アマンダと僕/ジョナサン/ガラスの城の約束

2019年6月21日~30日


『アマンダと僕』
ミカエル・アース
監督
Amanda 2018年 仏 1時間47分
109シネマズ川崎
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家族と死に別れる事件の、起きる前と起きたあと。

事件そのものはほとんど見せず。
つぶさに描くのはその前と後の気の遠くなるようなギャップ。
シチュエーションの落差。
関係性の落差。
大きな喪失そのもの。

娘と母とその弟、その恋人。
母子家庭であり、親もまた父子家庭に育った。
欠如の連鎖はあっても、家族愛は希薄には見えない。
仲睦まじい4人を中心に、
いかに愛情が生まれ、育まれ、熟していくかをじっくり見せる。

そのうえで、
世界は奈落の底にワープする。

関係性は死に、
プツンと途切れる。
余韻もなく、空虚の穴しかない。

関係性は変容し、
育まれるはずの愛情は強奪される。

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それは5歳の子どもにとってどのくらい苛酷な状態なのか。
24歳の青年が姉を失い、恋人との関係が壊され、トラウマを持つ幼い姪と親子になるということはどういうことなのか。
容易に想像できるものではないが、
この映画はそこを丹念に表現しようとしてくれる。

悲しみは、あとからやってくる。
ときに、前触れなく突然やってくる。
何かをきっかけに、ふと訪れる慟哭。

これは見てる方も嗚咽しそうに顔がゆがむ。

駐輪場に残されたままの自転車。
洗面台の使われないハブラシ。

少女も、青年も。
直後には感情はあふれ出ず、就寝中、翌朝、数日後、数か月後、数年後、抑制のきかない波が寄せては返す。

理性のきかない、その時間的な“溜め”を描写できるのは、ドキュメンタリーではなくフィクション・ドラマだ。
そして、深い悲しみや怒りに長く寄り添ったことのある作家だけだろう。

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悲劇はまず、ショックに陥らせる。
次いで、ひたすら悲しむ。
しばらくして、事実を受け入れる。
「悲しみを乗り越える」なんていう言葉はたやすく使えるものではない。
精神的な自己治癒力など、誰も想定できない。

ましてや幼い子自身は、悲しみが「癒える」なんていうことすらわからないだろう。
それが、「強さ」に見えたりもするが、たぶんちがう。
心の傷なんて、誰にも見えない。

悲しみと格闘するあいだ、
新たに生まれる関係性もある。
新たな関係に躊躇するあいだ、
断絶を経て復活する関係性もある。

希薄だった「家族関係」を見つめ直す青年ダビッド。
疎遠だった母と再会し、関係性は再建へと向かう。
同時に姪アマンダの養父となる決意に踏み切る。

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愛くるしい顔が一瞬後にはどうなるかわからない不安定さを帯びていたアマンダ。
若い叔父ダビッドと親子関係になることも受け入れなければいけないが、一種の安堵の表情も垣間見せる。

母の席が空いたまま二人でウィンブルドン観戦をするラスト。
アマンダとダビッドの再生を象徴するとてもポジティブなシーンだが、少し教訓的で惜しいなと感じてしまったのは僕だけだろうか。

感情描写が繊細で、作品だけ見ると女性作品かと思ってしまうが、ミカエル・アース監督は44歳男性。
音楽がふんだんに使われ、編集などもフランス映画特有の素っ気なさや、とっつきにくさはない。

7月から公開されている前作『サマーフィーリング』も同じテーマのようだ。

★★★★



『ジョナサン -ふたつの顔の男-』
ビル・オリバー
監督
Jonathan 2018年 米 1時間35分
シネマカリテ
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多重人格が主役の物語は、ふつう不随意に人格が入れ替わったり、同時多発的に複数の人格が出現して混乱したりするセンセーショナルなサイコスリラー的な作品となることが多い。

一方この映画が特殊なのは、二つの人格が一日の朝と昼を完全に12時間ずつ割り当てられて医師に管理されている設定のSFになっているという点がひとつ。

そこには厳格なルールがあるから、間違いを起こさない限り、日々坦々と地味なルーティンが過ぎてゆく。

互いの人格は「兄弟」ということになっていて、朝と夕に完全に入れ替わる。
朝起きると自分が寝ている間のもう一人の自分が喋るビデオレターをチェックしてインプットし、一日の終わりには出来事や会った人との会話などをアウトプットする。

秩序と理性でできた日常には客観性がみられ、サイコな主観性で翻弄される余地はなかった。
はじめのうちは。

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ふたりの間にある対照的な人格の差異と、元々の生活上の無理が祟って、やがて、わずかずつ亀裂を生じさせることになる。
平穏な日常の陰に、実は嘘と不満がくすぶっていたことがわかってくる。

モニター上は別人が交流しているように見えるが、全く同一の身体である。
ちょっとした行動の変化が、もう一人の身体にもろに影響する。
記憶を除けば、心と体はシャム双生児のような状態かもしれない。

几帳面で奥手なジョナサンと、ややルーズで色男のジョン。
互いにどう思っていたかが、重要な鍵になる。
「恋人をつくってはいけない」という厳しいルールが守られていなかったことが発覚し、事件が起きる。

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ふたりのあいだで起きる「失踪事件」
この発想も面白いし、ここからの展開も予想外。
でも、決してめまぐるしく観客を振り回したりはしない。

表面的な感情の次元では語れない何かが潜んでいるような気にさせる。
そう。
ジョナサンとジョンとのあいだには、ぼくらには理解の及ばない密な関係があるのだ。

終盤に到るほど表面上のテンションは上がっても、水面下の見えない二人の葛藤は、まるで『わたしを離さないで』(Don't Let Me Go)のような、宿命的に逃れられない大きな幻滅と喪失感で、ラストをひたひたと静かに浸す。

「相手」を失うことと、「世界」が消えていくことが、全く同次元の同義語として、心理的にも視覚的にもクリアに明示されている。

★★★★



『ガラスの城の約束』
デスティン・ダニエル・クレットン
監督
The Glass Castle 2017年 米
109シネマズ川崎
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『アドベンチャー・ファミリー』のネガティブ・バージョン。
『はじまりへの旅』(Captain Fantastic)にもそっくりだが、もっと悲惨で、だけど結果“成功”はしている現実の物語。

社会システムの規範に逆らい、自由を追求し、夢と創造力で自給自足を目指す6人家族と言えば聞こえはいいが、なんせこの親たち、エゴが強すぎだし、そもそも大人でもない。

子育てのノウハウを知らない破天荒な両親、とくにアル中の破滅型の父親のおかげで、常に家庭放棄/崩壊の危機にさらされる。
子供たちは親を反面教師とし、なかでもジャネットは家族の親代わりとしてたくましく育つが、なんせお金も仕事も社会サポートもない環境では単なる弱者であり、ストレスは限度を超えているし、常識的には十分な虐待である。

いくら子供を“愛する”親の気持ちが確かでも、その表現や生活のし方が子供の“生”に反するものであれば、虐待であり親の資格はない。

一方で。
いくら育児に失敗し親として不適格であっても、子供への“愛情”さえしっかり伝わっていれば、親子の関係は子供が生きるうえで最低限の“泉”となりうる。

この逆説的な二つの理屈のうち、どちらを採用するか。
観る人によって違うだろう。
主人公である作者自身でさえ、そのジレンマに大きく揺さぶられて生きてきたのだから。
ただ、映画は(原作も?)後半、どうしても感動のハッピーエンドつまり後者の理屈に傾きがちではある。

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日本国内でも無念の虐待死が事欠かない昨今、パターンとしては母子家庭に入り込んだ内縁の夫が血のつながらない子を冷淡に扱うという例が多い。
そこに圧倒的に欠けているのは、やはり「愛情」に尽きる。

いくら親子仲が悪くても、親を尊敬できなくても、子供があとから振り返って、
「そういえば自分をかわいがってくれたなあ」
と思うことができれば、その親の子育ては成功と言えるだろう。
まずは第一義的に親が子供を可愛がるということ。
子供の人格形成の源に、その愛情が養分となっているのなら、子供自身がそこに気づかないのはやむを得ないにしろ、大人になっていずれは気づくときが必ずやってくる。

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2005年に出版され全米でベストセラーになった原作の実話で、日本では2019年この5月に出版されたばかり。
売れっ子コラムニストの衝撃の生い立ちとあって、エピソードが豊富にありすぎて紹介に困るほどだろう。

2時間ちょっとの尺にまとめてはいるが、幼少期の家族の逸話と、キャリアを積んで婚約した現在とのカットバックで進行するシナリオの中では、途中子どもたちがいかにして脱出を成功させたかなどの流れがつかめず、興味あるディテールは大幅に省かれている。

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まあそんな前ふりは実はどうでもよくて、僕がいちばん関心を持ったのはいわゆる「ヒルビリー」の実態。
トランプ政権を支持して実現させてしまったのは、これら「田舎者」の「白人」の格差社会の「下層民」だと言われている。
主人公の家庭は空き家を探して米国内を夜逃げのように移動し続け、母や父の実家を訪ねては、その地域の鬱屈した環境にも苛まれる。
なかでも父の実家のあるウェルチ(ウェスト・バージニア州)はアパラチャ地方にあり、炭鉱が閉鎖されたヒルビリーたちの生活圏として代表的な場所らしい。

これはそんな不遇不満にみちた人々がNYに脱出するというストーリーでもあるのだった。

劇中の家族の辿った経路はこちらを参照
   ↓            ↓
https://www.tripline.net/trip/The_Glass_Castle:_Living_Locations-55200575571410068929B3C670E57AAD

★★★☆

新聞記者

2019年7月2日

『新聞記者』
藤井道人
監督
2019年 日本 1時間53分
109シネマズ川崎
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2019年上半期、『主戦場』につづいて、安倍サポーターを震撼させ反アベ市民を狂喜させる映画が話題沸騰しヒットしている。

なんせ松坂桃李である。
なんせ現政権真っ向勝負である。
なんせ参院選直前である。

周囲のまっとうなリベラルたちの食いつきが秒速に早いだけでなく、サスペンス仕立てのドラマになっているものだから普通の売れ線映画として客が劇場へ急ぐ。

ハリウッド映画ではよくある政治内幕・真相暴露・実録ものが、この国で、この時期に、製作・公開が実現したことにまず喝采。

出来栄えは誇張なく見事なエンタメで、むしろハリウッド的な演出と編集で邦画らしからぬウェルメイド感さえあり。

ただ、裏を返せばノンフィクション性がぐっと減り、リアルさをどこまで感じてもらえるかという点はこれから常に指摘されるだろう。

知らない人には
「これって、ほんとなの?」
と思われてしまう。

僕なんかは「すべて実名でやればよかったのに」とも思ってしまうが。
それはさすがにリスクしょい過ぎか(^_^;)

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映画の「原案」とされるのはタイトル通りの東京新聞・望月衣塑子記者の著書であり、本来は自らの半生と第2次安倍政権に対峙する手記であって、全くのノンフィクション。
そこを『あゝ荒野』『かぞくのくに』などのプロデューサーでもある河村光庸氏が人物を実名のままほぼドキュメンタリーのシナリオにして藤井道人監督に持ち掛けた。

政治に興味も知識もなかった監督は2度断った末に、シナリオを全面改変するという条件で引き受けた。
「反政権の思いが強い人間が作るよりもまっさらな気持ちの人間が作る方がいい」と判断したプロデューサーと、監督のスタンスが最終的に一致。
監督自身がわかる内容にするためにフィクションドラマのジャンルに仕立て、マスコミを敵視する官僚側への取材を敢行し、官僚たちの葛藤を記者たちの葛藤と同等に描く構成に。
松坂桃李の起用は最初から決まっていたから、官僚役の彼を記者役のシム・ウンギョンと同様に心情が描かれる一人称として最大限使ったことは、作品の成功の最も大きな一因だ。

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河村プロデューサーの思惑に反してノンフィクション性をばっさり落とし、フィクションの肉付けをどんどん行ったというから監督も勝負師だ。
脚本は3人で共同開発したというが、吉岡記者の人物背景の創作などは上手いなと思った。
生物化学兵器の開発のための大学設置というところをクライマックスにもってくるなど、フィクションぽいとはいえ、逆にかなり攻めてもいる。

フィクション性や演出によって、迫真性は僕の予想を超えて高まった。
とりわけ松坂桃李の演技にはおそれいった。
役者魂に加えて、きっとこの腐った現政権に一家言もっているのだろう。

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一方で政治をよく知らない人はこの作品を観て、たとえばジャーナリスト伊藤詩織さんのレイプ事件揉み消し告発も、事実とは知らないまま終わってしまうのだろうか。
自民党ネットサポーターズが日夜、官邸に都合の悪い事実を隠蔽するため無実の人に罪をかぶせて捏造デマを拡散していることも架空のことと捉えるのだろうか。
正義のために内部告発や横流しをした人間は「家族」をダシにして脅して自殺に追い込むのも、どこかの小説から借りてきた話としか思わないかもしれない。

観る人の頭の中で全てがフィクションのままで終わってしまう危険性もある。

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ただひとつ、
「『国家』ってコワイ!!」
「『内調』ってオソロシイ!!」
ということだけは誰もがインパクトをもって思い知るだろう。

しかし、「安倍政権だからこそ、これほどの極悪非道が行われている」ということを理解してくれるところまでは、正直言って僕は期待していない。
これを見たあとに参院選で自民以外に投票しようとどれだけの人が思えるのか、懐疑的だ。

現在政権中枢で起きている、いまそこにある危機を声高に告発することで倒閣への一助となってもらいたいという思惑はもちろんある。
ふだん政治を意識しないイノセントな一般ピーポーが娯楽目的で行った先で思わぬ危機を察知するという光景をひそかに思い描くことはできる。

それはもはや映画のフィクション/ノンフィクションのよしあしではなくて、この国の大人たちがどこまで無責任に民主主義を捨てたがっているかの問題である。

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「国を守るためだ。」
という官僚のセリフが何度も出てくる。

「国のためなら国民を殺してもいい」というのが国家の正体なのだということ。
かつてヒトラーも言った。
「国民が全員死んでも国家さえ守れればいい」

その国家権力をほしいままにしている今の日本の状態もファシズムだということ。

そこに気づいてほしい。

内閣官房の上司(田中哲司)の脅し文句の一つ。
「民主主義は形だけでいいんだよ、この国は」

良心のある人ほど、身も心も殺される。
愛する妻子を前に「ごめん・・・ごめん・・・」と泣き崩れるシーン。
そして、いよいよ身の危険(家族の危険)に瀕した松坂桃李のクロースアップで終わるラストショットは、これ以上なく絶望的。
心底震撼として、好きだ。

★★★★☆

ハウス・ジャック・ビルト/ベン・イズ・バック/僕はイエス様が嫌い

2019年6月5日~15日


『ハウス・ジャック・ビルト』
ラース・フォン・トリアー
監督
The House That Jack Built 2018年 デンマーク・仏・独・スウェーデン 2時間32分
ヒューマントラストシネマ有楽町
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こんな映画見ちゃいけない、こんな見ちゃいけない映画になんで初日から盛況なんだ。狂ってるぞみんな、男も女も同じ割合で、サイコパスが何人もの人を殺す過程を見ようってんだから。不快きわまりないものをどうして好きこのんでわざわざ昼間から見に来るんだ。狂うぞ、狂わせられるぞ、殺したくなるぞ、殺人衝動に火をつけられるぞ、ちょっと背中を押されるぞ、それだけで犯してしまう嗜虐性を持った人がいるんだ、きっとこの劇場の中にも。なぜ席を立たないんだ、客も狂ってるんだ、おれも狂ってんだ、サイコだ、強迫神経症だ、劇場スタッフだって狂ってんだ、上映する劇場もおかしいぞ、配給会社も狂ってんのか、アメリカでは修正版になったのに日本じゃ無修正版だ、いいのかここで火のついたサル、火のついたサルが激情を飛び出して血しぶきあげて血のついたサルが暴れまわっても?ヒッヒャーーーイ!

ラース・フォン・トリアーが狂人だってことは百も承知だが、この映画は狂ってるなんてもんじゃない、いや、狂ってるなんてもんじゃないのもいつもどおりなのだ、もんだいはこれが人を快楽殺人に向かわせないかどうかだ。『ニンフォマニアック』がいくらステイシー・マーティンシャルロット・ゲンズブールに色情狂を実践させても、ポルノの枠をはみ出ることはなかったが、これはマット・ディロンが連続殺人と死体損壊をコレクター的に嗜好するバイオレンスの枠をはみ出た快楽的な「曝し」=一種の「危険ポルノ」であり、犯罪誘発剤だよ、ファック、ファーーーック!!

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原作はないんだっていうから、やっぱりこれはトリアーのメンタリティそのまんまを仔細に映したんでしょうって思うよね、トリアーは異常者で狂人で変態でミソジニーで、狂人が狂人の頭の中を披露しているのだこの映画は!と言い放ってしまうことはたやすい。しかし、しかしながらだ、そうとも言い切れないのだ、完全なサイコパスではないみたいなのだ、もう一人と脚本を共同開発したっていうんだから。

もんだいはセンスとかディテールだよね、ここまでつぶさに妄想できるんなら常人じゃない、その意味ではまともじゃない。「美」の何たるかを知り、美しさと冷たさのバランスを計算し尽くし、こちらの感情にダメージを与えるように精緻にコントロールしているらしい、こちらを暴力の美学と快楽の館へ陶酔感のうちに導こうとしているのかもしれない、なんせ「ヒトラーに共感する」と言ってカンヌを追放された男だ。彼の(ジャックの/ディロンの/トリアーの)頭の中には残虐行為の瞬間にデヴィッド・ボウイの高揚感に満ちた『フェイム』が鳴り出すのだろうか。グレン・グールドのピアノ演奏フッテージが何度も繰り返されるのも狂気の美学を「演出」しているのか。ジャックの愛用するヴァンや地獄のガウンや狩りのときのお揃いの帽子などが、おびただしい血と同じ色なのはちょっとベタ、いや血糊のようにベタベタなのはクリシェじゃないのか、オーマイガーーー!

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手持ちカメラでホームビデオ感覚でジャックを追う映像に大半を費やしながらも、ある時はスティルにソリッドな撮影をしたり、超スローで妄想的異世界の映像を挿入したり、という「編集行為」は、狂気に半分浸かって水面を出たりもぐったりしながらもそんな自分を客観的に見る覚醒した行為だ。あたりまえだ、映画を編集する人間が狂っていたら商業映画なんてできない。えええっっっ!?これは商業映画なのか!???という疑問難問がここで即座に湧き出してくるが。そんでもっていちおうここでスタッフを確認してみれば、、、、、編集はやっぱり別の人がクレジットされてるぜ、やっぱトリアーじゃなかったぜ!

犯罪行為中の強迫神経症のくだりはドリフ的なコントみたいでタランティーノみたいでゆるっと笑える唯一のシーンだったが、それ以外にもジャックは自分には感情がわからないので鏡で一生懸命表情を作る練習をしたり、死後硬直の後に子供の遺体の顔を変形させて笑顔を作ったりだとか・・・研究の成果?トリアーの妄想?

一線を越えてるのはいつものトリアーのことだ、しかし、しかしながらだ、グレン・グールドとの取り合わせの妙、葡萄の発酵方法、建築/技師などの専門性など、今回は今までの「宗教」との絡みなどに比べると、理屈やテーマの深みは中途半端じゃないのかい、必然性はどうだったのかねえ。狩りや強迫神経症に関するくだりはいいとして。

ラストの地獄シーンは意外にも、どんなに精巧に作りこんでいてもスーパーハイパーよくできた学芸会の発想の域を出ない。映画史上最もよくできた地獄なのかもしれないが、発想的には現実世界との境界線をしっかりくっきり跨いだあとの隔絶した脳内の地底界であって、地上人トリアーの狂人/常人の妄想の限界を見るかのようだ。
とってつけたような地獄には灼熱マグマが滝になっているが、僕らがみる夢の中の世界と程遠くない場所にありそうだ、そう、夢なんだ、夢だからなんだかホッとするような静けさがあって、地上の娑婆の方がどんなにか殺伐としていて剣山のように危険な生き地獄なんだろう、と思わせる。みなさんはこの地獄シーンをどう思うかな?
トリアーのために少しいいことも言っておくが、地獄に行く過程で過去の風景を走馬灯の1シーンのように眺めるシーンでジャックが唯一情動を見せ、涙を流させていたのはトリアーがサイコパスじゃない証拠なのかもしれないねえ。サイコーーだぜ、サイテーでサイコーだよ。

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突然現れるブルーノ・ガンツには驚愕したね、黄泉の世界から甦ったように出現したのはリアルにゾッとしたね、今年の2月に亡くなったばかりだからね、まだその辺にいてもおかしくないからね。これは遺作だったんだ。ネタバレになってしまうが、実は冒頭からこの死神に導かれ全編通してジャックがモノローグではなく話している相手がいたのだ、このガンツがなんだか妙にものわかりがいいニュートラルなおっさんなんだよな、考えてみればこのおっさんの存在こそが狂人自身を客体視させる正常な狂言回しだったのだなあ。

というわけでトリアーがサイコパスではないことは、ディロンがサイコパスではないことほど明白の白ではないが、「白よりの灰」ぐらいの潔白と言っておこう。
次の瞬間に何が飛び出すのかまったく予測だにできない邪悪なハラハラワクワク感は、ほかに現役監督で言えばQ.タランティーノぐらいかな、西洋世界では。


★★★☆




『ベン・イズ・バック』
ピーター・ヘッジズ
監督
Ben Is Back 2018年 米 1時間43分
TOHOシネマズシャンテ
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たとえば、今年観た映画のなかでは『魂のゆくえ』『バーニング』『ジュリアン』、そして『誰もがそれを知っている』をはじめとしたファルハディ作品。

これらに共通するのは、すぐれた人間洞察ドラマゆえに、結果的に上質のサスペンス作品になっているという現象だ。

「すべての映画はほんらいサスペンスだ」と放言するたぴおかにとっては、キュアロン『ローマ』だってすぐれたサスペンス。

そのいみで、この『ベン・イズ・バック』はなかなかの超ド級サスペンスだ。
ドラッグの身をほろぼす中毒性をものがたるだけでなく、それ以上にこわい、過去からおそいかかる自業自得のむくい。
息子には見えていて親やわれわれには見えない<呪い><禍い>が、凍てつく冬の闇の向こうからひとつ、またひとつ、目のまえに出現する。

決して劇伴などでコケオドシすることなく、母の死に物狂いで息子をすくいだそうとする気魄と憔悴の形相と、息子のみずからのどん底の過去にふたたび降りていく自決と蒼白の形相で、スリルが鋭く刻みつけられる。

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二人のあいだにつよい愛情の絆があることは火を見るよりあきらかなのに、千尋の谷にわたした一本の綱だけでつながっている苛酷な現実に、茫然と立ちすくむ。
しかしラストには、かろうじて深淵の底で・・・

見どころはなんといっても主役の二人。
母子を演じたジュリア・ロバーツルーカス・ヘッジズの演技には、誰もが賞賛の言葉か溜息をもらすだろう。
この映画は、この二人に肉迫して撮られた、この二人の作品だ。
ジュリア・ロバーツが熟練なのはもちろんだが、その憑依は真に迫る。
ルーカス・ヘッジズは弱冠21歳(撮影当時)にして、すでにふかい人間ドラマばかりで名をあげている、おそるべき硬派のホープ。
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』の演技も記憶にあたらしいし、同性愛をテーマに親との葛藤をえがいた『ある少年の告白』でも主演し、現在公開中だ。


★★★★




『僕はイエス様が嫌い』
奥山大史
監督
2019年 日本 1時間18分
TOHOシネマズ日比谷
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一見かわいらしい作品である。
78分という尺、主人公の小学生、小さな神様。

でもテーマはこの世でいちばん壮大かもしれない。

「神様ってなんだ?」
「神様なんていない!」

数々の文学・映画・演劇が挑んできた回答不能の命題に、あるいはニヒリズムの極に、小学生が、そして学生監督が挑んでいる。

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この世界に生まれ出て大きな発見や小さな発見が事欠かない毎日。
人の世の大きな矛盾に気づき始める思春期にさしかかる頃。

映画はこわれやすい少年の心象風景を、シャボン玉に包むようにして届ける。
ことさら無邪気に描かず、言葉も少なく、笑いやどなり声などの感情表現も最小限。
雪景色のなか、音も吸収されてひっそりと、少年の言葉にならない心の叫びも吸いこまれる。
悲痛なできごとにも、涙は一切登場しなかった。
(友達のお母さんのエモーションだけが例外。)

神様なんて信じないけど、仏様ならわかるけど、でも天国ならまた会えると思う、そんな逡巡と葛藤を描くのに、映画全体はまるで教会のなかのような静謐な空気と宗教的な敬虔さを湛えて見せているところが逆説的で面白い。

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ラストショットは神様の視点。
ゆらゆらとのぼりながら少年を俯瞰するカメラは、少年の通過儀礼が終わったことを示しているのだろうか。
それともすべては神様の手のひらで転がされていたということなのか。


★★★☆

誰もがそれを知っている/聴説

2019年6月1~2日


『誰もがそれを知っている』
アスガー・ファルハディ
監督
Todos lo saben (Everybody Knows) 2018年 スペイン・仏・伊 2時間13分
ヒューマントラストシネマ有楽町
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スペインの片田舎に、遠方からの親類を迎え入れて大家族が集まるオープニング。
陽光きらめくなか不吉な香ばしさを放つのは、奔放な美少女。
この娘に何かが起こる、という予兆をあたりに振り撒く。

ことに教会てっぺんの鐘楼内に入り込んではしゃぐ二人が大きな機械仕掛けに手を伸ばすとき、戦慄装置が震えだすのは映画の定石だろう。

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僕のお気に入りのイラン人監督ファルハディ
これまでの主な公開作をお気に入り順に言うと、
『ある過去の行方』
『彼女が消えた浜辺』
『別離』
『セールスマン』

そして今作も彼の十八番のパターンで出来上がっている。

すべてオリジナルの脚本は、その「構造」に独自の共通性がある。

1〉まず登場人物たちの“表面的な”関係性が少しずつ明かされていく。
2〉事件勃発によって人々が動揺し、猜疑心が連鎖していく。
3〉人物たちの隠されていた関係性が露見する。
4〉露わになった人間関係の火種が、事件を解決する鍵となり、新たなジレンマに陥る。


こんなわけだから、当然物語はサスペンス調になる。
「全ての映画はサスペンスである」という僕の定理を置いといても、これは本格的なサスペンス・ミステリーだ。
刑事も探偵も出てこないし、大仰な劇伴もないが、人間のサガと究極の厳しいジレンマを提示され、これでもかと考えさせられる内容には息がつまる体験を強いられる。

プラス。
唯一無二のファルハディ脚本の見どころは常に、「緻密さ」にある。

『ある過去の行方』『別離』はその最たるもので、「関係」の隙間や背後を覗き込み、過去の記憶をたどり、誰も悪くないのに、思い違いや隠蔽や嘘やプライドや偽善や体裁でからんだ細い糸を丁寧にほどいてたぐり寄せるようなシナリオは名人芸だ。

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しかし。
初のスペイン・ロケの今作は、これまでのイランにおける作品と比べると、構造は同じでも、あっけないほどシンプルだ。
しかも、“悪人”が現れてしまった。

緻密さに酔いしれ、からんだ糸をほどく覚悟をしていた人には、物足りない印象を持つだろう。
でもスペインを舞台にして、大物のペネロペ・クルスハビエル・バルデムという実際の夫婦が元恋人役として共演するという話題性が先に立つだろうし、そこから入って初めてファルハディ作品を観る人にはあまりこんがらがらせない方が得策かもしれない。

もちろん、シンプルとはいえ最後まで取り返しのつかない不可逆的な家族のディザースター/ディスオーダーは、なんともいえない後味を残し、複雑な余韻が尾を引いたまま帰路につかなければならない。

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誰もわるくないはずだったのに。
ニンゲンてやつぁ・・・

★★★★



『聴説 Hear Me』
チェン・フェンフェン
監督
2009年 台 1時間49分
出演:エディ・ポン、アイヴィー・チェン、ミシェル・チェン、ほか
ユーロライブ
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またまた台湾青春胸キュン純愛映画。

台湾映画にハマる前までは、「恋愛映画は何が好き?」と訊かれても、しばらく考え込んで何にも答えが浮かばなかった。
それほど、自分にとって「恋愛」をテーマにした映画というものが心に残らなかったのだった。

今となっては不思議だ。
「ラブストーリー、オッケーー!」である。
(普通かw)
恋愛ものは、人生そのものだ。
(言い過ぎかw)

一つ確実に言えることは、台湾純愛ドラマは、デトックス!
こんなぴゅあぴゅあなドラマは現実離れしているかもしれないが、普段はニンゲンの毒や汚れに満ちた現実をスクリーンで睨みつけていることが多い(まさに上記の映画とかね)ボクにとっては、まちがいなくデトックスしてくれるのは台湾純愛ドラマだけなのである。


さて、この映画『聴説』は、いまだ日本でロードショー公開されていない。
なんたる理不尽。

台湾では2009年に台北デフリンピックにあわせて製作・公開され、大ヒット。
その後2010年に大阪アジアン映画祭で上映され、「観客賞」を受賞するも、配給にいたっていない。

このたび、「東京ろう映画祭」で上映されたのだが、「ろう映画」の範疇でくくられるだけの作品では決してない。
有名スターが起用され、商業娯楽作として意識された作品だ。
しかし、「ろう映画」としてもしっかり十二分に誇れる映画でもあるのだ。

聾の水泳選手役の女優、どこかで見たことあるなと途中で気づいたらば、『あの頃、君を追いかけた』のマドンナ役ミシェル・チェンだった。
この『聴説』のヒットの翌年に、主役を射止めたのだった。

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主役の若い3人とも、早いテンポで繰り出す手話のスキルがハンパない。

青年(エディ・ポン)はこのジャンルおきまりのお調子者キャラだが、快活に喋る一方で手話にも励む。
聾の水泳選手とその妹(アイビー・チェン)は、美人姉妹どうしで静かに激しく、身振り手振り(手話)と表情で語り合い、感情をぶつけあう。

静かに激しいその時間は意外と長く、演者も作り手も腰を据えて聾世界に向き合っていて、僕らも静かに激しくスクリーンに引き込まれる。

インド映画『バルフィ』で最大限に示されたように、聾者は表現者として輝き、表現を最大限に生かすために手話と表情の身ぶり手ぶりはスクリーンで輝く。

さらにこの映画のすばらしいところは、聴者が聾者の心情に思いを寄せたときに初めて、美しい音の世界を届けようと必死になり、それが兄弟愛となり、また男女の恋となる姿を明らかにしてみせたことである。

単なる純愛ストーリーではおさまらない、「思いやり」の源泉まで追究している、実はすごい映画だったりする。

先ごろ公開されたイタリア映画『エマの瞳』に落胆したのとはエライちがい。

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純愛物語は天真爛漫、ひねくれたところはない。
でも、ストーリーには実に面白い仕掛けがあって、後半一転二転して(僕には最初から勘付いていた)サプライズをそんな終盤にまで持ってくるのかー!ってな具合の展開で飽きさせない。

お互いが相手の欠けた部分を補おうと奮闘することで、大きな遠回りが知らないうちに効果的な近道になっていたりする。
「聾」という境遇が、物語のメインディッシュに到るための最高の材料にもなっていると言える。

しかも彼らの胸の内のいちばん大事な部分が最後の最後に明かされるのだから、彼らも僕らもウルウルである。

悲哀のともなう姉妹の背景がありながらもカラッとしていてそこらじゅうで笑えるのは能天気な青年エディ・ポンのおかげだが、両親に溺愛される一人っ子という普通ならネガティブになりかねない青年の背景も、ここでは両親の爆笑キャラが大いに包み込んで万事平和なポジティブ要素として作用してくれている。

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全ての要素が機能して、なんともあと味のよいラブコメディに仕立てられた。
「観客賞」を獲るのにまことにふさわしい作品なのでR。

★★★★

バイス/ドント・ウォーリー/アメリカン・アニマルズ

2019年5月18日~22日

アメリカ新作映画×3本


『バイス』
アダム・マッケイ
監督
Vice 2018年 米 2時間12分
TOHOシネマズシャンテ
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いやあ、顔がドでかかったなあ。
ドアップのうえに、僕は最前列に座ってたからスクリーン全体を一目では見渡せず、顔がデカすぎて誰だか判別不能wwってこともしばしばだったよ。

チェイニーやそれ以上にアホキャラのブッシュJr.を嬉々として演じている役者たちに快哉を送りながら愉快に見ていて、途中から気づく。
このおバカぶりがいちばんコワいのだと。

だってイラク戦争開戦まで、成り行きと「できごころ」で、国内法や国際法無視のユッルユルの政治判断ができちゃうんだから。
ショック・ドクトリン」の快進撃。

出てきましたよ、「一元的執政府」!
これって、日本でいえば「緊急事態条項」ですよ。
アヘ改憲がめざすところの。

アヘ君やアソウ副総理が「あいつ気にくわないよな」と思うだけで、簡単に憲法を無視した超法規的措置ができるんですよ、「緊急事態」と名付ければ。

パウエルだって、バイスとジュニアに強引にウソの証言を世界に向けてさせられた。
イラクに攻め込む根拠を国連で述べなきゃいけなかった時が、「一生で最大の苦痛だった」と言うんだ。

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演技が楽しめるのは編集やシナリオ構成のおかげでもある。
痛烈な風刺精神でこれだけ面白おかしく演出してくれるのは、さすがはハリウッド。
一度、前半途中でエンドロールが入るときも笑える。
あるいは、国家のトップがホワイトハウスで悪知恵企み中に机の下で貧乏ゆすりしてる足のアップから、一方で戦地でいたいけな子供の足が寒さと戦慄で震えているアップに場面転換するところなんか、実にうまい。

悪の代名詞アメリカ、その所業を堂々と暴露して揶揄できるのもまた偉大なアメリカである。

日本でそれが「いかにできないか」については、誰もがよく知るところでしょう。

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★★★☆



『ドント・ウォーリー』
ガス・ヴァン・サント
監督・脚本
Don't Worry, He Won't Get Far on Foot 2018年 米 1時間53分
ヒューマントラスト有楽町
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しっかし、あんな天使のような女性が積極的に好意を寄せてくるなんて、リアルじゃないなあ、彼女の出てくるシーンはすべて妄想(幻覚)シーンに含めていいのかな。
そうじゃなきゃ、「うらやましすぎる」っていう印象がこの作品のメインになっちゃうよ。
そもそもルーニー・マーラって、何やっても美人すぎるんだよな。
(美しすぎて男性の食い物にされ女性からも白い目で見られる役『ローズの秘密の頁』もあったな。)


四肢麻痺の風刺漫画家ジョン・キャラハンの半生を、映画化を熱望したロビン・ウィリアムスに代わって盟友ガス・ヴァン・サントが、20年の歳月を経てホアキン・フェニックス主演の快作として世に送り出した。

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アルコール依存症のジョンの酒浸りの日々、事故後のリハビリを経てストレスで酒浸りになる日々、断酒会に参加してからのリハビリの日々、漫画家として社会活動家としての日々。
など主に4つの時制を行き来して、ジョンすなわちホアキンは二重苦・三重苦からの離脱の葛藤を文字通り全身まるごと満身創痍で表現。

酒の離脱と、肢体不自由からのリハビリに加えて、幼少期の母親に対するトラウマからも打ち勝たなければならない。
最終的には次々とクリアしていくのだが、その過程で最大貢献するのが、断酒会の主催者ドニーによるプログラム。
一種独特のメソッドはどこから由来するものなのだろう。
この作品のもう一つの焦点にもなっている。

まず、「神」を「チャッキー」と呼ぶ。
会に入りたてのジョンがあまり話さないでいると、「上から目線のようだね」と指摘され、つい自分はみんなと違ってアルコール依存だけでなく四肢麻痺という大きな負担がのしかかっているんだということをぶちまける。
するとみんなは待ち構えていたように「よく言ってくれた」と拍手して歓迎。
みんなそれぞれ、その他の身体的精神的負担を持っていることが明かされ、ジョンも満面の笑みで心を開く。
「I like you, guys」

かと思えば、つい愚痴をぶちまけると、「他の人のことはいい。自分のことを話して」と指示される。
最後には四肢麻痺になった事故も自分のせいだと自覚させられる。
そして、「次のステップ」へ、と進んでいき・・・
12ステップ(?)くらいだろうか、最終ステージに及んで、ジョンの人生の一大結節点を行動で示すべく出かけていく。

ラストには、リーダーのドニーの秘密が明かされる。

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ホアキン・フェニックスの役作りは今回も目を瞠る。
四肢麻痺状態で乗る車椅子上の姿勢はリアルだし。
アップからダウン、プラスとマイナス、強と弱など、振り幅とテンションを自在に操る。
基本明るく弾けた役だけに、同じトラウマティックでも『ビューティフル・デイ』『ザ・マスター』での暗鬱とした彼とは同一人物とは思えない。

ドニー役のジョナ・ヒルも不思議な魅力を湛えていた。

さて、ガス・ヴァン・サントの作風は作品ごとにちがう。
彼のリリシズムや鋭敏さは少年を主人公にしたときに卓越する。
今回はおじさんだったから瑞々しさは無理だったな。
構成・編集のせいか、焦点やメリハリに欠けた印象。
(なんせ『バイス』のあとだったしw)

※劇中に「心臓の癌」と明かす人がいたが、心臓には癌ができないのが普通なのでは?
 かなりレアな病態の患者なのだろうか。

★★★☆



『アメリカン・アニマルズ』
バート・レイトン
監督・脚本
American Animals 2018年 米 1時間56分
109シネマズ川崎
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12億円相当の古書を強盗して、闇で換金する。
そんな小説の怪盗並みの大それた計画を、4人の大学生が実行に移す。

映画になったんだから、それなりに破天荒な結果を残すんだろうと思ったら、最初から散々な経過で散々な結果に。
これはすべて実話だから。

さすがに初心者はルパンのようにはいかない。
タランティーノの映画やピンクパンサーのように底抜け脱線具合を楽しめるような内容でもない。

ただのド素人お坊ちゃまくん達が、「なにかスペシャルなことを」「もうひとつ向こう側に何があるのか見たかった」という若者特有の欲求を抑えられずに思いついたこと。

・・・僕も20代は⦅オウム事件までは⦆そんな感じだったなーと身に沁みる。今の日本の若者はそういう衝動がないらしいのが、むしろ不思議・・・

家庭の不和があったりしても、そこそこ不自由なく暮らし、高い学費の優秀な大学に通えている青年たちだ。
ただ、抑制がきかず、こだわりが強い一人に引っ張られた。

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そんな心理や経緯を、なんと当の本人たちがインタビューでたびたび登場して胸の内を明かしてくれる。
15年前に起こした事件で7年の刑に服し、社会復帰している彼らが、一人ずつ堂々とカメラの前で語ってくれるのだ。
しかもときおり、ドラマの中に現在の姿がさりげなく組み込まれたりもして。
ドキュメンタリーで鳴らして初長編ドラマをとった監督の真骨頂だろう。


FBIで働く野望をもち虎視眈々と狙うほどの優れた頭脳の持ち主が、なぜこんな杜撰な計画に乗り、ヘマをやらかしたのか。
それはオウム事件でも同じだっただろう。


クライム・サスペンスといえども、『バッド・ジーニアス』のような学生ならではのコツとスキルで器用に欺くスマートなトリックなど登場しないが、学生ならではのヘマを、いかにヘボにやらかしたかを臨場感をともなって克明に描いているという点では、『バッド・ジーニアス』同様ハラハラ度はハンパなく、前の椅子をつい蹴飛ばしてしまうほど「サスペンス」性は十二分。


実話とはいっても、4人それぞれの明かす事実が完全に一致するわけではない。
真実がひとつではないのはいつの世も万国共通。
羅生門(藪の中)』ほど食い違うわけではないが、最後にグレーな部分があることがわかってくるのが面白い。

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おっと予告編はよくできている。
本編よりも盛り上げて期待感を高めるという意味で。
でもギャップはけっこうあるから注意。

★★★☆

ショック・ドクトリン/青春神話

2019年4月28日
《憲法映画祭2019》より

『ショック・ドクトリン』
マット・ホワイトクロス、マイケル・ウィンターボトム
 両監督
The Shock Doctrine 2009年 英 1時間22分 ドキュ
武蔵野公会堂
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映画は、かつての精神科医たちが鬱病や“素行不良”の人々に対して電気ショックを与える実験や“治療”を施す映像から始まる。
「ショック・ドクトリン」の元の意味だ。

話は「経済」に移る。
優秀な学生は世界からシカゴに集められ、その後「あること」を叩きこまれて母国へ帰らされる。
一体何を仕掛けるのか?

70年代から、世界は東西冷戦とは別の軸で、あちこちに巨大なお化けが出没して破壊と増殖を繰り返す。
少数の投資家が暴利をむさぼる。
政治が経済を利用し、経済が政治を利用する。
「ショック理論」のメソッドで。

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現在の安倍政権が「戦後サイアクの政権だ」とよく言われる。
それは、岸信介の亡霊が乗り移ったようなルサンチマンを首相が宿していること、信じがたいほど知力の低い首相をまつり上げて自民党内や官僚を統括しファシズム化させる狡猾なシステム作り、歴史改竄主義のエセ右翼団体「日本会議」の台頭、議員レベルの劣化など、危険な要素が前例のないほどに揃ってきているからだ。

政治への関心がますます希薄な大衆が、選挙をはじめ民主主義を自ら捨てたがり、政権を長期にのさばらせていることで、かつてないほど上からも下からもファシズムが静かに蔓延している。

それだけではない。
もうひとつ、「戦後サイアク」にさせる大きなファクターがある。
外からも、「新自由主義(ネオリベラリズム)」と呼ばれる魔物が入ってきたのだ。
徹底した市場原理主義が、グローバリズムとともに。

小泉政権以降、アメリカと竹中平蔵の主導で、小さな政府を急進的に進め、公営を民営化し、福祉を削減し、医療や学校など公共の資源まで、のべつまくなしに利潤競争させ日本全体を“株式会社化”させる政策をとってきた。

現政権も依然、竹中パソナ会長を陰の参謀として、「水」などの命の元手まで利潤の道具とし、安全な農産物まで海外に売り渡す政策に邁進している。
それどころか、非正規労働者を増やし、大企業を優遇し、搾取と格差の構造をさらに拡大させている。

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ケインズ経済学を批判したシカゴ学派の経済学者たちが提唱したこの経済理論は、70年頃から政治家の反共政策に応用され、時の国家権力や世界企業戦略と強力に結びつき、「大きな政府」「福祉国家」の論調を攻撃する根拠として利用され始めた。

そのやり方は非人道的で過激で大規模。
惨事便乗型資本主義」「火事場泥棒資本主義」という別名からわかる通り、自然災害だけでなく、往々にして戦争や政変をわざと起こしておいて、人々のパニックにつけこんで市場原理主義を導入する、超ショック療法。

信じがたい国家の横暴であり世界秩序への挑戦だが、実はそんな例が枚挙に暇がない。

あの自国の戦闘機が国会議事堂を空爆したチリのクーデターが、初の応用例(73年)。
史上初めて自由選挙で社会主義政権を樹立したアジェンデ政権だったが、アメリカの後ろ盾でピノチェトが軍事独裁政権を暴力的に打ち立て、それまでの国営のものをおしなべて市場原理主義で解体していった。

レーガンサッチャーの時代がさらに加速させる。
フォークランド紛争も代表例。
戦争を起こし勝利することで人気を勝ち取ったサッチャーは、国内で不人気だった新自由主義政策を思惑通り推し進めるのに成功した。

英米だけではない。
天安門事件(89)、ソ連崩壊(91)、米911(01)、イラク戦争(03)、スマトラ島沖地震(04)、ハリケーン・カトリーナ(05)などの非常事態は、すべてその後の市場主義改革を強行するために利用された。


驚くべきことに、この国家の横暴と少数の投資家の暴利を招いた理論の提唱者たち=シカゴ学派のミルトン・フリードマンらは、ノーベル経済学賞を受賞しているのだ。

これを「現代の最も危険な思想」として告発したのが、カナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインで、その著書『ショック・ドクトリン』がこの映画の原作である。



『ベトナムから遠く離れて』
クリス・マルケル
製作
Loin Du Vietnam 1967年 仏 1時間57分
監督:アラン・レネ、ウィリアム・クライン、ヨリス・イベンス、アニエス・バルダ、クロード・ルルーシュ、ジャン=リュック・ゴダール
武蔵野公会堂
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ベトナム反戦運動の高まりのなか、フランスでクリス・マルケルの呼びかけに対して6人の監督が応え、短編を寄せたオムニバス。
パリやニューヨークなどで、ベトナムから遠く離れたところで何を想うか、何を作るか。
大衆の様子や反応を映し出すだけでなく、監督たちの葛藤がそのまま現れる。

当時の即時性あふれるザラついた生の映像がリアルに迫ってくる。

反戦デモ・パレードに対して、カウンターとして抗議する人々が映る。

「我らアメリカのために闘ってくれているというのに、お前たちは無責任だ!」

などと怒りを露わにしている人々も多く、今も昔も何も変わっていないな、とウンザリしてしまう。
いつの時代も、政府の言うことにすぐ騙されてしまう、学習しない大衆。

ポエティックなものやモノローグ作品もある、伝説的アート・ドキュメント。



5月9日
《台湾巨匠傑作選2019》より

『青春神話』
ツァイ・ミンリャン
監督
青少年哪吒/Rebels of the Neon Gold 1992年 台湾 1時間46分
新宿K’sシネマ
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同監督の『愛情萬歳』『郊遊 ピクニック』の2本だけ見ていた僕は、正直に言えばやや拒否反応に近いものを感じていた。
独特の作風は、ただの長回しではなく、固定ワンショットで同じ構図、人物もほとんど動かなかったりする忍耐度テスト的なシーンを多用するのだ。
エクストリームなものは嫌いではないが、何回も見たいものではない。

でも、この1992年の長編デビュー作はちがった。
主役がほとんど喋らないのは同じだが、我慢比べをするほどの長回しはなく、若い人物たちは無軌道に躍動していた。

主役に抜擢された少年リー・カンションは当時、物語と同じく大学受験を控えていたが、これ以降は同監督に20数年の間同じシャオカン役として起用され続け、スクリーンの中で大人になってゆくことになる。



長年つづいた戒厳令が解けたあとの社会の急変に対する不安やフラストレーションを抱えたまま、何をどうしていいかわからない若者たち。

ジャ・ジャンクー『青の稲妻』を彷彿とさせる。

集合住宅の部屋の中は排水口から逆流した水で足首までつかる。
都会の日陰でドブネズミのように盗難や暴力を繰り返し、しかし奔放に逞しくサバイブする男女3人の生態。

そんな彼らを、主人公の予備校生シャオカンは不機嫌に黙りこくったまま陰で観察し、家族には反発し、欲求不満はさらにたまり、予備校は黙って自主退学する。
そして無法の3人組をつけ回し、自分とコミットする関係性を勝手に妄想し、距離感を縮めていき、欲望の曖昧な対象として暴発させる。
はたから見ればささやかな愉快犯だが、彼の中では革命だ。

台湾の宗教の主流は道教で、その神様のなかでも特別に人気があるのが少年神の「哪吒(ナタ)」
最初の方で母親は「息子はナタの生まれ変わりだったのよ!」と占い師から言われて興奮して夫に報告するが、夫は一蹴する。
陰でそれを耳にしたシャオカンには、無意識のうちに得体のしれない全能感が宿っていたようだ。

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水面に浮いて出たり潜ったり、都会の喧騒と殺伐の表裏両面を見せてくれる。
台北の街はスイートに見えたりメランコリックに見えたり、監督によって全く異なるが、ツァイ・ミンリャン監督によって見せられる台北は、その後シャオカン(=リー・カンション)にとってどのように見え方が変遷してきただろう。
引退作『郊遊』のように、相変わらず途方に暮れているのだろうか。

★★★★

あの頃、君を追いかけた/私の少女時代

いつのまにか、台湾胸キュン青春映画にハマっている。
同一作品の日本版リメイクが作られたって、興味ない。
台湾だからいい。
見ればツッコむ箇所は満載。
偶然過ぎる展開になにか?
30過ぎが高校生やってますけどなにか?
ワンパターンだったらなにか?
カワイイは最強じゃないですか?

これって韓流ドラマにハマるおばさまたちと同類?
そう、そうでしょうね、認めますよ。
なぜ台湾の思春期がピュアに見えるか。
そこに理由なんてないんです。
“ぴゅあ”に見えちゃうんですから。
日本の中高生たちがよその国から見れば過剰に「ピュア」だという妄想ファンタジーを抱かれるのと同等にズレたことなのかもしれないけどさ。


劇場にはうら若き乙女から熟女まで、女性がやや多めだが、おじさまもなかなかどうして多いんです。

真昼間からタピオカ屋の長蛇の列におやじが並ぶのは恥ずかしいけど、それを横目にたぴおかたぴおは、ここなら並んで暗闇の最前列に席をとれるのです。


台湾巨匠傑作選2019 at 新宿K'sシネマ

2019年4月21日~5月6日


『あの頃、君を追いかけた』
ギデンズ・コー
監督・原作・脚本
You Are the Apple of My Eye 2011年 台湾 1時間50分
ミシェル・チェン、クー・チェンドン
K’sシネマ
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幼稚な男子が追いかけても、どこまでも追いつけないオトナな女子。
女子から見たら、どこまで屈んでもイミフ―な男子の幼稚さ加減。

それでも、振り向いたらよそ見して。
思いが届いても返事は聞かない。
恋はさや当て。
成就しないうちが花と、お互いが知っていて。
両想いになっても、お互いに片想い。

そんな思春期ならではの特質が、恋の純度を高めている。
すぐに過ぎ去る季節だからこそ、はかなさがそのまま残像となる。
恋は、遠い日の花火なのかも。

そうか、思春期の恋を描くということは、その成就しない純度の高さと、相反するはかなさを描くということなのか。

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一見コミカルすぎるこの映画は、しかし軽薄にみえて、思春期映画の神髄を伝授してくれる。
胸キュン映画のエッセンスそのものを丸ごと封じ込めた琥珀のような作品、と言ったら美化しすぎかな。

それにしても台湾映画の「青春胸キュン映画」の得意なことといったら!

★★★☆



『私の少女時代-Our Times-』
フランキー・チェン
監督
我的少女時代 Our Times 2015年 台湾 2時間14分
ビビアン・ソン、ダレン・ワン
K’sシネマ
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これも台湾胸キュンドラマの王道。

こちらはちょっとドンくさい女子が主役で、アンディ・ラウと非の打ちどころのないイケメン男子に憧れ、不良のボス(これもイケメン)との縁が生まれ・・・という話だが、やっぱり思春期の恋は、片想いに始まり、両想いになってもなぜかいつも片想いのままでいようとする。

ただしこの映画は、(これもよくあるのだが)大人になってから振り返る回想記のパターン。
報われなかったけど残像にはかなく煌めくあの恋が、後日譚で報われる。


やっぱり恋は、遠い日の花火ではなかったのだ。


後日譚では、三十路になった女子に更なるご褒美が待っている。
あのアンディ・ラウが尚もスターであり続け、目の前に現れるハプニングが!

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ツッコミが入る場所はいくらでもある。
なんでそこでまた急に土砂降りやねん!
そこで転ぶんかい!
その偶然はないやろ!

偶然も紋切り型もなんのその。
青春にはなんでもファンタジックなミラクルが起きるのだ。
とくに台湾ではね。

主題歌の『小幸福』はYouTubeで中国語としては初めて1億回再生されるという大ヒットに。(現在1億7800万回を超えている)

★★★☆

幸福なラザロ/赤い雪/ママと娼婦

2019年5月1日~5日


『幸福なラザロ』
アリーチェ・ロルバケル
監督
Lazzaro felice 2018年 伊 2時間7分
BUNKAMURA ル・シネマ
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俳優志望ではない高校生アドリアーノ・タルディオーロを発掘したことで、この作品の9割がたは成功していると言っていいだろう。
演技経験がないまま主役に抜擢するだけの価値を、一目見れば確認できる。

この純粋無垢の少年の存在そのものが、作品の大いなるテーマを湧き出させている。


絶望的な現実の只中で、純粋なポジティブ精神を持ち続けることができるのか。
それは聖人ゆえなのか、白痴※ゆえなのか。
本当に幸福なのか、鈍感なのか。

この映画を見るに当たって、そうした切実な疑義を持って臨んだが、それに対して期待した答えは得られなかった。
むしろ、逆の回答だった。


ラザロは白痴※ゆえに聖人のようで、ポジティブがゆえに幸福に見えて、客観的には不幸なのであった。


でも聖フランチェスコの血筋をひくイタリア映画史では、それが不幸であるのかどうかは誰も決められない。
結末を見てもなお。

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農地解放令が出てからもそれを隠して騙してこき使う侯爵家。
ある意味、寓話的ディストピア。
しかも二重の。
隔離世界で搾取される小作農のまま生きるか。
そこから解放されて、都会のホームレスとして最下層で這いつくばるか。

後半の暗い都会生活は、浦島太郎の帰還後のよう。
「戻ろうか?」という話も出てくる。
囚われていた田舎の農地が、竜宮城のように晴れやかな別天地に見えるのだ。


人権感覚を麻痺させて奴隷根性の“井の中のゆでがえる”状態で働かせておいて、そこから脱却した者は自由競争社会という名目で負け犬にさせ、セーフティネットで保護せず棄民する、そんな美しい国日本と酷似する。
TPPなどの市場開放や、EU脱退や、様々なことの隠喩にもなる。


ああ、だけど、変わらないラザロが少しでも希望の欠片を残してくれたら!
尊さや清貧だけでは、宗教でもない限り結局は浮かばれないということを示されているようで悲しい。


でも、ポリティカルなこと抜きで見ても、堪能できる。
侯爵家の道楽息子との、友情とも何ともつかぬ交流や、落ちぶれるのに貴賤の区別はない水平思考や、ヴァガボンドの自由なダイバーシティ。
そしてラザロのファンタジックだが現実と折り合いのつかない立ち姿。

映画って自由でいいな、と思う。
久しぶりにイタリア映画らしさを味わった。


※白痴:レトリックとしてあえて使いました。

★★★★



『赤い雪』
甲斐さやか
監督
2019年 日 1時間46分
横浜ジャック&ベティ
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恐れ入った。
腰の据わった人物造形。
奥行きのある物語構成。
深みのある画面づくり。
まるで今村昌平のような重鎮の手によるものかと思いきや、なんと新人女性監督のオリジナル脚本による長編デビュー作。

ただ惜しむらくは、掘り下げていった先にあるテーマが、意外と弱い。
男(永瀬正敏)が記憶を失くした原因、さらにその事件に到る原因に説得力があまりない。

菜葉菜佐藤浩市の起用も含めて『ヘヴンズ・ストーリー』瀬々敬久)並みの重厚さで出来上がっているが、テーマ性ではかなわない。

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宣伝文句の「10年に1本の脚本」というのはどうかとは思うが、それでも日本のサスペンス・ミステリーとしてはこの1年では出色の出来で、見るべき作品。

隙のない緻密さと気魄を感じさせる役者たちの競演というものを、久しぶりに堪能できた。

YAS-KAZの音楽もすばらしい。
高木風太の撮影もすばらしい。

★★★★



『ママと娼婦』
ジャン・ユスターシュ
監督
La Maman et la putain 1973年 日本 3時間40分
ユーロスペース
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フランスの『タイム・アウト』誌でフランス映画歴代ベスト100の第2位に選ばれた1973年の作品。

3時間40分のあいだ、ジャン・ピエール・レオーと女性たちとの会話でほぼ成立していて、字幕を追うのが大変だ。

このダイアローグ主体の、映像的には左右の人物の切り返しで占められている作品に、僕の概念でいうところの「映画的」な要素はどこにあるのか、少し困ってしまった。

レオーが出てくれば話はすべて女性への思慕と追いかけっこであるのはご多分に漏れず。
パリ五月革命のあとの倦怠ムードの70年代初頭、ろくに働かずにカフェや部屋で行き交う男女は本気なのか遊びなのかわからない恋愛に時間を費やしている。

ディレッタントな引用の多い知的余裕を含ませたレオ-たちのダイアローグは、しかし後半から突如変化が訪れる。
あるシーンで、ヴェロニカ(フランソワーズ・ルブラン)とアレクサンドル(レオー)の会話の切り返しが180度になった。
つまり二人ともカメラ正面を向いて話すのだ。

そのあたりから、レオーと二人の女性(ヴェロニカとマリー)の関係に混迷と倦怠が見え始め、ダイアログはモノローグの傾向を帯びてくる。

自由恋愛を語りながらも本物の愛にこだわる自分たちを発見し、映画の長さに比例して登場人物たちも明らかに疲弊してきて、最後の驚異的に長いヴェロニカの正面を向いたワンショット・モノローグに到る。

彼らの疲弊は、登場人物同士の関係に由来するだけではなく、監督との関係や、監督の私的なモデルとなった人物関係や、見ている僕らにまで一因があるかのように見えてきて、おしゃべりなレオーも、「娼婦ではない」ヴェロニカも、「年増の」マリーも、最終的にはぐったりと崩れ落ちてアンニュイに幕を閉じる。

ヴェロニカ役のフランソワーズ・ルブランは演技が初の素人というから驚嘆。
この映画の凄さは彼女の献身とセンスのよさによると言えるくらいだ。

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いろんないわく付きの作品なのだが、映画は画面に映るものが全て。
自分にとっては「言葉」主体の映画はどうもあまり得意じゃない。
評論家じゃないので、勝手に好き嫌いを言える。
フランス映画のベスト100にも、「言葉(パロール/エクリチュール)」主体で出来上がっている作品が並んでおり、まさにそれこそフランス映画の代表的特徴なのだろう。
この映画に限らず、仏映画特有の傾向には、好みはけっこう分かれるはず。

★★★☆



◆その他の鑑賞作品◆

『勝手にふるえてろ』 (大九明子) 2017年 日本 1時間57分 BD ★★☆

浜辺のゲーム/あの日々の話

若者たちのから騒ぎ2作。

キーになるのは、やはり間(マ)だ。


『浜辺のゲーム』
夏都愛未
監督
2019年 日・タイ・マレーシア・韓国 1時間17分
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名前のない初夏の海岸に打ち上げられる思いがけない漂着物たち。
身分不詳の外国人監督、あやしい日本人中年男性、純朴なタイ人男性、明るい韓国人カップル、真面目そうだが不審な大学教授、そして3人の女子大学生・・・

女子たちのエモーションのウジウジやムカムカの反射し合いをつぶさに描き、そのディテールだけでも楽しめるのだが、実はその感情に行き場はなく、物語もその浮き沈みで進展するわけではない。

人物たちはそれぞれに自我のつぶやきを抱えつつ、勝手な方向を見、口を出したり、突き放したり。世話を焼いたり、無視したり。恋をしたり、けんかをしたり。
男はみな間が悪い。それを嫌う女だって間が悪い。
主役はおとなしく、周りがにぎやかな群像劇。

物語に中央集権はなく、時間はリニアではない。
人はかくも身勝手に生き、世界はかくも多様で脈絡ない。
だから映画はかくも生き生きとする。

多様性を描きつつ、人物たちのお互い許容する尺度はまちまちで齟齬が生まれるのが面白い。
「あんたの普通と私の普通はちがうの」
「キモっ」

コミットメントとディタッチメントが行き交うスクランブル。
浜辺に波の形によしなしごとの跡だけ残して。

ホン・サンスの諧謔、逸脱、ミニマルなセンスを見事に自分のものとしている夏都愛未監督、これは持っている武器の一つにすぎないようだ。

僕らはなんだかわくわくする。

★★★★



『あの日々の話』
玉田真也
監督
2018年 日 1時間40分
ユーロスペース
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大学時代特有のおバカな日々とその代償。
なつかしいより恥ずかしい。恥ずかしいより痛々しい。
でももう二度と戻らない。

バカで幼稚な男どもと痛々しい女たちの、ドン引きワンシチュエーション・カラオケオールナイト。
大学サークルの上下関係とか下ネタとか酔っ払いノリとか、うるさいし演技はオーバー・アクションだし、ヘキエキして帰りたくなった。
途中までは。

ところがどっこい、バカ騒ぎのあとにパタッと気まずくなってシーンとしたりして、起伏のメリハリが効いてきて最後まで飽きさせない。

平田オリザの青年団演出部にいた監督だから、すべては緻密な脚本通りの緻密な演技というところもスゴイ。

三浦大輔とオリザを合わせたノリとメソッドで舞台からスクリーンに飛び込んできた33歳の作家・玉田真也

でも先達の二人ほど先鋭的ではなく、ラディカルさでは物足りないかな。

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アフタートークは玉田監督とかもめんたる

役者たちが学生には到底見えないほど外見が大人なのは、同名の舞台で熟練していた役者を使ったからで、やむを得ないことはたしかだが、リアルさに欠ける一因ではある。

いろいろ解説をしてはくれたけど、カラオケルームという閉塞空間での芝居を、舞台から映画へとわざわざシフトした必然性はどこにあったのかはよくわからなかった。

娘の所属している大学サークルでもこんなことがあり得るのかと思うと、今のリアルを知ってシゲキテキではあった。

★★★☆

主戦場

『主戦場』
ミキ・デザキ
監督
Shusenjo: The Main Battleground of the Comfort Women Issue 2018年 米 2時間2分
イメージフォーラム
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単独インタビューの集積であり、喋っている顔をドアップに映しているフッテージと資料映像の寄せ集めなのだけれど、これがただもんじゃない。

そもそも「ウヨ」たちは「論客」ではないので、論理もへったくりもないのだが、そんなウヨたち(議員、自称ジャーナリスト、日本会議幹部、歴史改竄教科書の人)がいつもにまして自説を意気揚々と喋る。

これだけ自由に喋らせているだけでも、この監督の才が見て取れる。

「日本人は(従軍慰安婦問題なんて)あんまり信じてる人はいないと思うんですよね」
などと軽口をたたいて息巻いちゃったりする。
「慰安婦というのは性奴隷ではなく売春婦なんです」
と軽~く断定しちゃう。
監督は以前からYouTuberとしてネトウヨたちとやり合ってきたというのだから、相手が警戒するはずなのだが。

一方でまっとうな学者や弁護士や館長たちは冷静に解説する。
「自由を奪われた状況であれば、たとえいくらお金をもらおうが奴隷です」
根拠明快な解説や証拠映像がインサートされることで、ナショナリストたちの理屈がことごとく反証されていく編集が、小気味よく見事だ。

ディベートをしてるわけではないが、一人ひとりのインタビューが後半に行くにしたがって白熱化するようにからみあって、見ている方は息つくことも忘れる。

そんなテンポが時々不整脈を起こす。
痛いところを突かれ露骨にうろたえる。
櫻井よしこの目線がさまよって薄ら笑い。
杉田水脈が開き直って慌てて言い訳する。

自信満々だった表情や声色や態度の変化を、至近距離からカメラはとらえ続ける。
化けの皮が自ずと剥がれていく瞬間を。

さらに終盤にとっておきの隠し玉が登場する。
元ウヨで「ポスト櫻井よしこ」とされていた女性が内情の欺瞞を告発するのだ。
彼らの論拠は脆くも粉々に崩れる。

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映画完成後、杉田水脈が「だまされた」と文句を言っている。
だますも何も、編集で加工しようのないくらい堂々と語っているではないか。
語ったことに嘘がなければ平然としていればいいのに。

撮影時、監督はそうとうな聞き上手だったのだろう。
加えて、ナショナリストたちの調査下手と根拠のなさが筋金入りなのだ。


公開後、日本会議は雑誌に声明を出した。
「我々が大日本帝国憲法の復活を目指しているというのは事実誤認」だとか。
あれ? いつもの自説だと都合が悪いの? 恥ずかしくて看板を下ろすの?
あるいは、
「大日本帝国憲法は復活させないけど、日本国憲法を大日本帝国憲法のように近づける」という得意の詭弁を使いたかったのかなw

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最後に、この映画でいちばんショックで恥ずべきだと思ったのは、「慰安婦」という言葉を「聞いたことがない」「知らない」と答える若者が多いということ。
公教育が自国の「加害」の歴史を覆い隠すのに甚大な貢献をしてしまっている。

そんな若者たちにこの映画を見てもらいたい。
両論併記のドキュメントだが、どちらに理があるかは火を見るより明らかだ。

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魂のゆくえ/荒野にて/芳華/ザ・プレイス

2019年4月13日~17日


『魂のゆくえ』
ポール・シュレイダー
監督
The First Reformed 2017年 米 1時間53分
シネマート新宿
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世界は滝つぼに向かって静かに流れていく河のよう。
いずれ奈落へ落ちるのをわかっているのかいないのか、刹那の快楽に興じている人々。
滝つぼすらも自分のものだと妄想するごく少数の支配者たち。
そのどちらでもない少数の真面目に考える人たちは絶望につぐ絶望に苛まれている。

環境活動家の生真面目な男は、こんな世界で子供をつくる価値と責任はあるのかと、妻のお腹の子を堕胎させようとしている。

(環境問題に限らず、この世界は破滅にしか向かわず、政治はそれを助長し、弱きをくじき強きを助ける。貧富格差と差別と排除と憎しみが増幅し、精神的にも追いつめられている。ぼくはこの男の考えにある意味同調する。堕胎の是非は別として、この究極の選択が今必要とされているということを激しく理解する)

息子を戦地にやって死なせた過去のある牧師は、男から納得のいく答えを求められる。
さて、牧師はどう答えるのか。

のっけからこの世の究極の命題が投げ掛けられ、初めの30分のテンションは既に高みに達する。

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すごい映画だ。
ポール・シュレイダー脚本・監督。
『タクシー・ドライバー』の脚本から40年。
構想50年というから、22歳からこの世の絶望を感じ取ってきた末の現実をやむにやまれずに撮った。

あのロバート・デニーロのトラヴィスを彷彿とさせる終盤は戦慄で高揚させる。
あるいは『最後の誘惑』ウィレム・デフォー

数々の映画からのオマージュもあり、何回も見る価値あり。
画面は暗く、劇伴は通奏低音でせめてくる。
オープニングからして傑作の予感が迫る。

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宗教と戦争擁護。
宗教と環境破壊。
教会同士の支配関係、対立。
犯罪抑止と銃所持。
正義と殺戮。

アメリカに生きていたら、日本以上に自己分裂を引き起こすだろう。
日本もたいがいだが、アメリカの矛盾は国内外に暴発の危機を拡散している。

宗教が救いではなくなった世界に、何をよすがとして生きればいいのか。
1対1の愛の幻想だろうか。

狂わずにいるには、知らぬが仏なのだろうか。

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脚本家としては巨匠だが監督としては決して目立った功績はなかった。
しかし今作は演出も映像もすばらしい。
何よりもテーマが、他を寄せ付けない功績をつくった。

なぜこれがアカデミー賞で脚本賞ノミネートだけだったのか。
主演男優賞はイーサン・ホーク以外にありえないはず。
『ボヘミアン・ラプソディ』に賞をやっている場合ではないのだ。

★★★★★



『荒野にて』
アンドリュー・ヘイ
監督
Lean on Pete 2017年 英 2時間2分
109シネマズ川崎
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15歳の少年チャーリーの孤独を辿る2時間。
フラジャイルな魂の彷徨に僕らをつれてゆく。
唯一の友であるお払い箱の馬ピートへの語りかけが、唯一の一人称の語り。

家族もお金もないが、家出でもなくホームレスのつもりもない自分はこんなはずではなく、感情を押し殺し、表情にも言葉にも出さない、いや、出し方を知らない。

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荒野を経て、悲しみと寂しさで今にも張り裂けそうな小さな胸中をいっぱいまで膨らまして持ちこたえ、ついにホッとした瞬間に迸り出る慟哭。

「ホッとしていいの?」と恐る恐る問うような、そのさざなみのように心情の変化を表出していく新人チャーリー・プラマーの演技は、終盤ひときわ溜息が出るほどにすばらしい。


これほどの切実な孤独は体験したことはないけれど、自分のことのように目が熱く濡れるのはなぜだろう。

★★★★



『芳華 Youth』
フォン・シャオガン
監督
2017年 中 2時間15分
ヒューマントラストシネマ有楽町
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台湾ではない中国の作品で、青春群像胸キュン大河ドラマを観ることができたのはいつ以来のことだろう。
最近は中国は暗雲が立ち込めた作品が多かったから、やはりチャン・イーモウ以来だろうか。

軍の歌劇団を舞台に、若者たちが規律の中で歌劇の特訓に励み、思春期の恋愛にときめく日々。
それを長い縦軸にして、大きな政治の混乱を背景に、家族の迫害、貧困と格差に傷つき、さらに戦争で身も心もボロボロになりつつ恋のあとさきを語る20~30年間の年代記。

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文化大革命とベトナム戦争という乱世を描きつつも、こんな風に男女のまぶしい青春とささやかな奮闘として語れば、残酷な政治による「惨禍」も青春「賛歌」となり、国家の認める作品として製作・公開されるまでになるのだな。

この作品の売りは、タカラヅカ以上に選りすぐった美少女(設定は17歳~、実際の俳優の年齢は26~36歳!)たちの美と愛嬌の競艶。
彼らがバレエに京劇を融合した一級のダンスを見せてくれるうえに、女子寮内の普段の表情や姿まで見せてくれるのだから、ゆるゆるおやじは目がハート💛の二乗惨状である。
そこで男子禁制でもなく一緒にゆるく接している男子団員たちは、中国なのに意外過ぎて、一体どういうことだろうと軽く嫉妬するのだった。

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しかし心をもっとも打つのは、主役の非の打ちどころのない優等生男子・リュウフォン(ホアン・シュエン)が、当然エリートの道を歩むと誰もが思ったにもかかわらず、純愛の告白とその仕打ち、そして純粋すぎる無欲さで身をやつしていく運命だ。
戦争では最前線のリーダーとして活躍したが、英雄にはなり損ね、戦後も傷痍と失意を抱えていく。

一方で彼に思いを寄せるイジメられ役シャオピン(ミャオミャオ)は従軍看護婦として英雄の称号を与えられるが、精神を病んでしまう。

この二人が最終的に本当の運命の二人だったことは、仲間のスイツ(チョン・チューシー)が語り部となって全編綴られていく。

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スイツは「穂子」と書き、つい先日見た『沈没家族』のお母さん・穂子(ほこ)と同じだったから面白い。

このように、「4000万人が涙した」と宣伝されるだけのことはある、どこを切ってもよくできた文芸大作だ。
でも、僕は少しウルウルはしたが、感涙にむせぶほどではなかった。
音楽を駆使して編集でポップな演出をする「感涙ドラマ」が泣けるとは限らない。
かつてのチャン・イーモウや陳凱歌、台湾のホウ・シャオシェンエドワード・ヤンのような映画文体で、寡黙であっても行間でじんわり感動させてくれてこそ、人情ドラマに涙がともなうのである。

★★★★



『ザ・プレイス 運命の交差点』
パオロ・ジェノベーゼ
監督
The Place 2017年 伊 1時間41分
ニューマントラストシネマ有楽町
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主人公(とおぼしき男)は交差点の角のカフェの隅に毎日陣取り、昼も夜も座ったまま。
カメラは基本そのテーブルだけを映すワン・シチュエーション・ドラマ。
たまに店の外観を映すだけ。
テーブルにとっかえひっかえ契約客が訪れる。

人の願いを何でも成就させる仕事人。
命の取引も含めて。
(報酬は受け取らず、仕事なのか、聖職者なのか、マフィアなのか)

彼は神か、悪魔か。
はたまた「怪物」か。

興奮し饒舌になりがちな展開の中で、彼だけは寡黙をキープする。
表情も口調も淡々として、しかしとんでもない指令を下す。
バイブルのような分厚いノートにメモし、策をひもとく。

契約者の希望も無理難題だから、指令も無理難題だ。
自分の無謀を知っているから、それでもやりたい人はやる。
強制は一切ない。
利己的な願望を他人の運命と引き換えにすることに客は気づくが、その「代償を払う」行為にどれだけ倫理的価値を置くかは、その人次第。

どうせ倫理的な解決策なのだろうと思いきや、いたって合理的だったりする。
合理的かと思うと、運と偶然に任せるのか?とヒヤヒヤさせる。
たまに綻びをみせたりもする。
まさに奇跡に見えるときもある。

いずれにしても面白いのは、契約者それぞれの欲求や願いが、互いに交叉してくることだ。
きっちり互恵的であれば問題はない。
しかし当然、そううまくは行かない。
ハプニングは起きるし、途中で気が変わる。

結果的に人を死なせているのはテーブルの男だったりする。
でも、
「怪物に餌をやっただけ」なのだ。

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画面はテーブル上のままだから、人物たちがどこで何をし誰と遭遇したか、店の外で派手に実行していることを頭の中で想像し推理し映像化することで忙しい。
『ギルティ』のように、想像力を駆使させるワンシチュエーションものが最近多い)


指令を下すのが「謎の男」ではなくてAIだったらよかったかも、という感想があった。
男のことをヘンに詮索する必要もないし、店員の女性と情を通わせるくだりは不必要だし。

教会で告解を受ける聖職者という立場にしても面白いかも。
非情なアドバイスを出し、さらにキツイ皮肉が効く。

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リアルさに欠け荒唐無稽ではあるが、複雑怪奇なシナリオに翻弄されるのを楽しむことはできる。

★★★☆



◆その他の鑑賞作品◆

『ザ・バニシング -消失-』 ジョルジュ・シュルイツァー監督
Spoorloos 1988年 蘭・仏 1時間46分 シネマート新宿
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「サイコサスペンス映画史上No.1」「キューブリックがこれまで観た映画の中で最も恐ろしい」という触れ込みならば観ないわけにはいかなかった。
【ネタバレあり】
たしかに失踪映画典型の宙ぶらりんなサスペンス状態はあるものの、犯人は初めから明かされ、コワさはとくべつなものではない。
この映画の恐さは、自ら「境界型人格障碍」と自覚する犯人が事件後も何食わぬ顔で事件のことを語り、家族と何食わぬ顔で幸せに暮らしているところだ。
おそろしく稚拙な実行練習には苦笑するが、それもまた当たり前のように実行し、被害者は自滅がわかっているのに自ら罠にはまっていき、しかも完全犯罪が成功するところが、この男も被害者もこの世も同様に狂気なのだなとあらためて再確認する。
★★★

セメントの記憶/沈没家族/こどもしょくどう/ブラック・クランズマン/ワイルドツアー

2019年3月30日~4月7日


『セメントの記憶』
ジアード・クルスーム
監督
Taste of Cement 2017年 独・レバノン・シリア・カタール・UAE 1時間28分 ドキュ
ユーロスペース
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シリアからの大量の難民たちを受け入れるレバノン。
難民救済国ではあるが、自国も長年の内戦で破壊され尽くした。
レバノン国内でも欧米各国と同様に雇用問題などで軋轢や分断が起きてくる。
今やシリア移民の問題はレバノン最大の難問だ。

このドキュメンタリーは、いま高層ビル建築ラッシュに湧く首都ベイルートで、建築現場に従事するシリア移民の目線で撮っている。


ただし、ドキュメンタリーとしては尋常ではない。
迫真のアート作品だ。

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地上数百メートルの作業場。
その場所のけたたましい金属音から、爆撃音のシリアの戦場シーンへと、音つなぎで画面はスイッチされる。
瓦礫や土埃の戦場と、空に近い建設現場とのカットバック。
破壊と生産。

空と地の垂直移動。
上から下を見下ろし、下から上を見上げる。

戦車が主観映像で進んでいく。
その砲身が左右に振られる。
ビル建設最上段ではクレーンが長いアームを大きく振る。

労働者たちは建設現場の地下に寝泊まりする。
水たまりもある地べたに、段ボールなどを敷いて寝る姿は、ホームレス同然、いや爆撃音のない戦場に倒れる人々のよう。

瓦礫の下から人々を救出するシーンに飛ぶ。
決死のレスキュー現場に、カメラも一緒にもぐっている決死の撮影。

海岸近くの海底には、戦車などが沈没したまま残っている。

海底から海面へ、さらに上空へ、垂直/水平にワープする場面転換のたびに、似て非なる音響がつなぎになっている見事な編集レトリック。

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ベイルートの上空から語られるモノローグは、帰宅した父親のセメントの匂いを味わう少年時代の記憶。
異国から戻ってしばらくは、食べ物にもセメントの味が移るほど。
それが薄れるとまた父は去って行ってしまう。

内戦が終わっても終わらなくても、亡命した元シリア兵の監督の胸中は、難民労働者とシンクロして、シリアとレバノンを行ったり来たりだろう。


セリフは男のモノローグがたまに入るだけ。
ナレーションも説明もインタビューも一切なし。
音楽は通奏低音のノイズサウンドが静かに続くのみ。

『人間機械』よりもさらに徹底し、さらに美意識が高い。

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ひとりの難民の視点と記憶を元にして、音と映像でシビアな現実を再構築してみせた、驚きのアンサンブル・ドキュメント・アート。

哀切さ溢れる『シリア・モナムール』のコラージュと同様に、衝撃とアートセンスが、ダブルでハートを射抜く。



『沈没家族』
加納土
監督
2018年 日本 1時間33分 ドキュ
ポレポレ東中野
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「没落貴族」ではもちろんないが、「沈没」というわけでもない。
「転覆」はしてるかもしれないが、みんなで支えてなんとか持ちこたえてるといったところ。
90年代半ばの「てんぷく小劇場」大所帯バージョン。

家族ってなんだ? って考える前に、フッとばされる。
なんたって、「ほこ」かあちゃんがファンキー。
「つち」2歳からの、現在24歳「加納土」監督は、実直このうえない。

「共同(?)保育参加者募集中」

という触れ込みでチラシを撒いた。
一緒に子育てしましょう。
ただし、無償。

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穂子かあちゃんの発想は90年代の東京からするとスゴイのだが、かつては普通に隣近所でみんなで子育てしていましたね。
(僕もちょうどその当時、初めての子どもを実家から遠く離れた和歌山で育てる共働き夫婦だったから、隣のおばちゃんに“つなぎ”の保育を無償でお願いしていた。おばちゃんも当然という顔で喜んで協力してくれて助かった)

それでもこの家族がスゴイのは、素性の知らない人も、保育したことのない人も、独身男性も、まるごと一軒家に住みつつ代わるがわる親だか親戚だかになって、信頼し合ってまるっとゆるっと疑似家族的集団を形成したことである。

その後も他に母子数組が加わるなどして、「実験的な新しい家族のかたち」としてマスコミに取り上げられる。

ある意味、大人同士の“依存” しあう関係もあったかもしれない。
でも、自己救済が他己救済になり、“我々救済”になるなら、いちばんいいじゃない。

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昨今のヘンな日本会議的な「家族主義」より、よっぽど健全でフツーだ。
コミューンとかアナキズムとか、イズムイズムしてないのが余計にいい。
原初の共同保育所の自然発生現場。

メリットもデメリットも想像の通り色々あるけど、全部最終的にはメリットになってるみたい。

「(大人に囲まれていると)親からの逃げ場が必ずあった」
とか。

子育てに参加した人々が20年たって土くんと再会するときの感想も面白い。
「意外と普通だな」(笑)
たしかに。

保育されていた子供同士が大人になってから語り合うシーンでも、
「結果、きわめて大成功」(笑)
と自認。
とてもいい若者に成長しているじゃんね。

「楽しかった」とかポジティブな思い出として残っていてくれて、当時そこにいた大人たちは「ホッとした」と洩らす。

今でも交流のある、血縁のないメンバーたちは、親戚以上、家族未満??
・・・でも14年ぶりに再会した子供たちは、
「友達でもないし家族でもない・・・でも強いて言えば家族に近いんだよな」
と呟く。

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見逃せないのは、一緒に暮らさなかった実父・山くんとのシーン。
ずっと父と息子は週末だけの交流を続けていて、今でも“仲のいいおじさん”だから親密なショットが撮れるし、腹を立てて興奮するショットも撮れる。

当時、沈没家族を外からどう見ていたかを知ることができる。
実の父親だけに、立ち寄ることの絶対的な不可能さ。
息子を愛しているだけに、運動会を見に行く時に感じる視線の耐えられない気まずさ。
彼を責めることはできない。

それでも、今もこうして仲良くつき合えるということがすごくいいなと思う。

いてもいいし、いてほしいと思う。
いろんな人がいていい場所、ただ生きていくだけでいい場所、それが沈没家族。
あ! それってアナキズムかも(笑)

見るだけでなんとなく救われ、霞の中にあったかい灯りがともる、それがこの映画。
映画の作りも、土監督の素朴さと実直さと愛で構成されている。
「卒業制作作品」だからということもあるだろうけど、いまどきこんな素朴さは滅多にない。


世の苦しむシングルマザーには最高の処方箋。

『こどもしょくどう』とセットで見ると尚いい。

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※「沈没」の由来は、当時の政治家が
「男女共同参画が進むと日本が沈没する」
とのたまったのに穂子が腹を立てて命名、とのこと。
ちょうど「日本会議」が蠢動し始めた時期だ。

最後に。
とても不思議だったのだが、たかだか20年前かそこらだというのに、写真もビデオ映像も全て1~2世代古く見えるのはどういうわけだ。
白黒映像ばかりなのは、夫婦が写真学校に通っていたからあえて、なのか。
デジタル時代以前のアナログビデオゆえのテープ劣化のせいか。
それにしても60年代みたいだ。
僕らの子育て時代もはるかに遠く思えてしまう。




『こどもしょくどう』
日向寺太郎
監督
2018年 日本 1時間33分
ヒューマントラスト有楽町
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大人たちは何もしてくれなかったじゃないか。
だからおれだってイジメられるから放っといたんだよ。

主人公の少年が悲痛な気持ちを吐露する。

巷では未だに「子供の貧困が見えにくい」「ふだん見たことも気づいたこともない」と言う人が多い。
でもそれは、見ようとしていないということかもしれない。

子ども7人に1人が貧困である。
「相対的貧困」は、スマホを持っている家庭にもあり、見えにくい。
ただ、ひとり親家庭には貧困の可能性が非常に高い。
本人たちも隠そうとするから、気をつけてみようとしない限りは気づかない。

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鈴木理央の悲愴感ただよう無言の表情がいい。

しかし、少し甘めに見たとしても、ラストのクライマックスは紋切り型と言わざるを得ない。
いわゆる、よくあるパターンだ。
足立紳の脚本なのだが。


「子ども食堂」がいつ出てくるかと思ったら・・・
この意表の突き方はアリかも。
でも、いま注目度の高い「子ども食堂」の、成り立ちや現状を知ることのできる映画ではない。
その背景に重点のすべてを置いた作品となった。

★★★



『ブラック・クランズマン』
スパイク・リー
監督
BlacKkKlansman 2018年 米 2時間15分
TOHOシネマズ川崎
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KKKの高らかに宣言してる文言が、トランプのセリフと一言一句同じ。
たとえば、
「MAKE AMERICA GREAT AGAIN !」

KKKがトランプの支持母体なのはわかってはいたが、トランプがふだんから口にしているキャッチフレーズがKKKとここまで同じだとは。
トランプの考えていることがKKKと同じ紋切り型なのだろうが、しかし、KKKはユダヤに対しても黒人と同様に忌み嫌う。
そこは違いが鮮明となる。

いずれにしても、何がイヤで何がイイなんて、下らない線引きを万人に押し付けようというのだから矛盾が生じるに決まっている。


『風と共に去りぬ』など、これまでハリウッドの歴史を作ってきた名作が、黒人たちを人間扱いしない歴史だったことを映像で実証しながら始まる。
『私はあなたのニグロではない』(2016)というドキュメンタリーがとった手法を使っている。

米国初の長編映画である歴史的大作『国民の創生』(1915/D.W.グリフィス)がKKK礼讃映画だということも紹介されている。
(実は日本で1980年代の終わり頃にグリフィスが映画マニア周辺でブームになり、『イントレランス』が鳴り物入りでオーケストラ付きの武道館上映がされたりした時、『国民の創生』を見る機会があった。映画史的・映画手法的な視点からしか紹介されていなかったこの作品が、ふたを開けたらびっくり仰天「なにこれ!?」「KKK礼讃かよ!」と頭の中で叫んだのをよく覚えている。)

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事実に基づいたドラマという点でも驚くが、そこにスパイク・リーはショック療法的に実証映像を加え、事実に説得力を与えている。

エンディングにあえて入れた直近の事件の報道映像も、コメディ調の作品にわざわざ水を差して深刻な現実に引き戻す。
黒人とユダヤ人とWASPが仲良くなりました、なーんていうハッピーエンドで気持ちよくさせてたまるか!! というスパイク・リーの鉄槌だ。

★★★☆



『ワイルドツアー』
三宅唱
監督
2018年 日本 1時間7分
ユーロスペース
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カメラの前で緊張していた子供たち。
ドキュメンタリーだと思って見ていたら、いつのまにかカメラを気にせずに喋ろうとしてる。
そのうち、これはセリフを喋っているのか?! と気づく。
照れは残るが、演技してる!
と思ったら、ちゃんと身体でも表現してるじゃん。

これは、演技志望で集まったわけではない15歳たちが、たまたま自分たちが制作にたずさわる映画に出演することになり、即興的に演出をする監督と、それとともに演技とはなにかを考え、短期間で習得していく少年少女たちの、目に見える成果が現われ出てくる過程の記録である。

子どもたちがスマホで撮る映像もふんだんに使われている。

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上映後トークで監督が語ったなかで印象的だったのは、

「子供たちはトライ&エラーをフルスピードでやっている。大人は年をとるとそれができなくなる」

なるほど、だから子供は潜在力や可能性が大きいのか。
だから子供時間というのは長いのか。

その一方で、
「子供たちはスマホで普段から映像を撮り慣れている。下手をすると、素人として新鮮なまっさらな状態では撮れないかもしれない」

子どもたちの映像との親和性は高まる一方だが、それはスマホの長所でもあり、リスクでもある。
今のインスタント映像至上主義的な風潮には毒されないでほしい。
下手をすると世の中の流れやプロパガンダに軽率に感化されることになる。

「映画とは何か」という切実な問いはまだまだ先に残されているからこそ。

★★★



◆その他の鑑賞作品◆

『私の20世紀』4Kレストア版
イルディコー・エニェディ監督
Az en XX. szazadom 1989年 ハンガリー・西独 1時間42分
新宿シネマカリテ
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全てのショットが奇跡的に美しい、夢のモノクローム・キネマトグラーフ。
ただ、ストーリーは僕の苦手なスラップスティックで、どうにも話がとりとめなく焦点が定まらない。
★★★


『エマの瞳』
シルヴィオ・ソルディーニ
監督
Il colore nascosto delle cose 2017年 伊・スイス 1時間57分
横浜ジャック&ベティ
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こちらはスラップスティックじゃないのにとりとめがなく焦点が定まらない。
盲目の女性とプレイボーイの妻帯者との純愛が成就するか・・・という話だが、DID(ダイアログ・イン・・ザ・ダーク)を使った点は新味なのかもしれないが、大して新たな視点が得られなかった。
★★★


ローマ/ヨーゼフ・ボイスは挑発する/シンプル・フェイバー

2019年3月14日~3月28日


『ローマ』
アルフォンソ・キュアロン
監督
ROMA 2018年 メキシコ・米 2時間15分
アップリンク渋谷
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モノクロの画面に、大した事件も起こらずに過ぎてゆく日常。
有名俳優も出ず、会話も多くない。
劇伴音楽もない。
やけに環境音が耳に入る。

暗闇の中でそんな画面を見つめていると必然と眠くなり、ときに夢うつつの時間が過ぎてゆく。

ハリウッド慣れした映画ファンなら、尚さら退屈だろう。
眠いなか、とにかく我慢して観つづける。
全編2時間15分の後半から、なんとなく物語が蠢いてくる。
塵や糸くずを集めながら、いくつかの情緒の流れが紡がれる。
静かな起伏が姿を現す。
そして最後の最後に収斂し、光煌めき、鮮やかに帰結する。


シナリオとスターを最重要視するハリウッド産業システムにおいて、このシナリオを提示してアメリカのスポンサーがつくわけがない。
(結果、Netflixで配信というかたちで製作が決まった)

「意味」のある「できごと」を切り貼りしてつなげていけば、起承転結のはっきりしたわかりやすい物語になり、退屈しない。
しかし、往々にして「名作」ってやつは、この起承転結が、見ている最中ははっきりしないものが多い。
そしてあとから、ハッとする。
「あれは『意味』だったんだ」と。

それが能動的な「発見」であり「解読」であり、映画を見ることの「冒険」であり「知的快楽」である。
自ずと二度目・三度目を観ることを望み、また新たな発見があるだろう。

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車庫に入ろうとする自家用車の車幅はスペースぎりぎりで、器用に時間をかけて入れ込む。
ホテルの一室で男は女の前でなぜか全裸フルチンで日本の武術を披露する。
床にはいつも犬の糞が落ちている。
奥方はいつもイライラしている。
主役の家政婦クレオは子供たちに懐かれているのにいつも無表情。


そんなバラバラな事象をつなぐ意味などおかまいなしに、カメラはそう言わんばかりに、常に第三者的な眼でスローにパンをする。

市街地では、市民の暴動が暴発する。
静と動。
生と死。
水と炎。
音が猛り、波打ち際ではあっという間に「転」と「結」が出現。

そこにそのセリフ!?
クレオも家族も波に洗われて、僕の目頭には熱いものが沁みだしてくる。



この映画は、「映画とは何なのか」というラディカル(根源的)な問いを静かに発している。

久しぶりにタルコフスキー作品の感覚を味わう。

「意味」さえ拾うかどうかが委ねられているのに、「メッセージ」などは尚さら手渡しにはされない。
それでも、あとからいつのまにか、大事なものを強く抱かされている。

(でも、実はこの話、けっこう人情物。
監督の少年時代の追憶を元にしていて、テーマとしてはむしろわかりやすい)


アカデミー賞作品賞を獲った『グリーンブック』とは、テーマは似通っていても、ある意味対照的な作品だ。

『ゼロ・グラビティ』『トゥモロー・ワールド』を撮った監督と考えると驚くが、以前には『天国の口、終わりの楽園』という繊細な映画も撮っている。
メキシコ出身だがハリウッドで成功をおさめ、ハリウッドの酸いも甘いも全て知っている映画の手練れが、円熟期に入って原点回帰を果たしたというわけだ。


音響だけでも、のっぴきならない。
映像はシルクのような美しさ。
圧巻のカメラは、監督自身による。
モノクロだが、さすがの6K。

自宅でこのNetflix映画をネット動画で見るのはキツイ。
集中力を持続させるためには劇場じゃないと僕には無理だ。
今回、結果的に配信だけではなく劇場公開もされたので助かった。

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キュアロン監督自身もやはり劇場公開を密かに望み、それを前提にしたクオリティで作り上げた。
ネット配信のNetflixとの契約は、「それでも劇場のない地域の人々にも見てもらいたい」という、地域格差を考慮する方を優先した監督の、心ある妥協によるもの。
最終的に劇場とネットの双方が相乗効果となってWIN-WINとなれば言うことない。

予告編も、大賞をあげたいすばらしさ。

★★★★★



『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』
アンドレス・ファイエル
監督
Beuys 2017年 独 1時間47分
渋谷アップリンク
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芸術で戦争を止めるのは無理だ。
死ぬ人を前にしてペンが救うこともない。
歌を唄って社会システムを変革することも限りなく難しい。
しかし、アートが社会に限りなく必要なことは確かだ。

法案ひとつを通すのにアートが物を言うことはある。
実際、アート感覚なくして政治的な訴求力は期待できない。

でも、この人のアートはそんなレベルではない。
「芸術」の概念自体に変革をおこし、人々の行動に変革を起こそうとする。

ヨーゼフ・ボイスは本気で革命を意図した芸術家。
「芸術の概念を拡張すること」によって、「社会変革に誰もが参加すること」を目指す。
その延長として「国家」の概念までも揺さぶりをかけようとする。

「誰もが社会という作品を作る芸術家なんだ」

彼の一貫して求めていることは、「対話」。
作品は「在る」だけではダメで、作品は作品に対するリアクションを要求する。

そのアナキスト的挑発は、たとえば寺山修司の前衛演劇と同じように聞こえるが、ボイスは虚構を通り抜けてもっと直接的で政治的。
実践として「緑の党」結成メンバーの顔となり、選挙活動に参画し、資本主義経済を批判するなど政治活動のただ中へ進んでいった。

芸術にしても政治にしても、その戦術は「撹乱」「挑発」(センセーション)である。
「目的のための手段としては、空疎ではないか?」と問われると、
「撹乱がないと、興味も持たれない」(no sensation, no interest)

なぜそこまでラディカルに行動できるのか?
彼を駆り立てるモチベーションは何か。

15歳でヒットラー・ユーゲントに入り、第二次大戦では空軍に志願した、紛うことなきナチス信奉者の一人だったが、搭乗機が撃墜されるなど頭部に重症を負って敗戦を迎えたあとは、相当な内的激変を体験しただろう。

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僕が思うに、意味とか目的とか手段とかそんなことより、「芸術」は「自由」であり、「自由」を保障するのは「民主主義」という政治システムである。
おのずと、芸術の発生するところに、政治が同時発生するのだ。
アーチストにとって、不可分の発想だ。

「芸術やアートや音楽に政治を持ち込むな」なんていう言説を今の日本で目や耳にすると、開いた口がふさがらない。

政治的なことを言うのも言わないのも自由だが、政治への意識がないアーチストは、自由への意識や発想がないエセアーチストと言うほかはない。

ということを、ボイスは存在と行為で証明しているような気がする。


最後に。
このドキュメントはボイスの貴重な映像や音声の記録がふんだんに盛り込まれていて、初めて知る真相も発見できるのだが、初めてボイスを齧ろうという人には、その作品からのインスピレーションや人物像・背景については思ったほど感得するには至らないかもしれない。




『シンプル・フェイバー』
ポール・フェイグ
監督
A Simple Favor 2018年 米 1時間57分
TOHOシネマズ日比谷
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ブレイク・ライブリーの妖艶かつビッチで尚かつ洗練された大人のミステリアス・フェロモンにヤラレた。

よくできたTVドラマのような編集だが、オープニングからエンディングまで、フレンチ歌謡に乗せて70~80年代風に味付けをしたポップな作り。

物語は『ゴーン・ガール』と似てはいるが、より娯楽に徹している。

二転三転のどんでん返しも含めたサスペンスフルなストーリーもサービス精神旺盛。
やや荒唐無稽な部分も、コメディとして観れば文句は言いたくならない。

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主役のキャラクター造形がこの物語の核心にもなっていて、そこはさすがによくできている。
女性同士の関係も見どころ。
もう一人の主役アナ・ケンドリックのキャラも、一筋縄にはいかない変容が待ち構えていて、飽きさせない。

ただし、アナがYouTuberとして映画の狂言回し的役割を果たすが、ネットを駆使する割にはネット民のリプが全く出てこないのは不自然ではないだろうか。
『ゴーン・ガール』ではマスコミとそれに流される視聴者の反応がひとつの主題でもあったし、この映画でもネットの反応が大事な要素になっているはずなのだが。

この前まで日本で話題沸騰していた『3年A組 今から皆さんは人質です』では、それこそPC画面上のリプ書き込みが隠れた主役を果たしていただけに、そこは少し不満が残る。


★★★☆




◆その他の鑑賞作品◆


『運び屋』
クリント・イーストウッド
監督
The Mule 2018年 米 1時間56分
109シネマズ川崎
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自らを贖罪しようとするかのような老いたイーストウッドの苦渋の顔面が、実の娘である娘役と対峙するとき、さらに痛々しい。
★★★☆

『ペパーミント・キャンディー』
イ・チャンドン
監督
1999年 韓・日 2時間10分
アップリンク渋谷
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イ・チャンドンが天才の中の天才たる所以。『オアシス』同様、打ちのめされる。しかもハンパなく。
★★★★★

『Starting Over』
西原孝至
監督
2014年 日本 1時間34分
PC
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カメラを正面から見つめる女性のアップが印象的。最近作『Sisterhood』の元となった5年前のフィクションドラマ。
★★★☆

『ユージュアル・サスペクツ』
ブライアン・シンガー
監督
The Usual Suspects 1995年 米 1時間45分
amazon prime
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ご存じクライムサスペンスの金字塔的快作。こりゃ真犯人当たるわけないね。どんでん返しの連続。ネタバレ絶対禁止。
★★★★

ウトヤ島、7月22日/岬の兄妹

『ウトヤ島、7月22日』
エリック・ポッペ
監督
Utoya 22. juli 2018年 ノルウェー 1時間37分
109シネマズ川崎
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2011年3.11の追悼日に、2011年7.22ノルウェーの惨劇の再現を見た。

あれから8年たって、史上最悪の銃乱射事件は奇しくも2つの映画作品となって公開された。
ひとつは米の2001年9.11同時多発テロを『ユナイテッド93』で再現したポール・グリーングラス監督の『7月22日』
77名もの命を奪った単独犯の、事件後の裁判や被害者家族なども含めて描くその作品に対して、もうひとつの『ウトヤ島~』は、島の中の事件発生直前から収束までのリアルタイム1シチュエーションのみで作られている。

しかも全編1カットでカメラが追いかける。
宣伝では「事件発生から収束までの72分間」の長回しと書かれているが、僕が観た限りでは発生の10分以上前から長回しは続いているので、「82分」以上はあるはずなのだが。
3年前に公開された『ヴィクトリア』(独)はなんと140分間1カットのクライムサスペンスだったから、数字的にはそこまでではないとしても、ずっと殺人鬼から逃げっぱなしの72分は演じる方も撮る方も見る方も凄まじい。

なんせ犯人の正体がわからない、いつどこから現れるかわからない、音を立てると即命が危ない、というサスペンス・ホラー・スリラーの要素が凝縮しているから、コケおどしの劇伴音楽や編集を一切使わないこの再現ドラマは、TVの「逃走中」どころじゃない、『ドント・ブリーズ』『クワイエット・プレイス』はおろか、サスペンスというジャンルを逸脱したコワさだ。

これを凌ぐのは『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』などのPOV(主観映像)を使った「フェイク・ドキュメンタリー」くらいだ。

カメラが追いかけるのは主人公カヤだが、彼女が銃声から飛びのくように草むらへダイヴするとき、カメラももう一人の当事者として地面へダイヴする。
つまり彼女を客観対象として追うというよりも、POVと客観対象のあいだ、つまり限りなく主観に近い視点だ。
カヤの伴走者のPOVと言ってもいいだろう。
それがこの映画の臨場感の肝だ。


ラストシーンには仰天する。
強烈な皮肉のエンディング。
現実は虚無であり、ドラマチックな虚構はここにはない。

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さて、レトリック的な構造的なことばかりを言ってしまったが、そもそも驚くのは、このようなトラウマのダメージ大きい事件について、リアルな再現映画にしてしまうこと。
被害者やその家族たちにとって最も耐えられないことだと思われるのだが。
日本ではたぶん作られることはないだろう。

商業映画ではあるが、作品としては最後に字幕で、事件の真相と警察批判が記述され、哀悼のトーンを基調としている。


少年少女から20代前半の若者ばかりのキャンプが、労働党の青少年団体という理由で極右の32歳の男に狙われた。
その衝撃も甚大。
ではどうするのか。
テロ対策を強化する?
そもそもの原因は何なのか。

もうひとつの作品『7月22日』では事件の真相とその後の影響まで掘り下げていて、must seeだろう。

~~~~~・~~~~~・~~~~~

ここまで書いて数日後に、起きてしまった。
NZ・クライストチャーチの乱射虐殺テロ。
このノルウェーの乱射テロに影響を受けたと犯人が言っている。

しかも犯人の乱射するPOVをSNSで生中継するという冷血ぶり。

ニュージーランドも銃社会になりつつあるということ、北欧もオセアニアも平和だと思われていたところで発生したこと、そして何よりも、過去の事件がなんの教訓にもなっていないことがショックでしかたがない。


★★★★☆




『岬の兄妹』
片山慎三
監督
2018年 日本 1時間29分
ヒューマントラストシネマ有楽町
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日本映画が、やっと韓国映画に追いついた!

イ・チャンドンのラディカルながらも美しい『オアシス』の中で、キム・ギドクのキレッキレの刃をもって、ヤン・イクチュンが「シバラマ!」と殴りかかってくるような映画だ。

掃きだめに降り立ったのは、鶴か悪魔か堕天使か。

足の不自由な中年の兄と、知的障碍※1をもつ妹。
造船所をクビにされ、負の連鎖が加速する。

そこから抜け出す生活保護や救済措置については思ってもみない。
作り手もそこはあえて触れずに、彼らの一人称的視点でのたうち回る。

自分を客観視などできない当事者たち。
善悪の判断もぼやけてくる。
犯罪の根源は、生活に即しているのだ。

「マリコ~~!」
と叫んでは追いかける兄、フラフラと「冒険」に出かける妹。
その繰り返しと、次々と直面する災難、巻き起こす騒動。

イモラルの彼岸を描くのに、露悪的表現に目を覆いたくなるシーンも多いが、そんな中でもときおり「美しい」と思えるショットが訪れると、そのインパクトの方になおさら圧倒される。

そんな身を捨ててこそ浮かぼうとする覚悟のある表現者が、現代日本に現れた。
ポン・ジュノの門下生だというから、師匠も目を細めるわけだ。

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毒気を含んだ笑気ガスにくるまれながら不思議な高揚感に満ちて観終わったあと、僕らは振り返らなければいけない。
これはどこかの島流し物語ではなく、今の日本で厳然と起きている現実なのだ。
最貧困兄妹は、今もあなたの足元から地続きの、日常の岬あたりを、足を引き摺って歩いている。

ここではたまたま売春に走ってしまったが、ほかにどんなことがありえただろう。
窃盗・強盗だったかもしれない。
特殊詐欺だったかもしれない。
不法薬物売買や『運び屋』だったかもしれない。
ヤクザの手下に入ったかもしれない(それこそ、妹は売られそうになった)。
ホームレスになったかもしれない。
心中したかもしれない。

救済を得るために、どんな選択肢があっただろうか。
誰が、いつ、どんな風に救済すべきだっただろう。
それを考え、見つけるための、セーフティ・ネットのテキストとしても使える。

暗澹たる笑えない現実をリアルに気難しく見せることを避け、デフォルメしたインパクト優先のシーンを連打して扉を開けさせる喜劇にしたのは確信犯。

コワいもの見たさでもいい、あとで気づいてくれれば。
自分と社会の関係について。

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ピアノソロが謙虚に寄り添い、ときに切なさを掻き立てる。

妹マリコ=和田光沙の驚異の演技は『オアシス』のムン・ソリに負けぬ熱演。

※1:彼女の症状は僕から見る限り、HPなどにあるような「自閉症」ではなく知的障碍の範疇に入るように思える。


★★★★☆

シスターフッド

『シスターフッド』
西原孝至
監督
2019年 日本 1時間27分
渋谷アップリンク
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ジェンダーについての映画であっても、『恋とボルバキア』のようにLGBTQを対象にしたドキュメンタリーではない。
もっと広くゆるく、今の若い女性たちの「生きにくさ」や「自由」をテーマにしている。

はたと気がついた。
少し前に封切られたオムニバス・フィクション『21世紀の女の子』の「ジェンダーの今を意識させる」というコンセプトは、この『シスターフッド』の方にこそ本格的に追究されているのではないか、と。

もちろん、『21世紀の女の子』は15名の20代女性監督が若い女性俳優たちをメインに起用した掌編を競作させるという“企画もの”だけに、まるでちがうものではあるが、僕としては想定していたコンセプトの深掘りや追究は、消化以前の嚥下不良といった感触だった。
ましてや一昨年来、世界的に盛り上がった「Me Too」運動の残り香も感じられなかった。

その点、この『シスターフッド』はきちんとそこも提示していて、まさしく今の女の子たちの内省的かつ繊細なジェンダー論となっている。
男性監督による作品だというのに。

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フィクションにドキュメンタリーを混ぜながら、ときにそれらの境界を曖昧にした構成の意欲作。
映画制作中の監督役も劇中に配して、西原監督の自己投影をしつつ、自己客観化を図るというメタ的構造にもなっている。
登場する女性たちも、素の自分自身としてインタビューに答えたり、役者として演技したりと、客観化作業を自ずと迫られたことだろう。

オープニングでは池田という監督が、フェミニズムをテーマとした自作『My Voice』というドキュメンタリー映画のプレゼンをしている。
「インタビューを集めただけで、面白くない。監督が何を言いたかったのか」と相手からはっきり言われるところは、西原監督がこの映画の構成を思いつくきっかけを自ら明かしているように思えた。
そういった転機があって、フィクション部分を展開していったのではないか。

「ジェンダーやフェミニズムをテーマにしたきっかけは?」と訊かれて答える池田のコメントが、よくもあしくも僕個人が考えていることと全く同じなので、こそばゆいながらもハッとしてグーでしたww

「男なのに女性以上にそこに関心があるのはどうして?」と、当然抱かれるだろう疑問も先にさせている。
これも、男性である西原監督が、自らの言い分も矛盾もひっくるめて、監督という存在を分身として作品に登場させることになった経緯を内包したものだろう。

そういうフェミニスト的池田監督自身も、劇中で私生活では女性やお金について固定観念に縛られているところを見せているのが批評的で上手い。

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モノクロというスタイルにしたのは、その人にまとわりつくすべての外的な要素からくる偏見をいったん脱色する試みだと思う。
たとえばヌードモデルというイメージは、肌の色や質感と即物的にかかわるし、ときに女性というだけで匂いまで映像から放たれる。
その属性や付属物からくる観る者の先入観をゼロにしてから、物語という色付けが始まっている。
女性への固定観念をテーマにする上では不可欠だったかもしれない。

結果、登場する女性たちは見事なほどに透き通って見えて、見終わって彼女たちに心が洗われたような気分で帰路につくことができた。
なによりも発言の中に、葛藤の後の潔さが立ち上がっている。
気負いせず、屈託がない。
ナチュラルに生きていくことの覚悟と自由さを、内発的にアウトプットしている。

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主役のひとり、歌手のBOMIが語っている。
「俳優のカンバーバッチが『賃金に男女格差がある作品には出演しない』と宣言したのがいちばんかっこよく効果的」
「男性が変わらないといけない問題なのに、日本ではこういう男性はまだ出てきてない」

これはエマ・ワトソンが国連スピーチで訴えた「He for She」運動と同じである。
全ての女性だけでなく、全ての男性に見てもらいたい映画だ。


トークショーの兎丸愛美(うさまるまなみ)さんと栗林藍希(くりばやしあいの)さんは、柔らかな笑顔がナチュラルですてきでした。
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ギルティ/ビールストリートの恋人たち/女王陛下のお気に入り/グリーンブック

2019年2月25~3月5日


『ギルティ』
グスタフ・モーラー
監督
The Guilty 2018年 デンマーク 1時間28分
109シネマズ川崎
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「ヤラレタ!」感では『カメラを止めるな!』に匹敵。
作品のクオリティ的にはそれ以上かも。

「コロンブスの卵」的な「目からウロコ」作品は、解説を許さない。
内容をばらすと致命的だから。
構造的なネタバレさえ許さない『カメ止め』と同様に、たとえ解説を施そうとしても、きわめてシンプルな1コンセプト/1シチュエーションゆえ、一義的な批評以上のものは出にくい。
世間一般に言われている賞賛コメントと同様のことしか言えないし、その賞賛すべてが当たっている。

コンセプトでまず勝利。
シナリオの吟味、そして緊迫感の演出のための工夫の数々。

視覚ではなく聴覚に集中させて、主人公と同時に推理する。
声。
言葉にならない声。叫び。
息づかい。ため息。
ノイズ。不明な環境音。
そして、沈黙。
無音に無限の意味が潜んでいる。

そして、裏切られる。


タイトルの意味は終盤にわかる。
キーワードは「ヘビ」


『カメラを止めるな!』よりもオススメなのは、人物像や深い内面の葛藤が、言葉に頼らずにしっかり描かれている点だ。
サスペンスの要素を尖がらせたうえ、なおかつ短い中に人物背景を入れ込み、目(耳)の前の電話での心理的駆け引きと、人物背景の葛藤を両立させる技は大したもの。

「映るのは主役の顔のアップばかり」と紹介する評もあるが、それほどではなく、視覚的にも見飽きることはない。
3つのカメラを駆使して、リアルな時間の生々しさを切らさないよう配慮しているそう。


1年前のサンダンス映画祭にて、NEXT部門の観客賞『search』と同時にワールドシネマ・ドラマ部門で観客賞をとったのがこの作品。
『search』が全編PC画面上のみで展開される画期的な「目ウロコ」アイデアでバズったのは記憶に新しいが、当作品も全編「通話音声」だけという、そんな「コロたま」2作品が同時に出現したのだから騒然としただろう。
おまけに、「PC」に対して「電話」という前時代的なツールが主役というのも、意外性に一役買っている。

デンマークの31歳監督、長編デビュー作。
早くもジェイク・ギレンホールがリメイク権を獲得し、自身の会社で自分が主役のハリウッド作品にすることが決まっている。

★★★★★

『ギルティ』についての映画紹介サイト↓
https://eiga.com/movie/89275/special/




『ビールストリートの恋人たち』
バリー・ジェンキンス
監督
If Beale Street Could Talk 2018年 米 1時間59分
TOHOシネマズ川崎
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バリー・ジェンキンス監督の作風は独特だ。
観るのは『ムーンライト』に続いて2作目だが、「いわゆる会話劇」が殆どないような印象。
会話の場面は普通にあるのだが、会話を弾ませるためのシーンではなく、聞こえてくるのは人物たちの心の囁き声のよう。

彼らはじっくりと語る。
語るのをはしょらずにじっくりと撮る。
周囲のノイズも、それを含んだ空気も、語る人物の表情も、フィルムに浸透させるかのように、カメラは対象に溶け込むようにスローに動いて撮る。

結果として、僕らはそこで交わされている会話がインナーヴォイスのように密やかに届けられる感覚になる。

ハイテンションでもローでもないが、ジャジーな劇伴とケレンミのある演出で、下手するとあざとさが通俗に堕すおそれと紙一重だが、そうさせないところが監督の繊細なシルキー・センスというほかない。


ドキュメンタリーの傑作『私はあなたのニグロではない』の原作者でも知られるジェームズ・ボールドウィンの小説の映画化。

1970年代のNY・ハーレムに住む若い黒人カップルと家族が、ただ普通に生きようとするだけで虫けら扱いされ、収容所へと排除される。
家族はただ無実を訴えようとするが、その努力さえ踏みにじられる姿が、最後まで静かに描かれるのがよけいにかなしい。

母親役のレジーナ・キングがアカデミー助演女優賞を獲ったのは、十分うなづける。


★★★★




『女王陛下のお気に入り』
ヨルゴス・ランティモス
監督
The Favourite 2018年 アイルランド・英・米 2時間
TOHOシネマズシャンテ
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そもそも大の男がモッサモサくるんくるんのカツラをつけて白粉塗って頬染めて、室内で他愛なくも馬鹿々々しいお遊戯に興じて嬌声をあげている姿だけでも十分ヘンタイに見えるというのに、その18世紀の宮中を舞台にヨルゴス・ランティモスという究極の変質者的魔術師を呼んで采配を振るわせたのだから、世にも奇妙な<ヘンタイ×ヘンタイ>ショーが始まっても意外ではなかった。

しかし、『籠の中の乙女』『ロブスター』『聖なる鹿殺し』を自ら脚本(うち2作は製作も)から作り上げてきたランティモスにしては、今回の“雇われ型”監督ではやはり毒もアクも後味の悪さもだいぶ薄まっている。
メジャー作品として企画されたものであり、そこに抜擢された監督としては、明らかにターゲットとする客層は広い。
前3作の「わかる人にしかわからなくていい」タイプの作品とはちがい、どうしてもトンがり方が丸みを帯びるのは仕方がない。

それでも、もちろんランティモス色は十分に出ている。
カメラ、音楽、衣装、演出、すべてがファナティックで、同じ脚本でも他の監督ならこうはいかないだろうという要素がいっぱい。

はじめ環境ノイズだと思っていた単調なリズムが、次第に効果音だと気づき、音量が大きくなるにつれてそれが不穏さを醸す劇伴音楽だったとわかる。
そこまで10分くらいかける執拗なこだわりのシーンはさすがだ。

カメラも、人物を近めから撮るときには、必ず下から見上げるアングル。
超広角(魚眼)レンズの多用など、あざとさも相変わらず。
広角過ぎて真っ直ぐな廊下が90度カーブしているよう。
ほぼ自然光と蝋燭の灯りだけで撮られているのは、あざとさよりも正統派を印象づける。

この閉塞空間に蠢くニンゲンたちは、戦争のさなか、国家の行く末を決める統治者であるにもかかわらず、滑稽で奇怪なバケモノたちの舞踏会場として、昆虫の視線から観察されているかのようだ。

カツラ貴族の男どもが、全裸のカツラ男にトマトのような赤い果物を投げつけてはしゃいでいるスローモーションの間、女官の二人は野外で騎士のごとく銃で鳥撃ちに励み、馬で駆けてはマスキュリンに互いを牽制するという、ジェンダー崩壊の対照的描写が鮮やかだ。

これはオリジナル脚本を手掛けたデボラ・デイビスとトニー・マクナマラの手柄が大きいのだろう。

このテーマや設定だったら、まず僕が見ることのない作品だが、作家性を求める見方だと、こんな風に作品と出会い、楽しむことができる

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サラ役のレイチェル・ワイズはいつもの美貌のうえに格別のマスキュリンなオーラを湛えており、馬術の身のこなしや黒の壮麗な眼帯を身にまとった立ち姿など、ハンサムレディを際立たせている。

なんとレイチェル・ワイズは49歳、アン女王役のオリヴィア・コールマンは45歳で年下!
オリヴィア・コールマンの怪演がアカデミー主演女優賞にふさわしいということがあらためてわかってくるが、そうはいっても主演女優賞にふさわしいのはエマ・ストーン(アヴィゲイル役)を含めた3人セットの主演である。
女官の二人を「助演」にするのはまったくの旧弊的間違いである。

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アカデミー賞有力候補と言われるにはエログロが過ぎるかとは思うが、メジャーな作品に欠けがちなエキセントリックな魅力が豊富で、ハリウッド作品に少し物足りなさを感じる紳士淑女にはちょうどよい大人の刺激かもしれない。

★★★★



『グリーンブック』
ピーター・ファレリー
監督
Green Book 2018年 米 2時間10分
TOHOシネマズ川崎
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シナリオと演技を(付け加えるならテーマも)最重要視するハリウッドにおいて、これこそ直球ド真ん中の作品。

よく練れていて伏線も程よくあり、愛らしい人物造形と的確な演技、ユーモアに溢れ、悲しみの深さと怒りの暴発も起伏を与え、起承転結申し分なく着地する。
人種差別と言う自国の恥部に焦点を当てているところも、エシカルに受け入れやすい。
後味もよく、非の打ちどころがない。

最近のアカデミー賞はアカデミー賞らしからぬ作品も授賞するようになったが、これは通例から言うと順当というところだろう。

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ただ、ハリウッド映画の典型とも言えるこのウェルメイド感は、あとからじわじわくる感動ともちがい、感想を言い合うにもバズることなく、批評を書く上でもいちばん書きにくい。

要するに、突出した作家性がなく、インパクトとして残らないのだ。
前述の『女王陛下のお気に入り』とちょうど対照的で、<シナリオ+演技>+テーマという評価ポイントには乗っからない、作家のヘンタイ性の有無の差だ。
ついはみ出してしまう異能な資質こそが、天才が天才たる所以。
映画のパーソナルな記憶体験としては、そこがのちのちにまで影響してくるのである。

★★★★

ともしび、バーニング、金子文子、半世界、ファーストマン、21世紀の女の子

2019年2月10日~2月18日


『ともしび』
アンドレア・パラオロ
監督
Hannah 2017年 仏・伊・ベルギー 1時間33分
シネスイッチ銀座
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あれ? さっき夫婦でゆっくり食事したり電球つけ替えたりしてたのに、次のカットでは何気なく二人で刑務所を歩いている。
説明の極端な排除。
夫が急に収監されるのも「何気ない」日常のように淡々と見せるこの映画はとてつもない。

あくまで日常を保とうとするハンナ(シャーロット・ランプリング)は、それだけ自分の限界が水際に来ているということでもあり、張り詰めた糸は時々耐えきれず、束の間、感情が洩れ出るときがある。

夫と面会室で会うときにだけ見せる笑顔がドキリとさせる。
一方で、トイレでひとり嗚咽を押し殺して顔が怒張・紅潮する慟哭のシーンは、老女優の血管の危機さえ感じさせるほどだ。
1本線の綱渡りのような映画。

転落の重力にもちこたえ、オセロの裏返る法則にも抗う都会の老婦の、ギリギリの矜持が痛ましい。
それを淡々と撮る美しいカメラが憎らしいほど。

冒頭から映像美と構図の妙に溜息が洩れる。

寡黙なハンナの心の内を、演劇セッション中のセリフや、子供への読み聞かせや、電車内の男女の諍いなどの背景の声に代弁させている。

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作風は先日の『ジュリアン』と同様、ダルデンヌ兄弟のメソドに類する。
劇伴音楽・映像効果・時制編集などは皆無。
恐ろしいほど素っ気ないが、そのドライさこそハンナの心象風景のように刺さる。

ラスト、地下鉄の駅へ長い長い階段を下りていくハンナをただただ撮り続ける。
靴の音だけ響かせて、画面の情報量はミニマム。
ここに何を見、感じるのか。
宣伝文句の言うような「生きなおしを図る」というような言葉では表せない何かだと思う。

★★★★



『バーニング』
イ・チャンドン
監督
Burning 2018年 韓 2時間28分
TOHOシネマズ川崎
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村上春樹『納屋を焼く』を34年ぶりに読んだ。
ごくごく短い掌編だから、2時間半の映画はたっぷりと肉付けしている。
いや、これは“映画化”と呼べるのだろうか。

寓話になりそこねたような摑みどころのないシュールなハンパさが売りのハルキの短編を、思いっきり大胆に翻案し、原作の“プチ謎”な部分を壮大なミステリーとして投げ掛け、虚実皮膜のサスペンス・ヒューマンドラマに仕立てた。

主人公を若くして女と近い存在に。
そうしてギャツビーとの格差を際立たせ、恋愛感情をも格差でメロドラマっぽくした。
虚無感は、上からのものと下からのものと双方から描く。

さすがはイ・チャンドン
完全にオリジナルを超え、遥か彼方の夕景の山並みにまで達している
映像美も容赦ない。

「納屋を焼く」ということを深遠な隠喩にし、ヒロインの失踪と結びつけた。
なぜ彼女は失踪したのか。
ビニールハウスは焼かれなかったのか。
そしてギャツビーは何をしたのか。

「犯罪さ。でも見つからない。絶対に」
「燃やしてほしいと訴えているのさ。僕はそれを受け入れるだけ」

「水のない井戸」「姿を見せない猫」「無言電話」「父の罪」「グレートハンガー」「同時存在」「フォークナー」「アクセサリーの入った棚」「快活で軽薄な母の出現」
数々の謎のエレメントを散りばめながら、原作とは思いもよらぬゾーンへ突き進む終盤。

村上春樹の36年前のシラケ世代のモチーフからインスパイアされ、拡大解釈し、さらに現代の格差社会を反映させた。
ギャツビー」は、フィッツジェラルドが書いた1920年代のアメリカから、ハルキに書かれた日本の80年代を経て、新自由主義の進んだ現在、韓国でまた違う価値のギャツビーとして現れた。

ただ、個人的には、ビニールハウスじゃなくて、「納屋」が焼けるのを映像で見たかったけれども。

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昨年末にNHKでTV用短縮版(吹替)が放映されたが、後半は約1時間もはしょってある。
エッセンスは出ているが、もちろんあの衝撃的なラストは劇場でだけ。

★★★★☆




『金子文子と朴烈パクヨル
イ・ジュンイク
監督
Anarchist from the Colony 2017年 韓 2時間9分
イメージフォーラム
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1910年 日韓併合
1919年 三一独立運動
1923年 関東大震災  朝鮮人・社会主義者大虐殺
1925年 治安維持法制定

この流れをきっちり押さえておこう。

もうすぐ3月1日、三一独立運動100周年。

朝鮮半島での抗日暴動に手を焼いたあとだけに、二の舞を恐れてここぞとばかりに叩こうという国家権力の魂胆がむきだしになった。

震災後に6000人以上ともされる朝鮮人・社会主義者大虐殺の張本人は、ここでは水野錬太郎内務大臣とされ、蛇蝎のごとき役柄で暗躍している。
(一方で、『菊とギロチン』では正力松太郎が張本人とされていた。)

なんといっても見どころは、このヒロインとヒーローのキャラクターである。
金子文子と朴烈(パクヨル)。

「大逆事件」という罪状と「死刑」という判決を自ら望み、促し、嬉々として受け入れる、この大胆不敵な態度はなんだ。

陰謀によって二人を死刑にさせようとする国家の思惑をむしろ逆手にとり、世界に告発する好機と捉え、獄中でさらに一段とギラギラと生きる。

他の誰よりも「同志」として、尚且つその延長線上にある、揺るぎないふたりの「信愛」の絆。

宗教ではない、アナキストたちの強い信念と至上の愛に生きる、堂々たる自己犠牲。
怒りと裏腹のこの快活さに、ヤラレる。

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ドキュメンタリーではない、史実に基づいたドラマ。
キャストのほとんどが韓国人で、日本人役もほぼ韓国人俳優が演じているのに、日本語が異様に上手い。
とくに文子役のチェ・ヒソは驚異的。
日本語は全くなまっていないし、日本語なまりの韓国語まで披露する。

チェ・ヒソの文子は、その個性と存在感が朴烈をも上回るほど。
挑発的で蠱惑的で知的で強い。
韓国の原題が『パクヨル』になっているが、邦題の『金子文子と朴烈』の方が正解だ。

大正時代は面白い。
同時代の一方の日本人アナキストたちを描いた『菊とギロチン』も必見。
主人公の中濱哲は朴烈とも一時期手を結んでいる。


★★★★☆



『半世界』
阪本順司
監督
2019年 日 2時間
TOHOシネマズ川崎
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自衛隊の海外任務後のPTSDを取り上げた映画は今まであっただろうか。
もしかしたら初めてなのでは?
そうだとすれば阪本順司監督を称えたい。

主人公の一人はいわゆる「コンバット・ストレス」を抱える。
正確に言うと、帰還後にPTSDで自死した部下に責任を感じ、自らもPTSDで苦しむ。

ただし、そこが主題の中心ではない。

「君らは世界を知らない」
そう言い放って引きこもろうとする元隊員を、幼なじみの男は“こちら側の世界”に連れ出す。
「こっちだって世界なんだよ」

自衛隊の矛盾や、任務に就く隊員たちのジレンマ・心的外傷を告発するドキュメンタリーはいくつもあるが、このドラマはそこをさりげなく見せつつ、深掘りせずに、ちがう着地点に導く。

自衛隊の矛盾を突くのは簡単だ。
でも、互いのことを知らない同士が何を言っても理解は進まない。
“世界”が違うからだ。

親子間のギャップも同様に。
どちらも現実なんだと認め合うところからしか始まらない。
そこに気づく過程を見せる、実に示唆に富んだ作品だ。

こちらの安全地帯に住む者たちが“あちらの世界”の住人を机上で安易に評することはできない。
“知る”ということは、リスクや痛みを伴う覚悟も必要だ。

勿論、vice versa、逆もまた同様。あちらの論理だけで言われてもこちらには通じない。

(ほんとうは、いちばん知ってもらいたい人々は国家権力側。市民たちがこんなに苦しんでるのを見ようともせずに、国家の論理で国民を足先で転がすだけ。)

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阪本順司のオリジナル脚本。
快作だが、劇伴音楽がエモーションに訴え過ぎるのが気になった。

最後に付け加えるなら、稲垣吾郎の演技は軽すぎるように感じる。
あえてそう演出したのだろうが、もう一人の“こちら側の住人”渋川清彦が、味のある軽さを売りにしてるので、片方はもっと渋い方がよかった。
また、長谷川博己の声質とまるかぶりで区別がつかないのも残念だった。

東京国際映画祭 観客賞

★★★★



『ファースト・マン』
デイミアン・チャゼル
監督
First Man 2018年 米 2時間21分
TOHOシネマズ川崎
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冒頭から、コックピットの中の臨死体験。
<発射→宇宙空間→帰還>のヴァーチャル・リアリティ。
振動まで伝わる緊張でいきなり肩がこる。

未来ではなく過去のSF。
実際に起きた出来事なのに実際にはありえないカメラ目線が、僕らを未知の領域に連れて行く。
それが月面着陸で極まれる。

激しい振動と騒音が、月面に飛び降りる瞬間、急に無音の無重力になる「静かの海」のシーン。
そこでニールが見るPOV映像と、ニールを撮るパン映像。
そのカメラは誰が撮るのか。
ありうるのにありえない。
ありえないけどありうる。
記録映像をここまでリアルに再現すると、「仮想現実」というより「拡張現実」と呼んだ方がいいのかな。

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さて、月面に到るまでの大河ドラマに対して、地球への帰還の過程は甚だあっけない。
ほぼゼロ。
そうとう色々あったろうに。

帰還してからの様子もほぼゼロ。
『宇宙からの帰還』(立花隆)のような宇宙体験の精神的影響の追跡までは望まないとしても。
月面までの苦闘を2時間以上かけて描くことが、この映画のほぼ全てだ。
ニール・アームストロングの家族の物語に踏み込んではいるが、それなら最後は物足りない。

米国第一主義を支持するような政権ヨイショ映画ではもちろんない。
当時の東西冷戦の激しさ、国の威信を賭けられ政争の具に使われた極限ストレスを主人公を通して描いてはいる。
天文学的数字の予算をつぎ込むアポロ計画に対して、黒人たちを中心に「貧しい我々を放っておいて、白人は宇宙へ行く!」とコール&レスポンスのデモが盛り上がっていったことも紹介されてはいる。

ただ、おりしもベトナム戦争が泥沼化している時代である。
反戦運動と公民権運動とアポロ計画反対運動の連動性に対する視点が皆無だったのは残念。

あくまでニールの成功までの苦難をPOVで見せ切るという趣旨の映画だということだ。


★★★☆



『21世紀の女の子』
山戸結希
プロデュース
2019年 日 1時間57分
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20代女性監督15人のオムニバス。
各掌編約8分。

「セクシュアリティあるいはジェンダーについて問題提議を孕む作品であること」
という統一テーマのもとに集められたはずなのだが、「女の子」つまりフェミニンな作風が殆どだったのが意外だった。
むしろ既成の「フェミニズム」的なニュアンスから遠いものが多かった。

とりわけMe Too運動を経た今としては、アピール力は弱い気がする。
制作のタイミングがたまたまそうなってしまったのだろうけど。

でも欧米なら運動のあとでも前でも同じくもっと硬派なものが作られただろう。
そこはやはり日本的。
山戸監督がどういうコンセプトでプロデュースしたか、ということになるが、彼女自身のこの中の作品『離ればなれの花々へ』を観れば一目瞭然ではある。
少女漫画の演劇化の映画化? オリジナル? とてもフェミニン。
このオムニバス全体を象徴している。

「21世紀の“日本の”女の子」という条件付きの方が僕にはしっくりくる。

若い女性はこれらをどう見るのだろう。
日本の女の子にはウケはいいのかもしれない。
世界的にはどうなのか。

全体的な観終わった直後の印象としては、ラストのアニメというか音楽と歌詞がいいので、とても心地よく見終わることができる。

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個々の作品については、竹内里紗監督の『Mirror』がダントツのクオリティ。
俳優の演技も、音楽・照明、密室劇のカメラの動線なども。
結末もキマってる。テーマもいい。

ふくだももこ監督『セフレとセックスレス』は、リアリティとかロジックの点でいちばん納得がいく。
男から見ても、ということ。
その点で、結末がストンとおちるのはこの2作。

金子由里奈監督『projection』では、伊藤紗莉をあんなに可愛く撮っていることにキュンとなる。

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山中瑤子監督『回転てん子とどりーむ母ちゃん』は、元気に華やかにシュールさを展開しつつ、男中心社会の裏返しエピソードをあの若さでよく集めたなと感心はするが、演出過剰にはついていけない。まったくの好みの問題。


★★★☆



バハールの涙、夜明け、ジュリアン、バジュランギおじさん、サスペリア、蜘蛛の巣を払う女、他

2019年1月16日~2月5日

『バハールの涙』
エヴァ・ユッソン
監督
Les filles du soleil 2018年 仏・ベルギー・グルジア・スイス 1時間51分
新宿ピカデリー
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バハールは一瞬たりとも笑わない。

深く打ちひしがれた悲しみと絶望。
ゆるぎない決意と覚悟を秘めた勇気。

そのふたつが同居し、両立し、屹立している。

そんな現象が、バハールの中に生じている。
彼女の瞳の中に凝縮されている。
「太陽の女たち」を突き動かしている。

ただ、同志のために涙を流す。
家族に流した過去の涙は封印して。

クルド人自治区・ヤズディ教徒の地域で起きた悲劇。
ISの侵攻に遭い、一晩で50万人が脱出、逃げ遅れた男たちは皆殺し。
7000名もの女性・子供が誘拐され、性奴隷となった。

「『女性』というだけでは理解したことにならない・・・そこには少女も含まれている」
少年も略取され、ISの兵士としての訓練を強制される。

バハールは弁護士資格を持つインテリでありながら、復讐の炎をたぎらせて女性武装部隊「太陽の女たち」を率いるリーダーとなる。

「女に殺されると天国へ行けない」と信じるイスラム教徒の男たちに天罰を下すために、女性が敢えて最前線へ行く。

彼女に率いられる6~7名の女性兵たちのディシプリンが目を瞠る。
闘いの唄を歌うときだけ隊員に笑みがこぼれ、『菊とギロチン』にも共通する女性たちの癒しであり賛歌であり鼓舞であるのだが、バハールの鶴の一声で戦闘モードに戻る。
そして同志みな魂が一つであることを確認する短い訓示を叫び、隊員が同調の掛け声で応える。

見ている僕らにも武者ぶるいのような高揚感と感動が訪れる。
・・・しかし、それでいいのか?

勇ましい軍隊の全体主義のように見えて、実は違う。
そこには国など関係ないのだ。(クルドには国がない)
あるのは、家族と自分に酷い仕打ちをされたところから自己を奮い立てさせ「生きる」ために覚悟し決意した一人ひとりだけだ。
国家による扇動などはない。
バハールたちの眼にはヒロイズムの欠片もない。

屍から甦った、究極の手段が戦闘なのだ。


売られて拉致された場所から、女性・子供たち数名で脱出を図るシーンも緊迫の連続。
妊婦の絶体絶命の国境超えは、映画史上有数の出産シーンだろう。

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メソポタミアの女王の彫像芸術のように美しいバハールの相貌は、全編を通して、この作品の原動力である「悲しさと強さ」を如実に物語る象徴としてあり続ける。
だからこそ監督は女優ゴルシフテ・ファラハニの顔とまなざしをこれでもかと映し出す。
彼女の眼が、まさしく映画の内面を覗かせる窓であるかのように。

ようやくラスト、バハールの流す涙は自分のためのものだった。


どこかで見たような瞳だと思ってはいたが、あの僕の賞賛してやまない『彼女の消えた岸辺』で主演したイラン女優だったとは。

隻眼の戦場ジャーナリストであるフランス人女性マチルドを語り部にして、間接的に描いているのが効果的だ。
バハールとマチルドは、役割も立場も違えど、命がけで行動を共にし、そのうえ夫を亡くし子供と離ればなれという境遇、またフランスの大学を出ている経歴も共通しており、対比して見せることで、客観性も迫真性も増す。

ラストのナレーションも、マチルドによるレポート記事のおかげで痛烈かつ的確な現状告発となっている。

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昨年度ノーベル平和賞を受賞した一人、ナディア・ムラドさんもヤズディ教徒で同様の虐待体験を強いられた。
この映画の公開は、タイミングとしてはうってつけだった。

★★★★☆



『夜明け』
広瀬奈々子
監督
2019年 日本 1時間53分
新宿ピカデリー
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死にかけて拾われた青年と、助けて住まわせている壮年男性。
二人とも訳ありだが、最初はあっさり淡々と、そして段々と、時間をかけて秘められた過去が明かされていく。

タメを作りながら、まるでミステリーのように謎めいて、明かしたくない過去が少しずつ剥がれて明かされていく。

と同時に、後半から二人の関係性は周囲の関係性も巻き込んで、撚りを作って、最後は一気に捻り上げられ、小さな竜巻のように立ち昇らせていく。

本人たちの望むと望まずに関わらず。

人が人に淡い希望を持つことは、いけないことなのだろうか。
なんでこんなに切なく罪深いのだろう。
せっかく築いた信頼が台無しになってしまう。
期待の微妙な大小の差で。
ポジティブとネガティブの間で揺れ動くタイミングのずれで。

傷ついた者同士、傷をなめ合うことを断じて許さない。
過敏に避けて通る。
あるいはそろそろ自分を許そうか。

心の襞というやつがあるなら、その輪郭はまだギザギザだ。


全編俯瞰した視線と観察眼で、人物の関係性をじっくり辛抱強く織り上げていくシナリオと演出のしぶとさには驚いた。


物語は、結果的にはあたかも深田晃司作品のように“謎の闖入者によって家庭が壊されてゆく”形になってしまう。
その相似形は、しかし一見、似ても似つかない。
この謎の男=柳楽優弥は決して闖入しようとしたわけではなく、むしろ小林薫演じる工場主の積極的な勧めによって消極的にお邪魔していただけなのだ。

二人とも、それぞれ過去に“ちょっとしたボタンの掛け違い”によって「生死」に関わる“大きな掛け違い”を招いた罪悪感を引きずって生きていて、今度はその二人が互いにまた“ちょっとしたボタンの掛け違い”を生み、自らの固執が仇になって新たな“掛け違い”を引き起こしてしまう。

善人も悪人もいない。
そこかしこには、なんとも不器用な人間がいるだけだ。


柳楽優弥は、野性的な役を経たのちにまた『誰も知らない』の頃の少年を彷彿とさせる表情で、じれったいほど優柔不断なコミュ障青年を演じている。

★★★★☆



『ジュリアン』
グザヴィエ・ルグラン
監督
Jusqu'a la garde/custody 2017年 仏 1時間33分 ベネチア銀獅子(監督賞)
新宿ピカデリー
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予告編でおわかりの通り、DV父と母子の格闘が映し出される。
「ドラマ」と書こうとして躊躇した。
なぜなら、作られた感がないから。

気合の入ったホラーよりもよっぽど怖い。
起こるであろうことが、予期したとおりに起きてしまう。
予期せぬ出来事よりも、予期したことが怖い。
その通りになることが、否応なく避けられない、嫌なハラハラ感。

サスペンス映画特有の思わせぶりな劇伴音楽が皆無であるにもかかわらず。
特殊映像も効果音もなし。
回想シーンも妄想シーンもなし。
じゃあ、なぜ怖いのか。

人間という存在が怖いからだ。
ひとつのことに執着した人間をありのまま見せることで、結果的に人間の怖さが露出する。

劇伴音楽なしに心理を表現すること。
(いわゆるサスペンス映画の定義は「劇伴音楽」によって成り立っていると思う。そこから音楽を除外すれば、何が残るか。その地点に立って、はじめてサスペンスが成功しているかどうかの真価が問われる。)

この映画の手法は、ダルデンヌ兄弟とほぼ同様で、音楽なし、映像効果なし、時系列編集なし、回想・妄想シーンなし、という超ドライなもの。
現実の一部分をそっくりそのまま切り取る「スライス・オブ・ライフ」という手法。
そのうえで、演出としては、音楽を使わない代わりに「音」を効果的に使う。
たとえば、闇の中で聞こえてくる足音。クラクション。呼び鈴。
日常には、心理状態によっては怖い要素で溢れているから、それを抽出すればいいだけだとも言える。

謂ってみれば、ランウェイを歩くモデルが服を着ずにあえて裸で歩いてみせるようなむきだしの映画だ。

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ジュリアンの顔の接写は、ただのクロースアップではない。
ただならぬなにかなのだ。

★★★★



『バジュランギおじさんと、小さな迷子』
カビール・カーン
監督
Bajrangi Bhaijaan 2015年 印 2時間39分
横浜ムービル
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口のきけない主人公の周りでは、映画的な物語が自ずと生まれる。
数々の名作はそうして生まれてきたが、最近のインド映画でいえば『バルフィ!』が、聾唖の男の饒舌なパントマイムを見るようで感動的だった。

インド映画は演出過剰ではあってもサービス精神とイージーアクセスな感動が保証されていてハズすことがないので安心して見られる。
ただしうっかりしてると感動が津波のように押し寄せてきて涙が洪水のように溢れ出ることになるから要注意。

この映画は「泣ける映画」どころじゃなくて、「しゃくりあげ映画」だ。
感動の押し売りと言う人もいるだろうが、薄っぺらい安っぽい涙の押し売りではない。核心が骨太であれば、深い感動も両手を広げて走りながら買おうじゃないか。

テーマが弱き者を救う博愛と歓喜であり、国境も宗教も乗り越え権力を物ともせずに目的を追い求めるのならば、過剰な演出も、登場人物たちも、大量のエキストラも、すべてそのために勇躍する同志として最後には僕らと一体となってエンディングを駆け抜けるのである。


インド映画では、『ダンガル きっと、つよくなる』『バーフバリ 王の凱旋』に次ぐ、世界興行収入第3位のヒットだそう。

★★★★




『サスペリア』
ルカ・グァダニーノ
監督
Suspiria 2018年 伊・米 2時間32分
TOHOシネマズ日比谷
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予想は外れて、完全にブッ飛んでる。

77年のアルジェント版『サスペリア』との比較など成り立たない。
伝説の作品の二番煎じかと疑われた向きもあったが、完全に杞憂というか、まるで別の作品。
もはやリメイクではない。

『君の名前で僕を呼んで』ルカ・グァダニーノ監督は繊細さの仮面をかぶりながら結構なエキセントリシズムとグロテスクさを秘めていると感じてはいたが、今回は完全にイッちゃってる。

アルジェント版は実はデザインとテーマ曲だけが特徴のB級映画だったが、グァダニーノ版は深みと厚みを格段に増した。
反面、難解すぎる!

これまでのシリーズにおける第1~第3の魔女についての予備知識がないと入りにくいうえに、ナチの迫害の逸話をベースに入れ込むなど、複雑で不親切。
筋を追うのは諦めよう。
ジャンルさえよくわからない問題作。
ラース・フォン・トリアーとの共通性をみる。
難解さは、オカルティズムとモダンな美的センスとグロと相俟って、“幻想映画”として割り切って味わえばいい。

終盤になればなるほど、これでもかと狂気のステージは上がっていき、こちらの限界が試されるからお楽しみに。

白眉は舞踊シーン。
衣装も含めて圧巻。モダンダンスの好きな方は、これを見るだけでも価値あり。
そうは言っても、グロなホラーが嫌な人は目を背けようにも無理な話で、ダンスだけ見るわけにはいかなくて困るね。

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ドイツを舞台にした、アメリカ人が主役のイタリア映画という点では旧作と同じだが、旧作は英語ばかりだった。
今作はドイツ語・英語・フランス語を的確に使い分けている。

ハリウッドでウケようという下心があまり見えないのは好感が持てる。
そもそもこんなハチャメチャな作品をよくアメリカと共同プロデュース出来たなと思う。

クロエ・グレース・モレッツがちゃんと出ていたのに、彼女だとは気づかないほど、シブい見せ方。
もっとすごいのは、ティルダ・スウィントンがなんと3役!
準主役である彼女が他に2役やっているのは、ネタバレ・サイトをあとで見ないと絶対わからない起用法。
だって公式HPにもズルイ仕掛けが施されているんだから。

旧作で主演だったジェシカ・ハーパーも老婦人役で出演している。

伝説性を象徴するあのゴブリンのテーマ曲は一切出現せず、音楽はレディオ・ヘッドトム・ヨークが初のサントラ担当。

などなど、裏話や話題性に事欠かない。
あとは各自いろんなサイトで調べてみてください。

★★★★




『蜘蛛の巣を払う女』
フェデ・アルバレス
監督
The Girl in the Spider's Web 2018年 英・独・スウェーデン・加・米 1時間55分
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この戦闘ヒロインもまた、ヒロイズムを拒絶する。
苦悩ありきのダークで孤高の存在。

米国NSAの機密プログラムをめぐって、スウェーデンで争奪戦を繰り広げる、ハッカーの主人公リスベット、NSAの米国人、謎の悪徳グループ。
そこにスウェーデンの公安が加わる。

「これまでの戦争のほとんどを起こしてきたアメリカに渡すよりは我々が持っていたほうがずっとマシでしょ」
と公安の女ボスがアメリカNSAを敵視するのが痛快。

ヨーロッパではやはり米国をこのようにまともに認識しているんだなと、あらためて健全さを感じる。

しかしその一方で、なぜスウェーデン人がみんな英語を喋っているんだ??

元々はスウェーデンのスティーグ・ラーソン原作の『ミレニアム』シリーズで、スウェーデンで過去3作映画化されているもの。
このシリーズを初めてアメリカで映画化した前作『ドラゴン・タトゥーの女』の監督が、今回の製作総指揮デヴィッド・フィンチャーだ。
前作もみんな英語だった。
今作の国籍は「英・独・スウェーデン・加・米」となっているが、米国アカデミー賞の対象になるように商業的に迎合しているのは明らか。
たぶん、ハリウッド性を表面的には排除し、ロケもスタッフもスウェーデン製にしておいて、内実は少し辛口のハリウッド作品といったところだろう。

★★★☆



『モースト・ビューティフル・アイランド』
アナ・アセンシオ
監督
Most Beautiful Island 2017年 米 1時間20分
シネマ・カリテ
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騙された感、大。
こういう映画は「シネマカリテ」じゃなくてヒューマントラスト渋谷の「未体験ゾーンの映画たち」枠に入れるものでしょう。
明らかにB級。

「NYアンダーグラウンドの実話に基づいたサスペンスミステリー」という触れ込みで、スタイリッシュとなれば、僕も飛びつく。
これはダメですよ。
宣伝やパブリシティの上手さに引っかからないように。
美人監督の体験を元に自分で出演もして、脱いで、と、もてはやすサイトや有名人コメントなどにも惑わされないように。

なんといっても、アレが苦手な人には拷問でしかない。
クライマックスはゼッタイに言えないけど、言わなきゃこの評価の根拠が示せない、というジレンマ。
しかし、あのオチはナイよなー。

期待しただけ失望も大きい。


★★☆

迫り来る嵐/未来を乗り換えた男/大地漂流/生きてるだけで、愛

映画ブログを始めてまる8年がたちました。
ということは、東日本大震災・原発爆発から8年。

「ブログを始めてあなたの生活は変わりましたか?」
とウェブリブログは訊く。

ああ、変わったよ。
大きく変わった。

この世が嘘で塗り固められていたことにあらためて気づき、僕らが徹底してコケにされていることに怒り始めた。
遅まきながら。

それが、映画評を書くこととピッタリ同期している。
映画を見ること/語ること/書くこと=インプット/アウトプットが、世の中の欺瞞や歓喜について、自分の目を開くこと/人に伝えることだと確信し、実行することになった。

あとはいかに思い上がりをなくすか、だ。


2019年1月5日~14日

『迫り来る嵐』
ドン・ユエ
監督
The Looming Storm 2017年 中 1時間59分
ヒューマントラストシネマ有楽町
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圧し潰されそうな空気。
泥にぬかるむ道。
鄙びた歓楽街。
大規模な鉄路。
配管が半端に突き出た広大な荒野。

全編通して雨に煙る、地方都市1997年。
市場経済導入の活気(?)で大工場は労働者を大勢抱え、風景は殺伐としながらも鉄の箱舟からは蒸気と熱気だけは排出していた。

止まない雨はやがて寒波襲来で雪へと変わる。

情景描写だけでも一見の価値あり。

時代は北京五輪を経て、超格差社会へと激変の波に呑まれる。

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主人公を演じるドアン・イーホンは空ふかし気味のキャラで殺風景とのギャップから、皮肉な“おかしみ”を生み出す。
しかもそれが一瞬にして反転する凶々しさ。

『南京!南京!』では慰安婦役を演じた江一燕(ジャン・イーイェン)は、深い哀しみを表現するときに深い色気を放つ。

寒空の背景に溜息一つで、死に迫れる。

物語に先んじて背景描写がドラマをつくっている映画だ。


★★★★☆



『未来を乗り換えた男』
クリスティアン・ペッツォルト
監督
TRANSIT 2018年 独・仏 1時間42分
ヒューマントラストシネマ有楽町
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舞台はマルセイユ。
ナチスの迫害から逃れるドイツ人・フランス人などEXILEたちの最終EXIT。

「TRANSIT」というのは乗り換えることだが、「未来」とか抽象的な目的よりも、とるものもとりあえず極限の現実問題として、生き延びるために今目の前にあるものとスイッチする。

出て行きたくてもビザがなく、チケットがあっても出て行かず、会えない人を待ち続け、人違いの人とは何度も会う。
人と紙と運命の交差点。
去りたくても立ち去れないラビリンス。
『皆殺しの天使』(ブニュエル)のように。
マルセイユという場所がそういうTRANSIT地点なのだ。

だからこれは、「その時代のその場所」自体が主役の物語。

男は追手をかわし、なりふり構わず脱出を図り、死者から身分をいただき、いつでも出発できる状態にもかかわらず、いざとなると縁とか執着とか、離れられない要因が生まれる。

しかも最後の最後に、吉も凶も自分の努力では選べないのだという、『運命は踊る』と同じ結末が突如襲う。

乗り換えようとも取り換えようとも、人は不条理な皆殺しの天使に微笑みかけられているかのようだ。


★★★★



『ヒューマン・フロー 大地漂流』
アイ・ウェイウェイ
監督
Human Flow 2017年 独 2時間20分 ドキュメンタリー
イメージフォーラム
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荒野は火の海。
黒煙に染まる水墨色の空に太陽が透けてあたかも発火源の焔。

赤茶けた大地に子供たちが散り散りに走っていくのが眼下に見える。

国境の長く高い柵はカミソリ式の鉄条網。

真っ青な海から上陸する、燃えるような橙色の夥しいライフジャケットたち。
その後脱ぎ捨てられうずたかく積み上げられた海岸の廃棄物。

奇跡的にそこにカメラがあり、空撮が奇跡的な映像をとらえる。
ドローン撮影は世界23か国40か所の難民キャンプを巡り、現在の難民たちの漂流を網羅して海洋潮流のようにスペクタクルに見せる。
まるでそこに自分がいるかのような体験空間を作り出す。

とりわけ音響のクオリティがヴァーチャル体験に大きく寄与している。

この壮観な叙事詩は、しかし『アース』『ネイチャー』に代表される驚異の自然ドキュメンタリーではない。
皮肉なことに、グローバリズムが進むこの地球上の人間の生態を今もっとも端的に表しているのが、この難民の漂流なのだ。

世界で6850万人。
この10年で倍増。
100人に1人が避難を強いられ、国境を越えた先は排外主義の真っ只中。

「グローバル」と「インターナショナル」は違うのだと、ため息をつく。
経済のグローバル化で、人類はどんどん狭量になってゆくのか。

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俯瞰ばかりはしていられない。

ここでは難民問題にまだ日本は出てこない。
まだ・・・
これが難民問題ではなく「人類の危機」だということを理解しないのも日本だけかもしれない。

「そうだ、難民しよう!」という剽窃作品で非難された差別主義者の漫画家はすみとしこは、こういう映画を見ないのだろう。
家族を失いながらも命からがら逃避行し、食料がなくても収容所に入れられてもなお、愛する祖国に帰れない不運の犠牲者たちの実情を知れば、非難などできようはずがないのに。

武器兵器輸出国である日本が加害者の一人であることを無視したい政府と経団連。
これを無視することは彼ら利権屋と排外主義者の手先であると自覚しなければいけない。




『生きてるだけで、愛』
関根光才
監督
2018年 日本 1時間49分
ユジク阿佐ヶ谷
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観るつもりがなかったのにたまたま訳あって遅ればせながら観た。
原作を読んでいないので知らなかったけど、タイトルから予想していたようなものではなく意外な収穫。

恋愛至上主義とか、「愛」を根拠にくっついたり離れたりグジグジという話が嫌いな僕は、歳のせいでますます恋愛ものはいいや、という傾向にあったが、これはちがった。

「メンヘラ女」の生き様を描いたのか。
と納得しかかったら、最後の展開にやられた。
愛だよ、愛!
想定外の。

「帰納法の愛」とでも呼べるかな。
愛は演繹じゃダメなんだw

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いやしかし、趣里の演技は面白いし憑依してたし、スゴイ。
これが彼女にとって大きなステップになるだろう。

菅田将暉演じる男の「自分がない」人間の究極の包容力みたいなものにも瞠目。
2人の役者に感動をプレゼントされた。

途中、仲里依紗と趣里の二人のやりとりは面白くて爆笑だった。
こんな空気の映画にもこんなに笑えるシーンがあるのは新鮮。
(ぼくが映画で笑うなんてほとんどないのに)

音楽もいい。
監督・脚本は昨年ドキュメント『太陽の塔』と当作品の長編2本でデビューした、NOddiNでも活躍の関根光才


★★★★☆


この他の鑑賞作品

『まぼろしの市街戦』
フィリップ・ド・ブロカ
監督
Le roi de coeur/King of Hearts 1967年 仏 1時間42分
ユジク阿佐ヶ谷



発表!たぴおかベストシネマランキング2018

たぴおかたぴおの2018ソーカツ号

年の初めはお馴染みの昨年度《たぴおかベストシネマ》特集です。

まったくの個人的基準で決めていますので、あしからず。


2018年の鑑賞動向

総鑑賞作品:163本 (新作 139本 : 旧作 24本)

そのうち、

ドラマ(劇映画)・・・ 121本 (新 102 : 旧 19)
ドキュメンタリー・・・  42本 (新  37 : 旧  5)

劇場で・・・・・・・・・・・・154
録画・DVD・PC等・・・・ 

邦画 60本 : 海外 103



まずは、

◆◆2018年 たぴおかベスト<ドキュメンタリー編>◆◆

昨年はドキュメンタリーの当たり年でした。

いや、これは年々ますますノンフィクションの切迫性が増しているからかな。

たぴおかは、原則として普段はドキュメンタリーの優劣はつけませんが、年間ベストではMOST IMPRESSIVEな、もっとも自分が胸打たれたものをジャンル別に挙げてみました。
(見たうちのほとんどではありますがw)

そのなかでも、とくべつにオススメのものを太字にしてあります。

<生への歓喜/マイノリティ/いのち>

愛と法 https://tapio.at.webry.info/201810/article_2.html
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祝福~オラとニコデムの家~https://tapio.at.webry.info/201807/article_2.html
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恋とボルバキア https://tapio.at.webry.info/201804/article_2.html
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子どもが教えてくれたこと https://tapio.at.webry.info/201809/article_5.html
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いろとりどりの親子 https://tapio.at.webry.info/201812/article_6.html
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いのちの深呼吸 https://tapio.at.webry.info/201809/article_4.html
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隣る人 (旧/2011) https://tapio.at.webry.info/201806/article_2.html


<告発/調査報道/メッセージ>

私はあなたのニグロではない https://tapio.at.webry.info/201806/article_1.html
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華氏119 https://tapio.at.webry.info/201811/article_1.html
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ラッカは静かに虐殺されている https://tapio.at.webry.info/201805/article_1.html
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ラジオ・コバニ https://tapio.at.webry.info/201805/article_2.html
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ほたるの川のまもりびと https://tapio.at.webry.info/201808/article_1.html
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沖縄スパイ戦史 https://tapio.at.webry.info/201808/article_1.html
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OKINAWA1965 https://tapio.at.webry.info/201807/article_2.html
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共犯者たち https://tapio.at.webry.info/201812/article_8.html
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スパイネーション 自白 

タリナイ https://tapio.at.webry.info/201810/article_3.html

選挙に出たい https://tapio.at.webry.info/201812/article_3.html

ジェイン・ジェイコブズ~ニューヨーク都市計画革命 https://tapio.at.webry.info/201805/article_2.html

人間機械 https://tapio.at.webry.info/201808/article_2.html

ニッポン国VS泉南石綿村 https://tapio.at.webry.info/201804/article_2.html

サムライと愚か者 https://tapio.at.webry.info/201805/article_2.html

グラニート~独裁者を追い詰めろ! (旧/2010/米・グアテマラ) 

500年~権力者を裁くのは誰か?

乱世備忘 僕らの雨傘運動 (香港)

在日 <歴史編><人物編> (旧/1997)


<ローカリズム/グローバリズム/人類学>

ゲンボとタシの夢見るブータン https://tapio.at.webry.info/201809/article_2.html
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あまねき旋律 https://tapio.at.webry.info/201810/article_3.html
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港町 https://tapio.at.webry.info/201804/article_3.html
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<アートと人生>

顔たち、ところどころ https://tapio.at.webry.info/201809/article_5.html

デイヴィッドとギリアン~響きあうふたり https://tapio.at.webry.info/201804/article_1.html

人生フルーツ(17) https://tapio.at.webry.info/201801/article_4.html


<教育>

ニッポンの教育~挑む第二部 https://tapio.at.webry.info/201801/article_4.html



さて、いよいよ

ドラマ(劇映画)編のランキング発表です。

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昨年の台風の目玉は『カメラを止めるな!』であったことは誰も否定できませんね。

ぼくが常日頃応援している“インディーズ映画”が日本のメジャーに躍り出てトップ独走を勝ち得たのですから、それはそれは大変喜ばしいことです。

ただ、いま現在、映画関係者、ことに評価・審査する方々は悩んでいることでしょう。
この作品の扱いを。

“異質”だからです。

とくに日本アカデミー賞にとって、国内外の評価で群を抜く『万引き家族』にグランプリを与えるのは確実ではあるのでしょうが、『カメラを止めるな!』はアニメ系を除いた興行成績で言えば(6月公開なので下半期に限れば)『万引き家族』に続いて2番手だと推測されます。(データは未確定)
「売れた」という観点で言えば文句なく、賞の総ナメも十分考えられますが、内容的には「芸術性」「社会性」という点で『万引き…』に引けをとる。
でも、構成的にも発想的にも画期的な“コロンブスの卵”には、それ相当な報奨を与えるべきだと思います。

個人的にはインディーズだからこそ、その価値を高めるためにグランプリを与えてほしいと思いますが、その点に価値を置きすぎると、本来の芸術性・社会性に対する価値がぼやけてしまいます。

また、リピーターの多い観客が何を求めているかというと、お笑い的なもの、スカッとした感じ、または反復に耐える隠し味などで、(誤解を恐れずに言えば)映画館で映画的な時間を深く味わう「映画ファン」の層を増やしたかというと、決してそうではないと思えます。

なので、自分の「たぴおかランキング」にも、上位ではあっても邦画最高位には選べませんでした。
「おすすめ度」としても、みなさんもう知っているし、感想コメントも皆さんが唾を飛ばして語る以上のことは僕は何も言えませんから。


◆◆2018年たぴおかベスト・ランキング<劇映画編>◆◆

『聖なる鹿殺し』 ヨルゴス・ランティモス/アイルランド・英
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衝撃度★★★★★ フロンティア度★★★★★ 音楽融合度★★★★
https://tapio.at.webry.info/201803/article_2.html ←当ブログの該当ページです


『僕の帰る場所』 藤元明緒/日本
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リアリズム度★★★★★ 子役演技度★★★★★ 社会問題訴求度★★★★
https://tapio.at.webry.info/201810/article_3.html


『花咲くころ』 ナナ・エクフティミシュビリ、ジモン・グロス/グルジア・独・仏
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繊細度★★★★★ 不穏度★★★★ 子役演技度★★★★
https://tapio.at.webry.info/201802/article_1.html


『菊とギロチン』 瀬々敬久/日本
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発想度★★★★★ 気迫度★★★★★ 社会問題訴求度★★★★
https://tapio.at.webry.info/201807/article_3.html


『心と体と』 イルディコー・エニェディ/ハンガリー
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繊細度★★★★★ 発想度★★★★ 音楽調和度★★★★
https://tapio.at.webry.info/201805/article_1.html


『ロープ~戦場の生命線』 フェルナンド・レオン・デ・・アラノア/スペイン
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痛快度★★★★★ 物語性★★★★ 音楽駆使度★★★★ 
https://tapio.at.webry.info/201803/article_1.html


『スリー・ビルボード』 マーティン・マクドナー/英
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反逆度★★★★ 物語性★★★★ 気迫度★★★★
https://tapio.at.webry.info/201802/article_1.html


『象は静かに座っている』 フー・ボー/中国
https://tapio.at.webry.info/201812/article_1.html


『カメラを止めるな!』 上田慎一郎/日本


『万引き家族』 是枝裕和/日本
https://tapio.at.webry.info/201806/article_3.html


『ビューティフル・デイ』 リン・ラムジー/英
https://tapio.at.webry.info/201806/article_3.html


『1987 ある闘いの真実』 チャン・ジュナン/韓国
https://tapio.at.webry.info/201809/article_3.html



上位26作品のだいたいの序列は次のようになっています。


  <海外>               <日本>

聖なる鹿殺し

心と体と  花咲くころ    僕の帰る場所(日) 菊とギロチン(日)

ロープ~戦場の生命線 
スリー・ビルボード
象は静かに座っている

ビューティフル・デイ      カメラを止めるな!(日)
1987ある闘いの真実     万引き家族(日)

ビガイルド  軍中楽園    四月の永い夢(日) 飢えたライオン(日)
ウインド・リバー  テルマ  生きてるだけで、愛(日) 少女邂逅(日)
                  きみの鳥はうたえる(日) 銃(日)
判決、ふたつの希望
タクシー運転手~約束は海を越えて
女は二度決断する
ザ・プロミス~君への誓い
ハッピーエンド


次点多数


邦画ベスト10

1.僕の帰る場所
2.菊とギロチン
3.カメラを止めるな!
4.万引き家族
5.生きてるだけで、愛
  四月の永い夢
  飢えたライオン
  少女邂逅
9.きみの鳥はうたえる
10.銃


■■海外作品ベスト22■■

1.聖なる鹿殺し
2.花咲くころ
3.心と体と
4.ロープ~戦場の生命線 
5.スリー・ビルボード
6.象は静かに座っている
7.ビューティフル・デイ 
8.1987ある闘いの真実 
9.ビガイルド
  軍中楽園  
  ウインド・リバー
  テルマ 
13.判決、ふたつの希望
  タクシー運転手~約束は海を越えて
  女は二度決断する
  ザ・プロミス~君への誓い
17.ハッピーエンド
18.RAW 少女のめざめ
  レディ・バード
  フロリダ・プロジェクト
  運命は踊る
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◆◆ベスト・アクト(邦画)◆◆

最優秀主演女優賞  趣里(生きてるだけで、愛)  安藤サクラ(万引き家族) 朝倉あき(四月の永い夢)

最優秀主演男優賞  カウン・ミャットゥ(僕の帰る場所)

最優秀助演女優賞  樹木希林(万引き家族) 韓英恵(菊とギロチン)

最優秀助演男優賞  リリー・フランキー(銃)