリー Netflix
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"If you're not paying for the product, then YOU ARE the product."
(もしあなたがタダで商品を使っているなら、そのときはあなたが商品なのだ。)

SNSを使う僕たち、「ユーザー」じゃなくて「商品」なのですね。
SNSにとってのお客様とは、広告主。
僕らは広告主にとっての客、つまり搾取相手。
個人情報をどんどん吸い上げられる。
効率を極限に上げていくために。

要約すると以下の通り(filmarksより抜粋)
・facebookなどのSNSは、利用者ではなく広告主から収益を上げる。
・このとき、広告主に売る商品とは「ユーザー」であり、ユーザーに与える影響(=広告効果)の最大化である。
・ユーザーがどういう習慣を持ち、何を好み、何を考えているかを監視し、予測し、それに基づいて最適な効率でその行動を操作することに対して、広告主は支払っている。
・サービスはユーザーが多ければ多いほど、ユーザーが依存性を高めて滞在時間を長くすればするほど、個人的な情報を提供して思考の予測を容易にすればするほど、利益が上がるビジネスモデルとなる
・したがってサービスの利用者は、そのような力学が存在することを認識して、自覚的に適度な距離を取るように意識すべきである。


以上のようなSNSの仕組み(策略)が、少し前までそのテック企業の中枢で開発にあたっていた「首謀者たち」から次々と暴露されているのには驚く。
自責の念にかられて証言していることについては信用に値する。

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一方で、そんなSNSの頭脳である「AI」というものについても考察する。

ユーザーの志向が二極化すればするほど、志向に合ったサービスは提供しやすく、ユーザーに届きやすい。
それが商品であろうとニュースであろうと。
そのニュースが真であろうと偽であろうと。
そうやってフェイクニュースはどんどんフェイクになってゆく。
意図しようとしまいと、「分割統治」が可能となり、政治的に利用しやすくなる。

かつての「テレビ」などのイノベーションとちがって、「AI」は真偽も善悪も判断できない。
「クリックこそが真実の尺度」
だから、フェイクニュースも広告も、人間が制御できない。

そうして結果的にダメージを負った人が死を選んだりもする。

インタビューで登場した一人が言っていた例えが端的だった。
「世界共通のwikipediaが、もし見る人によって内容がちがっていたら? 広告主にとってそれがメリットならば、いくらでも記載内容を変える可能性はあるでしょう。それと同じことがfacebookなどのSNSではターゲットに対して行われているのです」

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「いいね(Like)」を発案・開発した元スタッフは、「初めは『愛』を広めたかったんだ」と真顔で切なげに語る。
もう自分の手に負えないものになってしまったと困惑顔で。

シリコンバレーの天才ブレーンたちが、AIの情報操作や利益誘導に対する責任や方策について問われると、口を濁す。
ビジネスモデル自体が悪い、法整備ができてないのが悪い、などと。
法規制や課税をすべき、と。
「とりあえず自分の子供には高校生になるまでは使わせないよ」なんていう始末。

AIの自律性に対しては、人間に責任がないとでも言うように。
では、そのAIに、人間が恣意的に加担することについては?
政治的な、思想的な思惑がSNSをあからさまに大胆に利用すると、AIが最大限に力を発揮し、国際的なスキャンダルもしくは内戦を引き起こすことになる。
次の映画がその実例だ。




『グレート・ハック SNS史上最悪のスキャンダル』
カリム・アーメル、ジェヘイン・ヌージャイム
 共同監督
2019年 米 1時間54分 ドキュメンタリー Netflix
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上で紹介した『監視資本主義』の内容を初めて知るときの衝撃に加えて、こちらのドキュメントは具体的事例の最たるものを取り上げ、さらなる衝撃をもたらしてくれる。

2016年のトランプ勝利の大統領選とイギリスのEU離脱(Brexit)国民投票におけるプロパガンダ戦略を一手に引き受けた選挙コンサルティング会社がある。
ロンドンに本拠を置いた「ケンブリッジ・アナリティカ」(CA)だ。

facebookやtwitterなどのSNSやロシアと共謀し、個人情報を「兵器」のように売買する世界が始まっていたのだ。
「情報戦」は、軍事兵器なきリーサルウェポンとして民間会社によって確立されたのだった。

CAの中枢で活躍していた女性が罪悪感から告白を始める。
企業に売られた数千万人(あるいは億単位?)レベルの個人情報の一つとして自分の情報を開示してもらう裁判を起こしたアメリカ人教授が、彼女とコンタクトをとる。

それを基軸に、英国のジャーナリストによる果敢な取材・追及を紹介、意外と平然と構えるCAのアレクサンダー・ニックス代表のインタビュー、公聴会でのfbのマーク・ザッカーバーグの虚偽答弁などを逐一見せながら、一連の事件の深層と真相に迫る。

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ここではfacebookはもはや「デジタルギャング(digital gangster)」と呼ばれている。
もちろん、ビッグデータは使い方次第。
新型コロナウイルスのパンデミック対策にも最大限・最先端の役割を担っている。
しかし、国家が悪用しようと思えば、一つの国が滅びる。
世界戦争が起きる。
個人の抹殺など何でもない。
そんなオソロシイ世界と、自分の端末が常につながっている。

選挙などにおけるプロパガンダのターゲットは、「説得可能者」(persuadable)だそう。
政治的な意見を明確には持たず、きっかけ次第でどちらにもなびく可能性のある人たち。
大統領選では、激戦区の浮動層だけにターゲットを絞って情報誘導を仕掛ければ事足りる。
fbやtwitterの広告やおすすめ動画、投稿の優先序列、あるいはフェイクまがいのニュースを頻繁に視界に入れさせればいい。

逆に、僕らみたいなガチガチのポリシー持ったやつらはデータとして価値がないのかも(≧▽≦)

CAは潰れたが、同様の企業はこれからも生まれるだろう。
今回の2020年大統領選では今のところそうした専門企業による情報工作の請負話は聞こえてこない。
むしろ、トランプの発信するデマや戯れ言に対してtwitter社は「根拠がない」と削除したりと、抵抗が目立った。
政治的な有料広告を制限するなど、facebookなどが事前に投稿に制限をかけたのも、2016年の大統領選スキャンダルからの自重なのか。
facebookが産みtwitterが育てたトランプ大統領に対して、今度は逆にその手に噛みついた恰好となったようだ。

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Facebookの利用率は、アメリカではきわめて高く、約1億9000万人。
これに対して日本では2600万人ほどだというから、率で言えばアメリカ58%、日本では22%。
アメリカでは多種のSNSを駆使する人が多く、依存度も高い印象があるが、日本では若い人ほどfacebookを使わなくなってきているし、SNSの利用の仕方もどんどんclosedになっているから、一概には比較できない。
映画の内容がそのまま日本に当てはまるかどうかは何とも言えない。

ただし。
改憲の国民投票に際してメディアの宣伝制限を設ける話も、僕らを顧客とするビッグデータを持つSNSとプロパガンダ総合商社を前にしたら、土台から考え直さなきゃいけない話なのでは?
テレビCMとかいう既成メディアのレベルは、とっくにおととい来やがれって感じではないのか。

マイナンバーの免許証や口座への紐づけを無理やり加速させようと躍起になっているこの国の政府を見ていると、とても信用ならない。
情報の紐づけはamazonに一任しようとしているらしい。
なんたって公文書を隠蔽・破棄・改竄して憚らない政権である。
この映画を見た後では、ビッグデータもよからぬことに使われるようにしか思えない。

さらに言えば、情報操作に当たったスタッフが、この二つの映画のように辞職後に自責の念に駆られて暴露することなど、日本では非常に稀だ。
むしろそれをしようとすれば徹底的に追いつめられる。
森友問題で公文書の改竄をさせられた赤木俊夫さんが自死を選んだことさえ、責任あるトップたちは知らんぷりを決め込んでいる。

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マジメなドキュメンタリーながら、映画としてもなかなかツカミを心得ていて、見せ方(デザインやカメラ)もクライムサスペンスのような趣向を凝らしていて面白い。
ただ、情報の量とスピードがハンパなくて、一度では僕の頭ではついていき切れない(T_T)
2時間19分版を1時間54分版に短縮したせいもあるのかな。






泣く子はいねぇが/ばるぼら/ニワトリはハダシだ

2020年11月27~28日



『泣く子はいねぇが』
佐藤快磨
監督
2020年 日本 1時間48分
109シネマズ川崎
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「きみ、だいじょうぶ?」

と訊かれて、男は二重に屈辱を受ける。
「大丈夫」という言葉は「立派な男子」という語源であるし「大きな丈の夫」とも読めるし、仲野太賀演じるタスクはどちらにも該当しない。
「だいじょうぶ?」なんてセリフ、妻から言われたり、上司から言われたり、経験のある人はわかると思うが、本当に心配しているというより、言外に「おまえ頼りないなあ」という憐みと諦めと責めを伴ってこちらに投げ掛けられる。
濡れ雑巾のようにペタッと貼りつくその情けない感触は屈辱感このうえないのだが、タスクはそんなセリフにも馴れてしまったのか、むしろ妻からの「きみ」という呼称に拒否感を露わにする。

「その『きみ』っての、やめてくんないかなぁ(;^_^」

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夫であった男に対して、「あなた」でも「あんた」でも「タスク」でも「後藤君」でもない「きみ」は、外国語では表現不能な、微妙な距離や上下水平の関係性を醸し出す。

妻・コトネ(吉岡里帆)からの軽蔑と情けなさを訴える視線に対しては目をそむければ済むのだろうが、言葉は刺さって残るのだ。

その雄弁な視線を、セリフがなくとも演技としてまざまざと見せ切って表現した吉岡里帆は、まさしく視線の演技者として巧みだった。

冒頭からタスクは、登場するや、父親となってさらに情けなさ極まれる存在として、その凍てつく視線に苛まれ続けるが、最後の最後だけはちがった。

顔もわからない自分の娘に相対するために、意を決したダメ男。
一言も発しないコトネの視線に対して、タスクはナマハゲの面の奥からじっと見つめ返した。
「アアアァァァーーーーー!!」
とナマハゲの雄叫びを何度か繰り返すと、コトネの視線のニュアンスに、何かがわずかに入り込んだ。

「泣く子はいねぇがーーーー!!」
と叫び続けるラストシーンは、シチュエーションといい、リレーション(関係性)といい、エモーションといい、同時に相矛盾したものが一気に交錯する絶妙な瞬間として暴発する。
ただし、適切な暴発だ。

このラストを撮るために、監督はこの作品を作ったにちがいない。

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ちょっと待てよ・・・
ラストのクライマックス、
幼い娘に会うための決死の行動、
情けない自分を挽回する激情、
これこそ撮りたかった名シーン、
太賀主演、
・・・これって、つい先月公開された映画『生きちゃった』(石井裕也監督)にそっくりだな。

元々主演作は実はそこそこあったが、去年「仲野」という名字を付け加えてから、ますます波に乗っているような気がする。
確かな演技をしてくれる役者がメジャーになるのは嬉しいことだ。

★★★☆



『ばるぼら』
手塚眞
監督
2019年 日・独・英 1時間40分
ユーロスペース
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70年代のような雰囲気が全編を充溢しているのは、手塚治虫の原作自体が1973~74年作品だからだろう。
映画は現代の設定だが、ややアナクロがかったレトロ風味を堪能することはできる。

あえて「アナクロ」と書いたのは、耽美的な世界観に何かしら現代批評的なものを感じることができないから。

二階堂ふみの初のフルヌードや稲垣吾郎との愛欲シーン、幻想を彩るデザインとクリストファー・ドイルのカメラ、橋本一子のノイジーなジャズの劇伴など、センセーショナルな話題性や映像音響効果で引っ張られるが、それを楽しめるのも中盤まで。
後半からは長く感じられ、とくに終盤に行くほどダラダラした感じが否めない(100分の作品とは驚いた。2時間半はあるように思えた)。
ばるぼらが“あんなこと”になってからは、はやく収束させてほしかった。

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手塚治虫大先生の苦悩や背景などを偲ぶのもいいのだが、眼前にある映像作品としては、それは関係ない。
(息子にとっても親子の縁は作品を撮るうえで障害にはならないのだろうか、と余計な心配をしてしまう)

稲垣が演じたとしても、ここに描かれているのは端的に言って「おっさん」個人の妄想であることには変わりない。

★★☆



『ニワトリはハダシだ』
森崎東
監督
2003年 日本 1時間54分
シネマヴェーラ [追悼特集 森崎東党宣言]
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2003年のこの作品のいちばんの収穫は、デビュー作にして主役に抜擢された肘井美佳の躍動感かもしれない。
当時20歳そこそこの彼女は、まさに出だしのシーンからハチャメチャに踊って笑わせていたし、最後まで徹頭徹尾、全身で弾け、駆け、躍動していた。

物語も躍動する。

原田芳雄倍賞美津子のコンビは同監督の『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(1985)以来だが、今回二人の活躍は前回ほどアクション全開ではなく、二人の子供たち(発達障碍のサムとその妹)の奔放な冒険心によってリードされ、事件に巻き込まれ救出に奮闘するかたちで躍動する。

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警察と検察庁とヤクザがグルになった汚職と対決するのは、知的障碍の子供たちと先生、在日2世の母、潜水夫の父。
設定は舞鶴、「岸壁の母」の舞台。
家族の帰還を待ち焦がれる場所。
2000年代の話だが、戦争の痕跡をあえて見せる。

終戦直後、強制徴用された朝鮮人の帰還する船が、「この湾内でなぜか爆発を起こした。命からがら助かったから今のお前がある」と祖母(李麗仙)が語る。
五百数十名が亡くなったという「浮島丸事件」のことだ。
「原因不明の沈没」とされているが、米軍の機雷など諸説紛々。
「この海を見るたびに今も恨みが募る」というような台詞で在日の気持ちを代弁する。

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徹底して社会の底辺からの視線で描き、物語の中でさりげなく告発することを忘れない。
それが森崎映画ならではの信頼できるスピリットだ。

ただ、今作はそんな要素を色々詰め込み過ぎたきらいがあり、同時多発的なスジについていくのがしんどかった。

★★★★




おもかげ/パピチャ/博士と狂人/タネは誰のもの

2020年11月1日~8日



『おもかげ』
ロドリゴ・ソロゴイェン
監督
Madre 2019年 スペイン・仏 2時間9分
シネスイッチ銀座

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柔らかな光のもと、夏の海岸の美少年をつい後追いしてしまう主人公。
まるで『ベニスに死す』のようだが、大きくちがうのはそれが老年男性ではなくて美しい中年女性だということ。
そして彼女が追うのは、「美」というよりも「幻影」。

一方で、何度もリフレインされる誰もいない海岸の光景は、轟音を伴った荒波と濃灰色の空で、いまだ過去が胸の底から圧迫してくる。

10年前に襲った息子の悲劇は電話の向こう側の声でしか表わされず、追い求める「おもかげ」は観る者にとっては永遠に未知のもの。
その見えない映像が主たる対象となって物語は進行するが、追う対象はすぐに10年後の息子に似た、生きた対象となって目の前に現れる。

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目の前の舞い降りた天使のような肉体は、「母」エレナにとってどんな対象となるのか。
接点はどの程度生まれるのか。
意外とぐいぐい迫ってくる美少年ジャンは、彼女をどんな対象として見ているのか。
二人の関係性に変化は生まれるのか。

エレナの恋人と、ジャンの家族がそこに絡む。
誰しも二人を放っておけない。
しかし複雑な思いはエレナがいちばんよくわかっている。
禁断と抑制から始まる、距離の物語。
物語がどう展開し収束していくのか、最後まで見通しがきかない。

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終盤、電話の向こうでジャンが迷子になる様子が、あの時の息子をまざまざと甦らせるところは映画の白眉。
映像のフラッシュバックなど使わなくても十分伝わってくる。

「あの時」のシーンというのは、映画の冒頭。
カメラはいきなりワンカット長回しで、母が電話で海岸にいる6歳の息子と話しながら失踪の一部始終を聞き届けてしまう決定的シーンを見せ切る。


一種のミステリーとも言えるし、感情が揺さぶられるシーンもあるが、劇伴は決して激さず、むやみに煽ったりしない。

カメラは長回しを多用するものの、移動やパンが滑らかで、見ていて自然でむしろ心地よい。
その感触はエレナに対するヒーリングのようであり、カメラが彼女にエンパシーを感じて寄り添っているようにも見える。

音楽もカメラも、会話の間合いも、すべてがちょうどよく落ち着いていて、こだわり抜いた繊細なセンスに満ちている。

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エレナ役のマルタ・ニエトの演技は称賛に値する。
ベネチアのオリゾンティ部門で主演女優賞を獲っている。

ジャン役のジュール・ポリエの美少年ぶりは、『ベニスに死す』のビヨルン・アンドレセンほどとは言わないが、ティモシー・シャラメぐらいのかわいさで人気は高まるのではないかな。

★★★★



『パピチャ 未来へのランウェイ』
ムニア・メドゥール
監督
Papicha 2019年 仏・アルジェリア・ベルギー・カタール 1時間49分
チネチッタ川崎

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「パピチャ」というタイトルの意味の通り、「愉快で魅力的で常識にとらわれない」女学生たちの肖像からはじまる。

物怖じせず自己主張も強いが明るくポジティブな主人公ネジュマ。
アルジェリアにしては意外と思えるほど、派手なオシャレをしてクラブに通ったり、自由なセンスの服を作って売ったりしている。
ただし、夜中に学生寮をお忍びで抜け出してのことだけど。

女子たちの自由を謳歌する顔がクロースアップされる。
仲間たちと歓びを分かちあうその表情、
結婚相手ではない男性の子を妊娠したことがわかった女子の不安な顔、
接写気味に強調されるのは他の先進国と同様の青春群像のようで、少し驚く。

しかし、その背後には、恐ろしいテロの魔の手がしのび寄っていた。

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同じアラブ・アフリカの閉鎖的な性差別風土の国からも、たまに明るくポジティブに女子たちを描く映画はある。

でも、少女が歓喜に満ちて自転車に颯爽と乗るシーンで終わる『少女は自転車に乗って』(サウジアラビア)のような希望的感触はなかった。

少女の禁断の同性愛を描いた『ラフィキ』(ケニア)のようなソフトでピースフルな感触とも大違いだった。

自分の想定が甘かった。

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ファッションデザイナーを“目指したい”ネジュマは、街角に「女性の正しい服装」として貼りだされるヒジャブ着用を指示するポスターが増えていくのを目にするたびに、敏感に反応しイライラを隠せない。

学内でファッションショーを企画するが、日に日に強まるイスラム原理主義による弾圧の余波が寮にも迫ってくる。
それでもネジュマの熱意と抵抗心は反作用的に高まっていく。

しかし。
まず一発の銃弾が家族を恐怖と哀しみのどん底に叩き落とす。

弾圧は女性差別に拍車をかけ、友人関係にもヒビが入る。
テロリストたちの襲撃も度重なるが、それでもファッションショーへの執念は捨てきれない。
挫折と再起を繰り返した末に、ついに・・・

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彼女にクロースアップしたその表情の振り幅の大きさは、そのまま物語の振幅の乱高下だ。
歓喜と絶望の落差が、極端に激しい。

衝撃の結末は、個人的な友情の尊さで締めくくられていたが、社会的にはまったく希望はないまま。

ポジティブな反骨精神は守旧勢力に勝てるだろうと思う予定調和はお門違いで、若さも抵抗心も行動力も明るさも信念も才能も、過激な思想と暴力にあっては粉々に打ち砕かれる。

これは90年代アルジェリアの「暗黒の10年」と呼ばれる内戦時代の実話に基づいている。

映画の終わり方としてはアメリカン・ニューシネマのように、そこには物語の常套手段もなく、ただ無慈悲な風が吹くだけだった。


P.S.ちなみに、ジェンダーギャップ指数は世界153か国中アルジェリアが132位。
日本は121位と大して変わらない不名誉なジェンダー後進国。

★★★★



『博士と狂人』
P.B.シェムラン
監督
The Professor and the Madman 2019年 英・アイルランド・仏・アイスランド 2時間4分
ヒューマントラストシネマ有楽町

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ショーン・ペンを観たければこれを見ろ!
という映画。

もちろんもう一人の主役メル・ギブソンも奮闘しているのだが、なんせ狂人を演じた方が役者の面白味が出るのだから仕方ない。
ショーン・ペンは狂人にうってつけの役者を選べば必ず上位に入るだろう。


話は世界最高峰といわれる「オックスフォード英語大辞典」の編纂秘話。
英国版『舟を編む』どころではなく、70年以上かけた初版までの間に起きた実話には、小説にしてもなおフィクショナルすぎると感じるほどの、奇異かつ濃密な物語があった。

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物語以上に役者たちの熱演が、ゴージャスな映像と音楽で盛り立てられていて、見ているだけで満腹感。
サスペンスはハリウッド的な盛り方ではあるが、言語はブリティッシュで、英語の歴史を遡る知的興奮に満ちていて、イギリス映画の上品さも堪能できる。

知性と狂気の紙一重、貧富の対照、贖罪と代償などを描きながら、恋の宿命が普遍であること、その更なる罪深さも入念に織り交ぜる。

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禁断の恋の相手役・ナタリー・ドーマーの複雑かつ真っ直ぐな内面をもつ役柄も見もの。
地味ながら彼女と狂った天才を寡黙に見守る看守・エディ・マーサンのいぶし銀も、いつも通り味わい深い。
博士の妻・ジェニファー・イーリーの、夫を守る矜持が輝く一瞬も見逃せない。

原作小説を読んでいないので不明な部分がいくつかあるが、大辞典の出版までの長大な道のりを描くには、2時間そこそこの映画では相当端折らなくてはならなかったのだろう。

★★★★



『タネは誰のもの』
原村政樹
監督
2020年 日本 1時間5分 ドキュメンタリー vimeo
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元農水大臣でこの問題の最前線で警笛を鳴らして回る山田正彦氏が、各方面にインタビューして回る。
現農水官僚に対する取材に際しては、誰よりも詳しい山田氏に問題点を指摘され、詰問されてタジタジになる官僚の姿が痛々しい。
官僚たちも問題点に気づいているのに、上からの圧力にイエスマンにならざるを得ない。
彼らの良心に期待しても意味はない。
法律が変われば市場のグローバル化に抗する手立てはなく、流れは止まらなくなるから。

種苗法改定で利益が生まれる「育種家」にも話を聞いているが、もろ手を挙げて賛成しているわけではなく、複雑な心境をのぞかせる。

(宣伝文より)
2018年4月、種子法廃止。
そして2020年10月、種苗法改定案の国会審議が再び始まる。
急速なグローバル化の中であらためて問われるタネの権利とは?

2020年6月に国会成立が見送られ、継続審議となった種苗法改定の動きに対して賛否が渦巻く中、自家採種・自家増殖している農家と種苗育成農家の双方の声を伝えるため、北海道から沖縄まで様々な農業の現場を取材。
政府が拙速に改定を成立させようとしている中、種苗法改定(案)が日本の農業を深刻な危機に陥れる可能性を、専門家の分析も含め農業の現場から探った。

現在、こちらの公式HPからvimeoでオンライン公開されています。
1000円。
  ↓   ↓   ↓
https://kiroku-bito.com/tanedare/




<その他の鑑賞作品>

『消えゆくものたちの年代記』エリア・スレイマン
Chronicle of a Disappearance 1996年 パレスチナ 1時間24分 TOHOシネマズ・シャンテ
★★






普通に死ぬ/ぬちがふぅ(命果報)

2020年11月4~5日

他人の命であっても命がけで守る人。
自分以外の命を虫けらのように扱う人。
どちらも悲しいほど人間。

全ての人に見てもらいたい、大切なドキュメンタリー2本。



『普通に死ぬ ~いのちの自立~』
貞末麻哉子
監督
2020年 日本 1時間59分 ドキュメンタリー
キネカ大森
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「まずは自助で頑張ってもらう。それができなければ共助、最終的には公助がサポートする」
と、菅首相は就任早々見得を切った。
こんなこと、政治が言う話ではない。
「何もしない」「最低限のことだけする」
と政治の放棄を宣言したのと同じことである。

初めから自助ができない人がいる。
それでも人として普通に生きていくために、必死に自立しようと頑張る。
そのとき、公助なくしては自立できない。
自立している障碍者たちは、公助あってはじめて可能な自助・共助で生きているのである。

自公政権のトップたちには、障碍者の存在が見えていない、見ようとすらしていない、いや、あえて見捨てようとしているのだろう。
彼ら政権トップたちもは自分たちもいずれは弱者になるという当たり前のことに気づいていないのだろうか。
(それ以前に、国の根幹をなす「健康保険制度」や「国民年金制度」って、公助そのものなのだから、国のトップの方々も公助で生きているんですけど)

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重度障碍者とその家族が「地域で普通に生きよう」とし、自立のために自ら行政を動かし奔走する。
当事者である小沢映子さんは静岡県富士市の市議会議員となり、10年かけて社会福祉法人を立ち上げ、自由に生きるための通所施設をオープンさせた。
前作『普通に生きる ~自立を目指して~』では、それを含め2つの施設を開所させた奮闘記録を5年間追ったものだった。

そこまでしないと当事者は制度を活用できないのか。
普通はそこまでできない。
誰もが普通に生きるための当然のサービスを受けられるという前提があるにしては、ハードルは高すぎないか。
そのハードルこそが、障害なのである。
障碍者自身の中ではなく、外に障害があるのだ。

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続編の今作では、その後施設の利用者たちが年齢とともに<親=介護者>の<老いと病い>に直面する。
「重度障碍者の、親亡きあとは?」
「重度障碍者の親は普通に死ねるか?」
というさらなる難問に突き当たっていく、その8年間を記録した。

病院ではなく地域で入居生活をするグループホームがついに完成した。
しかし、第2のグループホームや第3の通所施設が必要となるものの、地域住民の反対がネックとなって進展しなかったりする。
そうしているうちに親が亡くなり、日常の医療ケアをする介護者がいなくなる。
予測はしていたものの、制度を前に、どうにもならない。
施設の運営責任者たちが再三討議しても、「現実的に無理」という反対意見や介護スタッフたちの不安が先に立つ。


「家庭でしていたことは施設でもやる」
という鉄則のもとに決断したのは、やはり女性のパワーと勇気。
先の小沢映子さんと、元副施設長の坂口えみ子さんだ。
それぞれ、自分の住居に入居スペースを作り、24時間ケアができる環境を確保し、介護職員がバックアップし、通所施設に毎日通わせる。
「やってしまえ」という風穴を開ける行動と実践の力には、いくら頭を下げても足りないくらいだ。

逆に、この「やってしまえ」という、無理やりにでも具体的に実践して現実を動かしていかなかったら、行政は動かない。
おまけに、利用できるサービスはあっても、行政はすすんで紹介してくれない。
地域住民への啓蒙活動もしてくれなければ、相互理解も進まない。

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そんな状況を突破した先達が、兵庫県の西宮と伊丹にいた。
「障碍者だって、親を普通におみおくりして、またそこに住み続ける。当たり前のことでしょ?」
と普通に言ってのける、そんな頼りになるリーダーたちを、映画の後半でレポートしてくれる。
誰もがユニバーサルに自由に自己実現を図っていける地域づくりを目指して、長年の実績がある。


今年の春に公開された『インディペンデントリビング』は、大阪の自立生活センターの活動の様子を紹介してくれているが、やはりそんなポジティブな気概に満ち溢れている。
「IL」(=自立生活運動)は、「生きるよろこび」を実感するための最初の入り口だ。
 ↓ 当ブログ記事から ↓
https://tapio.at.webry.info/202005/article_2.html


いずれ弱者となるすべての人よ、 見てください。
殆どの人が知らないこの現実と、それでも立ち上がり助け合う希望の力を。
公助なくして自助も自立もあり得ないという当たり前のことを、政府へ突きつけたい。


「WEB論座」より 当作品についてのコラム
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020102200001.html




『ぬちがふぅ(命果報) ―玉砕場からの証言―』
朴壽南
(パク・スナム)監督
2017年 日本 2時間17分 ドキュメンタリー vimeo

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2012年の在日女性監督による力作。

遅まきながらぼくは本土の人間として2015年からようやく沖縄の現実と過去に向き合おうとしてきた。
きっかけとなった『標的の村』をはじめとして、三上智恵作品や数々の沖縄関連作品を観てきたが、それでもこの『ぬちがふぅ』で告発されている内容にスポットが当てられているものはなかった。

いまだに焦点が当たることの少ない「沖縄に強制連行された朝鮮人慰安婦」

日本軍は、朝鮮人を朝鮮半島から強制召集したうえに、沖縄住民以上に虫けらのように扱う。
米軍が大量の兵と装備で待ち構えているところへ、肉弾として飛び込む"斬り込み"をさせて死なせる。

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沖縄本島より早く、米軍が最初に上陸した慶良間諸島。
その時点ですぐに住民たちに玉砕命令が出て手榴弾や青酸カリが渡された。
そのなかで奇跡的に生き延びた住民が語る。
「皇民化教育では、“玉砕”とは『一人でも敵を殺してから死ぬこと』と言われてきたから、何もせずに死ぬわけにはいかなかった」
と、集団自決の場から離れたという。

集団自決に関し、「軍部による玉砕命令はなかった」という裁判を起こされ、教科書から「軍命」が削除されたという2005年の一大事件についても、現地で真相を探ろうと直接の聞き取り調査を行う。

結果的に、一人の上官の命令にすぎない、という決定が下され、無実の上官が罪を着せられた。
国家の身代わりの尻尾切りだ。
その遺族の悲痛な諦め混じりの訴えを聞き、怒りに震える。

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朝鮮半島から親元を離れて、日本の中でも捨て石にされた激戦地の離れ小島に連れてこられた十代の少女たち。
その一人ペ・ポンギさんに直接取材している。
どれほどの生き地獄だったか、想像を絶する。
彼女をはじめ慶良間諸島には21名の少女たちが慰安所に送られ、夕方から10人ほどの相手をさせられた。
彼女たちを「見に行った」という当時少年兵だった男性もインタビューに答える。


慶良間諸島での粘り強いフィールドワークによって証人と証言を得て、朴壽南監督は史実を歪められてはいけない、記録に残さなくてはという強い意志で完成させた、決定的な告発記録だ。


集団自決の命令ばかりか、日本軍が沖縄住民を「スパイ容疑」で次々と殺していった事実、そして住民同士で密告をさせた恐怖統治については、三上智恵・大矢英代監督の『沖縄スパイ戦史』にも詳しい。

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歴史を国家の都合で書き直させてはいけない。
そこには何重にも裏切られ、名誉も回復できずに死んでいく人々が今もなお大勢いるのだから。

なによりも、そこを検証も考察も反省もできずに、戦争を防ぐことはできない。
戦争とは、国家が否応なく弱者を踏みつける全体主義のことだ。
戦後75年、それは今も廊下の奥に立っているのが見えはしないだろうか。


いのちあってこそ。
命あってこそ。
ぬちがふぅ。
命果報。


現在vimeoで配信中。
550円でこの大切なドキュメンタリーを全編(増補版+監督インタビュー)観られるのは、貴重な機会。
  ↓     ↓
https://vimeo.com/ondemand/nutigafu



朝が来る/リトル・ジョー

2020年10月31日


自然素材でつくられたもの

人工素材でつくられたもの



『朝が来る』
河瀨直美
監督
2020年 日本 2時間19分
TOHOシネマズ川崎
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光と風。
河瀬作品たらしめるものは自然の素材。

樹々がそよぎ、木漏れ日がさんざめき、波が立つ。
中学生の初々しいベッドシーンも眩ゆい太陽光のなか。

そんな自然の光と音の中では、人物はウソを吐けない。
偽りの心は日に晒されて、すぐ裸にされる。

映画は母なる海の映像から始まる。

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養子を迎え入れた夫婦の過去から現在まで。
若い実母・ひかりの過去から現在まで。
養子縁組団体の代表・アサミさんの活動の様子。

登場人物たちの背景をじっくりていねいに描写する。
まるで、主役以外の何人もが主役級の活躍をみせるように、惜しみなく。

アサトが命として芽生える前の彼らと、芽生えた後の彼らには、それを境にそれぞれのうねるような感情の衝突や抱擁や慟哭が生まれる。


たとえば、体外受精を諦めるときのキヨカズ(井浦新)からサトコ(永作博美)への「ごめん…ごめん」

中学生で妊娠させてしまった男子・タクミからひかり(蒔田彩珠)への「ごめん…ごめん」

ひかりがサトコに新生児を託すときの「ごめんなさい、ごめんなさい・・・」

その子(アサト)が6歳になり、ある冤罪から忖度して言う「ごめんなさい・・・」

そしてラスト、サトコがひかりを探し出して言う「ごめんなさい」

キーワードのように現れるすべての「ごめん」に対して、「なぜごめんなの?」と言葉になったりならなかったりする、両者の感情の応酬。

また対照的に、ここは絶対に「ごめんなさい」とは言わないという意志の固さが見てとれるシーンもいくつか。

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浅田美代子の包容力たっぷりの演技がすばらしい。
永作博美の微細な表現のうまさに見惚れる。
井浦新の真剣なまなざしに感情移入してしまう。
蒔田彩珠の羽毛のような切なさにふるえる。
(蒔田彩珠はNHKドラマ『透明なゆりかご』でも似た役を演じていた)

役者たちの表現能力に舌を巻くと同時に、それを最大限に引き出させている演出には唸るしかない。

役者の自然な演技を導くメソッドも、いつもながら功を奏す。
登場人物にビデオ撮影をさせるやり方でドキュメンタリータッチをうまく使う。
そこに映る親密な間柄でしか得られない表情は、泣いても笑っても輝きにみちている。

養子縁組制度の説明会においても、一般参加者を実際のドキュメント映像のように撮っていて、その制度の社会的意義を紹介するパブリシティとしても十分に役割を果たしている。

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原作小説(辻村深月)の核の部分なのだろうか、「あなたは、誰ですか」というキャッチにある通り後半から始まるミステリーっぽい展開は、エンタメ的にはアリなのだろうが、わざわざそうしなくても十分、ひかりの行動と背景からは目が離せなくなる。

ただし。
「なかったことにしないで」
という痛切な言葉には胸を潰されるが、それが現れるあたりからラストに到るまで、急に色々端折って、道理を引っ込ませて終わってしまった感がある。
それまでじっくりと十分すぎるほど人物像を描写してきただけに、この落差は惜しい。

★★★★☆



『リトル・ジョー』
ジェシカ・ハウスナー
監督
Little Joe 2019年 墺・英・独 1時間45分
横浜ジャック&ベティ
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淡いシャーベット色の組み合わせ。
深紅の花、ブルーベルベットの花。
ピンクバイオレットの照明。
赤毛のショートボブ。

濃淡あるが潜在意識に沁み込む色彩の妙。

それにしても、カウンセリング室の壁が赤いのは、やっぱり気になる。
この「どこか気になる感」もまた、作り手の意識的なものなのだろう。

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香り。
花粉。
フェロモン。
オキシトシン。
スクリーンのこちらまで誑かされそう。

モスキート音かと思えば、笙か、篳篥か。
和楽器を雅楽チックにアレンジし、劇伴と効果音のあいだを行き来させる。
奇妙でマニアックなサスペンスを醸し出す。
不可思議な異次元空間の研究ラボ。

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色、光、音・・・
ここに描かれているのは、すべて人工の素材。

花ですら、繁殖機能を失くし遺伝子組み換え加工を施したもの。

人物たちは当然のように人工物を創り出し、幸福までも作り出せると信じている。

そんな虚構の中に生きている人物たちを、スクリーンの向こうを覗き込みながら、観客はどこか不自然なものと感じる。
人間たちの関係性や、それぞれの内面の変化・変質も不自然なのだ。

その不自然さの正体は、「花が人を幸せにしてくれる」という前提から来ている。

さて、登場人物たちは、主人公は、そしてこれを観る私たちを含めて、その前提を踏襲するのか、覆すのか。
答えは一つではないと思う。

そして次第にその「幸せ」の概念自体が、裏側から剥離していく。
そこがこの映画の肝じゃないのかな。

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主演は昨年度のカンヌで最優秀女優賞を獲得したエミリー・ビーチャム
監督のジェシカ・ハウスナー『ルルドの泉』とはガラッと変えた作風で驚かせてくれるが、カンヌで賞を獲るほどとは思わなかったのでまた驚いた。

★★★☆