すばらしき世界/ヤクザと家族/孤狼の血/ヤクザと憲法


ヤクザに人権はあるのか?
元ヤクザには?

この問題を果敢に切り込んで話題になったのが、東海テレビ制作のドキュメンタリー『ヤクザと憲法』だった。
(当ブログ記事バックナンバーはこちら ↓)
https://tapio.at.webry.info/201603/article_4.html?1614174888
このあと下記(ページの最後)に記事を再掲してあります。

現在、『ヤクザと憲法』を「二代目東組二代目清勇会」というタイトルでニコニコ動画でフリーで観られるのを発見。↓
https://www.nicovideo.jp/watch/sm31148394

しかしこのドキュメンタリーは、「元ヤクザ」のその後までは追いかけていない。

以前NHKが『ドキュメント 決断 ~暴力団“離脱” その先に何が~』(2014年8月14日放送)で「その後」を番組にしたが、残念ながら今はネット上でフリーでは見られない。

いま奇しくも「その後の元ヤクザ」を描いたフィクション映画が二つ同時に公開されていて話題だ。
2本セットで観るのがベスト。


『すばらしき世界』
西川美和
監督
2021年 日 2時間6分
109シネマズ川崎

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果たしてここはすばらしき世界なのだろうか。

その判断を委ねるために、作り手はよく“はみ出し者”を主役に据える。

たとえばそれは知的障碍者だったり身体障碍者だったり。
イジメの被害者だったり加害者だったり。
LGBTQだったり。
民族的マイノリティあるいは移民・難民だったり。
シングルマザーだったり貧困家庭だったり。
権力に立ち向かうレジスタントだったり。
単に空気を読まないひとだったり。
そして、刑期を終えた元極道だったり。

とりわけ、世間馴れしていない純粋なキャラとして、漫画でいうと『コジコジ』や『よつばと!』などのファンタジックなキャラたちや、ダウン症など知的障碍を持つひとたちが周囲に生む波紋によって、世間の矛盾や欺瞞に気づかせるパターンは効果的だ。

初めてカタギとして自立をめざす初老の男・三上正夫(実在/故人)も、言ってみればそんなキャラだ。
正直で一本気。
だけど短気で、直情径行。世間馴れしないどころかズレまくっている。
だから適当に折り合いをつけるということができない。
がんばろうとしても結果は裏目に出る。

そんな存在を通して周りを見ると、理不尽なことや人として許せないことばかり。
目の前の虐待を見て見ぬふりするのがこの世の常識なのか?
迷惑をかける弱者は排除すればいいのか?
それでいいのか?
と、観ているこちら側の胸ぐらを摑んでくる。

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でも、主人公はどうふるまえばいいのか迷走を最後まで続ける。
暴力をふるう人に暴力で懲らしめるのも、ちがう。
じゃあ我慢して見て見ぬふりをして一緒に嘲笑えばいいのか。
それも絶対にちがう。
どちらの両極に振れることなく、うまく生きてゆくことはできないのか。

そこには(今の日本には)絶妙な、子ども時代から習得が迫られる実に器用な熟練したペルソナ術が求められる。

さらに、人に注意をしたり諭したりするには、相当な自分のバックボーンとバランス感覚が要るのだ。

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十代から極道の世界に入り、情や恩義は任侠の世界でしか知らない。
いまだに罪に対して自省しきれていないのは、刑務所内で更生できていないせいだろうし、情をもつ“人”として扱われていなかったせいだろう。
生い立ちを汲む余地が十分にある。

どんなコワモテの男だって、母親への思慕はどこまでも自分の胸をしめつける。
家庭もなく戸籍もなく育った子どもには、自己のアイデンティティがない。
頼れる存在も、依存できる愛情もない。
ちょっとしたやさしさに涙してしまう。
幼少期の自分のルーツを求めることが、人生最大の使命となり、次のステップへのモチベーションとなってゆく。

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そんな三上にツッコミを入れ、最後には情にほだされ、自分の次のステップのモチベーションとするTVディレクター役の仲野太賀もいい役どころ。
佐木隆三の原作にない西川監督のアレンジ設定。


刑務所での更生の可能性/不可能性の問題はあるにしても、そのあとの現実課題に直面してどう自立していくか、というところに重心を置いた実録物語。

生活保護バッシングへの異議、障碍者・生活弱者に冷淡な社会へのアンチテーゼをしっかりと提示してくれていて、アウトリーチ効果も高い傑作だ。

★★★★☆



『ヤクザと家族 The Family』
藤井道人
監督
2021年 日 2時間16分
川崎チネチッタ
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前半と後半とでまるで別の映画のよう。

ケン坊(綾野剛)が組長と親子の契りを結び、激化する縄張り抗争に飛び込んでいく過程が描かれる前半は、言ってみればよくある現代の任侠もの。

その時点(1999年)では暴対法は既にできていたが、その影響はドラマ上はあまり見られなかった。

ところがケン坊が刑期を終えて出てくると、時代は変わっていた。

「もうとっくにヤクザに人権なんかなくなってんだよ」
とは登場人物の一人のセリフ。

そう、『すばらしき世界』と同じ設定だ。
こちらの主役はまだこの時点で40前だから、だいぶ将来はあるはずだが。

ここからの映画は打って変わってローテンション。
人物たちはおしなべてエネルギーをすり減らし枯れ果て、絶望からどう滑り落ちてゆくか、希望にどうすがりついていくか、という物語となる。

22歳となったツバサ(磯村勇斗)だけは例外。
ヤクザではないが半グレとしてエネルギーをフル稼働させていて、闇の世界を暗躍しようとする。
いずれにしても不幸は連鎖していく。

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ヤクザから足を洗ったにもかかわらず、制度的に「5年間は人間扱いされない」。
たとえその時期をしのいでも、ひとたびネットで「元ヤクザ」と同一化され拡散すれば、幼い子供までもが社会から弾き出される。
かつて名の知れた組長が言ったように、「これは第2の同和問題になる」。
今まさに現実となっている人権問題だ。

部落出身や在日で不遇を味わう被差別者にとってのセーフティネットとしての役割もあった極道が、暴対法によって完全に社会から排除され、生きる権利さえ奪われたことで、関わった全ての人が「不可触民」となる二次差別を、制度によって社会が作り出している。
その具体例をここまで描写して見せたドラマは稀だろう。

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絶望しか生まれないのは社会が「逃げ場」のすべてを奪ってしまっているから。
制度だけでなく、ネット自警団の過剰な正義はさらに怖い。
それこそコロナ禍の二次被害の今を象徴するかのようでもある。

昨年末公開の『無頼』(井筒和幸)は戦後からバブル崩壊までの極道一家の盛衰クロニクルで、美学やノスタルジーが強調されていて違和感が残ったが、対してこの1999年から2019年までの直近20年間の物語は悲愴感が凌駕していてしっくりくる。

バブルが終わり、終わりのない不況と暴対法が始まり、その後の虚無的日常はいま、グローバル資本主義の限界局面とシンクロしている。
ヤクザが美学を語れば唇寒いこの時代のリアルを、ただ衰亡と消滅を待つだけの弱者のリアルを、ひたすら虚しく描いていて、反社だけではなく逃げ場のないすべての人を代弁しているようだ。

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『新聞記者』でスマッシュヒットを放ったうえに国内で賞を総なめにし、なおかつ官邸の恐怖政治を告発し大衆に暗部を暴露して大きな功績をあげた河村光庸プロデューサーと藤井道人監督のタッグが、またやってくれたのだった。

★★★★



『孤狼の血』
白石和彌
監督
2018年 2時間6分 日 Netflix
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『すばらしき世界』の前に、ようやくこれを観た。
3年前のこの話題作、警察+ヤクザというジャンルはあまり得意じゃないので敬遠がちだったのだが、それでも役所広司の“極道っぷり”を見ておかないわけにはいかなかった。(白石和彌監督の仕事っぷりも)

のっけから拷問シーンで始まるが、やっぱり大した作品だった。
特筆すべきは役者たち。
役所は『すばらしき世界』の役とは対照的に、娑婆の裏も表も酸いも甘いも汚穢も禁忌も闇も泥沼も、海千山千知り尽くした破天荒かつ老獪な刑事。

彼に振り回される松坂桃李も、その演技巧者ぶりを存分に発揮。
役所も松坂も、肉体的精神的に傷めつけられる役に対して心身捧げ切っていて、その後大丈夫だったのか、と心配になるぐらい。

共演した阿部純子真木よう子も真に迫っていてよかった。
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内容的には原作の柚木裕子がすごいのだろうが、映画的にはとにかく、役所演じる刑事がどんな人物なのか知らないグレーの状態から始まって、その濃淡がどんどんどす黒くなり、ところが終盤になって急速に明度が増し、最後にはいぶし銀、いや輝くシルバーとなって驚かせる。

それで終わらずに、さらに松坂が極道への復讐と裏切り、警察本部への反撃も仕掛けるなど、ダークで痛快な結末を見せてくれるところが、天晴れカタルシス。
ダーク×ハード×エンターテインメントで、しかも泣かせる。
第2弾がこの夏、役所抜きの松坂主演で公開予定。

★★★★



<バックナンバーより再掲>

2016年3月19日 ジャック&ベティ
『ヤクザと憲法』 (土方宏史)

2015年 日本 1時間36分 
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ヤクザに密着100日!
これはそうとうなものだ。
撮る側も撮られる側も肝が据わっているなあ。

・謝礼金は支払わない。
・収録テープ等を事前に見せない。
・顔へのモザイクは原則かけない。
というルールは、当然といえば当然だけど、ヤクザ相手じゃ当然とは簡単には言えなくなってくる。

本物の暴力団の事務所の中。
聖域というかタブーというか、秘境。
覗いて見れば、ごくごく何の変哲もない事務所。
虎の剥製はあるべくしてあるが。

なんだかみなさんやさしそう。
親切だし。
「部屋住み」と呼ばれる見習いも、まだ少年な感じで世間知らずの純朴そうな男の子。いじめで引きこもり、宮崎学に憧れてこの世界に入ったのだという。
ひとりだけコワモテのNO.2(若頭?)は、その子を部屋の中でボコボコにしてたけど(撮影は閉め出された)。
その子は「辞める気はありません」

部屋の隅に置いてある細長い荷物をカメラがとらえ、「これは?」と訊く。
「テントですよ。外で使う」という答え。
「機関銃とかじゃないんですか?」と突っ込むと、
「それじゃ銃刀法違反になるじゃないですか。暴力団だからって持ってるって思うのはテレビの見過ぎですよ」とたしなめられる。開けて見せてくれる。

暴力シーンが全く映らない。抗争のハプニングもない。
“ヤクザ映画”なのに(笑)、落ち着いたものだ。

川口和秀という会長(二代目東組・副組長)がまたカッコイイ。
カリスマ臭プンプンで、(男にも女にも)惚れてまうやろオーラむんむん。
(あー、ええところしか見えてへんやん!)
23年服役した(冤罪の疑い)のに、服役前より若返ってるんじゃないか、と思うぐらい、不思議な艶がある。器が大きそうだ。撮影も何でも許してくれる。


おりしも、毎日のように山口組とその分派・神戸山口組の抗争がTV報道を賑わしていて、注目を集めている。
そんななか、あの気骨ある東海テレビが、指定暴力団「二代目東組」(大阪市西成区)の二次団体「二代目清勇会」(大阪府堺市)と、山口組顧問弁護士の山之内幸夫氏を取材した。

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「ヤクザ」を「暴力団」と呼び始めたのは警察。
彼ら自身は「任侠団」と標榜し、「極道」と美称する。

終戦直後などは「任侠道」だけあって、社会扶助としての貴重な役割を担っていた。
もし彼らや娼婦たちがいなかったら、戦災孤児(浮浪児)たちは生き残れなかっただろう。

映画の中でも、大阪の商店街のおばちゃんが「警察なんか、なに守ってくれんの。この人たちだけやんか、守ってくれるんは」と言う。
今もある程度は地域警護の機能を果たしてはいるようだが、もちろんそんな表面的な綺麗ごとだけで済むわけではない。


暴力あるいは暴力的脅迫によって自己の私的な目的を達しようとする反社会的集団
というのが暴力団の定義。
「シノギ」を稼ぐためにドラッグ、銃、売春、詐欺などに関わり、それら犯罪や抗争・暴力の温床になっていて、潜在的な反社会性は計り知れない。
もはや「必要悪」と言う人は少ない。
(映画にもシノギを稼ぐシーンが出てくる。何を売ったかは教えてくれず、怪しいことだけはわかる)

1992年の「暴対法」施行以来、規制や取締りが厳しくなり、ヤクザさんたちの生活も厳しくなった。(それが目的の法律である)
とくに最近の3年間は2万人が足を洗い、全国で6万人を割ったという。
辞めた後はどうなるのだろう。

ヤクザはもちろん、その家族も銀行口座がつくれない。入店お断りの店も急増、いろんな契約も断られる。車の保険も契約できない。保険請求したら、不正請求とか恫喝とか言われる。名刺を渡しただけで恐喝とされる。
落ち度がなくてもこじつけで逮捕され、弁護士にも断られる。
親がヤクザというだけで、子供がいじめられる。

憲法14条が定める「法の下の平等」は適用されないのか?
ヤクザに人権はあるのか?という問いに自ずと突き当たる。

「だったらヤクザをやめてしまおうとは思わないんですか?」と川口会長に訊く。
いちばん欲しかった質問だ。
「ここがなかったら、どこで受け入れてくれるの?」と、ぼそっとした答え。
会長は冤罪の恨みや日々の差別など、ここぞとばかりに声高に主張したりしない。

足を洗っても5年間は同様に規制されるという法律規定があるらしい。
でも5年なんて関係ない。一生「元ヤクザ」はつきまとう。
辞めた人のその後までは、この映画は追いかけていない。

暴力団(マフィア)自体の存在を認めない諸外国に比べると、日本は認めてしまっていることも問題なのかもしれない。
この映画を観ていかにこの人物たちに好感を持ってしまったとしても、暴力団の存在は「必要悪」ではなく「悪」だと思う。脱退後5年間の規制やその後の差別があったとしても、最終的には存在しなくなってほしい。
「戦争」のように。

ただ、そう話は単純ではない。
もしかすると、戦争よりも複雑かも。
指を欠き、刺青を入れ、前科のある者を雇うところがあるのか」という命題がまずひとつ。
法律・条例によって規制を強化し、脱退する人を増やす。その効果が出ている反面、元団員たちの更生・再就職対策が無に等しい。現状では、ほぼ無理。職につけたとしても、必ずバレる。それが続くと、ヤクザにも戻れず「半グレ」になり、以前よりひどい犯罪に手を染める。

もうひとつは、構成員たちの出自が、被差別地域だったり、在日だったりする割合が非常に高いということ。(部落民6~7割、在日3割と言われている)
つまり、再就職云々以前の話で、そもそもヤクザに入らざるを得ない、社会の光の当たらない場所で生きざるを得ない人々の受け皿になっていることは、紛れもない事実らしい。
そして、今の社会がそうした日陰で暮らさざるを得ない人々の受け皿を差別せずに用意してくれること、それでいてなおかつ犯罪の温床を駆逐することは、戦争を止めることよりも難しい気がするのだ。

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このあたりの脱退後の問題については、実はNHKがドキュメントを過去に制作している。しかも二代目東組の事務所の中に入っている。川口副組長たちが登場する。

『ドキュメント 決断 ~暴力団“離脱” その先に何が~』(2014年8月14日放送。現在ネット上フリーでは見られず)

いつも以上に今話題となっている日本最大のヤクザ組織・六代目山口組組長・司忍もこう語ったことがあるという。
 「われわれの子供は今、みんないじめにあい、差別の対象になっている。われわれに人権がないといわれているのは知っているが、家族は別ではないか。若い者たちの各家庭では子供たちが学校でいじめにあっていると聞いているが、子を持つ親としてふびんに思う。このままでは将来的に第2の同和問題になると思っている」(産経新聞でのインタビューからの抜粋/2011年)
http://www.sankei.com/west/news/150831/wst1508310022-n1.html

第2の同和問題になる」という言葉は、非常に重い。


右翼系の政治団体も、被差別者や底辺の人の受け皿になることが多いが、大抵はやはり暴力団の下部組織だったりする。
また左翼系も、各部落解放団体のように被差別者の受け皿となるし、本来は弱者の権利保障のための思想が根底にあるはずだが、同和団体は暴力団との関係が取り沙汰された。
宮崎学氏のように、ヤクザの出自で確固たるポリシーで共産党に入ったという人も珍しくはなかったのではないか。
なぜ今は、暴力団は右翼系政治団体とばかりつながっているのだろう。「義理と人情」の点で右翼とヤクザが親和性が高いということは前提事項としても。(まあ、今はそれは置いておこう)

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この映画のもうひとりの主役を忘れてはいけない。
山口組の顧問弁護士であった山之内幸夫氏だ。
『悲しきヒットマン』『シャブ極道』『鬼火』など映画化された小説の作家としても有名。
にこやかなおじさんで、コワくはない。
しかし当然、弁護士会も含めて世間の風当たりは強い。この人にも家族はいる。
報酬がいいわけでも決してない。
それでも続けてきたのだから強固な信念の持ち主だ。

ヤクザの弁護士はヤクザと同じように、罪にもならないどうでもいいような些細なことで起訴される。そして敗訴する。
ヤクザじゃないカタギが、ヤクザの憂き目を身を持って実感する。

社会で忌避される者たちが裁かれるとき、もっとも法の厳正さが試される。
ある意味、法そのものが問われる最前線にいる存在でもあった。

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さて、この映画について率直な感想。
『ヤクザと憲法』と大きく振りかぶったタイトルから、憲法や人権問題を切り口に深く考察するものと期待してはいけない。
初めTVドキュメンタリーとしてつくられたにしては、珍しく想田式「観察映画」的にノー・プランでとにかく撮影していこう、という進行で始まったと思われるつくりだ。
多少の字幕や音楽が入るが、意図されたテーマや問題点に迫ろうとする構成には感じられない。
じっくりとヤクザさんたちの日常をとらえようとする撮り方に好感が持てるし、人物の近くでその仕草や言葉を拾った映像は貴重だ。
あえて「人権」じゃなくて「憲法」にした、とプロデューサーは語っているが、いずれにしろテーマを明示しない方が、逆にテーマが浮き彫りにされてくる感じが出てきてよかったと思う。
一方で、字幕などによる解説が少し入っているが、どうせテーマを追究するなら、もっと人権について突っ込んで掘り下げて欲しかったなと思う。
つまり、どっちつかずだったような気がする。

(了)


リトル・フォレスト/シカゴ7裁判

2021年1月4~11日


『リトル・フォレスト 夏 秋』 2014年 1時間51分
『リトル・フォレスト 冬 春』 2015年 2時間
監督:森淳一
原作:五十嵐大介
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しみわたる。

つくづく、食は五感だ。
色・音・舌触り・香り、もちろん味覚(渋み・コクも含めて)。
背後には自然。
季節によって移り変わる風景は、背景というだけでなくて、食の設計図であり、原材料。

里山があり、人がいる。
食のための農。
農のための大地、雨、日射し、湿気、冷気。
「寒さも大事な調味料」というセリフが出てくるように、厳しい自然あっての味覚。

そこに、橋本愛という女性を登場させる。
20代半ばの主人公に、18歳の大人びた少女を起用する。
黙々と丁寧に日々のルーティンを重ね、自給自足の生活を実演することで、食と農が生き生きと息づき始める。
巫女のように見えるその姿は、言うなれば「食」の物語の“触媒”として働いている。

ひとつひとつの食が口に入るまでの、時間軸と奥行きを拡げてくれる。
素材のもつ触感や色彩や香りなど、官能を色めかせる。
自然からの贈り物に手を合わせ、おいしさに胸をときめかせる。

ひとつひとつの彼女の仕草や佇まいに謙虚さが映され、決して出しゃばらせない。
圧倒的な大自然には、屈従し、委ねるしかないから。
囁くような呟きで、レシピの解説とわずかな自己表現をするばかり。

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農作業のフィジカルなハードさと、単調な手仕事の面倒臭さと。
台所でのちょっとしたひと手間と、機器や装備のメンテナンスと。
おそろしいほどの非効率と、長年のコツが生んだ効率性と。

まさしく生活の智慧の集積。
この感じ、まるで『この世界の片隅で』平成版を見ているようだ。
昭和、いや、はるかいにしえから変わらない文化の実践。
『暮しの手帖』のページをめくるようでもあり。

東北の山奥で身を粉にしつつ、悩んだり、頭を空にしたり、自分を見つめたりするのは2010年代の若者たち。
時間は過去から未来まで、ふしぎなほど、意外にもあたりまえに、つながっている。
ただし、都会と田舎とのギャップは甚だしく、個人の葛藤もそれなりに現実を映す。

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四つの季節それぞれ約一時間ずつ。
一つずつ紹介されていくdish(食)が、あとからありありと思い出されて、
「どれがいちばんおいしそうだった?」
と語り合うのも鑑賞後の愉しみ。

湯気や光と陰の加減、ふんだんに出てくる橋本愛の食べるショット。
CMかと見紛うシズル画像と“女性モデル”のコラボレーションの鮮やかさと官能性は、カメラマンの貢献度が極めて高い。

逆に、この音(ASMR!)と映像の作品クオリティのために用意された絶好の素材が、これら食材だとも言える。

漫画が原作で、韓国でもリメイクされた(2018年製作・2019年日本公開)。
漫画は読んでいないが、映画を観る限り、実写映画化されて正解だった。
むしろ、映画によって画龍点睛的な完成をみたとは言えないだろうか。
漫画の実写映画化は往々にして失敗するが、これは数少ない成功例だ。

ドキュメンタリーではないが、登場人物は素人もプロも区別なく入り混じって、ふだんの生活と空気そのまんまが切り取られているように見える。
会話に不自然なところも見当たらない。

時間の経過を表現する必要のある場面がひんぱんにあるが、じっくりゆったり撮るときと、画面効果で工夫してテンポよく撮るときとがあって、なかなかうまい。

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ローカリズムの礼讃や、過疎化の悲観や、大都市の一極集中と大量消費社会への批判を声高にはしない。
ただ生きるための確かなスタンスを持とう、地に足をつけて生きよう、というメッセージが若者たち自身から発せられる。
僕ら都会の中年には耳が痛いことこのうえないけど。

地方に移住して自家菜園を作って暮らす人たちが増えているが、このコロナ禍においてはますますその意義が高まっている。
今こそ、この映画を観るときではないかと思う。

80年代バブル期、「おいしい生活」なんていう糸井コピーが流行ったけど、本当のおいしい生活って、こっちの方だよなって今になって思う。

楽観主義でも悲観主義でもない、とてもきもちのいい映像体験だ。

★★★★☆



『シカゴ7裁判』
アーロン・ソーキン
監督・脚本
The Trial of the Chicago 7 2020年 米 2時間10分 Netflix
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ベトナム戦争時における「戦争反対」。
その目的はひとつなのに、レジスタンスの闘士たちの手段や思惑は人の数だけある。
そこでまとまれるか、分裂するのか。
意志は貫徹できるのか。

その一点に注目すると、終盤、思わぬかたちで風穴が空き、胸がすく。


声を上げる。
デモを組織する。
そんな市民の民主主義のための当然の行動を妨害する、警察の横暴と挑発と加害、検察と司法の陰謀。
白色テロのようなものだ。
それに加えて「スラップ訴訟」。
つまり刑事裁判でも民事裁判でもない「政治裁判」。
圧倒的に強い権力を持つ者が弱い立場の者を制裁のように裁く。

アメリカの司法もこれほど汚れているのかと驚いたが、どうやら裁判史に残るほどの無法な裁判だったらしい。
勝ち目がないと思われた不当裁判だったが、被告の7人と弁護側は諦めない。
権力側も酷いが、対抗する市民勢力の根性も据わっている。

証言席で、
「機動隊を前にして、対決しようと思ったか」
という検察からの問いに対して、YESでもNOでもなく考え込む一人のメンバー。
「NO」って言わないんだ!?とびっくり。
決して、一歩も、一言も、妥協しない。

同じ被告仲間の「襲撃を扇動した」容疑についての証拠が出され、検察から追及されると、さっきまで反目していた仲間を擁護し、聖書の一節などを持ち出してうまくかわして容疑を否定する。
その機転と知性と冷静さに脱帽。

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そして、最後のあのシーン。
欧米では起立して賛同をあらわすシーンがよくあるが、『今を生きる』でも『パレードへようこそ』でも、そしてこの映画でも感動的な名シーンとなって残る。
(ただし、それだけにちょっとあざとさを感じてしまうのは僕が天邪鬼だからだろうか)

でも事実に基づいているだけに、その強さは何ものにも代えがたい。

「負けない方法は、勝つまであきらめないこと」

沖縄でも繰り返し刻まれてきたこの言葉は、まちがっていなかった。

★★★★







たぴおかたぴおが選んだ2010年代ドキュメンタリー傑作選

「2010年代ベスト映画」ドキュメンタリー編

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10年間で観たドキュメンタリー196本のうち2010年代の作品165本が対象。

(とりわけ2018年はドキュメンタリー豊作の年だったように個人的に感じます)

前回の記事では<劇映画編>を特集しました。
今回はその続きですので、お読みになってない方は劇映画編のまえがきも合わせてお読みください。

ドキュメンタリーというもの、ランキングをつけるのは馴染まないし劇映画よりもさらに烏滸がましい。
あくまで自分にとってパーソナルに刺さった“インパクト”の強さで選ぶことにしています。

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観なくてはいけない! 16本


『標的の村』(三上智恵/日/2013年/1時間31分)※DVDなし
http://tapio.at.webry.info/201501/article_8.html

『戦場ぬ止み』(三上智恵/日/2015年/2時間9分)
http://tapio.at.webry.info/201508/article_1.html

『カンタ!ティモール』 (広田奈津子/日/2012年)※DVDなし
http://tapio.at.webry.info/201801/article_2.html

『隣る人』 (刀川和也/2011年/日/1時間25分) ※DVDなし
https://tapio.at.webry.info/201806/article_2.html

『愛と法』 (戸田ひかる/2017/日英仏/1時間34分)
https://tapio.at.webry.info/201810/article_2.html

『トトとふたりの姉』(アレクサンダー・ナナウ/ルーマニア/2014)
http://tapio.at.webry.info/201709/article_1.html

『恋とボルバキア』 (小野さやか/2017/日)
https://tapio.at.webry.info/201804/article_2.html

『主戦場』(ミキ・デザキ/米/2018)
https://tapio.at.webry.info/20190501/index.html

『私はあなたのニグロではない』(ラウル・ペック/2016/米・仏・ベルギー・スイス)
https://tapio.at.webry.info/201806/article_1.html

『アルマジロ』(ヤヌス・メッツ/2010/デンマーク)
http://tapio.at.webry.info/201508/article_6.html

『みんなの学校』 (真鍋俊永/2014/日)
http://tapio.at.webry.info/201503/article_5.html

『共犯者たち』 (チェ・スンホ/韓/2017)
https://tapio.at.webry.info/201812/article_8.html

『日本と原発』(河合弘之/2014/日/2時間15分)※YouTubeで無料公開中
http://tapio.at.webry.info/201502/article_2.html

『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』(長谷川三郎/2012年/日/1時間54分)
https://tapio.at.webry.info/201302/article_1.html

『プリズン・サークル』(坂上香/日/2019年/2時間16分)
https://tapio.at.webry.info/202001/article_7.html

『いただきます ここは発酵の楽園』(オオタヴィン/日/2019年/1時間21分)
https://tapio.at.webry.info/202003/article_3.html


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このドキュがスゴイ! 16本


『アクト・オブ・キリング』 (ジョシュア・オッペンハイマー/デンマーク・ノルウェー・英/2012年)
https://tapio.at.webry.info/201405/article_1.html

『FAKE』(森達也/日/2016)
信用するか? しないか? 監督と佐村河内が何度も問い、問われ、見ている僕らも問い問われる。作品中、真偽は黒と白の間を行ったり来たり。しかも、ラストが劇的・・・ いや、エンドロールの後がまた・・・! ちょっと! さすが、森達也監督。 マスコミを疑え。マスコミに騙され続ける自分を疑え。そしてこの映画を疑え。そういう自己欺瞞さえ包括した、メタ映画。

『リヴァイアサン』 (V.パラヴェル、L.C=テイラー/2012/米仏英)
https://tapio.at.webry.info/201409/article_2.html

『少女は夜明けに夢をみる』(メヘルダード・オスコウイ/イラン/2016)
https://tapio.at.webry.info/20191114/index.html

『レストレポ前哨基地 Part.1』(T.ヘザリントン&S.ユンガー/2010/米)
http://tapio.at.webry.info/201512/article_3.html

『標的の島 風かたか』(三上智恵/日/2017)
http://tapio.at.webry.info/201704/article_2.html

『サムライと愚か者』 (山本兵衛/2015/独仏英日デンマーク・スウェーデン)
https://tapio.at.webry.info/201805/article_2.html

『子どもが教えてくれたこと』(アンヌ=ドフィーヌ・ジュリアン/2016/仏)
https://tapio.at.webry.info/201809/article_5.html

『いのちの子ども』(シュロミー・エルダール/米・イスラエル/2010年/1時間30分)
https://tapio.at.webry.info/201301/article_6.html

『娘は戦場で生まれた』(ワアド・アルカティーブ&エドワード・ワッツ/2019/英・シリア)
https://tapio.at.webry.info/202003/article_3.html

『シリア・モナムール』(オサマ・ムハンメド&ウィアム・シマヴ・ベデルカーン/シリア・仏/2014)
壮絶なリアルと、ポエティックなメランコリー。 究極のネガティブ映像と、美しい音声のコラージュ。 告発ビデオと、情緒的アート。 相反したふたつの手法を同時に使って奇跡的に成立したこの作品は、悲惨極まりない事実の強固さにかろうじて拮抗するだけでなく、その手法と目的においてゴダール以上に達成度が高いのではないか。

『監督失格』(平野勝之/2011/日)
https://tapio.at.webry.info/201110/article_3.html

『祝福~オラとニコデムの家~』(アンナ・ザメツカ/2016/ポーランド)
https://tapio.at.webry.info/201807/article_2.html

『タリナイ』 (大川史織/2018/日)
https://tapio.at.webry.info/201810/article_3.html

『ジェイン・ジェイコブズ~ニューヨーク都市計画革命』(マット・ティルナー/2016/米)
https://tapio.at.webry.info/201805/article_2.html

『ハニーランド 永遠の谷』(リューボ・ステファノフ、タマラ・コテフスカ/Honeyland/2019/北マケドニア)
https://tapio.at.webry.info/202007/article_3.html?1609830492


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~その他オススメをジャンル別に分類~


生への歓喜/マイノリティ/いのち

『いろとりどりの親子』 (レイチェル・ドレッツィン/2018/米)
https://tapio.at.webry.info/201812/article_6.html

『いのちの深呼吸』 (ラナ・ウィルソン/2017/米)
https://tapio.at.webry.info/201809/article_4.html

『四つのいのち』(ミケランジェロ・フランマルティーノ/2010/伊・独・スイス)※これはドキュメンタリーではないかもしれない
https://tapio.at.webry.info/201106/article_2.html

『エンディングノート』(砂田麻美/2011/日)
https://tapio.at.webry.info/20111017/index.html

『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間』(常井美幸/2019/日) 
https://tapio.at.webry.info/202008/article_3.html?1609830144

『インディペンデントリビング』(田中悠輝/2019/日)
https://tapio.at.webry.info/202005/article_2.html?1609829715



告発/調査報道/メッセージ

『ほたるの川のまもりびと』 
https://tapio.at.webry.info/201808/article_1.html

『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』(ジェレミー・セイファート/2013/米・ハイチ・ノルウェー)
https://tapio.at.webry.info/201911/article_2.html

『死刑弁護人』(齊藤潤一/日/2012年)
https://tapio.at.webry.info/201912/article_3.html

『スーパーローカルヒーロー』(田中トシノリ/2014/日)
http://tapio.at.webry.info/201507/article_1.html

『華氏119』 (マイケル・ムーア/2018/米)
https://tapio.at.webry.info/201811/article_1.html

『ラッカは静かに虐殺されている』(マシュー・ハイネマン/2017/米)
https://tapio.at.webry.info/201805/article_1.html

『ラジオ・コバニ』 (ラベー・ドスキー/2016/蘭)
https://tapio.at.webry.info/201805/article_2.html

『人間機械』 (ラフール・ジャイン/2016/印・独・フィンランド)
https://tapio.at.webry.info/201808/article_2.html

『ニッポン国VS泉南石綿村』 (原一男/2017/日)
https://tapio.at.webry.info/201804/article_2.html

『太陽の下で-真実の北朝鮮-』 (ヴィタリー・マンスキー/チェコ・露・独・ラトビア/2015)
https://tapio.at.webry.info/201702/article_1.html

『すべての政府は嘘をつく』 (フレッド・ピーボディ/加/2016)

『世界侵略のススメ』(マイケル・ムーア/2015/米)

『シチズン・フォー/スノーデンの暴露』(ローラ・ポイトラス/米/2014) 

『ルンタ』(池谷薫/2015/日)
http://tapio.at.webry.info/201509/article_1.html

『ミツバチの羽音と地球の回転』(鎌仲ひとみ/2010/日)

『小さき声のカノン』(鎌仲ひとみ/2014/日)
http://tapio.at.webry.info/201507/article_3.html

『フタバから遠く離れて』(舩橋淳/2012/日)
http://tapio.at.webry.info/201503/article_4.html

『ヤクザと憲法』(土方宏史/2015年/日/1時間36分)
https://tapio.at.webry.info/201603/article_4.html

『ザ・思いやり』(リラン・バクレー/日/2015)
https://zaomoiyari.com/


沖縄

『沖縄スパイ戦史』 (三上智恵&大矢英代/2018/日)
https://tapio.at.webry.info/201808/article_1.html

『OKINAWA1965』(都鳥伸也/2017/日) 
https://tapio.at.webry.info/201807/article_2.html

『米軍が最も恐れた男 その名はカメジロー』(佐古忠彦/日/2017)
https://tapio.at.webry.info/201909/article_2.html

『沖縄 うりずんの雨』(ジャン・ユンカーマン/2015/日)
http://tapio.at.webry.info/201507/article_3.html



民主主義/憲法

『わたしの自由について』(西原孝至/日/2016/2時間45分)
https://tapio.at.webry.info/201605/article_7.html

『選挙に出たい』(ケイヒ/中・日/2016年)
https://tapio.at.webry.info/201812/article_3.html

『不思議なクニの憲法』(松井久子/2016/日/2時間2分)

『選挙2』(想田和弘/2013年/日米/2時間29分)
http://tapio.at.webry.info/201511/article_2.html



ローカリズム/グローバリズム/人類学

『ゲンボとタシの夢見るブータン』(アルム・バッタライ&ドロッチャ・ズルボー/2017/ブータン・ハンガリー)
https://tapio.at.webry.info/201809/article_2.html

『あまねき旋律』(アヌーシュカ・ミナークシ&イーシュワル・シュリクマール/2017/印)
https://tapio.at.webry.info/201810/article_3.html

『港町』(想田和弘/2018/日米)
https://tapio.at.webry.info/201804/article_3.html

『牡蠣工場』(想田和弘/日・米/2015/2時間25分)
https://tapio.at.webry.info/201602/article_4.html

『ある精肉店の話』(纐纈あや/2013/日)
https://tapio.at.webry.info/201709/article_2.html

『世界でいちばん美しい村』 (石川梵/日/2016)
https://tapio.at.webry.info/201709/article_2.html

『カピウとアパッポ アイヌの姉妹の物語』 (佐藤隆之/日/2016)
https://tapio.at.webry.info/201710/article_1.html

『渦 UZU』 (ガスパール・クエンツ/日/2016)
http://tapio.at.webry.info/201710/article_1.html



アートと人生

『シュガーマン〈奇跡に愛された男〉』(マリク・ベンジェルール/2012/英・スウェーデン)
https://tapio.at.webry.info/201306/article_3.html

『禅と骨』 (中村高寛/日/2016)
https://tapio.at.webry.info/201709/article_2.html

『顔たち、ところどころ』(アニエス・ヴァルダ&JR/2017/仏)
https://tapio.at.webry.info/201809/article_5.html

『デイヴィッドとギリアン~響きあうふたり』(コジマ・ランゲ/2015/独)
https://tapio.at.webry.info/201804/article_1.html

『人生フルーツ』 (伏原健之/2016/日)
https://tapio.at.webry.info/201801/article_4.html

『キューティー&ボクサー』(ザッカリー・ハインザーリング/2013/米)
https://tapio.at.webry.info/201401/article_3.html

『ピナ・バウシュ夢の教室』(アン・リンセル/2010/独)
https://tapio.at.webry.info/201305/article_1.html

『PINA/ピナ・バウシュ踊り続けるいのち』(ヴィム・ヴェンダース/2011/独仏英)
https://tapio.at.webry.info/201204/article_2.html

『演劇1・2』(想田和弘/2012/日米仏/172分+170分)
https://tapio.at.webry.info/201211/article_3.html



教育

『ニッポンの教育~挑む第二部』 (筒井勝彦/2017/日)
https://tapio.at.webry.info/201801/article_4.html


観察映画

『収容病棟』(ワン・ビン/3時間48分/中/2013)
https://tapio.at.webry.info/201407/article_5.html
『三姉妹~雲南の子』(ワン・ビン/2時間33分/中/2012)
https://tapio.at.webry.info/201306/article_1.html


『Peace』(想田和弘/2010年)
『演劇1・2』(想田和弘/2012)
『選挙2』(想田和弘/2013)
『牡蠣工場』(想田和弘/2015)
『港町』(想田和弘/2018)
https://tapio.at.webry.info/201804/article_3.html

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たぴおかたぴおの「2010年代映画」ベストテン(改訂版)~選んではみたけれど~

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東日本大震災・原発"大人災"の直前に始めたこのブログは、世界的コロナ災害のさなかに丸10年を迎えました。
この10年間の初めと終わりに、人類の太刀打ちできない未曽有のできごとに見舞われたことになります。

自然災害もさることながら、人災がつねにそれを増幅する。
逆に人災が引き起こす自然災害も、地球上の恒常的な風景となってしまいました。
もはや非日常が日常となり、引き返せないポイント・オブ・ノーリターン。
コロナ禍がたとえ一段落しても、今までのような消費生活からはシフトダウンしないといけないでしょう。
果たして人類は生き残れるのでしょうか。
ニンゲンという害獣が生き延びなくても、せめて生物たちだけでも。

というフェーズに入ったゆゆしき状況で、映画などひとたまりもありません。
今般のコロナショックによって、映画演劇界は風前の灯火。
文化芸術に対するこの国の援助の貧困さは、コロナショックが去っても劇場を砂のように崩落させて終わらせるのかもしれません。

形の見えない不安が遠くからしのび寄ってきている空気を感じます。
「国難」と名付けられたウイルスのように。
この期に及んでそれを国策の具にする悪政のように。

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2010年からの鑑賞作品計1304本のなかから、新作・初公開作784本を対象とします。
(ドキュメンタリーは除外し、次回にベストを発表します)

毎年のランキングをつけてはいても、今になって振り返るといくぶん印象が変化し、そのままの順位では違和感もあったりして、かなり悩みました。

もちろん、“毒断と変見”に満ち満ちています。
結局は、自分の「好き」と、社会の「切実」が基準です。


2011年以前と以後では、僕の内面もずいぶん変化してきました。
政治の国家的詐欺を目の当たりにして、遅ればせながら初めて感情が大きく揺さぶられ、日々怒りが募ってきた10年間です。
自ずと映画の見方も変わってきます。

「映画」が、その役割を最大拡張させ、切実な人々のために切実にアピールする役割を負っているものと考えれば、「映画」というメディアの枠や芸術性の概念は何なのか、という命題に突き当たります。

そこを観る者に否応なく意識させる作品こそを、「いい映画」として選びたいと思っています。
もちろん、それは「娯楽作」を排除するものではありません。



1位、2位、というランク付けは無理なので、一かたまり(クラスター)ごとに序列しました。


さて。

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◆「2010年代映画」たぴおかベストランキング◆


<第1群> 製作・公開年度順に11本

『ヤコブへの手紙』(クラウス・ハロ/フィンランド/2009年製作/2011年日本公開/1時間16分)
https://tapio.at.webry.info/201101/article_6.html

『ヘヴンズストーリー』(瀬々敬久/日/2010/4時間38分)
https://tapio.at.webry.info/201305/article_3.html

『未来を生きる君たちへ』 (スザンネ・ビア/デンマーク・スウェーデン/2010年/1時間59分 )
https://tapio.at.webry.info/201108/article_3.html

『ニーチェの馬』(タル・ベーラ/2011年/ハンガリー・フランス・スイス・ドイツ/2時間34分)
https://tapio.at.webry.info/201203/article_1.html

『おだやかな日常』 (内田伸輝/日・米/2012年/1時間42分)
https://tapio.at.webry.info/201212/article_1.html

『FORMA』(坂本あゆみ/日/2013年/2時間25分)
https://tapio.at.webry.info/201409/article_2.html

『ブラインド・マッサージ』(ロウ・イエ/中・仏/2014年/1時間55分)
 http://tapio.at.webry.info/201701/article_2.html

『聖なる鹿殺し』(ヨルゴス・ランティモス/アイルランド・英/2017/2時間1分)
https://tapio.at.webry.info/201803/article_2.html

『魂のゆくえ』(ポール・シュレイダー/米/2017年/1時間53分)
https://tapio.at.webry.info/201904/index.html

『存在のない子供たち』(ナディーン・ラバキー/レバノン/2018年/2時間30分)
https://tapio.at.webry.info/20190802/index.html

『異端の鳥』(ヴァーツラフ・マルホウル/チェコ・スロバキア・ウクライナ/2019/2時間49分)
https://tapio.at.webry.info/202010/article_5.html?1610183880



<第2群> 製作・公開年度順に27本

『悲しみのミルク』(クラウディ・リョサ/ペルー/2009年製作/2011年日本公開/1時間37分)

『ブルー・バレンタイン』(デレク・シアンフランス/米/2010年/1時間52分)

『息もできない』(ヤン・イクチュン/韓/2010年/2時間10分)

『BIUTIFUL』(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ/スペイン・メキシコ/2010年/2時間28分)

『歓待』(深田晃司/日/2010年/1時間36分)

『キャタピラー』(若松孝二/日/2010年/1時間24分)

『ヒミズ』(園子温/日本/2011年/2時間9分)

『ライク・サムワン・イン・ラブ』(アッバス・キアロスタミ/日・仏/2012年/1時間49分)

『サイの季節』(バフマン・ゴバディ/イラク・トルコ/2012年/1時間33分)

『かぞくのくに』(ヤン・ヨンヒ/日/2012年・1時間40分)

『ある過去の行方』(アスガー・ファルハディ/仏・伊/2013年/2時間10分)

『鉄くず拾いの物語』(ダニス・タノビッチ/ボスニア・ヘルツェゴビナ・フランス・スロベニア/2013年/1時間14分)

『オマールの壁』(ハニ・アブ・アサド/パレスチナ/2013年/1時間37分)

『ボーダレス ぼくの船の国境線』(アミルホセイン・アスガリ/2014年/イラン/1時間42分)

『あの日の声を探して』(ミシェル・アザナビシウス/仏・グルジア/2014年/2時間15分)

『とうもろこしの島』(ギオルギ・オバシュビリ/グルジア・チェコ・仏・独・カザフスタン・ハンガリー/2014年/1時間40分)※ブログ内では当時のタイトル『コーン・アイランド』で掲載

『そこのみにて光り輝く』(呉美保/日/2014年/2時間)

『淵に立つ』(深田晃司/日・仏/2016年/1時間59分)

『見えるもの見えざるもの』(カミラ・アンディニ/インドネシア・オランダ・オーストラリア・カタール/2017年/1時間26分)

『僕の帰る場所』(藤元明緒/2017年/日本・ミャンマー/1時間38分)

『心と体と』(イルディコー・エニェディ/ハンガリー/2017年/1時間56分)

『バハールの涙』(エバ・ユッソン/仏・ベルギー・グルジア・スイス/2018年/1時間51分)

『ローマ』(アルフォンソ・キュアロン/メキシコ・アメリカ/2018年/2時間15分)

『在りし日の歌』(ワン・シャオシュアイ/中/2019年/3時間5分)

『37セカンズ』(HIKARI/日・米/2019年/1時間55分)

『陰謀のデンマーク』(ウラー・サリム/デンマーク/2019年/2時間)



以下に、年度ごとに発表したランキングを再掲しておきます。


◆たぴおかベスト・ランキング2019◆

1.『魂のゆくえ』(ポール・シュレイダー/米)

2.『存在のない子供たち』(ナディーン・ラバキー/レバノン)

3.『バハールの涙』(エバ・ユッソン/レバノン)
  https://tapio.at.webry.info/201902/article_1.html

4.『ローマ』(アルフォンソ・キュアロン/メキシコ・米)
  https://tapio.at.webry.info/201903/index.html

5.『ギルティ』(グスタフ・モーラー/デンマーク)
  『ペトラは静かに対峙する』(ハイメ・ロサレス/スペイン他)
  『岬の兄妹』(片山慎三/日)
  『ジョーカー』(トッド・フィリップス/米)
  『水の影』(サナル・クマール・シャシダラン/印)

10.『夜明け』(広瀬奈々子/日)
  『よこがお』(深田晃司/日)
  『金子文子と朴烈』(イ・ジュンイク/韓)
  『バーニング』(イ・チャンドン/韓)
  『ウトヤ島、7月22日』(エリック・ポッペ/ノルウェー)
  『聖なる泉の少女』(ザザ・ハルヴァシ/グルジア他)



◆たぴおかベスト・ランキング2018◆

『聖なる鹿殺し』 ヨルゴス・ランティモス/アイルランド・英

『僕の帰る場所』 藤元明緒/日本
 https://tapio.at.webry.info/201810/article_3.html

『花咲くころ』 ナナ・エクフティミシュビリ、ジモン・グロス/グルジア・独・仏
 https://tapio.at.webry.info/201802/article_1.html

『菊とギロチン』 瀬々敬久/日本
 https://tapio.at.webry.info/201807/article_3.html

『心と体と』 イルディコー・エニェディ/ハンガリー
 https://tapio.at.webry.info/201805/article_1.html

『ロープ~戦場の生命線』 フェルナンド・レオン・デ・・アラノア/スペイン
 https://tapio.at.webry.info/201803/article_1.html

『スリー・ビルボード』 マーティン・マクドナー/英
 https://tapio.at.webry.info/201802/article_1.html

『象は静かに座っている』 フー・ボー/中国
 https://tapio.at.webry.info/201812/article_1.html

『カメラを止めるな!』 上田慎一郎/日本

『万引き家族』 是枝裕和/日本
 https://tapio.at.webry.info/201806/article_3.html

『ビューティフル・デイ』 リン・ラムジー/英
 https://tapio.at.webry.info/201806/article_3.html

『1987 ある闘いの真実』 チャン・ジュナン/韓国
 https://tapio.at.webry.info/201809/article_3.html




たぴおかベスト・ランキング2017

『ブラインド・マッサージ』 ロウ・イエ/中・仏/2014
 
『トトとふたりの姉』 アレクサンダー・ナナウ/ルーマニア/2014/ドキュ
 http://tapio.at.webry.info/201709/article_1.html<
『標的の島 風かたか』 三上智恵/日/2017/ドキュ
  http://tapio.at.webry.info/201704/article_2.html
『見えるもの、見えざるもの』 カミラ・アンディニ/インドネシア/2017
 http://tapio.at.webry.info/201712/article_1.html
『あゝ、荒野』 岸善幸/日/2017
 http://tapio.at.webry.info/201712/article_2.html
『幼な子われらに生まれ』 三島有紀子/日/2016
 http://tapio.at.webry.info/201709/article_3.html
『雪女』 杉野希妃/日/2016
 http://tapio.at.webry.info/201703/article_1.html
『午後8時の訪問者』 ダルデンヌ兄弟/ベルギー・仏/2016
 http://tapio.at.webry.info/201704/article_3.html
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』 ケネス・ロナーガン/米/2016
 http://tapio.at.webry.info/201707/article_1.html
『ブランカとギター弾き』 長谷井宏紀/伊/2015
 http://tapio.at.webry.info/201709/article_2.html
『オン・ザ・ミルキーロード』 エミール・クストリッツァ/セルビア・英・米/2016
 http://tapio.at.webry.info/201709/article_3.html
『殺人者マルリナ』 モーリー・スリヤ/インドネシア/2017
 http://tapio.at.webry.info/201712/article_1.html
『私は好奇心の強い女』 ヴィルゴット・シェーマン/スウェーデン/1968(日本ほぼ初公開)
 http://tapio.at.webry.info/201702/article_5.html
『アダムズ・アップル』 アナス・トマス・イェンセン/デンマーク・独/2005(日本ほぼ初公開)
 http://tapio.at.webry.info/201702/article_5.html

以上、14作品



たぴおかベスト・ランキング2016
 
第1群

オマールの壁 (パレスチナ)

リップ・ヴァン・ウィンクルの花嫁 (日)

淵に立つ (日)

この世界の片隅に (日)


第2群

ハッピー・アワー (日)

天国はまだ遠い (日/短編)

SHARING (日)

ケンとカズ (日)

ヒトラーの忘れもの (デンマーク・独)

ガール・オン・ザ・トレイン (米)

手紙は憶えている (加・独)

ルーム (アイルランド・加)

サウルの息子 (ハンガリー)

雨にゆれる女 (日)

ある戦争 (デンマーク)

ジュリエッタ (スペイン)

ヴィクトリア (独)
        
以上、17作品


◆たぴおかベスト・ランキング2015◆

    
サイの季節 (バフマン・ゴバディ) イラク・トルコ 2012
★★★★★

~~以下、ベスト10まで~~(記載順位はゆるやかな序列)

ボーダレス ぼくの船の国境線 (アミルホセイン・アスガリ) イラン 2014
http://tapio.at.webry.info/201511/article_1.html

ザ・トライブ (ミロスラブ・スラボシュビツキー) ウクライナ 2014
http://tapio.at.webry.info/201505/article_4.html

あの日の声を探して (ミシェル・アザナビシウス) 仏・グルジア 2014
http://tapio.at.webry.info/201505/article_1.html

おみおくりの作法 (ウベルト・パゾリーニ) 英・伊 2013
http://tapio.at.webry.info/201502/article_5.html

神々のたそがれ (アレクセイ・ゲルマン) 露 2013
http://tapio.at.webry.info/201504/article_3.html

恋人たち (橋口亮輔) 日 2015
http://tapio.at.webry.info/201512/article_1.html

トイレのピエタ (松永大司) 日 2015
http://tapio.at.webry.info/201506/article_3.html

百円の恋 (武正晴) 日 2014
http://tapio.at.webry.info/201501/article_3.html

さようなら (深田晃司) 日 2015
http://tapio.at.webry.info/201511/article_3.html


(過年度作品)

BIUTIFUL(A.G.イニャリトゥ)2010 メキシコ・スペイン
http://tapio.at.webry.info/201501/article_7.html

ペタルダンス(石川寛)2013 日
http://tapio.at.webry.info/201510/article_2.html

ガザを飛ぶブタ(シルヴァン・エスティバル)2010 仏・ベルギー
http://tapio.at.webry.info/201512/article_4.html



◆たぴおかベスト・ランキング2014◆
画像
      ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞の坂本あゆみ監督(左)

★★★★★     (記載順位はゆるやかな序列)

FORMA (坂本あゆみ)

とうもろこしの島(コーン・アイランド) (ギオルギ・オヴァシヴィリ)

ある過去の行方 (アスガー・ファルハディ)

そこのみにて光り輝く (呉美保)

アクト・オブ・キリング (ジョシュア・オッペンハイマー)

2つ目の窓 (河瀬直美)

鉄くず拾いの物語 (ダニス・タノヴィッチ)

愛の渦 (三浦大輔)

金の鳥籠 (ディエゴ・ケマダ=ディエス)


            ~以上、ベスト9

★★★★☆

リヴァイアサン (V.パラヴェル、L.C=テイラー)

ほとりの朔子 (深田晃司)

馬々と人間たち (ベネディクト・エルリングソン)

ジゴロ・イン・ニューヨーク (ジョン・タトゥーロ)

舞妓はレディ (周防正行)

欲動 (杉野希妃)

トム・アット・ザ・ファーム (グザヴィエ・ドラン)




◆たぴおかベスト・ランキング2013◆


おだやかな日常(封切は一昨年末)

恋の渦

父の秘密

ほとりの朔子(昨年映画祭で公開。封切はこの1/18~)

地獄でなぜ悪い

たとえば檸檬(封切は一昨年末)

        以上、ベスト6 (ゆるやかな序列)

偽りなき者

三姉妹~雲南の子

プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ

共喰い

そして父になる

少女は自転車に乗って


        以上、ベスト12 (順不同)

◆たぴおかベスト・ランキング2012◆

ニーチェの馬

おだやかな日常

ライク・サムワン・イン・ラブ

ヒミズ

少年は残酷な弓を射る

かぞくのくに

39窃盗団

ふかくこの性を愛すべし

おおかみこどもの雨と雪

たとえば檸檬

カミハテ商店

Drive


(以上12本)


◆たぴおかベスト・ランキング2011◆


ヤコブへの手紙 

悲しみのミルク

未来を生きる君たちへ  ブルーバレンタイン 

アリス・クリードの失踪

蜂蜜

歓待

ツリー・オブ・ライフ  四つのいのち  アジアの純真

症例X  監督失格

灼熱の魂  アンチクライスト  ふゆの獣 

名前のない少年足のない少女

光のほうへ  わたしを離さないで  

無言歌

キック・アス  家族X  NINIFUNI



◆たぴおかベストランキング2010◆

第1群

ヘヴンズ・ストーリー(瀬々敬久/日)

息もできない(ヤン・イクチュン/韓)

キャタピラー(若松孝二/日)

フローズン・リバー(C.ハント/米)

第2群

歓待(深田晃司)
パレード(行定勲)
半分の月がのぼる空(深川栄洋)

第3群

・イングローリアス・バスターズ(クエンティン・タランティーノ)
・白いリボン(ミヒャエル・ハネケ)
・隠された記憶(ミヒャエル・ハネケ)
・海炭市叙景(熊切 和嘉)
・シルビアのいる街で(ホセ・ルイス・ゲリン)
・パラノーマル・アクティヴィティ(オーレン・ベリ)

たぴおかベストシネマ2020 第2弾<ドキュメンタリー編>

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前回の[劇映画編]に引きつづいて、今回第2弾は、[ドキュメンタリー編]を発表します。


<2020年たぴおか映画鑑賞動向>

全160作品  (新作95本 旧作65本)

・フィクション/劇映画 125作品 (新64本 旧61本)

・ドキュメンタリー    35作品 (新31本 旧4本)

劇場 96本 : PC/DVD/録画 64本

邦画 79本 : 海外 81本



昨年観た作品の中でドキュメンタリー35本、そのうち新作31本の中から選びました。
そのほとんどが、拡散すべき優れた社会派作品であり、知識ベースとしても表現としても大事な作品です。
公開機会が限られたものが多いだけに、鑑賞機会も少ない、だからこそ配信などの機会があればすかさず発信・拡散していきたい作品たちです。

みなさまもご協力ください。



たぴおかベストシネマ2020
第2弾<ドキュメンタリー編>


インパクト順ベスト4

『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』
平良いずみ
監督
2020年 日本 1時間46分 vimeo(配信)
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やさしくてやわらかい。

ドキュメンタリーとしてはこれ以上ないくらいの、あたたかい手のひらで届けられたような、いとおしさとしたしみといつくしみを感じさせてくれる。

「沖縄のドキュメンタリー」と聞いただけで、かなしいかな「2分で結論がわかってしまうから見ない」と言われることが多いなかで、これはちがう。

15歳の女子・菜の花さんのまなざしと、
包み込んで語りかけるようなオジイ・津嘉山正種さんのナレーションと、
主題歌を唄う上間綾乃さんと、
そしてこの映画を作った監督女子・平良いずみさんと。
四者ともに、「告発」調とは一線を画したまなざしのコラボでできている。

なによりも、菜の花さんの「行動力」と「エンパシー能力」が物事を動かしている。

石川県出身の坂本菜の花さんは小学校時代にイジメにあった経験から、小5からは親元を離れて和歌山の全寮制「きのくに子どもの村学園」に移った。
沖縄への体験旅行がきっかけで、高校からは単身沖縄へ移住。
住み込みで働きながら、珊瑚舎スコーレという老若男女が集まるフリースクールへ通う。

アウトリーチ度★★★★★

(つづきはこちらの本文で)
https://tapio.at.webry.info/202006/article_5.html?1609815389


『プリズン・サークル』
坂上香
監督
2019年 日本 2時間16分 ドキュメンタリー
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ついにこんな画期的な映画ができた。
撮られるべくして撮られたが、日本では初めてだ。
刑務所内で受刑者を定点観測2年間。

初犯で比較的軽い犯罪だから比較的若い。
顔はボカシという条件で、許可が下りるのに6年(撮影期間は2年)。

ここは、セラピーを受けられる日本唯一の刑務所(更生施設)。
2008年開設の島根あさひ社会復帰促進センター

真新しい施設内は殺伐とした雰囲気はなく、むしろ照明も色づかいも明るいイメージだ。
ソフトイエローを基調としたユニフォームのメンバーたちが集まる部屋には、同じ色のイスが輪になって並ぶ。

そこで行われるのが、希望者を対象としたTC(Therapeutic Community=回復共同体)と呼ばれるプログラム。
当事者同士が対話をするなかで人間性を取り戻していく活動だ。

探求度★★★★★
目からウロコ度★★★★

(つづきはこちらの本文で)
https://tapio.at.webry.info/202001/article_7.html?1609815677


『いただきます ここは、発酵の楽園』
オオタヴィン
監督
2020年 日本 1時間21分 ドキュメンタリー
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なんで泣けるんだろう。
最後に宮沢賢治の詩でウルウルくるのは、そこに希望しかないから。
地に足のついたポジティブが、みんなの手からも目からもあふれてくるんだな。
「希望泣き」って、あんまり経験ない。

みんな、いい顔をしている。

このポジティブな作りって、人を動かす力があるよな~って思う。
まさにモティヴェイション。
賛同を得やすいし、やってみたくなる。

希望泣き度★★★★★

(つづきは本文で)

『娘は戦場で生まれた』
ワアド・アルカティーブ&エドワード・ワッツ
監督
For Sama 2019年 英・シリア 1時間40分 ドキュメンタリー
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切実度★★★★★
勇気ハンパない度★★★★★

上記2本はこちらのリンクからブログ記事に
https://tapio.at.webry.info/202003/article_3.html?1609816057


その他、14本の力作ぞろい

『ハニーランド 永遠の谷』
監督:リューボ・ステファノフ、タマラ・コテフスカ
Honeyland 2019年 北マケドニア 1時間26分
人生の縮図度★★★★★
観察力★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202007/article_3.html?1609830492

『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』
豊島圭介
監督
2020年 日本 1時間48分
知的コーフン度★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202003/article_4.html?1609830401

『精神0』
想田和弘
監督
2020年 日・米 2時間8分
原点回帰度★★★★★
慈愛度★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202005/article_1.html?1609830285

『普通に死ぬ ~いのちの自立~』
貞末麻哉子
監督
2020年 日本 1時間59分
風穴あけ度★★★★★
共助力★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202011/article_2.html?1609829815

『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間』
常井美幸
監督
2019年 日 1時間24分
慈愛度★★★★★
ナチュラル度★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202008/article_3.html?1609830144

『なぜ君は総理大臣になれないのか』
大島新
監督
2020年 日 1時間59分
真っ正直度★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202006/article_4.html?1609830176

『グレート・ハック SNS史上最悪のスキャンダル』
カリム・アーメル、ジェヘイン・ヌージャイム
 共同監督
2019年 米 1時間54分 Netflix
衝撃度★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202012/article_2.html?1609829766

『はりぼて』
五百旗頭幸男・砂沢智史 
監督
2020年 日 1時間40分
痛快度★★★★★
情けない度★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202008/article_5.html?1609830058

『インディペンデントリビング』
田中悠輝
監督
2019年 日 1時間38分
共助力★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202005/article_2.html?1609829715

『愛国者に気をつけろ! 鈴木邦男』
中村真夕
監督
2019年 日本 1時間18分
インクルーシブ度★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202002/article_1.html?1609829289

『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』
太田隆文
監督
2019年 日本 1時間45分
啓蒙度★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202008/article_4.html?1609830095

『もったいないキッチン』
ダーヴィド・グロス
監督
2020年 日 1時間35分
アウトリーチ度★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202009/article_2.html?1609829993

『ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ』
田部井一真
監督
2020年 日本 1時間38分
慈愛度★★★★★
親和力★★★★★
https://tapio.at.webry.info/202010/article_5.html?1609831096






たぴおかたぴおの2020ベストシネマランキング<劇映画編>

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<たぴおかベストシネマ2020>第1弾 [劇映画編]


年のはじめの恒例の、昨年1年間のソーカツ号です。

一昨年末からNetflixをサブスクしたのに加えて、昨年はコロナ巣ごもり期間が続いたせいで、全世界的に自宅で映画を見ざるを得ない状況となりましたね。

日本では映画館が思いのほか早く復活したのはよかったですが、決して製作現場も劇場も安泰ではありません。
海外作品の配給・公開は中断・延期により、減っています。
欧米での劇場封鎖がいまだに続いているのは、海外作品の製作・配給の中断だけでなく、今後も映画界全体への影響が長引くでしょう。

一方で、Netflixは伸び続けています。
「映画は自宅でいいか」と思った人は多いでしょうが、僕からしてみれば、劇場と自宅とでは作品に対する集中度が雲泥の差です。
自宅で鑑賞しても、記憶の鮮明度が今一つなのです。

それでも、僕も例に洩れずおのずと自宅での鑑賞が増えました。
結果、新作は減り、旧作が増えました。


<2020年たぴおか映画鑑賞動向>

全160作品  (新作95本 旧作65本)

・フィクション/劇映画 125作品 (新64本 旧61本)

・ドキュメンタリー    35作品 (新31本 旧4本)

劇場 96本 : PC/DVD/録画 64本

邦画 79本 : 海外 81本


第1弾の今回は、[劇映画編]
次回第2弾は、[ドキュメンタリー編]を発表します。

さて。
今回も同じことを書きます。

「映画」が、その役割を最大拡張させ、切実な人々のために切実にアピールする役割を負っているものと考えれば、「映画」というメディアの枠や芸術性の概念は何なのか、という命題に突き当たります。
そこを観る者に否応なく意識させる作品こそを、「いい映画」として選びたいと思っています。
もちろん、それは「娯楽作」を排除するものではありません。


このブログも、まる10周年となり、11年目に入ります。

映画を観て、書く。
見るだけで終わらせず、書いて、頭の中を整理し、気づき、記録し、文章表現をする。
その一連の行為の、訓練。
「趣味」のように楽しいだけでもないし、「課題」のように義務感や使命感のように感じられることもあり、よくわからないのだけど、その両方だと思います。
つまり、娯楽であり、学習であり。
発見であり、アップデートであり。
瞑想であり、プラクティスであり。
自分へのインプットであり、社会への発信であり。

そうは言ってもお気楽に書いているからここまで続けられるのでしょう。
そんなわけで、今後もこのルーティンは続くものと思われます。



◆ベストランキング2020◆<新作・劇映画編>

1.『異端の鳥』(ヴァーツラフ・マルホウル/2019/チェコ・スロバキア・ウクライナ)
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出てくる大人たちはみな悉く堕落して、邪気と狂気に満ちていて、どうしようもなく醜い。

数えればたった3人だけ善人がいたが、それだけだ。

まだ幼さの残る少年はなぜか行く先々で忌み嫌われ虐待されるか、大人たちの好きなように利用される。

差別され迫害され続ける地獄巡りは、いったい何か所あっただろう。
次から次へと、世界の堕落を少年は見せつけられ、正視に耐えない状況に少年が巻き込まれるシーンをぼくらは見せつけられる。

―――たとえば宣材写真にある、土に埋められ頭だけ出す少年の目の前でカラスに狙われるシーン。複数のカラスに攻撃されるショッキングな映像を一体どうやって撮ったのか。(CGなのか、などの情報は見つからず)
演技未経験のペトル・コトラール少年こそ、こんな目に遭うとは思いもしなかっただろう。撮影自体が地獄巡りだ。
映画祭で「退場者続出」というレポートは嘘ではないらしいーーー

(以下、ブログ本文につづく)
https://tapio.at.webry.info/202010/article_5.html?1609575498


2.『スパイの妻』(黒沢清/2020/日本)

  『ソワレ』(外山文治/2020/日本)


4.『在りし日の歌』(ワン・シャオシュアイ/2019/中)

  『37seconds』(HIKARI/2019/日・米)

6.『生きちゃった』(石井裕也/2020/日本)

  『朝が来る』(河瀨直美/2020/日本)

  『陰謀のデンマーク』(ウラー・サリム/2019/デンマーク)

9.『パラサイト 半地下の家族』(ポン・ジュノ/2019/韓)

  『ラ・ヨローナ 彷徨う女』(ハイロ・ブスタマンテ/2019/グアテマラ)

~ ~ ~

<準ベスト>

 アイヌモシリ (日)
 透明人間 (米)
 ルース・エドガー (米)
 ミッドサマー (米)
 ラストレター (日)

<準々ベスト>

 おもかげ (スペイン・仏)
 鵞鳥湖の夜 (中・仏)
 許された子どもたち (日)
 はちどり (韓・米)
 MOTHER マザー (日)
 RED (日)
 名もなき生涯 (米・独)



【 お ま け = 各種 インパクト賞 ! 】

昨年観たなかで、個人的にインパクト大だったフィクション作品。
年度( )のないものは昨年公開作。

<口あんぐり大賞>

『ミッドサマー』

『異端の鳥』

『アングスト』(83)

『葛城事件』(16)

(再)『ポゼッション』(81)


<リアル・ヴィヴィッド大賞>

(現在進行中のcovid19の災禍を10年前にリアルに予測し詳細に描いている)
『コンテイジョン』(11)


<泣き腫らしアウォード>

『37セカンズ』

『ソワレ』

『朝が来る』

『ラストレター』

『生きちゃった』

『悲しみより、もっと悲しい物語』(18/台湾)

『デッドマン・ウォーキング』(95)

『妻への旅路』(14)


<抱腹絶笑大賞>

『そして泥船は行く』(13)


<社会派アウォード>

『パブリック 図書館の軌跡』

『ラ・ヨローナ 彷徨う女』

『ソワレ』

『蒲田前奏曲』

『パラサイト 半地下の家族』

『SKIN』

『はちどり』

『許された子どもたち』

『レ・ミゼラブル』

『陰謀のデンマーク』

『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(85)

『弁護人』(13/韓)

『デッドマン・ウォーキング』(95)



以上、どれも愛すべき作品です。
そして、ここに書ききれなかった他の作品たちも、見落とせない作品ばかり。
(僕は厳選して観てるので、ハズレは数本しかありません)

バックナンバーを振り返っていただければ幸いです。
上記リストのほぼすべて、ブログ内でタイトル検索が可能です。


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私をくいとめて/滑走路/アンダードッグ/無頼

2020年12月19日~29日

公開中の邦画新作4本。

闇は、ろうそくの光を消せない。
陽光の中にこそ、影はきわだつ。


『私をくいとめて』
大九明子
監督
2020年 日本 2時間13分
TOHOシネマズ川崎
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原作の綿矢りさ、監督の大九明子、主演ののん、3人の女性の世界観が絶妙にコラボされた、女性一人称作品。

監督の前作『勝手にふるえてろ』も今作も東京国際映画祭観客賞を獲得したが、松岡茉優主演の前作は、僕には不幸にも面白さのカケラもわからず何の引っかかりも残さなかった(^_^;)作品だっただけに、今回の同じ「綿矢=大九コンビ」もあえて期待せずに入ったのだが、なかなかどうして新鮮な魅惑たっぷりの果実だった。

コミュ障のネガティヴな内面を一貫してポジティヴなテンションで明るく描いてしまうエンカレッジングな作風や、こじらせ女子独特の一人称つぶやき形式は同様なのに、今作はなにがちがったのだろう。

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こればかりはどうしても僕個人の「好み」の話に帰結してしまうのだが、やはりのんのキャラクターの魅力に尽きると言ってしまっていいかもしれない。
全編を通してアップ気味に撮られたきれいな顔立ちと、纏う透明な空気感、ナチュラルな身ぶり・表情・発声を目の前にすると、ファンでさえ想定以上のかわいさにヤラれ、批評家のイマジネーションをも望外に刺激するのではないか。

小説は読んでいないが、32歳設定の主人公に27歳ののんを起用し、2歳年下の相手役には設定どおりの30歳の林遣都を起用するに当たっては、やはり監督にはのんに対するとくべつな思いがあったのだろうと思った。
ふだんから見た目では10代にさえ見られかねない彼女が31歳を演じることで、やや浮世離れしたニュアンスが醸し出されている。
ふつうならばジメっと湿っぽい空気になりそうなところを、カラッとしたそよ風を吹かせているのは明らかにのんのおかげだ。

ところがパンフを読むと、のんの起用はプロデューサーの提案で、何よりもシナリオを読んだのんが温泉施設の女芸人の一件で感情を爆発させるシーンをぜひ演じたいから、という強い要望があったからだとか。

「おひとりさま」にこだわる登場人物たち、なかでも主人公がなぜそこまでこじらせるに至ったかを垣間見せるシーンがいくつかあり、ハイテンションな中にもそこだけは表現にありったけの繊細さが払われている。
くだんの温泉シーン、過去のセクハラのトラウマを暗示させるシーンでは、のんの個人的感情が完全に移入されていたように見えた。
親友との葛藤を氷解させるシーンでは、橋本愛の表現力も相俟って、しっとりとしたローテンションが見事な逆アクセントとなっていた。

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暗く重たいトラウマ物語はたくさんある。
でも外面からして深刻だと、見ようとする人は多くはない。
深刻なのにこんな軽やかで清々しい映画は稀少価値。
明るいなかにこそ、陰に隠された傷がやんわりと沁みる。

ひとりで週末を優雅に過ごし、年末年始に海外旅行にまでリッチっぽく出かけてしまうなど、このコロナ禍とはかけ離れた一見呑気な話に感じられてしまうのは単に不運なだけだが、「孤独をいかに楽しむか」というスタンスや距離感は、生活が困窮しているいないにかかわらず、全女性への応援歌となっているだろう(たぶん)。

もちろん男性にもおすすめ。
作品の出来不出来とは別に、「話したくなる」映画ってあるけど、これもそんな作品。
コロッケ屋の店主など、笑えるキャラや微笑ましいシーンが数多く散りばめられているしね。

★★★☆



『滑走路』
大庭功睦
監督
原作:萩原慎一郎「歌集 滑走路」
2020年 日本 2時間
角川シネマ有楽町
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『私をくいとめて』とは逆に、深刻な外面、暗澹とした内容のトラウマ物語だが、どんなに逆境でも、たとえどん底でも、打ちのめされては前を向かせ、打ちひしがれては立ち直らせる「言葉」がしっかりと伝えられて、かすかながらもポジティブなベクトルへ、わずかながらも陽の当たる方へと導こうとする。

ともするとそれは、いきおい説教くさくなりがちなのが常だが、決してそうはならないのがこの映画の確かなわきまえ。
言葉は押しつけがましくなく、非言語的表現ではさりげなく仄めかす。
そんなバランス感覚に優れている。

ヒットした歌集が原作となっているが、この映画とは世界観のみを共有する。
初の歌集を上梓する直前に自死した萩原慎一郎の32年の実体験を、本作の登場人物に色濃く投影している。
また、死後つまり本人の知らない未来に、周囲の人物たちがどういう人生を送っているかを別の視点の架空の物語として加え、主に3本のストーリーを柱とした構成にしている。

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「こんな世界に生まれて、子どもたちはしあわせに生きられるのだろうか」
というテーゼが繰り返し現れる。
「それでも・・・生きる価値がある」
「宝物のように育て、しっかり守ってやりなさい」
坂井真紀演ずる、息子を亡くした母が語る言葉は、ひときわ心に響く。

★★★☆



『アンダードッグ』(前編/後編)
武正晴
監督
原作・脚本:足立紳
2020年 日本 (前)2:11(後)2:25 計4時間36分
丸の内TOEI
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安藤サクラ主演の名作『百円の恋』と同じスタッフが結集して、同じボクシングで今度は男を使ってそれを超えよう、とチャレンジしたという。

ボクシング映画というのは、物語性の必須要素が全部そろったうえでギュッと凝縮され、時間経過とともにプロローグ→モチベーション→挫折→復活→クライマックスといった展開になるため、気合を入れて作れば大抵は感動ものとして成立する。
なんて、門外漢が知ったかぶって勝手にヤラシイことを言う。
でもじっさい、ボクシング映画で失敗したものってあるんだろうか。

この映画も、とても引き込まれ、持っていかれ、振り回され、打ちのめされた。

あるレベルで。

ただ、『百円の恋』以上ではなかったし、『あゝ荒野』(岸善幸)のボクサーたち(菅田将暉、ヤン・イクチュン)の物語に及ぶものではなかった。
個人の感想としては、「映画としては普通」だったという言い方になってしまうが、森山未來も、北村匠海も、勝地涼も、瀧内公美も並じゃなくてよかった。

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いちばん印象に残っている演者は、二ノ宮隆太郎監督。
哀しみが滲み出てて、好きだなあ。
渡辺紘文監督とキャバクラで乱闘するところは監督同士の場外乱闘みたいで見ものだった。(一方的にヤラレちゃったけどね(´Д`)

★★★☆


今日ですべてが終わるさ
今日ですべてが変わる
今日ですべてが報われる
今日ですべてが始まるさ


これはご存じ泉谷しげる『春夏秋冬』で、次の『無頼』のテーマ曲にもなっているが、むしろ『アンダードッグ』のエンディングテーマにこそよく似合うと思った。


『無頼』
井筒和幸
監督
2020年 日本 2時間26分
ジャック&ベティ
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“昭和の色”って、まさにこれ。
昭和の香りまで匂ってくる。
スクリーンに沁み込んだかのような燻ぶった哀愁の色は、戦後の任侠史と任侠映画史を雄弁に物語る。

そこに、やにわに、しのつく雨。
降るべき時に降る“正しい”雨が、ヤクザ渡世をおさまりよく整える。

そんな年季の入った映画術を心得る井筒作品だが、あまり破天荒ではない理性的な“侠客”の、戦後の混乱期からバブル崩壊まで、昭和の一代記を縦覧するにとどまっている浅薄な全体像には、なんとも満たされない気分。

配下の荒くれ者たちの個々の造形や群像の凄みは大したもので、スター役者をほとんど使わない配役も流石だが、ひとつの事件にフォーカスすることもなく、人間関係の深みに踏み込む濃厚さもなく、あっさりと俯瞰するように時代を追うシナリオには、勿体ないと呟いてしまう。

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2時間半を長いとも思わず飽きもせず見入っただけに、惜しい。
井筒監督8年ぶりの新作ということで期待していただけに、失望感は否めない。

印象に残ったのは、柳ゆり菜のかわいさと堂に入った演技。
何十年たっても老けないのは、超越的存在なのかな。

★★★





バクラウ/キム・ギヨン特集/ラブ・レター

2020年12月6~13日


「クレイジーな映画」にも色々ある。
クレイジーなふりを装う映画、監督自身がクレイジーな映画、クレイジーを仕掛けとして利用する映画などなど。



『バクラウ 地図から消された村』
クレベール・メンドンサ・フィリオ、ジュリアノ・ドネルス
 共同監督
Bacurau 2019年 ブラジル・仏 1時間21分
イメージフォーラム
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「見事なまでに狂っている」
とチラシに大きな謳い文句が書かれていたので、数々のトンデモ映画やトラウマ映画や狂人カルト映画を観てきた僕としては、どう攻めてくるのか覚悟しながらワクワクしながら臨んだ。

ブラジルの乾いた辺境の地を舞台に起こっているこの事態は、南米特有の荒唐無稽な「マジックリアリズム」なのか、大真面目なディストピアなのか、はたまた単なる不穏な日常なのか。
早々に出現する空飛ぶ円盤も、すぐにアレだと判断がつくだけに、逆にますます物語の虚実が判断つきかねるまま、意外と坦々とした前半を送る。

村人たちも何が起きているのかわからない。
ただ、バクラウ村の状況や過去について、村人たちが前提として知っていることを僕らは知らない。
村人たちが何を恐れているのか、過去から今まで何と闘ってきたのか、そしてそれが今のこの事態とどう関係しているのか、後半、次第に明かされてくる。

そして、中盤から狙撃や殺戮がゲリラ的に展開される。
タランティーノ風なヒップなノリと、『七人の侍』的なスピリットで、西部劇の風味を借りて、サスペンスフルな活劇が愉しめる。

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バクラウ村は、この排除された世界は、何のメタファーなのだろう?と鑑賞しながら考える。
日本でいうと、虐げられた「部落」なのかな。

結末が訪れると、なるほど、と思う。
ちょっとオーバーではあるが、意外なほどシンプルで、シュールさはなく、けっこう現実的に納得のいくレジスタンス映画である。
娯楽としても、ポリティカルにも、懲悪劇にスカッとする。

現実から遠いように見せかけて、実はすぐそこにある現実を描いている。
そのスタンスに賛辞を送りたい。

この村の正体はこの映画を観るだけでは明示されていないが、由来として「被差別部落」的な成り立ちということで間違いなさそうだ。
ブラジルではその昔、アフリカからの奴隷を従事させていた。
彼らがもたらした武術カポエイラも劇中で演じられていたし、黒人や原住民や混血のメスチーソと見られる人々が集落に住んでいる。

ちょっと調べると、ポルトガル人支配から逃れた奴隷たちが集落を形成して共同生活をしていた歴史がわかる。
彼らを「マルーン」と呼び、とくに中南米の大陸に独特な呪術的文化を広く定着させていたわけで、人文学的にも興味深い。
(公式HPはなぜかずいぶん陳腐にできていて、全てを謎に包ませたいのはわかるが、そうした解説は一切書かれていないし、紹介文も知的好奇心をそそられない。もう少しそこに焦点を当ててもいいのではないか。パンフレットには解説があるのだろうか)

「地図から消された」というのも、ブラジルの現在の極右大統領ボルソナロなら実際やりかねない。
寓話どころかリアルな香りが漂ってくる。

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狂人をやらせたら古今東西随一のウド・キアーが、作品の虚実の真ん中を貫く。
村人もスナイパーも女性たちが躍動。
ソニア・ブラガ演じる「血の白衣」の医師も不思議な存在感。

ブラジルのまつろわぬ民たちの反骨不屈の魂が一気に炸裂するパワーを見せつけてくれる。
いちばんの首謀者=権力者の彼にいちばん酷い殺り方を施してくれれば、もっとスカッとできたのにな。

★★★☆




“傑作”にして“怪作”を撮る監督キム・ギヨン(金綺泳)は、
“異能”にして“怪物”かつ“変態”だった。
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今回の特集上映では7作品が公開され、今回観た2作以外にもトンデモ作品ばかり。
ソウル大学医学部卒(東大医学部並み)で医師資格を持つというのだから、その奇人ぶりに拍車をかける。
天才と狂気は紙一重。

トラウマ的マスターピース『下女』については数年前に書いたので、3番目に再掲載しておく。


『死んでもいい経験』
キム・ギヨン
監督
1990年 韓 1時間39分
シネマヴェーラ
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3人の女と2人の男の愛憎劇。
予測のつかない物語の展開が凄まじい。
予定調和が裏切られるどころか、ありえない偶然を無理やり必然に変える強引さが、「トンデモ」作品のパワーに変換されている。

演出(=導演や劇伴の付け方)の素人並みの下手さが相俟って、怪作と呼ぶにふさわしい。
場内では幾度となく笑いが勃発した。
結末も、こんなオチのつけ方でいいのか?と失笑してしまう。

90年当時の韓国、今以上に家父長制的な男尊女卑が色濃かったはずで、家庭内外のパワハラ・セクハラが過剰に主人公女性を傷めつける。
しかしそれに対する復讐劇も突飛で過剰。
デフォルメされたハラスメントは嗜虐趣味というわけではなくて、男尊女卑の不毛や滑稽さに焦点を当てている(と思われる)。
その意味では真面目な映画だ(^_^;

才気と逸脱がアンビバレンスに拮抗している、稀少な逸材。

この作品が晩年71歳の遺作というのだから、熟練の妙技やいぶし銀の味わいではなく別のベクトルを目指していたということだろう。
それが何の方向性なのかはわからないが。

★★★


『玄海灘は知っている』
キム・ギヨン
監督
1961年 韓 1時間57分
シネマヴェーラ
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片やこちらはフィルモグラフィー初期の作品だというのに、いたってシリアスな社会派映画。
太平洋戦争中、日本軍に徴用された朝鮮人男性が遭う激しい差別と虐待、日本人女性との悲恋が描かれる。

まずギョッとするのは、日本の軍隊内が舞台なのに全員韓国人による韓国語の演技だということ。
こうした作り方を余儀なくされることも、珍しくなかったことも承知しているが、それでもやはり違和感に圧倒される。

その状況で日本人と朝鮮人の軋轢を描くとなると、どうしても朝鮮人を贔屓目に、日本人を醜悪に描いてしまうのではないかと不安になる。
ただでさえ被害国側の加害国に対する恨みは鬱積しているのだから、韓国語で韓国人に見せる映画ならばつい表現を盛ってしまうのではないかと。

ところがどっこい。
まず、日本人の名前の発音や、生活の中の所作や、鼓の持ち方などの文化伝統に関するものは多少の相違はあれど、とくべつ気になるほどのものは驚くほど少なかった。
そのあたりの考証は日本人にしっかりやってもらったのだろう。

そして物語が進み、言葉の違和感に馴れてくると、日本人像の歪曲や侮辱表現などがなく、実に公平に描いていることがわかってくる。
上官からの苛めを描きながらも、同僚やいい上官からの援護もあり、日本女性が偏見を捨てて彼に恋に落ちるのも両者にとって美徳だ。

この監督が狂気の天才という顔だけでなく、誠実な側面を持ち合わせているのだと思い至る。

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主人公は日本軍の中で何のために戦っているのか、祖国のためでもない、日本のためでもない。
米国と戦っている? いや、戦争という馬鹿げた巨悪と闘っているのだということを全身で訴える。
最後は日本人も朝鮮人も、街の大空襲で炎の壁に囲まれて焼け死ぬ。
そこには文字通り差別のない無差別殺戮があった。

それまでチープな印象をもって見てきた人でも、このラストシーンだけは誰が見ても、目が釘付け、口があんぐりの圧巻のスペクタクル。
(と言いたいところだがしかし! 実際の空襲の記録映像が挿入されてリアルさが出たかと思えば、あまりに拙いジオラマに燃えた紙屑のようなものを撒いて都市全体を俯瞰させるようなミニチュア模型を何度も見せられるから、脱力してしまう・・・)

最後の最後、朝鮮人の主人公が・・・映画ならではの感情の渦に呑まれることはまちがいない。

★★★



2017年2月12日
『下女』 (キム・ギヨン)

1960年 韓 1時間48分 出演:キム・ジンギュ、イ・ウンシム、ほか
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「アジア映画オールタイムベスト100で韓国映画最高の9位にランクされ、映画史上に輝く衝撃作」「キム・ギヨンの原点にして最高傑作」と紹介されて見てみれば、なんと意外にも、これはどこから見ても映画史上に残る純然たる「トラウマ映画」の典型!

冒頭のタイトル・デザインからして、おどろおどろしい。
劇伴音楽は、いちいちぎょうぎょうしい。
雷も必要以上に落ちる。

良妻賢母のプライドの高そうな妻と一男一女の子どもを持つ音楽教師の、一家団欒。
紡績工場で働く女工たちにも授業を受け持っている教師は、カタブツの中年だが、なぜかモテモテ。でも儒教的精神が強いせいか、全く相手にしない。
その報いが異様に大きく、周りの女性たちに次々と翻弄される受難が待ち受ける。
教師に恋文で告白してふられた女工は自殺し、もう一人の女工は教師の家にピアノのレッスンを受けに通うが、告白してふられると、自分で服を破いて「暴行されたと訴える」と脅す。
メイドとして雇った女はハスッパな悪女で、あの子と同じようにピアノを教えてくれ、と色気と脅しで誘惑。
肉体関係の末、妊娠。
妻に打ち明けると、妻はメイドに、階段から落ちて堕胎せよと説得する。
メイドは言われた通りにするが、ここからメイドの教師一家に対する報復がエスカレート。
自分の子が殺されたことをネタに、一家を支配し屈辱を与えていく。
メイドは夫婦の寝室で毎日教師と夜を共にし、妻に食事を運ばせる。

最初からしばしば登場する殺鼠剤は、果たしていつ誰に使われるのか。
妻の復讐は? 子供たちは犠牲になるのか?
想像しうる限りの最悪の事態を予想していただければいい。

一世帯の中で起こるめくるめく家庭崩壊のドミノ倒し。
とめどもない悲劇のカタストロフィ。
これでもか、と奈落へのスパイラルが見事なまでに展開していく。
階層、男女、夫婦などの儒教からくる主従関係をすべて皮肉りながらひっくり返す。
踏み込んだら逃れられない蟻地獄のようなストーリーテリングは、ヒッチコックにも通ずる。

しかし!
最後の最後で、唐突に主人公がカメラを向いて、「みなさん、」と案内役のように語りかける。
B級かよ!
場内、笑いがそこかしこで。
トラウマ映画とはいえ、演出やシナリオなど、かなりのレベルだと思うのだが、わざわざ自ら蛇足を付けてしまった。

1960年の韓国という点で、ただでさえ今の僕らからは特殊に見えるが、それ以上の「イッチャッテル」映画だったのだった。

(このラスト、検閲のためにやむなくそうしたのだと後日知った。)

★★★★


~~~~~~~ ✕ ~~~~~~ ✕ ~~~~~~ ✕ ~~~~~~~

ここから先はクレイジーではありません(^_-)-☆


『ラブ・レター』
森崎東
監督
1998年 日本 1時間48分
シネマヴェーラ [追悼特集 森崎東党宣言]
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沿岸を漂う一艘の難民船。
ベトナムからのボートピープルの映像に、なぜか中東の民族音楽がかぶさるオープニング。
ナレーションは、「難民や外国人労働者の入国が増え、多民族国家になる日も近い」と語る。
舞台は新宿ゴールデン街界隈のアパートに移り、中井貴一がイスラム系の隣人たちのラジカセの音に文句を言っている。

徹底して最底辺の人々の視点から社会を告発する作品を世に出してくれるところが尊い森崎東監督の1998年度作品。
中島丈博との共同脚本と知って即とびついたのだが、実は浅田次郎の原作で『鉄道員(ぽっぽや)』の中の短編だった。
「泣かせるために書いた」という監督、すべてはラスト近くの手紙のシーンに物語が凝縮する。

チンピラのような稼業で妻子に逃げられたゴロー(中井貴一)に、偽装結婚の儲け話が舞い込む。
相手は中国から出稼ぎに来た白蘭(パイラン)という美女だったが、一緒に入管手続きだけ済ますと、その後ろくに会うこともなく、夜の街のホステスとして働かされていることを気にしつつも、ゴローはゴローで娘のことで悩んだり、野暮な嫌疑で捕まって留置されたりして時が過ぎていった。

服役を終えると、「妻が死亡」と聞かされ、遺体を引き取りに行かなければならなくなった。
その時点からゴローの様子がおかしくなっていく。
「いったい何が起きているんだ?」とようやく真相を知ろうとし始め、それまであまりに無知で能天気だった自分への情けなさと、人身売買もどきを見て見ぬふりの警察や闇社会に憤然とする。
命尽きた房総半島の先端の街・千倉まで、舎弟のサトシ(山本太郎)と悪酔い小旅行。
遺体と面会し、焼き場へ行き、お骨を拾い、あたりへ怒鳴り散らす。
意外と純真なゴローは、騙されて高く買わされた指輪を白蘭に渡していて、情がなかったわけではなかったのだ。
白蘭が働かされていたスナック(売春あっせん所)の寮に遺品を取りに行くと、残されていた手紙が見つかる。
それは、白蘭からゴローへのラブレターだった。

自分の境遇を恨むことなく、一目惚れしたゴローへの想いを切々と語り、もらった指輪を毎日見つめては、もうすぐこの世を去る運命を受け入れ、ゴローへのせめてものお願いをする言葉が記されていた。

一般に、手紙が映画でキーとして使われるシーンは枚挙に暇がなく、長い文面の中身を紹介する方法はそれぞれ監督の手腕の見せ所となるが、ここでは白蘭がつたない日本語で読む音声をかぶせながら、中井貴一が手紙に目を通す顔面のアップがそのまま長回しで撮られる。
ツァイ・ミンリャン監督おなじみの超長回しで常連リー・カーションの無言の表情を撮り続けるSMプレイには及ばないけれども、ここは中井貴一の役者魂の見せどころ。

手紙の内容も、それまでどちらかというと大味だった映画の印象を、一気に画龍点睛のごとく収斂させ納得させる劇的なもので、それに呼応するようにゴローの表情も変化していくのだった。
まあ、あざとさの香りも漂うが。

主人公からの視点で描かれた表面的な物語が、最後になってもう一人の裏側からの視点で語られる意外なアナザーストーリーが生ずると、予期せぬがゆえの自らの無防備な感情の決壊に遭ってしまうことがある。
これもその一手の亜種と言えるのかもしれない。

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徹底して弱者の視点に立つ森崎監督作品の、準主役ともいえる眉を剃ったコワモテの山本太郎が、この15年後に覚醒し一念発起して議員となり、今も身を削って最底辺の人々からの声を掬い取り拡声する立場となっていることを思うと感慨深い。
むしろこの作品では中井貴一の方がこの世の理不尽と不条理に覚醒する役で、太郎はそれを傍から呆れ顔でツッコミを入れる側だったが、その後、前者はA首相との食事会に出席し、後者は同首相との対決姿勢を強めていくという好対照となってしまう。

それはあくまで余談であって(笑)、中井貴一のチンピラもなかなかのものでしたよ。

★★★☆




監視資本主義/グレート・ハック

2020年12月2~9日

Netflixから、恐怖のオリジナル・ドキュメンタリー2本。
ネットを使うすべての人が観ておくべき、新たな基礎知識。



『監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影』
ジェフ・オーロースキー
監督
The Social Dilemma 2020年 米 1時間34分 ドキュメンタリー Netflix
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"If you're not paying for the product, then YOU ARE the product."
(もしあなたがタダで商品を使っているなら、そのときはあなたが商品なのだ。)

SNSを使う僕たち、「ユーザー」じゃなくて「商品」なのですね。
SNSにとってのお客様とは、広告主。
僕らは広告主にとっての客、つまり搾取相手。
個人情報をどんどん吸い上げられる。
効率を極限に上げていくために。

要約すると以下の通り(filmarksより抜粋)
・facebookなどのSNSは、利用者ではなく広告主から収益を上げる。
・このとき、広告主に売る商品とは「ユーザー」であり、ユーザーに与える影響(=広告効果)の最大化である。
・ユーザーがどういう習慣を持ち、何を好み、何を考えているかを監視し、予測し、それに基づいて最適な効率でその行動を操作することに対して、広告主は支払っている。
・サービスはユーザーが多ければ多いほど、ユーザーが依存性を高めて滞在時間を長くすればするほど、個人的な情報を提供して思考の予測を容易にすればするほど、利益が上がるビジネスモデルとなる
・したがってサービスの利用者は、そのような力学が存在することを認識して、自覚的に適度な距離を取るように意識すべきである。


以上のようなSNSの仕組み(策略)が、少し前までそのテック企業の中枢で開発にあたっていた「首謀者たち」から次々と暴露されているのには驚く。
自責の念にかられて証言していることについては信用に値する。

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一方で、そんなSNSの頭脳である「AI」というものについても考察する。

ユーザーの志向が二極化すればするほど、志向に合ったサービスは提供しやすく、ユーザーに届きやすい。
それが商品であろうとニュースであろうと。
そのニュースが真であろうと偽であろうと。
そうやってフェイクニュースはどんどんフェイクになってゆく。
意図しようとしまいと、「分割統治」が可能となり、政治的に利用しやすくなる。

かつての「テレビ」などのイノベーションとちがって、「AI」は真偽も善悪も判断できない。
「クリックこそが真実の尺度」
だから、フェイクニュースも広告も、人間が制御できない。

そうして結果的にダメージを負った人が死を選んだりもする。

インタビューで登場した一人が言っていた例えが端的だった。
「世界共通のwikipediaが、もし見る人によって内容がちがっていたら? 広告主にとってそれがメリットならば、いくらでも記載内容を変える可能性はあるでしょう。それと同じことがfacebookなどのSNSではターゲットに対して行われているのです」

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「いいね(Like)」を発案・開発した元スタッフは、「初めは『愛』を広めたかったんだ」と真顔で切なげに語る。
もう自分の手に負えないものになってしまったと困惑顔で。

シリコンバレーの天才ブレーンたちが、AIの情報操作や利益誘導に対する責任や方策について問われると、口を濁す。
ビジネスモデル自体が悪い、法整備ができてないのが悪い、などと。
法規制や課税をすべき、と。
「とりあえず自分の子供には高校生になるまでは使わせないよ」なんていう始末。

AIの自律性に対しては、人間に責任がないとでも言うように。
では、そのAIに、人間が恣意的に加担することについては?
政治的な、思想的な思惑がSNSをあからさまに大胆に利用すると、AIが最大限に力を発揮し、国際的なスキャンダルもしくは内戦を引き起こすことになる。
次の映画がその実例だ。




『グレート・ハック SNS史上最悪のスキャンダル』
カリム・アーメル、ジェヘイン・ヌージャイム
 共同監督
2019年 米 1時間54分 ドキュメンタリー Netflix
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上で紹介した『監視資本主義』の内容を初めて知るときの衝撃に加えて、こちらのドキュメントは具体的事例の最たるものを取り上げ、さらなる衝撃をもたらしてくれる。

2016年のトランプ勝利の大統領選とイギリスのEU離脱(Brexit)国民投票におけるプロパガンダ戦略を一手に引き受けた選挙コンサルティング会社がある。
ロンドンに本拠を置いた「ケンブリッジ・アナリティカ」(CA)だ。

facebookやtwitterなどのSNSやロシアと共謀し、個人情報を「兵器」のように売買する世界が始まっていたのだ。
「情報戦」は、軍事兵器なきリーサルウェポンとして民間会社によって確立されたのだった。

CAの中枢で活躍していた女性が罪悪感から告白を始める。
企業に売られた数千万人(あるいは億単位?)レベルの個人情報の一つとして自分の情報を開示してもらう裁判を起こしたアメリカ人教授が、彼女とコンタクトをとる。

それを基軸に、英国のジャーナリストによる果敢な取材・追及を紹介、意外と平然と構えるCAのアレクサンダー・ニックス代表のインタビュー、公聴会でのfbのマーク・ザッカーバーグの虚偽答弁などを逐一見せながら、一連の事件の深層と真相に迫る。

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ここではfacebookはもはや「デジタルギャング(digital gangster)」と呼ばれている。
もちろん、ビッグデータは使い方次第。
新型コロナウイルスのパンデミック対策にも最大限・最先端の役割を担っている。
しかし、国家が悪用しようと思えば、一つの国が滅びる。
世界戦争が起きる。
個人の抹殺など何でもない。
そんなオソロシイ世界と、自分の端末が常につながっている。

選挙などにおけるプロパガンダのターゲットは、「説得可能者」(persuadable)だそう。
政治的な意見を明確には持たず、きっかけ次第でどちらにもなびく可能性のある人たち。
大統領選では、激戦区の浮動層だけにターゲットを絞って情報誘導を仕掛ければ事足りる。
fbやtwitterの広告やおすすめ動画、投稿の優先序列、あるいはフェイクまがいのニュースを頻繁に視界に入れさせればいい。

逆に、僕らみたいなガチガチのポリシー持ったやつらはデータとして価値がないのかも(≧▽≦)

CAは潰れたが、同様の企業はこれからも生まれるだろう。
今回の2020年大統領選では今のところそうした専門企業による情報工作の請負話は聞こえてこない。
むしろ、トランプの発信するデマや戯れ言に対してtwitter社は「根拠がない」と削除したりと、抵抗が目立った。
政治的な有料広告を制限するなど、facebookなどが事前に投稿に制限をかけたのも、2016年の大統領選スキャンダルからの自重なのか。
facebookが産みtwitterが育てたトランプ大統領に対して、今度は逆にその手に噛みついた恰好となったようだ。

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Facebookの利用率は、アメリカではきわめて高く、約1億9000万人。
これに対して日本では2600万人ほどだというから、率で言えばアメリカ58%、日本では22%。
アメリカでは多種のSNSを駆使する人が多く、依存度も高い印象があるが、日本では若い人ほどfacebookを使わなくなってきているし、SNSの利用の仕方もどんどんclosedになっているから、一概には比較できない。
映画の内容がそのまま日本に当てはまるかどうかは何とも言えない。

ただし。
改憲の国民投票に際してメディアの宣伝制限を設ける話も、僕らを顧客とするビッグデータを持つSNSとプロパガンダ総合商社を前にしたら、土台から考え直さなきゃいけない話なのでは?
テレビCMとかいう既成メディアのレベルは、とっくにおととい来やがれって感じではないのか。

マイナンバーの免許証や口座への紐づけを無理やり加速させようと躍起になっているこの国の政府を見ていると、とても信用ならない。
情報の紐づけはamazonに一任しようとしているらしい。
なんたって公文書を隠蔽・破棄・改竄して憚らない政権である。
この映画を見た後では、ビッグデータもよからぬことに使われるようにしか思えない。

さらに言えば、情報操作に当たったスタッフが、この二つの映画のように辞職後に自責の念に駆られて暴露することなど、日本では非常に稀だ。
むしろそれをしようとすれば徹底的に追いつめられる。
森友問題で公文書の改竄をさせられた赤木俊夫さんが自死を選んだことさえ、責任あるトップたちは知らんぷりを決め込んでいる。

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マジメなドキュメンタリーながら、映画としてもなかなかツカミを心得ていて、見せ方(デザインやカメラ)もクライムサスペンスのような趣向を凝らしていて面白い。
ただ、情報の量とスピードがハンパなくて、一度では僕の頭ではついていき切れない(T_T)
2時間19分版を1時間54分版に短縮したせいもあるのかな。






泣く子はいねぇが/ばるぼら/ニワトリはハダシだ

2020年11月27~28日



『泣く子はいねぇが』
佐藤快磨
監督
2020年 日本 1時間48分
109シネマズ川崎
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「きみ、だいじょうぶ?」

と訊かれて、男は二重に屈辱を受ける。
「大丈夫」という言葉は「立派な男子」という語源であるし「大きな丈の夫」とも読めるし、仲野太賀演じるタスクはどちらにも該当しない。
「だいじょうぶ?」なんてセリフ、妻から言われたり、上司から言われたり、経験のある人はわかると思うが、本当に心配しているというより、言外に「おまえ頼りないなあ」という憐みと諦めと責めを伴ってこちらに投げ掛けられる。
濡れ雑巾のようにペタッと貼りつくその情けない感触は屈辱感このうえないのだが、タスクはそんなセリフにも馴れてしまったのか、むしろ妻からの「きみ」という呼称に拒否感を露わにする。

「その『きみ』っての、やめてくんないかなぁ(;^_^」

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夫であった男に対して、「あなた」でも「あんた」でも「タスク」でも「後藤君」でもない「きみ」は、外国語では表現不能な、微妙な距離や上下水平の関係性を醸し出す。

妻・コトネ(吉岡里帆)からの軽蔑と情けなさを訴える視線に対しては目をそむければ済むのだろうが、言葉は刺さって残るのだ。

その雄弁な視線を、セリフがなくとも演技としてまざまざと見せ切って表現した吉岡里帆は、まさしく視線の演技者として巧みだった。

冒頭からタスクは、登場するや、父親となってさらに情けなさ極まれる存在として、その凍てつく視線に苛まれ続けるが、最後の最後だけはちがった。

顔もわからない自分の娘に相対するために、意を決したダメ男。
一言も発しないコトネの視線に対して、タスクはナマハゲの面の奥からじっと見つめ返した。
「アアアァァァーーーーー!!」
とナマハゲの雄叫びを何度か繰り返すと、コトネの視線のニュアンスに、何かがわずかに入り込んだ。

「泣く子はいねぇがーーーー!!」
と叫び続けるラストシーンは、シチュエーションといい、リレーション(関係性)といい、エモーションといい、同時に相矛盾したものが一気に交錯する絶妙な瞬間として暴発する。
ただし、適切な暴発だ。

このラストを撮るために、監督はこの作品を作ったにちがいない。

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ちょっと待てよ・・・
ラストのクライマックス、
幼い娘に会うための決死の行動、
情けない自分を挽回する激情、
これこそ撮りたかった名シーン、
太賀主演、
・・・これって、つい先月公開された映画『生きちゃった』(石井裕也監督)にそっくりだな。

元々主演作は実はそこそこあったが、去年「仲野」という名字を付け加えてから、ますます波に乗っているような気がする。
確かな演技をしてくれる役者がメジャーになるのは嬉しいことだ。

★★★☆



『ばるぼら』
手塚眞
監督
2019年 日・独・英 1時間40分
ユーロスペース
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70年代のような雰囲気が全編を充溢しているのは、手塚治虫の原作自体が1973~74年作品だからだろう。
映画は現代の設定だが、ややアナクロがかったレトロ風味を堪能することはできる。

あえて「アナクロ」と書いたのは、耽美的な世界観に何かしら現代批評的なものを感じることができないから。

二階堂ふみの初のフルヌードや稲垣吾郎との愛欲シーン、幻想を彩るデザインとクリストファー・ドイルのカメラ、橋本一子のノイジーなジャズの劇伴など、センセーショナルな話題性や映像音響効果で引っ張られるが、それを楽しめるのも中盤まで。
後半からは長く感じられ、とくに終盤に行くほどダラダラした感じが否めない(100分の作品とは驚いた。2時間半はあるように思えた)。
ばるぼらが“あんなこと”になってからは、はやく収束させてほしかった。

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手塚治虫大先生の苦悩や背景などを偲ぶのもいいのだが、眼前にある映像作品としては、それは関係ない。
(息子にとっても親子の縁は作品を撮るうえで障害にはならないのだろうか、と余計な心配をしてしまう)

稲垣が演じたとしても、ここに描かれているのは端的に言って「おっさん」個人の妄想であることには変わりない。

★★☆



『ニワトリはハダシだ』
森崎東
監督
2003年 日本 1時間54分
シネマヴェーラ [追悼特集 森崎東党宣言]
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2003年のこの作品のいちばんの収穫は、デビュー作にして主役に抜擢された肘井美佳の躍動感かもしれない。
当時20歳そこそこの彼女は、まさに出だしのシーンからハチャメチャに踊って笑わせていたし、最後まで徹頭徹尾、全身で弾け、駆け、躍動していた。

物語も躍動する。

原田芳雄倍賞美津子のコンビは同監督の『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(1985)以来だが、今回二人の活躍は前回ほどアクション全開ではなく、二人の子供たち(発達障碍のサムとその妹)の奔放な冒険心によってリードされ、事件に巻き込まれ救出に奮闘するかたちで躍動する。

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警察と検察庁とヤクザがグルになった汚職と対決するのは、知的障碍の子供たちと先生、在日2世の母、潜水夫の父。
設定は舞鶴、「岸壁の母」の舞台。
家族の帰還を待ち焦がれる場所。
2000年代の話だが、戦争の痕跡をあえて見せる。

終戦直後、強制徴用された朝鮮人の帰還する船が、「この湾内でなぜか爆発を起こした。命からがら助かったから今のお前がある」と祖母(李麗仙)が語る。
五百数十名が亡くなったという「浮島丸事件」のことだ。
「原因不明の沈没」とされているが、米軍の機雷など諸説紛々。
「この海を見るたびに今も恨みが募る」というような台詞で在日の気持ちを代弁する。

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徹底して社会の底辺からの視線で描き、物語の中でさりげなく告発することを忘れない。
それが森崎映画ならではの信頼できるスピリットだ。

ただ、今作はそんな要素を色々詰め込み過ぎたきらいがあり、同時多発的なスジについていくのがしんどかった。

★★★★




おもかげ/パピチャ/博士と狂人/タネは誰のもの

2020年11月1日~8日



『おもかげ』
ロドリゴ・ソロゴイェン
監督
Madre 2019年 スペイン・仏 2時間9分
シネスイッチ銀座

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柔らかな光のもと、夏の海岸の美少年をつい後追いしてしまう主人公。
まるで『ベニスに死す』のようだが、大きくちがうのはそれが老年男性ではなくて美しい中年女性だということ。
そして彼女が追うのは、「美」というよりも「幻影」。

一方で、何度もリフレインされる誰もいない海岸の光景は、轟音を伴った荒波と濃灰色の空で、いまだ過去が胸の底から圧迫してくる。

10年前に襲った息子の悲劇は電話の向こう側の声でしか表わされず、追い求める「おもかげ」は観る者にとっては永遠に未知のもの。
その見えない映像が主たる対象となって物語は進行するが、追う対象はすぐに10年後の息子に似た、生きた対象となって目の前に現れる。

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目の前の舞い降りた天使のような肉体は、「母」エレナにとってどんな対象となるのか。
接点はどの程度生まれるのか。
意外とぐいぐい迫ってくる美少年ジャンは、彼女をどんな対象として見ているのか。
二人の関係性に変化は生まれるのか。

エレナの恋人と、ジャンの家族がそこに絡む。
誰しも二人を放っておけない。
しかし複雑な思いはエレナがいちばんよくわかっている。
禁断と抑制から始まる、距離の物語。
物語がどう展開し収束していくのか、最後まで見通しがきかない。

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終盤、電話の向こうでジャンが迷子になる様子が、あの時の息子をまざまざと甦らせるところは映画の白眉。
映像のフラッシュバックなど使わなくても十分伝わってくる。

「あの時」のシーンというのは、映画の冒頭。
カメラはいきなりワンカット長回しで、母が電話で海岸にいる6歳の息子と話しながら失踪の一部始終を聞き届けてしまう決定的シーンを見せ切る。


一種のミステリーとも言えるし、感情が揺さぶられるシーンもあるが、劇伴は決して激さず、むやみに煽ったりしない。

カメラは長回しを多用するものの、移動やパンが滑らかで、見ていて自然でむしろ心地よい。
その感触はエレナに対するヒーリングのようであり、カメラが彼女にエンパシーを感じて寄り添っているようにも見える。

音楽もカメラも、会話の間合いも、すべてがちょうどよく落ち着いていて、こだわり抜いた繊細なセンスに満ちている。

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エレナ役のマルタ・ニエトの演技は称賛に値する。
ベネチアのオリゾンティ部門で主演女優賞を獲っている。

ジャン役のジュール・ポリエの美少年ぶりは、『ベニスに死す』のビヨルン・アンドレセンほどとは言わないが、ティモシー・シャラメぐらいのかわいさで人気は高まるのではないかな。

★★★★



『パピチャ 未来へのランウェイ』
ムニア・メドゥール
監督
Papicha 2019年 仏・アルジェリア・ベルギー・カタール 1時間49分
チネチッタ川崎

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「パピチャ」というタイトルの意味の通り、「愉快で魅力的で常識にとらわれない」女学生たちの肖像からはじまる。

物怖じせず自己主張も強いが明るくポジティブな主人公ネジュマ。
アルジェリアにしては意外と思えるほど、派手なオシャレをしてクラブに通ったり、自由なセンスの服を作って売ったりしている。
ただし、夜中に学生寮をお忍びで抜け出してのことだけど。

女子たちの自由を謳歌する顔がクロースアップされる。
仲間たちと歓びを分かちあうその表情、
結婚相手ではない男性の子を妊娠したことがわかった女子の不安な顔、
接写気味に強調されるのは他の先進国と同様の青春群像のようで、少し驚く。

しかし、その背後には、恐ろしいテロの魔の手がしのび寄っていた。

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同じアラブ・アフリカの閉鎖的な性差別風土の国からも、たまに明るくポジティブに女子たちを描く映画はある。

でも、少女が歓喜に満ちて自転車に颯爽と乗るシーンで終わる『少女は自転車に乗って』(サウジアラビア)のような希望的感触はなかった。

少女の禁断の同性愛を描いた『ラフィキ』(ケニア)のようなソフトでピースフルな感触とも大違いだった。

自分の想定が甘かった。

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ファッションデザイナーを“目指したい”ネジュマは、街角に「女性の正しい服装」として貼りだされるヒジャブ着用を指示するポスターが増えていくのを目にするたびに、敏感に反応しイライラを隠せない。

学内でファッションショーを企画するが、日に日に強まるイスラム原理主義による弾圧の余波が寮にも迫ってくる。
それでもネジュマの熱意と抵抗心は反作用的に高まっていく。

しかし。
まず一発の銃弾が家族を恐怖と哀しみのどん底に叩き落とす。

弾圧は女性差別に拍車をかけ、友人関係にもヒビが入る。
テロリストたちの襲撃も度重なるが、それでもファッションショーへの執念は捨てきれない。
挫折と再起を繰り返した末に、ついに・・・

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彼女にクロースアップしたその表情の振り幅の大きさは、そのまま物語の振幅の乱高下だ。
歓喜と絶望の落差が、極端に激しい。

衝撃の結末は、個人的な友情の尊さで締めくくられていたが、社会的にはまったく希望はないまま。

ポジティブな反骨精神は守旧勢力に勝てるだろうと思う予定調和はお門違いで、若さも抵抗心も行動力も明るさも信念も才能も、過激な思想と暴力にあっては粉々に打ち砕かれる。

これは90年代アルジェリアの「暗黒の10年」と呼ばれる内戦時代の実話に基づいている。

映画の終わり方としてはアメリカン・ニューシネマのように、そこには物語の常套手段もなく、ただ無慈悲な風が吹くだけだった。


P.S.ちなみに、ジェンダーギャップ指数は世界153か国中アルジェリアが132位。
日本は121位と大して変わらない不名誉なジェンダー後進国。

★★★★



『博士と狂人』
P.B.シェムラン
監督
The Professor and the Madman 2019年 英・アイルランド・仏・アイスランド 2時間4分
ヒューマントラストシネマ有楽町

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ショーン・ペンを観たければこれを見ろ!
という映画。

もちろんもう一人の主役メル・ギブソンも奮闘しているのだが、なんせ狂人を演じた方が役者の面白味が出るのだから仕方ない。
ショーン・ペンは狂人にうってつけの役者を選べば必ず上位に入るだろう。


話は世界最高峰といわれる「オックスフォード英語大辞典」の編纂秘話。
英国版『舟を編む』どころではなく、70年以上かけた初版までの間に起きた実話には、小説にしてもなおフィクショナルすぎると感じるほどの、奇異かつ濃密な物語があった。

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物語以上に役者たちの熱演が、ゴージャスな映像と音楽で盛り立てられていて、見ているだけで満腹感。
サスペンスはハリウッド的な盛り方ではあるが、言語はブリティッシュで、英語の歴史を遡る知的興奮に満ちていて、イギリス映画の上品さも堪能できる。

知性と狂気の紙一重、貧富の対照、贖罪と代償などを描きながら、恋の宿命が普遍であること、その更なる罪深さも入念に織り交ぜる。

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禁断の恋の相手役・ナタリー・ドーマーの複雑かつ真っ直ぐな内面をもつ役柄も見もの。
地味ながら彼女と狂った天才を寡黙に見守る看守・エディ・マーサンのいぶし銀も、いつも通り味わい深い。
博士の妻・ジェニファー・イーリーの、夫を守る矜持が輝く一瞬も見逃せない。

原作小説を読んでいないので不明な部分がいくつかあるが、大辞典の出版までの長大な道のりを描くには、2時間そこそこの映画では相当端折らなくてはならなかったのだろう。

★★★★



『タネは誰のもの』
原村政樹
監督
2020年 日本 1時間5分 ドキュメンタリー vimeo
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元農水大臣でこの問題の最前線で警笛を鳴らして回る山田正彦氏が、各方面にインタビューして回る。
現農水官僚に対する取材に際しては、誰よりも詳しい山田氏に問題点を指摘され、詰問されてタジタジになる官僚の姿が痛々しい。
官僚たちも問題点に気づいているのに、上からの圧力にイエスマンにならざるを得ない。
彼らの良心に期待しても意味はない。
法律が変われば市場のグローバル化に抗する手立てはなく、流れは止まらなくなるから。

種苗法改定で利益が生まれる「育種家」にも話を聞いているが、もろ手を挙げて賛成しているわけではなく、複雑な心境をのぞかせる。

(宣伝文より)
2018年4月、種子法廃止。
そして2020年10月、種苗法改定案の国会審議が再び始まる。
急速なグローバル化の中であらためて問われるタネの権利とは?

2020年6月に国会成立が見送られ、継続審議となった種苗法改定の動きに対して賛否が渦巻く中、自家採種・自家増殖している農家と種苗育成農家の双方の声を伝えるため、北海道から沖縄まで様々な農業の現場を取材。
政府が拙速に改定を成立させようとしている中、種苗法改定(案)が日本の農業を深刻な危機に陥れる可能性を、専門家の分析も含め農業の現場から探った。

現在、こちらの公式HPからvimeoでオンライン公開されています。
1000円。
  ↓   ↓   ↓
https://kiroku-bito.com/tanedare/




<その他の鑑賞作品>

『消えゆくものたちの年代記』エリア・スレイマン
Chronicle of a Disappearance 1996年 パレスチナ 1時間24分 TOHOシネマズ・シャンテ
★★






普通に死ぬ/ぬちがふぅ(命果報)

2020年11月4~5日

他人の命であっても命がけで守る人。
自分以外の命を虫けらのように扱う人。
どちらも悲しいほど人間。

全ての人に見てもらいたい、大切なドキュメンタリー2本。



『普通に死ぬ ~いのちの自立~』
貞末麻哉子
監督
2020年 日本 1時間59分 ドキュメンタリー
キネカ大森
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「まずは自助で頑張ってもらう。それができなければ共助、最終的には公助がサポートする」
と、菅首相は就任早々見得を切った。
こんなこと、政治が言う話ではない。
「何もしない」「最低限のことだけする」
と政治の放棄を宣言したのと同じことである。

初めから自助ができない人がいる。
それでも人として普通に生きていくために、必死に自立しようと頑張る。
そのとき、公助なくしては自立できない。
自立している障碍者たちは、公助あってはじめて可能な自助・共助で生きているのである。

自公政権のトップたちには、障碍者の存在が見えていない、見ようとすらしていない、いや、あえて見捨てようとしているのだろう。
彼ら政権トップたちもは自分たちもいずれは弱者になるという当たり前のことに気づいていないのだろうか。
(それ以前に、国の根幹をなす「健康保険制度」や「国民年金制度」って、公助そのものなのだから、国のトップの方々も公助で生きているんですけど)

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重度障碍者とその家族が「地域で普通に生きよう」とし、自立のために自ら行政を動かし奔走する。
当事者である小沢映子さんは静岡県富士市の市議会議員となり、10年かけて社会福祉法人を立ち上げ、自由に生きるための通所施設をオープンさせた。
前作『普通に生きる ~自立を目指して~』では、それを含め2つの施設を開所させた奮闘記録を5年間追ったものだった。

そこまでしないと当事者は制度を活用できないのか。
普通はそこまでできない。
誰もが普通に生きるための当然のサービスを受けられるという前提があるにしては、ハードルは高すぎないか。
そのハードルこそが、障害なのである。
障碍者自身の中ではなく、外に障害があるのだ。

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続編の今作では、その後施設の利用者たちが年齢とともに<親=介護者>の<老いと病い>に直面する。
「重度障碍者の、親亡きあとは?」
「重度障碍者の親は普通に死ねるか?」
というさらなる難問に突き当たっていく、その8年間を記録した。

病院ではなく地域で入居生活をするグループホームがついに完成した。
しかし、第2のグループホームや第3の通所施設が必要となるものの、地域住民の反対がネックとなって進展しなかったりする。
そうしているうちに親が亡くなり、日常の医療ケアをする介護者がいなくなる。
予測はしていたものの、制度を前に、どうにもならない。
施設の運営責任者たちが再三討議しても、「現実的に無理」という反対意見や介護スタッフたちの不安が先に立つ。


「家庭でしていたことは施設でもやる」
という鉄則のもとに決断したのは、やはり女性のパワーと勇気。
先の小沢映子さんと、元副施設長の坂口えみ子さんだ。
それぞれ、自分の住居に入居スペースを作り、24時間ケアができる環境を確保し、介護職員がバックアップし、通所施設に毎日通わせる。
「やってしまえ」という風穴を開ける行動と実践の力には、いくら頭を下げても足りないくらいだ。

逆に、この「やってしまえ」という、無理やりにでも具体的に実践して現実を動かしていかなかったら、行政は動かない。
おまけに、利用できるサービスはあっても、行政はすすんで紹介してくれない。
地域住民への啓蒙活動もしてくれなければ、相互理解も進まない。

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そんな状況を突破した先達が、兵庫県の西宮と伊丹にいた。
「障碍者だって、親を普通におみおくりして、またそこに住み続ける。当たり前のことでしょ?」
と普通に言ってのける、そんな頼りになるリーダーたちを、映画の後半でレポートしてくれる。
誰もがユニバーサルに自由に自己実現を図っていける地域づくりを目指して、長年の実績がある。


今年の春に公開された『インディペンデントリビング』は、大阪の自立生活センターの活動の様子を紹介してくれているが、やはりそんなポジティブな気概に満ち溢れている。
「IL」(=自立生活運動)は、「生きるよろこび」を実感するための最初の入り口だ。
 ↓ 当ブログ記事から ↓
https://tapio.at.webry.info/202005/article_2.html


いずれ弱者となるすべての人よ、 見てください。
殆どの人が知らないこの現実と、それでも立ち上がり助け合う希望の力を。
公助なくして自助も自立もあり得ないという当たり前のことを、政府へ突きつけたい。


「WEB論座」より 当作品についてのコラム
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020102200001.html




『ぬちがふぅ(命果報) ―玉砕場からの証言―』
朴壽南
(パク・スナム)監督
2017年 日本 2時間17分 ドキュメンタリー vimeo

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2012年の在日女性監督による力作。

遅まきながらぼくは本土の人間として2015年からようやく沖縄の現実と過去に向き合おうとしてきた。
きっかけとなった『標的の村』をはじめとして、三上智恵作品や数々の沖縄関連作品を観てきたが、それでもこの『ぬちがふぅ』で告発されている内容にスポットが当てられているものはなかった。

いまだに焦点が当たることの少ない「沖縄に強制連行された朝鮮人慰安婦」

日本軍は、朝鮮人を朝鮮半島から強制召集したうえに、沖縄住民以上に虫けらのように扱う。
米軍が大量の兵と装備で待ち構えているところへ、肉弾として飛び込む"斬り込み"をさせて死なせる。

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沖縄本島より早く、米軍が最初に上陸した慶良間諸島。
その時点ですぐに住民たちに玉砕命令が出て手榴弾や青酸カリが渡された。
そのなかで奇跡的に生き延びた住民が語る。
「皇民化教育では、“玉砕”とは『一人でも敵を殺してから死ぬこと』と言われてきたから、何もせずに死ぬわけにはいかなかった」
と、集団自決の場から離れたという。

集団自決に関し、「軍部による玉砕命令はなかった」という裁判を起こされ、教科書から「軍命」が削除されたという2005年の一大事件についても、現地で真相を探ろうと直接の聞き取り調査を行う。

結果的に、一人の上官の命令にすぎない、という決定が下され、無実の上官が罪を着せられた。
国家の身代わりの尻尾切りだ。
その遺族の悲痛な諦め混じりの訴えを聞き、怒りに震える。

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朝鮮半島から親元を離れて、日本の中でも捨て石にされた激戦地の離れ小島に連れてこられた十代の少女たち。
その一人ペ・ポンギさんに直接取材している。
どれほどの生き地獄だったか、想像を絶する。
彼女をはじめ慶良間諸島には21名の少女たちが慰安所に送られ、夕方から10人ほどの相手をさせられた。
彼女たちを「見に行った」という当時少年兵だった男性もインタビューに答える。


慶良間諸島での粘り強いフィールドワークによって証人と証言を得て、朴壽南監督は史実を歪められてはいけない、記録に残さなくてはという強い意志で完成させた、決定的な告発記録だ。


集団自決の命令ばかりか、日本軍が沖縄住民を「スパイ容疑」で次々と殺していった事実、そして住民同士で密告をさせた恐怖統治については、三上智恵・大矢英代監督の『沖縄スパイ戦史』にも詳しい。

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歴史を国家の都合で書き直させてはいけない。
そこには何重にも裏切られ、名誉も回復できずに死んでいく人々が今もなお大勢いるのだから。

なによりも、そこを検証も考察も反省もできずに、戦争を防ぐことはできない。
戦争とは、国家が否応なく弱者を踏みつける全体主義のことだ。
戦後75年、それは今も廊下の奥に立っているのが見えはしないだろうか。


いのちあってこそ。
命あってこそ。
ぬちがふぅ。
命果報。


現在vimeoで配信中。
550円でこの大切なドキュメンタリーを全編(増補版+監督インタビュー)観られるのは、貴重な機会。
  ↓     ↓
https://vimeo.com/ondemand/nutigafu



朝が来る/リトル・ジョー

2020年10月31日


自然素材でつくられたもの

人工素材でつくられたもの



『朝が来る』
河瀨直美
監督
2020年 日本 2時間19分
TOHOシネマズ川崎
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光と風。
河瀬作品たらしめるものは自然の素材。

樹々がそよぎ、木漏れ日がさんざめき、波が立つ。
中学生の初々しいベッドシーンも眩ゆい太陽光のなか。

そんな自然の光と音の中では、人物はウソを吐けない。
偽りの心は日に晒されて、すぐ裸にされる。

映画は母なる海の映像から始まる。

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養子を迎え入れた夫婦の過去から現在まで。
若い実母・ひかりの過去から現在まで。
養子縁組団体の代表・アサミさんの活動の様子。

登場人物たちの背景をじっくりていねいに描写する。
まるで、主役以外の何人もが主役級の活躍をみせるように、惜しみなく。

アサトが命として芽生える前の彼らと、芽生えた後の彼らには、それを境にそれぞれのうねるような感情の衝突や抱擁や慟哭が生まれる。


たとえば、体外受精を諦めるときのキヨカズ(井浦新)からサトコ(永作博美)への「ごめん…ごめん」

中学生で妊娠させてしまった男子・タクミからひかり(蒔田彩珠)への「ごめん…ごめん」

ひかりがサトコに新生児を託すときの「ごめんなさい、ごめんなさい・・・」

その子(アサト)が6歳になり、ある冤罪から忖度して言う「ごめんなさい・・・」

そしてラスト、サトコがひかりを探し出して言う「ごめんなさい」

キーワードのように現れるすべての「ごめん」に対して、「なぜごめんなの?」と言葉になったりならなかったりする、両者の感情の応酬。

また対照的に、ここは絶対に「ごめんなさい」とは言わないという意志の固さが見てとれるシーンもいくつか。

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浅田美代子の包容力たっぷりの演技がすばらしい。
永作博美の微細な表現のうまさに見惚れる。
井浦新の真剣なまなざしに感情移入してしまう。
蒔田彩珠の羽毛のような切なさにふるえる。
(蒔田彩珠はNHKドラマ『透明なゆりかご』でも似た役を演じていた)

役者たちの表現能力に舌を巻くと同時に、それを最大限に引き出させている演出には唸るしかない。

役者の自然な演技を導くメソッドも、いつもながら功を奏す。
登場人物にビデオ撮影をさせるやり方でドキュメンタリータッチをうまく使う。
そこに映る親密な間柄でしか得られない表情は、泣いても笑っても輝きにみちている。

養子縁組制度の説明会においても、一般参加者を実際のドキュメント映像のように撮っていて、その制度の社会的意義を紹介するパブリシティとしても十分に役割を果たしている。

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原作小説(辻村深月)の核の部分なのだろうか、「あなたは、誰ですか」というキャッチにある通り後半から始まるミステリーっぽい展開は、エンタメ的にはアリなのだろうが、わざわざそうしなくても十分、ひかりの行動と背景からは目が離せなくなる。

ただし。
「なかったことにしないで」
という痛切な言葉には胸を潰されるが、それが現れるあたりからラストに到るまで、急に色々端折って、道理を引っ込ませて終わってしまった感がある。
それまでじっくりと十分すぎるほど人物像を描写してきただけに、この落差は惜しい。

★★★★☆



『リトル・ジョー』
ジェシカ・ハウスナー
監督
Little Joe 2019年 墺・英・独 1時間45分
横浜ジャック&ベティ
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淡いシャーベット色の組み合わせ。
深紅の花、ブルーベルベットの花。
ピンクバイオレットの照明。
赤毛のショートボブ。

濃淡あるが潜在意識に沁み込む色彩の妙。

それにしても、カウンセリング室の壁が赤いのは、やっぱり気になる。
この「どこか気になる感」もまた、作り手の意識的なものなのだろう。

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香り。
花粉。
フェロモン。
オキシトシン。
スクリーンのこちらまで誑かされそう。

モスキート音かと思えば、笙か、篳篥か。
和楽器を雅楽チックにアレンジし、劇伴と効果音のあいだを行き来させる。
奇妙でマニアックなサスペンスを醸し出す。
不可思議な異次元空間の研究ラボ。

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色、光、音・・・
ここに描かれているのは、すべて人工の素材。

花ですら、繁殖機能を失くし遺伝子組み換え加工を施したもの。

人物たちは当然のように人工物を創り出し、幸福までも作り出せると信じている。

そんな虚構の中に生きている人物たちを、スクリーンの向こうを覗き込みながら、観客はどこか不自然なものと感じる。
人間たちの関係性や、それぞれの内面の変化・変質も不自然なのだ。

その不自然さの正体は、「花が人を幸せにしてくれる」という前提から来ている。

さて、登場人物たちは、主人公は、そしてこれを観る私たちを含めて、その前提を踏襲するのか、覆すのか。
答えは一つではないと思う。

そして次第にその「幸せ」の概念自体が、裏側から剥離していく。
そこがこの映画の肝じゃないのかな。

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主演は昨年度のカンヌで最優秀女優賞を獲得したエミリー・ビーチャム
監督のジェシカ・ハウスナー『ルルドの泉』とはガラッと変えた作風で驚かせてくれるが、カンヌで賞を獲るほどとは思わなかったのでまた驚いた。

★★★☆




異端の鳥/スパイの妻/ムヒカ

2020年10月20日~24日


『異端の鳥』
ヴァーツラフ・マルホウル
監督
The Painted Bird 2019年 チェコ・スロヴァキア・ウクライナ 2時間49分
TOHOシネマズ川崎
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出てくる大人たちはみな悉く堕落して、邪気と狂気に満ちていて、どうしようもなく醜い。

数えればたった3人だけ善人がいたが、それだけだ。

まだ幼さの残る少年はなぜか行く先々で忌み嫌われ虐待されるか、大人たちの好きなように利用される。

差別され迫害され続ける地獄巡りは、いったい何か所あっただろう。
次から次へと、世界の堕落を少年は見せつけられ、正視に耐えない状況に少年が巻き込まれるシーンをぼくらは見せつけられる。


―――たとえば宣材写真にある、土に埋められ頭だけ出す少年の目の前でカラスに狙われるシーン。複数のカラスに攻撃されるショッキングな映像を一体どうやって撮ったのか。(CGなのか、などの情報は見つからず)
演技未経験のペトル・コトラール少年こそ、こんな目に遭うとは思いもしなかっただろう。撮影自体が地獄巡りだ。
映画祭で「退場者続出」というレポートは嘘ではないらしいーーー

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それでも二の足を踏むことなく、泣くこともなく。
あどけなさの中に諦観さえ見てとれる。
とはいえ、初めて体験することばかりで足はすくむ。
そのうち被虐感覚は麻痺したかのよう。
見切りをつけては脱出し、苛酷な自然のなか、果てしない雪原さえひとり歩く。

そういえば、名前がなかった。
ラストショットで少年が自分で窓に無言で書くまでは。
名のない少年は言葉を話すこともなく流浪流転する。

ホロコーストから逃れるために親が疎開をさせたという背景も観客は知らされぬまま始まり(HPにはそう書いてある)、ユダヤなのかロマ(ジプシー)なのかもわからなかったが、ひとつの寓話として、場所の特定もされない無名の人々による世界の終わりが描かれたものだと思って観ていた。

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もっとも印象強く残るのは、原題となっている“Painted Bird”のシーンだ。
ある男が、一羽の鳥の羽毛を白く塗り、上空の一群に向かって放つ。
すると、仲間に加わった一羽を一群は「異物」と認識し、一斉に一羽を攻撃し始める。
群れの回遊は荒れ狂う乱舞となり、少し待つと一羽が遺体となって降ってくる。
地面にポトリと落ちた物体を見つめる少年、嗤う男。

これがすべてを語っている。
人間もそうなのかと。
世に問いかけている。

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この流転の物語の帰結点として、さらに嘆き悲しむべきは、少年が次第に(必然的に)邪気を帯び、世に順応した「悪」を身に着けるところだ。

あどけなさが、おののきに変わり、あきらめと小賢しさに変質し、ついに堕落に身を染め、禁断の領域に足を踏み入れてしまう。
凶々しい風に煽られ続けると、純真無垢も当然こうなってしまうのだ、悲しいことに。

最後は救われるのか。
スクリーンで見届けてほしい。

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白黒なのに鮮やかで精妙な映像。
シネマスコープのワイドスクリーンで見る35㎜フィルムの映像は、デジタルよりも明らかに美しい。

大自然だけではない、たとえば刻まれた千の皺の一本一本が形づくる生々しく歪んだ造形の老人の相貌が、なにげなく風景として映り込む。

血糊も汚物も黒だからこそ、どぎつくない。

カメラワークはゆるやかになめらかに動いてくれるし、長回しもないために、タル・ベーラよりもとっつきやすい。
顔のアップや編集のメリハリのおかげで、『ローマ』(アルフォンソ・キュアロン)よりもインパクトある娯楽作のよう。

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劇伴もほぼなく、セリフを喋る人物も少ないが、見ていて疲れるどころか、あれよあれよと時間を忘れる。
環境音をまぶした白黒スクリーンが、何よりも雄弁に物語る。
めくるめく壮大な残酷童話のような圧巻の3時間だった。

★★★★☆



『スパイの妻』
黒沢清
監督
2020年 日本 1時間55分
109シネマズ川崎
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まずは作品の完成度の高さに度肝を抜かれた。
ベルイマンの人間劇を観ているようだ、と言ったら褒めすぎだろうか。

人間と人間が、愛や義侠心、役割やモラルで対峙するときの、緊張感、間合い、火花。

その演出が、その時代の恐ろしさをそのまま物語る。

つまり、役者の緊張感・間合い・火花をたしかな演出で表現できれば、それが時代を表現することができ、映画のメッセージともなるのだ。

だから役者の演技は生命線。
蒼井優も高橋一生も、このくらいの質の高い脚本でこそ真価が発揮できる。
逆に言えば、このくらいの質の高い脚本でなければ、役者を評価する価値はない。

まさしくこの映画で蒼井優が2回吐くセリフ、
「お見事。」
というほかはない。

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ユーサクとサトコのキャラクター設定もなかなか面白い。
ユーサクは、国家に尽くすタイプでも戦争に反対するタイプでもない自称「コスモポリタン」として堅い信念を持つ。
サトコは、保身でも世間体でも国家従属でもなく、「夫と共にある」ことを最大の大望とする。

ということが徐々にわかってくる。

「731部隊」を取り上げているのも重要。
それを告発する彼らの使命は、国家を守るという使命よりも優先する。
そんなテーゼを提起するのも、映画の核心。

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黒沢監督が数年前に語っていた。
「ハリウッド作品と比べると、全体の印象がどうしてもゴツゴツ感のあるものになってしまう。わざとそうしてるわけじゃなくて、そうなってしまう。できればハリウッド作品みたいに滑らかな作りの作品にしたいのは山々なんです」

それが、今回の完成度の高さはなんだ。
ゴツゴツ感どころか、ハリウッド顔負けのウェルメイド、かつ欧州映画の格調。
演出も、編集も。
この脚本があったがゆえの、この演出、この演技があったがゆえの、この編集なんだろうけど。

しかし、今までの黒沢清、あえてひねくれた映画を作ってわざわざ遠回りをしてきたかのように思えるんだけど、そう思うのは僕だけ? むしろ今回、いわゆる「黒沢清っぽい」特異性って、どこにあったのか、行方不明のようにも感じるのも僕だけですかね。

★★★★☆



『ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ』
田部井一真
監督
2020年 日本 1時間38分 ドキュメンタリー
シネスイッチ銀座
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日本の首相になってくれればいいのに。
ひそかに妄想を抱いていたのはこの僕だ。
だってサッカー日本代表チームの監督なんて外国から呼ぶじゃあないの。
無茶で無理だとはわかっていても、願望くらいは持たせてもらうよ。
だってこの国の政治のトップがあまりにひどいんですもの。

ムヒカさんについてはいまさら言うまでもない。
かつて軍事政権のさなかに彼が反政府ゲリラとして活動し投獄されたりしたことを知らなくとも、そのかわいらしい笑顔と愛玩動物のような人懐こさは知っているだろう。

「世界でいちばん貧しい大統領」であること、国連で「発展よりも幸福になることを目指すべき」という名スピーチをしたことも、日本で絵本がベストセラーになっているから知っているだろう。

どこを切っても、本来元首になるにふさわしい面ばかり露わになる、稀有中の稀有な人物。対してわが国のトップは反面教師。すべての要素を真逆にすればムヒカさんという理想像ができあがるということ(笑)

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このドキュメンタリーが他と一線を画しているのは、一人の若手TVディレクターが「ウルグアイに行ってこい」と命じられアポなし取材を敢行したところから始まった年齢差50歳近くの公私を超えたまさかの熱い交流が、プライベート映像風味の親密さまで獲得するに至ったこと自体だ。

農村の庵(いおり)のような小さな家に会いに行くと、ムヒカじいさんは庭の畑に出てしばらく花を摘み、白い花束にして日本から来た初々しいディレクターにプレゼントしてくれる。
そのさりげない仕草が、彼の日常を物語り、「国家元首」たる存在とのギャップを物語る。
いや、国民の「リーダー」「お父さん」と呼んだ方が似合う。
あるいは「ファンタ爺」?


ちょうど今年、クストリッツァ版のムヒカのドキュメンタリーがほぼ同時に公開されたこともあり、正統派アプロ―チとはちがう切り口で取り組んだのが正解だった。

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映画は、ムヒカの日本との思わぬ関わりを発見する。
彼の日本や日本人への思い入れのルーツをたどり、それを機に、日本へ招待したい側と訪問したい側とで両者が一致、思いもかけぬ早さで訪日が実現する。

「私は学びに来た」と謙虚かつ興味津々のムヒカさん。
日本人を「規律正しい」「集団意識」という点で評価し、また、「被爆したにもかかわらず戦後驚異的な復興を遂げて産業を発展させた」と感心する。
しかし、それは諸刃の剣。
ドミノがどちらに倒れるかで、人民が国家の思う壺になることも、いとも簡単。
「今の日本は大事なことを忘れているのでは?」とムヒカも心配する。

「ぜひ若者と話したい」とかねてより希望していたため、学生たちに会いに東京外大に向かう。

そこでの講演がこの映画の白眉だと言っておこう。
国連でのスピーチ以上に、たっぷりムヒカのあたたかさが伝わってくる。

とくに未来を託す子どもたちに言及したとき。
「私は多くの種を蒔いてきた。あちこちで芽を吹いてくるでしょう」
「私たちには子供をつくるチャンスがなかった。でも、だからこそ、こうやって若いあなたたちに語りかけて未来への種を蒔いているのです」
同志としてともに長年闘ってきた妻ルシアさんとは、70歳でようやく結婚した。
ともに30代から50歳まで13年間も投獄され、出所と同時に政治家になった二人には、想像を絶する苦難があっただろうし、どれだけ子どもが欲しかっただろうと想像する。

会場には涙を隠さないルシアさんの姿があった。

「世界は変えられないかもしれない。でも、あなたがまずできることをすること。そうすればあなたも幸せになり、周りの人も幸せになる。世界は変わらないけど、あなた自身は変わるんだ」
「私は世界を変えたかったが、今は自宅の歩道の改修をしている」

これ以上は、映画を観てのお楽しみ。

逸話や語録は枚挙に暇がないが、僕がいちばんふるえた言葉はこれ。

「大統領というのは多数派が選ぶのだから、多数の人と同じ生活をしなければならないんだ。国民の生活レベルが上がれば、自分もちょっと上げる。少数派ではいけないんだ」

日本の首相をはじめとした勘違い閣僚の反面教師たちに、この言葉を「喰らえ!」と投げつけてやりたい。
ヤツラの面の皮の厚さにはかなわないだろうが。

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日本に特別な思いを抱くムヒカさんのメッセージが、こういうかたちで日本に届けられるのはいいことだ。

この映画は、
ぼくらの暮らし(政治経済)に役に立ち、
若い世代への希望を持たせてくれ、
ほっこりとした癒しももたらしてくれる。

クソみたいな世の中だ! とふだんからこの国の政治家たちにムシャクシャしている人たちにとっては、経口補水液であり、酸素吸入缶であり、ヒーリング療法である。

若者たちには、生活様式・政治形態・経済システムには、いま目の前にあるものだけじゃない選択肢があるんだ、という希望を持たせてあげられる。

劇場を出るときには、さわやかな風が吹き渡っていた。




<その他の鑑賞作品>


『ようこそ映画音響の世界へ』
ミッジ・コスティン監督 2019年 米 1時間34分 ドキュ 横浜ジャック&ベティ




生きちゃった/アイヌモシリ

2020年10月18日



『生きちゃった』
石井裕也
監督
2020年 日本 1時間31分
ユーロスペース

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途中まではパッとしないなあと思うかもしれない。

しかし、半ばを過ぎたごろから襟首を摑まれる。

主要人物は30歳の元同級生3人。
現在の状況が少しずつ露わになる。
過去が明かされていくうちに、思いがけない関係性が現在に迫ってきて厄介な障害として横たわる。

「半年後」というテロップが繰り返され現在が進行していくと同時に、回想シーンも現われ、のっぴきならない過去が波のように押し寄せてくるのだ。
よくまあこんな絡み合った人物相関を考えつくものだと驚く。

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そうして作品のテーマが形を成してくる。
アツ(仲野太賀)の、苦悶のわけがわかってくる。

「おれ、本当のことに限って、言えた試しないんだよな・・・日本人だからかなあ」
(片言の英語の方がはっきり物を言えたりするのだった)

わるいことはしていないように見えるが、結果的に人を不幸にしていることがある。
実に身に沁みるものがある。

妻・ナツミ(大島優子)の不幸は、いったい誰のせいなのか?

大島優子の演技はいわゆる「体当たり」というだけでなく、感情を伝えるという点で安心して見ていられるだけの成熟を感じる。
本格派女優として確立し始めているのだろう。
不運をわきまえながらも、業に負けない、でも愛を切望する弱さとしぶとさを抱える女という難役を見事に演じた。

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襟首を掴まれたまま、彼らの行く末に向かって、映画は走り出す。

切実と激情のクライマックスが、ラストに向かってスパートする。
ようやく愛がむきだしとなって、テンション頂上MAXでスパートの最中に放り出されて、暗黙に変わるその幕切れは最高だ。

仲野太賀と若葉竜也の二人のラストの慟哭シーンは、しばらくは語り継がれることだろう。
この瞬間のために、それまでの1時間半すべてが存在した。

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3人とも、「渾身」と言うにふさわしい。

そしてこんなオリジナル脚本を3日間で書き上げたという石井裕也監督。
「一切の忖度も制約もない完全自由の中で」創作したという。
この人には自由だけ与えれば、傑作を次々と生み出すのだろう。

★★★★☆




『アイヌモシリ』
福永壮志
監督
2020年 日・米・中 1時間24分
ユーロスペース

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まずは少年の目に惹きつけられる。
10代の子の一部に特有の、目の前の世界をそっくりそのまま吸収してしまうかのような瞳。
挑発こそしないが物怖じはせず、見返すことに躊躇しない。

演じてできるものではない。
プロの俳優はほぼ登場しない。
自然の環境音が全編を満たす。
森と湖の空気感が、劇場まで満たしてくれる。

あざとさが排除されている。
というより、“ありのまま”からどこを切り取るか、に専念している。
北欧のような冷気や薄日、息づかいなど、光と音のアクチュアリティがふつうのドキュメンタリーよりもリアルに伝わってくるのは、ある意味創作ドラマならではの“再生” しようとする強い意図が、監督とスタッフにあったはずだ。

デボさんの貫禄は物凄い。
演技に慣れてるとはいえ、自然に身についた土着の貫禄が演技を凌駕している。
他の阿寒の人々との議論シーンなんかも自然な感じで撮れている。

商業的匂いのする(もはや熟練俳優の)リリー・フランキーが登場すると、途端に虚構の香りが入り込み、これはフィクションだったのかとあらためて気づく。

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さて物語。
少年が好きになれなかった伝統や習俗に何かのきっかけで目覚め、その魂のルーツにポジティブに向かい合うようになっていく、というような話ならちょっとステレオタイプで興ざめかな、とひそかにぼんやりと思っていた。
そこを最終的にどう着地させるのか、が勝負だと。

が、救われた。


(以下14行、結末に触れています)

少年期の閉塞感と葛藤には、高校受験という進路すなわち住む場所の選択があり、「普通じゃない」アイヌ文化への反発があり、もっと深くには最近の父親の死にも由来している。
アイヌの導師デボは、少年カントにまず大自然の霊性を馴染ませようとし、カントは興味深く受け入れる。
一方で伝統の熊送り=イヨマンテを数十年ぶりに復活させようとするデボに対しては、カントは反発する。
アイヌの神髄を目の当たりにするのを否定し、葛藤は高まるが、ハレの宴に加わり眠りに落ちた少年の通過儀礼は、大自然の霊性の方へと向かい、亡き父親と交感することで成される。
これはアイヌ云々ではなく、アニミズムが浸透した地ではむしろ普遍的にある体験だ。
カントは魂レベルですべてを納得したような表情で上を見上げる。
木の上にフクロウを発見するラストショットは、超越的存在を自分に内在させた象徴のようで、幕を降ろすにはベストだと思えた。

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福永監督は北海道出身だという。
でもアイヌのことはほとんど知らずにきたらしい。
日本人のアイヌについての差別は、いまや差別意識の有無のレベルではなく、存在の認知すらされないから差別意識すらないとも言われる。
そうはいっても、長年の同化政策で民族の言葉も文化も権利も尊厳も剥奪されたからこそこうなったわけで。
(先祖の遺骨すら、「研究対象」「人種標本」の名において大学が盗掘や収奪を行ったまま返さないという蹂躙ぶりである。)

知らなかったことへの贖罪のような気持ちもあったのだろう。
アイヌを特異な物珍しいものとして取り上げるのではなくて、固定観念を排し、阿寒の人々と共に過ごし、現実に寄り添うように脚本を書き、「現代を生きる人々」として描こうとしたという。
これは『カピウとアパッポ』佐藤隆之監督とも共通した考えだ。
ただし、この『アイヌモシリ』はアイヌの伝統も十分に堪能できる。


土産店を営むカントの母エミ。
「日本語お上手ですね」
と観光客から何気なく言われて、
「ええ、一生懸命勉強しましたから」
と当たり障りないように、にこやかに答える。
無知に対する皮肉を、こうやってそれとなく真綿にくるんで見せる。
憎いくらいに上手い。
(気づかない人は気づかないままだろうか)

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3年前に阿寒湖に行きアイヌコタンを堪能した。
ドキュメンタリー『カピウとアパッポ アイヌの姉妹の物語』は東京で観た。
アイヌコタンの店で旨い郷土料理を味わっていると、そこは妹アパッポの店だった。
すると、奇遇にも佐藤監督まで来店した。
嬉しくなって二人と一緒に記念写真をおねだりした。
姉カピウの夫は彫金デザイナーで、彼のブランドAgueのデザインTシャツがぼくは好きで普段から着ている。
そのカピウさん=絵美さんとその息子・幹人くんが今作の主役である。
絵美さんら数人が劇中で僕のと同じTシャツを着ていたのも嬉しい。
登場する場所も思い出の風景だし、個人的にそんな思い入れが初めから用意された作品なのだった。

いや、高評価はそんな贔屓目じゃなくて、絶対おすすめだからなんだけど。

★★★★






mid90s/本気のしるし/そして泥船はゆく

2020年10月11~17日


『mid90s ミッドナインティーズ』
ジョナ・ヒル
監督
mid90s 2018年 米 1時間25分
新宿ピカデリー
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これはキャラクターの勝利。

主役である子役スティーヴィーをはじめ、少年たちの表情がぼくらに刻印される。

思春期の憧れとトキメキ、ザンコクなまでの代償、それらが手にとるようにクロースアップされ、こちらにも予想を超えた威力となって胸を強打する。

ちょっと前に公開されたドキュメンタリー『行き止まりの世界に生まれて』と同様の世界。(貧しくてもビデオカメラは持っている)
必ず家庭のDVや貧困が背景にあり、そのセーフティネットとしてスケートボードの仲間たちが機能している世界。
仲間の無軌道ぶりは危なっかしいけど、これがなかったら生きていけない世界。
―――昔の(一部では今も)暴走族と同じ機能だけど、スケートはそれだけなら迷惑はかけないよね。

『行き止まりの世界に生まれて』は2000年代のラストベルトにおける少年たちの世界だったが、これはそれより10年ほど遡ったL.A.
場所や時代がちがっても、社会構造は変わらない。
ジョナ・ヒル監督36歳が、主人公と同じ小学5~6年生頃の半自伝的な話だ。
―――90年代半ばといえば僕も劇伴の音楽カルチャーはまだ同時代かなと思ったが、あまりハマらなかったのは世代がちょっと上だったからかやっぱり。(苦笑)

しかし、90年代半ばって、今の若者たちにはちと古いはず。
それでも劇場は20代でひしめいて、ロングランヒットが続いているのはなぜか。
やっぱり、スケートボードが根付いていて、ストリートカルチャーやちょっと古い時代がブームになっているらしい。

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それにしても小学生スティーヴィーはのっけから激しく痛めつけられる。
年の差4つか5つかわからないが、ガタイのデカい兄からは容赦ない暴力を受け、しまいには事故で救急搬送されるまで、痛々しいことこのうえないが、打たれ強いこともこのうえない。
年上への憧れが強いために、使いっ走りを命じられても嬉しくてほくそ笑む。
だから、すぐに気に入られる。
スケート上達へのがむしゃらな頑張りもほほえましい。

バディたちは悪いことも教えてくれるが、“敵”(家族)から身を守ってくれる。
年上女性からは可愛がられ、性的なこともドラッグも覚えてしまう。

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この映画がさりげなくて素敵なのは、「黒人」「ブラック」ってことに対して、意識的にフラットにしてるところ。
「黒人は日焼けするのか?」って質問、欧米にいると素朴な疑問としてよく訊いたり訊かれたりするんだけど、その質問に対して「お前はどう思う?」と訊かれてスティーヴィーが、
「Black Peopleって何?」
と、そもそも論で返したあたり、そしてそれが妙にウケて、「サンバーン」とあだ名で呼ばれ一躍仲間入りするというあたり、さりげなくてサイコー。

ブラックのレイはマジでかっこいいし。
パーティーとセックスとドラッグのことしか頭にない金髪のファックシットのことも、軽蔑すべき“fuckshit”のようには描いてない。

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イカツい兄も、やっと最後にぶっきらぼうながらも弟を気にかけてみせる。
彼もある意味、親の犠牲者だったから。
一人のバディとして新しい関係に。

理性的な役柄が多いルーカス・ヘッジズが、今回ばかりは理性を放り出す役で怖いほどだった。
実年齢22歳(当時)じゃあ小学生相手に暴力をふるうのはちょっとムリがあるよなあ。
(冒頭のシーン、あれ少し早送りしてるよね? インパクト効果のために)

★★★☆




『本気のしるし』
深田晃司
監督
2020年 日本 3時間52分
キネカ大森
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4時間近く、イライラしっぱなしだった。

元も子もなく言ってしまえば、「疫病神のメンヘラ女に翻弄される優柔不断な男たち」の話だ。
“かよわすぎる乙女”の「男に弱い」キャラとこんな女に弱い男のキャラが、どうにも耐えがたかった。
ダメ女に対して、デキる男が、人がよすぎるばっかりに次第にダメ男になっていき、共依存になってしまう過程もズルズルで、ムカムカした。
見た直後にコメントを書いていたら、それで済ませた可能性もあった。

伊藤詩織さんと深田晃司監督のアフタートークがなかったなら。

開口一番、深田監督自ら打ち明けた。
「この映画を検索すると、『イライラ』が出てくるんです」

やはり、みんなそうなのだ(笑)
しかし、伊藤詩織さんはちがった。
「イライラする部分がどこかということはわかるんですが、私自身はイライラしなかった。私と似ているところがあるな、と共感することが多かったんです」

ジェンダーを意識する人ほど、イライラが募るのだと思いきや、女性が、ましてや詩織さんがそう感じるとは、意外だった。

もちろんこの映画は、ジェンダーをふだんから強く意識して活動している深田監督なればこそ、性的偏見を助長するような映画ではないし、原作もしかり。

“隙のある”女性が被害に遭っても「自業自得」と言ってしまう主人公に対して、ピシャリと叱責する。

「この女に下心がないって、あんた、これがヒゲ面の男だったら、同じように助けますか」
と詰問されたら、まともな答えは出てこない。

原作マンガの作者(星里もちる)が男性だというのには驚いたが。

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『寝ても覚めても』の主人公の男女(唐田えりか・東出昌大)も似たところがあり、自分勝手な女性はかなりイライラさせてくれた。

ADHDで日常生活に難のある女性(趣里)と、主体性がないゆえにそれを受容できてしまう男性(菅田将暉)を描いた『生きてるだけで、愛』は、徹底していて、ある意味スッキリしていた。

ぼくなんか、成瀬巳喜男『浮雲』でさえイライラしちゃうもんね。
ああいう、男と女がいつまでもウジウジしてる話が好きじゃないんだな(笑)


主役の女・浮世は、ADHDなのか、単なるダメ女なのか、思わせぶりな悪女なのか。
どれも当てはまりそうだが、どれも境界線上のグレーな存在。
意識的なのか、無意識なのか、それも判然としない。
次第にわかってくるが、上記2作とはちがう不透明さと不信感が全編を覆う。

相手役・辻は八方美人でモテ男で仕事もできるが、主体性がない点では同じ。
結局四方の人間を傷つけてしまう。

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「共感性0.1%」と宣伝文句で謳われているが(笑)、その一方で詩織さんのように共感する人も少なくはないようだ。

別れるときに「あなたは弱くない」「強いから大丈夫」と言ってしまう場面が何回も出てくるが、「強い」と勝手に思われて快く思う人は実はあまりいない。
「弱い」と言われるよりいいと思われがちなだけに、「強い」という言葉は言い返せない呪いの言葉でもある。

とくに強い女と思われている細川先輩の気持ちに関しては、同じ境遇の人は多くはないにしても、共感できる人は多いはずだ。

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トークは深田監督からキャラクター設定の解説もあり、「主体性」の有無や、ジェンダーから見た男女の設定など、話はいくらでも膨らんでいきそうだった。
詩織さんからは、小説『持続可能な魂の利用』(松田青子)の“おじさん”という概念が、深田監督からは田中貴子教授(甲南大学)の著作から“悪女”の概念が引用され、作品の人物についての深掘りが少しされて興味深かった。


本来はメ~テレで製作・放映されたTVドラマを、劇場版に編集したもの。
連ドラは毎回ツカミと見せ場を持ってこなければいけないので、毎回韓国ドラマ的「マジかよ」「またかよ」という愛憎劇の展開があり、それを劇場版につなげるとどうしても全編「これでもか」とイライラが波のように繰り返されることになる。
それは劇場版の功罪でもあるが、そもそも原作はマンガであって、連ドラに合うから、ということでドラマ化されたのだから致し方ない。

深~い「深田映画」というよりも、マンガ原作のよくできたTVドラマという感じ。

でも、この映画、最後は晴れる。
終盤ようやく希望が見えてきて、気持ちは少し取り返せる。
ラストも、納得はできる。

しかし、そこまでの道のりが、長く面倒だったね!
もちろん、イライラしながらも、最後まで飽きはせずに観られちゃう。
一種のサスペンスでもあるのかな。

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(3行だけ少しネタバレですが)
浮世が成長を見せるのだが、散々常軌を逸した行動と精神病理を描いてきたのに、急に主体的な愛情が芽生えたがゆえにまっとうな人間になるだろうか。
3~4年も事件を起こさないほど、精神病理がクリアになるだろうか。
まあ、マンガですから・・・


テーマは明快で好感が持てる。
でも、テーマや内容がよければいい映画とも限らないし、終わりよければすべてよしというわけでもない。
「共感できる」からいいとも限らない。
もっと言えば、いい映画だからと言って、好きな映画というわけでもない。
何が言いたいかというと、だから、こういう映画は、こうやって見た後にそれぞれの感想を言い合うことが楽しいのだよね、ということ。

ただ、共感しすぎてヒリヒリして楽しめないこともあるだろう。
ぼくの身近にも、実はいま似たような状況に遭っている人がいて、登場人物の立場は決して荒唐無稽な対岸の火事ではない。

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最後に。
全編、映像的にはかなり暗い。
ジメジメした印象は画面からも来ていた。

★★★☆

深田監督と伊藤詩織さんのトークショーに関する詳しいレポートがこちらに出ています。ぜひご一読を。↓
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f87b0d0c5b6c5eccffd3035?ncid=tweetlnkjphpmg00000001&fbclid=IwAR1MgyiYH6guPVtP-dQizSyuIiK6dLBNLf634WplxgNZLty4dLauu8ittJQ


伊藤詩織さんの新作ドキュメンタリー『ユーパロのミチ』のパイロット映像も披露された。新型コロナのせいで撮影が停まっているが、完成が見えてきた。寄付で協力させてもらっているので楽しみに待っている。





『そして泥船はゆく』
渡辺紘文
監督
2013年 日本 1時間28分
キネカ大森
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キーさんのために作られたような映画だ。
渋川清彦はこの映画のために俳優をやってきたのかもしれない。
いや、この役のために生まれてきたのだ。
(たぶん当て書きだろう)

もう、サイコーなんすから。
キーさんファンにはたまらない。

予告編のキャッチがふるってる。

NO FUTURE
NO MONEY
NO JOB
NO DREAM
NO HOPE
NO EMOTION
NO ACTION
NO ROMANCE
NO CATHARSIS
NO SPECTACLE
NO SEX
NO FANTASY
NO SUSPENSE
NO PASSION
NO VIOLENCE
AND VERY VERY VERY FUNNY FILM
SURREAL SF COMEDY TRASH MASTERPIECE FOOLISH SLAPSTICK RELIGIOUS POLITICAL DISASTER CHAOS

まさにその通りで、映画に必要とされている要素やジャンルを何ひとつ使うことなく、面白い映画を作ってしまっているのである。

おっと、ひとつだけジャンルを言うなら「コメディ」。
何度も爆笑したよ。
マスクの内側、心の中で。

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実はキーさん以外に、いやそれ以上に存在感がある人物が登場する。

100歳近い「おばあちゃん」だ。
演技不可能のはずなのに、絶妙なところで笑ったり、呟いたり、あたかもシナリオにあるかのように当意即妙のPLAYをする。
結果、素人でもプロでもかなわないスーパープレイヤーの輝きを放って君臨・鎮座ましましている。

おばあちゃんは当時96歳の平山ミサオさんで、監督の実の祖母。
すべての監督作に出演し続け、2020年の最新作『叫び声』にも104歳で出演している!ところまでは確認されている。

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大田原愚豚舎」第1回作品で、渋川清彦の第1回主演作品。

仕事のない田舎で、職探しもせず自堕落に過ごす36歳独身、祖母と二人暮らし。
働いて稼ごうとはせず、ヘンな欲目もないからパチンコはするが派手な賭け事はしない。
自分のことにも他人のことにも興味はなさそうだが、イヤなことは絶対にやらないし、人倫に悖ることはしない。
正論や偽善には鼻ほじりで応え、人から弱みを指摘されると逆切れする。
現実を悲観することも俯瞰することもなく、ある意味、達観してお気楽にただひたすら目の前の日常のつまらなさを謳歌している。
生意気な女子中学生には「ニヒリストなの?」と訊かれ、「化石」と呼ばれる。
最強のニートかもしれない。

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最近は渡辺監督自身が主役として全編ボヤキ芸でぼやき倒すパターンだったが、これはキーさん欣喜雀躍で役者として本領発揮の独擅場。
中学生役の高橋綾沙も、ダメ大人にツッコミ入れ放題でいい味を出している。


★★★★




鵞鳥湖の夜/ナオト、いまもひとりっきり/悲しみより、もっと悲しい物語/マティアス&マキシム/バナナパラダイス

2020年10月1日~5日


『鵞鳥湖の夜』
ディアオ・イーナン
監督
The Wild Goose Lake 2019年 中・仏 1時間51分
109シネマズ川崎
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ほぼ闇。
そこにネオンピンクの燐光が差す。
なかば廃墟。
しかし生活臭と汗にまみれる人の群れ。
ほとんど猥雑。
一瞬、スタイリッシュな画力で見得を切る。

すべてが匂うようになまめかしい。
すべてがエロくてキマッテいる。

これぞフィルムノワール(カラード)の極み。

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鵞鳥湖のほとりは、開発から取り残された飛び地。
窃盗団とバイク、暴力と圧政、貧困と堕落、酔狂と猥褻のカオス。
夥しい死の片隅に、情愛の欠片。

路上ではチェイス。
廃墟はラビリンス。
湖はエロス。

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窓を通した外の雨。
ビニール傘の内側に血しぶき。
テント越しに男女が動く影法師。

鵞鳥湖の小舟の上、「水浴嬢」との淫らな遊びの最中に聞こえるのは、波と櫂のぶつかるくぐもった音。
静寂のなんとも官能的な感応。

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汚さの、汚辱一歩手前の色っぽさ。
朽ちたものの、崩落一歩手前の外連味。
錆びたものの、腐蝕一歩手前の渋さ。

あらためて思い知らせてくれる。
ストーリーよりも何よりも優先するそれら光と陰、色彩と音響こそが、映画の醍醐味なのだってことを。
『薄氷の殺人』で鮮烈な印象を残したディアオ・イーナンがまたやってくれた。

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『ナオト、いまもひとりっきり』
中村真夕
監督
2020年 日本 1時間35分 ドキュ vimeo

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全身、これぞ最強のレジスタンスである。

松村直登、60歳。
2015年に公開された『ナオトひとりっきり』から5年。
原発災害から9年。
福島の全町避難になった富岡町に一人残り、犬、猫、ポニー、野良のダチョウ、そして牧場の見放された牛たちを世話しつづける男の、なんと尊いことか。

放置された牛舎からは餓死して白骨化した惨状が腐臭を今も放つ。

彼の黙々とした作業が何よりも多くを語り、一言一言が何よりも強い説得力を持つ。

「復興なんてできるわけがない」
「帰還なんて誰がするのか」

痛烈な国策への批判となる。

国の勝手に言う「復興」は、この帰還不可能な土地を前に、何を指して言っているのか。

「復興五輪」を無理やり始動させるために、駅舎を強制的に建て直し、民家を強制的に解体し、かたちだけの「除染」作業をし、土建屋を儲けさせ、線路のあちらとこちらで「帰還困難」と「解除」を無理やり分ける。

「帰還できる町」と銘打っても、インフラも仕事もない故郷には、じっさいもんだい若い人は帰還できない。

この国の、棄民政策と、都合良く看板を付け替えて利用する壮大な詐欺が、簡潔明瞭に見てとれる。

真新しい駅舎と膨大なフレコンバッグの絵が強烈な皮肉だ。

被害者、弱い者、陰で支える者、過去のものは全て切り捨てる、それがこの国の徹底した方針だということ。

誰もいない桜並木に、5年経ってようやく蜂や鳥が帰ってきた。
しかし、牛たちは一代目はほぼ死に絶えた。

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監督が、この5年後の続編をまとめて緊急配信したのは、次のようなメッセージがあったから。

少し前までは、福島の人たちが「放射能がついている」と差別を受けてきました。しかし今年、コロナの感染拡大で、東京の人たちが「コロナを持ってくるな」と言われる状況に。
この作品を通して、「目に見えない脅威」に対する人々の偏見や差別をもう一度、考え直してもらえればと願っています。





『悲しみより、もっと悲しい物語』
ギャビン・リン
監督
2018年 台湾 1時間46分
横浜ジャック&ベティ

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メロドラマのクリシェ、ありえないほど絵に描いたようなボーイミーツガールと純愛と白血病。
ベタすぎるやろ~!と溜め息をつきそうになるのは後半途中まで。

ごめんなさい、おみそれいたした!

そこから終盤の展開は、主役に並走する人物たちが物語に厚みを与え、さらにはもう一つの視点から語られる種明かしの後日譚が追い打ちをかける。
「メロドラマの王道はこう作れ」と言わんばかりの、「純愛ドラマの典型」以上の底力を発揮する。

さすがは台湾映画。
一青窈いわく、元となった2009年の韓国版よりも泣けるかもしれない、「激哭」だと。
ぼく個人はそれほど泣けなかったし感動もそこそこだけど、とにかく感心した。

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さらに、いつも感心してつい書いてしまうのだが、女優の見た目の若さがハンパない。
主演のアイビー・チェンは36歳(2年前)。
この年齢で20代前半も難なく演じてしまう。
『聴説』(2009)の時も驚いたが、それでも27歳、あれから9年もたっているのにほとんど変わっていないのである。

★★★☆



『マティアス&マキシム』
グザヴィエ・ドラン
監督
Matthias & Maxime 2019年 カナダ 2時間
109シネマズ川崎

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イケてないドラン。
身なりもヘアも態度もだらしない。
顔に赤痣をつくっている。
体つきも顔も少したるんだ感じ。
家庭は関係性も家計も破綻している。

今回のドランは自分から洗練さを剥ぎ取っている。
自虐的に。

片や相手の男は対照的に洗練されている。
リッチで社会的評価も高い。
(ものすごくウジウジしてるけど)

思春期のヒリヒリした切実感と高揚感が売り物だったドランも、既に31歳。
作風の経年変化も注目していたが、この「かっこ悪さ」を打ち出すあたり、そして母親との確執もマザコンからの脱却をしたように見えるあたりも、オトナというか妥協というか、ある意味彼個人の成長なのかもしれない。
それだけに、反面切れ味がなくなったような気もする。

それでも終盤の見せどころでは、それまでのやや冗長な流れが長い前フリだったことを悟らせ、一気に開花させる展開にどぎまぎさせてくれるのはさすがだ。

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ケベック製なのにそんな調和を微塵も感じさせない、ドラン製オリジナル。
かっこわるくてもいい。
ただ、まだまだセクシーにトンガっていてほしい。

★★★☆



『バナナパラダイス』
ワン・トン
監督
Banana Paradise 1989年 台湾 2時間28分
新宿K’sシネマ

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台湾ニューシネマの巨匠のひとり、と言われる王童(ワントン)の作品が劇場初公開された。
1989年作。
蒋介石の白色テロを初めて描いたホウ・シャオシェン『悲情城市』と同年だ。
1987年に戒厳令が解かれているから、直後に台湾戦後史の実態を映像化する動きが始まったということ。
この『バナナパラダイス』もその一つ。
舞台は1949年、中国国民党政府が台湾に移って戒厳令が敷かれた年から始まる。

主演は若き日のニウ・チェンザー
『軍中楽園』の監督だが、見る影もないほど情けないダメ男ぶりを発揮している。

そのダメ青年メンシュアンが慕う兄貴分のダーションは、反対に何でもできる、賢く頼れるナイスガイ。
二人は中共内戦のさなか、軍に紛れて荒涼の華北から憧れのバナナの天国までやって来たものの、スパイ容疑の拷問を端緒に、数奇で残酷な運命が待ち受けていた。

離ればなれになってしまい、職にありつけず食うや食わず状態のメンシュアンは、たまたまある男の死に際に出くわし、その妻子のために夫になりすまして職を得ることになる。
疑似夫婦として名前も変え身分も変えたかりそめの生活は、しかし失敗続きで、観ているこちらも失笑続き。

最後の頼みの綱、兄貴・ダーションを探し出してみれば、なんと拷問のPTSDで小児と同等の知能になっていた・・・
国家によって翻弄される罪なき犠牲者のなんとも悲しい物語なのだが、彼らの流転はさらにつづく。

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悲しみだけでなく、同等の諧謔スピリットを常にミックスすることで、味わい深い皮肉な<コメディ=トラジディ>として語られる。
他のニューシネマのホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンなどと比べるとガサツな作風だが、ワン・トンはその叙述性があればこそ、泣き笑いのうちに長さを感じずに観ることができるのだ。

★★★☆



『いぬ』
ジャン=ピエール・メルヴィル
監督
Le Doulos 1962年 仏・伊 1時間48分
ミシェル・ピコリ追悼特集>
ジャン・ポール・ベルモンド
横浜ジャック&ベティ  ★★★
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おかえりただいま/緊急事態宣言/チィファの手紙/ラ・ヴァレ/もう終わりにしよう

2020年9月13~27日



『おかえり ただいま』
齊藤潤一
監督
2020年 日本 1時間52分
ポレポレ東中野

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「殺害が一人の場合、死刑にするほど悪質ではない」

一審で死刑判決を受けた一人が、高裁で無期懲役に減刑された際の、判決理由がこれである。

僕は死刑には反対の立場だが、この判決文は許せない。
「悪質ではない」?
ほかに言葉を選びようがないのか。

一人で複数殺す方が、寄ってたかって複数で一人を殺すよりも悪質?
(むしろ僕的には、後者の方が卑劣で悪質だと思うが)

「何人だろうと悪質。だからこそ、生きて罪に気づき、苦しみ、贖え」って、なぜ言えないのか。

単に「永山判決」の判例に則っただけ。
それならAIで、いや20世紀の事務機器で済むのではないか。

司法が批判されるとしたらこういうところだ。
これは死刑の是非の問題ではない。

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ドキュメンタリー『死刑弁護人』齊藤潤一監督による東海テレビ製作の作品。
その作品レビューにも書いたが、僕が次第に死刑廃止派に傾いてきていることはそれを読んでもらえばいいとして、ここでは語らない。
→『死刑弁護人』→  https://tapio.at.webry.info/201912/article_3.html


2007年の「名古屋闇サイト殺人事件」は、3人の男が一人の女性を拉致・殺害した事件で、主犯は「死刑」を受け入れて早々に執行済み。
自首した男は「無期懲役」、もう一人は「死刑」→「無期」で結審したが、殺人の余罪があって「死刑」確定となった。


映画は、冒頭から後半までの半分以上が、斉藤由貴・佐津川愛美らによる再現ドラマ。
じっくりと、十分すぎるほどに、慎ましくも暖かな母子家庭の内情をつぶさに描く。
その効果は大きく、だからこそ凶悪犯罪によって幸福が一瞬で強奪される無残さが痛々しく刺さる。

佐津川愛美演じる被害者が母を想うゆえに死を賭してキャッシュカードの暗証番号を偽ったことが物語るように、斉藤由貴演じる母と娘の互いの愛情と、一縷の望みのために必死に生きる姿が紹介される。
斉藤由貴の打ちひしがれた表情には年季を感じつつ、きれいに年をとっているなあと感じ入る。
(ドラマの演出自体は、率直に言えば少なからず“クサイ”ものだったが、そこは本質ではないので許そう(;^_^A)

後半ドキュメントパートが始まると、裁判と署名運動で闘い、今も講演活動を続けるお母さんの姿にクロースアップ。
「なぜ3人とも死刑じゃないのか」と被害者の立場に基づかない司法を嘆き、世間に訴える声は切実で、胸が潰される。
と同時に、なんて強い人なんだろう、と心打たれる。
最愛の娘の悲しすぎる過去に向き合い続け、事件を風化させてはならないと、涙を枯らしながら声を上げ続ける。
外にも出られない時期や、嗚咽で声にならない時期を通り越しているのだろう。
自己に打ち克ち、笑顔を作り出している。

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実は、犯人側のドラマパートも作られている。
前半の被害者の再現ドラマに並行して、主犯者の過去もリサーチして提示したのだ。
『死刑弁護人』などで司法制度を追ってきた監督ならではだ。

例に洩れず、凶悪犯の生い立ちは悲惨なものだった。
愛を知らずに育てば、こうなるという典型のようなもの。
これに対して、欠落を埋めて「更生させる」という発想がなければ、自分の罪に気づくこともないだろう。
量刑で人を裁くだけでいいわけがない。
人を苦しめた人には、それ以上に苦しんでもらわなければ困る。
死んだらそれまでだ。
ましてや、犯罪者本人に死を望まれたら、誰得なのか。

そんなあれこれを考える材料を提示するのは、遺族にとっては嫌なものだろうけれども、そこは省けない。


お母さんの活動には敬意を表し、応援したい、ハグしたい。
でも、「死刑にせよ」という署名なら、賛同しない。
「被害者の立場に配慮した司法制度を!」という署名ならぜひ賛同したい。

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ネットで自殺志望者を募集した2017年の座間9人殺害事件では、被害者の親の一人が「死なすわけにはいかない。生きて罪を償ってほしい」と語っていたのは印象深い。

ちなみに日本では、今年の内閣府調査では、

「死刑もやむを得ない」 80.8%

終身刑があっても、死刑は
「存続」 52%
「廃止」 35%

日本が世界に追いつくには気の遠くなるような道のりになるだろう。


他に死刑存廃のポイントとなる「更生」についてのドキュメンタリーがあるので、当ブログのレビューを以下に紹介しておきます。

『プリズン・サークル』
https://tapio.at.webry.info/202001/article_7.html?1601628701

『Lifers~終身刑を超えて』
https://tapio.at.webry.info/202002/article_1.html?1601629480





『緊急事態宣言』
2020年 日本 Amazon Prime 

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コロナ禍版『世にも奇妙な物語』だが、5番目のみドキュメンタリー。
企画から配信まで3カ月という早業。

1)デリバリー2020(中野量太)0:27 ★★★★ 渡辺真起子、他
 ショートショートとしていちばんよくまとまっていた。リモート生活の功罪を端的に捉えた笑えないリアル寓話。

2)孤独な19時(園子温)0:38 ★★★ 斎藤工、他
 今年は現実がフィクションとの境がなくなり、デフォルメがリアルになっている。それでも園子温のデフォルメは近年のキムギドクに似て、まだそれほどリアルに見えない。斎藤工にずっとモノローグさせるのが逆効果。

3)DEEP MURO(非同期テック部)0:23 ★★★ ムロツヨシ、他
 動画の顔をリアルにすげ替えるディープフェイクで遊ぶコント。

4)ボトルメール(三木聡)0:33 ★★★ 夏帆、他
 コメディ風サスペンスだが、この監督はシュールの中にオチっぽいものを配するので、ツボにはまるかはまらないかの賭けのよう。サスペンス好きにもコメディ好きにも、イマイチか。

5)MAYDAY(真利子哲也)1:04 ★★★☆ 内田慈、他
 唯一のドキュメント・フッテージ。世界中が巣籠りした5月の1カ月間、世界各地の仲間たちが撮った日常の断片がビデオレターに。最後は内田慈夫妻の極私的エロス。淡々とした寄せ集めのようで、段々ディスタンスの中の人のつながりがじわっと感じられる。



『チィファの手紙』
岩井俊二
監督
2018年 中 1時間53分
新宿バルト9

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中国版『ラストレター』
人物を1人増やしただけでほぼ同じシナリオ。
日本版以上の感慨は湧かなかった。
いや、松たか子広瀬すず森七菜の3人が最強だったのだ。

★★★☆



『ラ・ヴァレ』
バーベット・シュローダー
監督
La Vallée 1972年 仏 1時間40分 DVDレンタル

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ビュル・オジエ32歳の時の主演作。
その2年前に主演した『サラマンドル』(A.タネール)を学生時代に観た時に魅せられてから、その振り向き美人顔を忘れられなかった。
それ以来のビュルオジェだ。

裕福で好奇心旺盛なフランス貴婦人がニューギニアに来て自由奔放にふるまう。
『エマニエル夫人』か?と思いきや、展開は『アギーレ 神の怒り』的な方向に。
そこまでディープではないが、地図の空白になっている密林の奥地を目指して探検するヒッピーの一団に同行する。

夫のことは眼中になく、貴重な鳥の羽根を求めるバイヤーとして行動するヴィヴィアンヌは、ヒッピーたちのフリーセックス主義に馴染めずにいたが、奥地の原住民たちの祭祀に遭遇してからは彼女の中の何かが変容してくる。
ヒッピーたちと自由に肉体を交わらせるだけでなく、彼ら以上に自然と交感し同化していく。
むしろヒッピーたちの方が何も変わらない。

物語は目的地を遠くに臨んで急に終焉するが、それは物語がそれ以上発展し得ないということをこの物語自体が達観しているからだろう。

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途中で(「食人族」とも俗称される)少数民族の文化人類学的なドキュメントぽくなるシーンがあり瞠目するが、今となっては原住民のお祭りをショーとして鑑賞できるお泊りツアー企画もあるぐらいで、結局はこの映画内の「未開の民族」も、たとえ30年前であっても文明に消費される対象として映されているにすぎないとも思える。

そんな西洋文明と「未開」の固有民族文化を対比させ、ヒッピーたちの夢と幻滅で暗喩させたかったのではないか。

ピンクフロイドの劇伴が70年代的な重厚なサイケ感を醸していて、それもまた一興。

★★★



『もう終わりにしよう』
チャーリー・カウフマン
監督
I'm Thinking of Ending Things 2020年 米 2時間14分 Netflix

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『エターナル・サンシャイン』の脚本家といえばみずみずしい感覚だとイメージするが、『脳内ニューヨーク』の監督といわれれば、奇想天外かつ難解でひねくれた印象が強い、そんなチャーリー・カウフマン。

今回久々に発表した監督作は、さらにきわめつけの難解さとコンプレックスを煮詰めたような作品だ。
かつ、デビッド・リンチばりの薄気味悪さが全編を覆っていて、現実からの剥離が徐々に次元の逸脱に、妄想の果てに待つものは・・・??という展開。

そこには意味ありげなものが渦巻いていて、潜在意識を刺激してくれるのはいいのだが、重層的な隠喩を解釈できそうでできないモヤモヤ感が続き、最後のハレのようなシーンでもカタルシスには程遠い。

ネットフリックスで欧米ではずいぶんヒットしてるらしいけど、日本人にはサッパリわからないと思う。
『オクラホマ!』というミュージカルが前提になっているという説もあるし、それほどでもないという話もあり。
『こわれゆく女』(ジョン・カサベテス)という映画について議論を交わすシーンもあるが、これを観ている僕でも大して理解につながらない。

前半はD.リンチ的にサスペンスを楽しめるが、伏線を回収することが不可能となってからは、ただ茫然と見つめるしかない。

★★★






蒲田前奏曲

2020年9月26日


『蒲田前奏曲』
監督・脚本:中川龍太郎、穐山茉由、安川有果、渡辺紘文
出演: 松林うらら、古川琴音、瀧内公美、伊藤沙莉、和田光沙、川添野愛、福田麻由子、須藤蓮、大西信満、吉村界人、山本剛史、二ノ宮隆太郎、渡辺紘文、他
2020年 日本 1時間57分
キネカ大森

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2年前のオムニバス『21世紀の女の子』を観た時のモヤモヤ感を、一気に吹き飛ばしてくれた。

Me Too”運動が欧米の映画界をまだ席巻していた頃に公開された、山戸結希監督プロデュースによる女性監督総勢15名の作品群『21世紀の~』は、そのムーブメントに対する日本における返歌だろうと思いきや、その意識の片鱗すらあまり見当たらないフワフワした印象で、僕にはやや失望した記憶が残っていたのだった。

その後ほどなく、そこに参加していた一人の女優が一念発起する。
同じくそこに参加していた一人の女性監督を含めた二人の女性監督を抜擢し、まさしく“Me Too”のウェイヴを日本で受け止めさらにうねりを起こすための格好の企画を立ち上げたのだ。

2年前、ネットリンチを描く衝撃作『飢えたライオン』の主役をつとめて鮮烈な印象を残した松林うらら
女優とプロデュースを兼業する先輩・杉野希妃に倣って、自らが主演する連作長編をプロデュースしようと果敢に試みる。
アラサーになる売れない女優が、女にとって生きづらいこの日本社会で遭遇する場面場面における、演じ分けやその無理さ加減をあらわすため、4人の話題の若手監督を起用してそれぞれの脚本世界に自分を泳がせた。

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安川有果監督の第3話『行き止まりの人々』はダイレクトに“Me Too”問題を取り上げる。
松林うららの実体験も含めているというだけに、映画界のセクシャル・ハラスメントは「あるある」で、これを観たら消え入りたくなる男性陣も多いに違いない。

#Me Tooを題材にした劇中映画のオーディションでセクハラ・エピソードを女優に語らせるシーンは、それ自体がセクハラになっていることに劇中監督は気づいていない。
周りの空気を食い散らかす瀧内公美とのエチュードの場面では、過去に因縁のある男性監督とのスリリングなやりとりに発展して、演出も見どころ。

松林P自身が似たような体験を劇中で男性監督にさせられているところを女性監督に演出されているというのも、メタ構造のようで確信犯的で面白い。
そのスタンスは第1話の冒頭シーンも同様で、オーディションにおける松林うらら=蒲田マチ子の「コスプレ的」な違和感は、この映画の基調となっている。

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たぴおか的にいちばんのお気に入りは、その第1話の『蒲田哀歌』だ。
現在日本で最もポエティックな監督・中川龍太郎監督は今回も、蒲田を舞台にポエジーを存分に発揮。
古川琴音という秘密兵器を繰り出して、街の現在を「街の過去」からの時間軸の差異で浮かび上がらせる。

「現在の街が、昔の人たちから見たらどう見えるか、と思うと、なにか申し訳なくなる思いがあった」と語る監督(注:言葉は正確にあらず)。

蒲田マチ子の弟が突然「付き合い始めた」という看護師・セツ子(古川琴音)は、どことなく浮世離れしているが、その秘密がやがて明らかになる。
リアリスティックなマチ子との対比が鮮やかなセツ子は、中川監督のファンタジックな手法で次元を飛び越えるや、いっそう浮世離れしつつも生を謳歌し、つつましくも生き生きと舞う。

古川琴音。
不思議な個性を持つ女優だな、といっぺんに魅入られてしまった。
中川監督は、『四月の永い夢』朝倉あき『静かな雨』衛藤美彩『わたしは光をにぎっている』松本穂香など、岩井マジックのように作品ごとに映画のミューズを創り出す。

あとで聞けば、インタビュー・シーンなどのドキュメント風の即興の場面では、ファンタジックな設定のまま答えが自分に委ねられることの難しさがあったとのこと。
それがそのまま話し方や声や表情の魅力になっていたのだろう。

つまり、ファンタジーとノンフィクションが融合した新しい感覚を体験させてくれる画期的な作品ということができる。

ちなみに劇中で流れる「蘇州夜曲」の唄は、彼女がカラオケで特訓した成果だそうだ。

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第2話の穐山茉由監督『呑川ラプソディ』は、黒湯が名物の蒲田温泉を舞台にした、アラサーの「女子会あるある」。
女の生き方の齟齬、女同士の見栄やプライドや本音の衝突など、「ジェンダー」を切り口にした辛辣なコメディ。
切実すぎて、男にもヒリヒリするものがある。

伊藤沙莉(さいり)が本領発揮。
山本剛史演ずるマヌケな銭湯男とのしょっぱい戦闘(バトル)は見もの。
というか、そこから一気に綻びが亀裂となって裏地が丸見えになるバツの悪さがキモ。

とりあえず、蒲田温泉、行こ。

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最終話の『シーカランスどこへ行く』は、渡辺紘文監督持ち前のオフビート。
脱臼路線、極まれり。
もはや、蒲田でもない。
マチ子も出てこない。
だけど笑える。
かまえていてもしょうがない。
渡辺監督の毒ボヤキ・モノローグもいつも通り。
小学生リコさんはいつも通り自然体(笑)

いちおう、「東京中心主義」というお題が与えられ、それに加えて東京五輪批判、映画業界批判など、いつも通り栃木・大田原から痛烈なアジテーション口撃を首都に向けて連射する。
「ィヨ!」と、喝采すればいい。

4話のなかではだいぶ浮いている感じがするが、これを連作の一つとして撮る監督も監督だが、そのまま入れるプロデューサーもプロデューサーだ(喝采)

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全編通じて、声に出して笑ってしまう瞬間が何回もあり。
気軽に色んな立場を追体験できる、シニカルなほくそえみに満ちた作品。
一人で観るより、何人かで観に行って、後でお茶しながらワヤワヤ語り合ったらいいね。

蒲田の住人や、界隈に縁があれば尚さら、なじみの場所がちょくちょく出てきて、それだけでもご当地ドラマとして楽しめる。
冒頭、多摩川からドローンで蒲田駅を望む空中撮影からしてワクワクするよ。

※『蒲田行進曲』とは何の関係もありません。

★★★★


行き止まりの世界に生まれて/アングスト

2020年9月



『行き止まりの世界に生まれて』
ビン・リュー
監督
Minding The Gap 2018年 米 1時間33分
ヒューマントラスト渋谷
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生きるか死ぬかの瀬戸際でスケートボードを走らせる少年たち。

冒頭の疾走シーンは爽快だが、前方行く先には滝つぼが待っているのかも。

親に見捨てられて家を出ると、そこは見捨てられた街。

「自分をコントロールするために」スケートに乗る。
同じく見捨てられた仲間が家族になる。
居場所ができる。

それを映像におさめていた仲間がいた。
ビン少年はスケートとビデオカメラの二つで、自分と仲間の「現実」を作り直していった。

少年が自分たち仲間を12年間にわたって撮りためたフッテージが元になっている。
つまり、商品価値など関係ない、生粋のプライベートフィルムが、ウソの欠片もない現実を露わにしてくれているのだ。
結果、ドキュメントとして価値の高いものとなった。

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アメリカ、イリノイ州、ロックフォード
全米で「もっとも惨めな都市」3位という街。
産業の廃れた「ラストベルト」(錆びついた地帯)の典型。

ビン少年は成長しつつ、仲間であるザックとキアーの撮影を欠かさない。
ザックには妻子ができ、不和が発生する。
カメラは次第に自分たちの元の家庭の中に、問題の端緒を求めていく。

ビンは知っていた。
キアーも、ザックも、そしてビン自身も、スケートボードに生きがいを求めたきっかけが家庭内の暴力にあることを。

そしてビンは自分の母親とカメラを通して対峙する。

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キアーもザックも、ビンとの関係が良好に続いているのもスゴイ。
もう大人になってはいたが、内面は果たして。
ビンの影響で、家庭に向き合おうとする。
なんとか新たな岐路に踏み出す。
あるいは、わかっていても、できないことはやっぱりできず、石のように転がるだけ。

見捨てられた街を、青年になった彼らは捨てるのか。
希望と諦め、その両極のどちらに振れるか。
どちらにしても、大きな不安。
やがて仲間はついに道を違えていく。

そこまでを撮り切った、かつてのビン少年は、監督としてキャリアを積み、素晴らしい軌跡を歩んでいる。
監督自身の成功物語は、その一端が公式HPに書かれている。

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しかし、と思う。
彼らは、親のDVや貧困に起因する不遇を、社会の問題としてどれだけ捉えられていたのか。
家庭が暴力の連鎖に陥ってしまう原因は、失業と格差の激しい社会にあり、それを作っているのは政治だということに。

それが明確には語られていない。

ましてや、「ラストベルト」がどういうところか、エミネムの「8マイル」が何を意味するのか、そこがわからない他国の人には、これを観ただけでは単なる「不遇な少年たちのスケボー青春日記」に終わってしまうかもしれない。

日本の青少年たちには、そこを踏まえるために作品のオフィシャルサイトをよーく読んでもらいたいな。
 ↓    ↓    ↓
http://www.bitters.co.jp/ikidomari/





『アングスト/不安』
ジェラルド・カーグル
監督
Angst 1983年 オーストリア 1時間27分
横浜ジャック&ベティ
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この映画のもっとも驚くべき存在は犬である。
しかしそのことは最後に触れよう。


一人の狂人の行動を体現させる映画。

主人公の顔の近く、あるいは身体からそう遠くないところに据えられたカメラが、主人公のPOV(主観的視点)のように一挙手一投足を記録する。
(この手法にさらにボカシ効果を視界の周囲に加えたのが『サウルの息子』[2015/ハンガリー]だった)

しかも、脳内モノローグがナレーションとして呟かれる。
アドレナリン増し増しの息づかい。
主演アーウィン・レダーの憑依。

潜水服を着せられ水中にいるかのような、ロックト・イン状態の窒息感が増幅する。

狂人の行動にシンクロして、カメラまで狂気モードで撮影している。
撮影・編集のズビグニェフ・リプチンスキと、監督のジェラルド・ガーグルたち自身が殺人鬼の心理にシンクロしないと、ここまでの映像にはならなかったはず。

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冒頭こそ、プロローグ的に実在の事件の記録が報告調に語られる。
また最後も精神鑑定や裁判の結果について説明が入る。
しかしそれ以外は犯人のつぶやき。

「完璧な計画を思いついた」と言いながら、実行してみれば算段のかけらもないところが、またリアルに狂気じみている。
それを監督が書き、言わせているのだから、作る過程で監督は殺人鬼に憑依していてもおかしくない。
ただ、「殺人鬼の心理を探る」という野心作のために、全額自費で製作、不評で全財産を失った。


作品自体が「異常」という触れ込みだが、異常者を再現して撮ったら異常なのだろうか。
この手のサイコを映画化したハシリは、『血を吸うカメラ』『サイコ』であり、どちらも1960年という昔のこと。
(それまでは、サイコパスや快楽殺人の心理描写を扱った作品はなかった)

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この映画が「異常」だとすれば、いくつかの点で指摘はできる。

まずは、犯罪者の主観的視点と主観的モノローグで、ただひたすら異常行為を体感させるという点。
今までよりも徹底している点で一線を画している。

二つ目に、映画の時制が狂っている点。
家族を襲う犯行前にダイナーに寄り、客である若い女性2人と中年男1人を観察し、逆に怪しまれ観察される。
何もせずに店を出た後、車で移動してある一軒家にて犯行に及ぶ。
その犯行には数時間かかっているはず(実際は犯行に7~11時間)だが、犯行後なぜかまた同じダイナーに戻ると、なぜかまだ同じ3人が同じ席についている(実際は翌日に店に向かう)。
そしてまた観察し観察される奇妙な時間が繰り返される。
この奇妙な感覚は実に狂気じみているが、明らかに監督の創作だ。

第三に、製作・公開の時期が実際の事件発生からまだ3年しかたっていないという点が、公衆の顰蹙を買って「異常」扱いされた可能性はある。

今回、37年の歳月を経て、なんと日本初公開。

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ちなみに、この作品が生まれた1983年の3年後には、アメリカで300人殺したという実在の殺人鬼をドキュメントタッチで再現した『ヘンリー』(86/米)が撮られた。
こちらも異形の作品として映画史に名を残している。


1980年のオーストリアの社会背景になにがあったかはわからない。
犯人は自分で「異常」を主張するも、「責任能力はある」と判定され、終身刑に。

灰色の空、冷ややかな空気。
荒い息と内面の呟きの合間に、クラウス・シュルツの劇伴が神経に刺さる。

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なんといっても最大の功労者は、全編ほぼ一人で七転八倒して演じ切ったアーウィン・レダーだが、一方で、まったくの偶然と思われる「犬」が、躍動感あふれすぎる活劇を見せる。
惨劇の館で飼われていたダックスフントは、飼い主たちが次々と酷い目にあっているのを尻目に、犯人に対して吠えることも逃げることもせずに、遊んでくれと言わんばかりにつきまとう。
ヒヤヒヤしたが、結果、よく惨劇に巻き込まれなかったなと思ったら、あろうことか犯人の逃亡にも伴走する。
もはや、まさかの、一目惚れの駆け落ち志願!?
一緒に車に乗せてもらって逃避行。
そこからまるで別のロマンス物語が始まるかのような、犬のルンルン気分だけが浮いた状態で終わる奇妙な恐怖映画だったのだった。


星★評定不可

↓ オフィシャルサイト
http://angst2020.com/