はちどり/許された子どもたち/凱里ブルース

2020年6月21日~28日

少年と少女、正気と狂気

自分と世界を隔てる、もやもやしたもの。


『はちどり』
キム・ボラ
監督
House of Hummingbird 2018年 韓・米 2時間18分
ユーロスペース

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ボーイフレンドと離れたりくっついたり、後輩女子とくっついたり離れたり、親友と不仲になったりヨリを戻したり。
そんな起伏があるようなないような日常がつづく1994年、ソウル。
13歳の女子・ウニは浮かない顔で、さえない毎日を過ごしていた。
学校、塾、家の中・・・どこにいても。

思春期の真っ只中、少女はどんな小さな窓からでも広い世界を展望できるはずだ。
でもウニは、窓がいくつあっても信用していないかのよう。

そんな日常の背後には、家父長制的な女性軽視の因襲が暗く影を落としていて、主役ウニの視点からは彼女の憂鬱が葉の柔毛のように見てとれる。

一方で、周りの人物たちはときに感情の波におそわれるが、それがどんな気持ちなのかがよくわからない。
あえて謎を多くしている気配。

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13歳の目からは、家庭内も納得のいかないことだらけ。
なぜ1~2歳しか違わない兄がこんなにもエラそうなのか。
世の中の学歴至上主義と男尊女卑が家庭内にグッと凝縮されていて、日々その重圧が自分と姉と母親にのしかかる。

カメラには、周りの人物の不可思議さが映っている。
まともには見えない世界の、不合理な人々が。

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そんななか、初めて信頼できる大人に出会う。
どんな友達よりも心を許せ、どんな大人よりも一般常識に背を向けている。
「窓」を得たのだ。
しかし、そう思った途端、唯一無二の存在は煙のように消えてしまう。
謎を残したまま。

そしてある日、街中を震撼させる大事件が発生する。

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実際に韓国であった事件を背景に、一人の少女をポツンと置いた。
結局は一人で生きていかなきゃいけないんだと覚悟させる物語。
作り手の視点は、暖かくもなく冷たくもなく、ただ過去の自分自身として置いたのだろう。

ラスト、
正面をまっすぐに向く少女の視線は、世間を、僕らを凝視しているのだ。
我々は、見られているのだ。

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そのこわれそうでしたたかそうな瞳をみせてくれるウニ役のパク・ジフは、大した才能だ。

★★★★




『許された子どもたち』
内藤瑛亮
監督
2020年 日 2時間11分
チネチッタ川崎

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少年は、残酷に弓を射る。

憎しみもなく。
罪悪感もなく。

怪物が突如降臨したのか。
大人と社会の産物なのか。

そして、司法に許された。


センセーションをうまく武器にして、根深い問題を掘り下げる。

『先生を流産させる会』で電撃デビューした2011年当時からの構想8年で、自主映画のかたちでようやく完成・公開にこぎつけた今作。
それだけの苦闘と思考の集積が窺える力作だ。

少年少女と生死に関するテーマをつねに社会に問い個人に突き刺す内藤監督は、しばらく商業作品を快調に撮っていたが、デビュー作以来の忖度のない問題作を9年ぶりに解き放った。

残酷描写も辞さない映像はしかし、衝撃性だけでなく実際の事件をもとにした背景やその後の影響も直視させる。

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最近では『子どもたちをよろしく』(隅田靖/2019)で描かれたように、イジメの加害者も被害者も、貧困や複雑な家庭事情などの背景がクロースアップされることが多い。

しかし当作では、加害者・キラは普通の家庭で育つ。
母親が少々(かなり)過保護で自己中心的な傾向はあるが、とくべつ斟酌すべき要因はない。
キラが小学校時代にイジメを受けていたことは連鎖の一因ではあるが。

『少年は残酷な弓を射る』(リン・ラムジー/2011)と共通した点も多い。
凶器のボーガンは、この6月の宝塚の家族殺人事件ともタイミングが一致。

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加害少年たちは殺人を犯しながら、簡単な少年審判で「不処分」とされる。

被害者遺族の人権や気持ちが軽んじられ、加害者側の方が守られているかのような印象と不正義な実態は、『ヘヴンズストーリー』(瀬々敬久/2010)でも大きく取り上げられたように、「現代の罪と罰」というべき壮大な復讐劇に発展する素因さえある。

加害者を捜索し特定するネット自警団が活発化する様子がしばしばスクリーン上にインポーズされる。
ここ10年で通例となってしまった、歪んだ「正義」の光景。

加害者宅も被害者宅も外壁は落書きで汚される。
事件後は、両者のメンタルを殺し続ける。

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キラはいっこうに反省する素振りを見せない。
母親もまったく被害者や遺族への配慮を見せず、我が子かわいさ一辺倒。
観ている側としては、懲罰・制裁への感情がむくむくと募ってくる。
「いや、それでも・・・」と思いつつも、情状酌量の余地は、徐々に小さくなる。


重大犯罪受刑者の更生プログラムを追ったドキュメント『プリズン・サークル』(坂上香/2019)や、『死刑弁護人』(齊藤潤一/2012)の安田好弘弁護士の活動などを見るにつけ、人を人として扱うことから更生が始まるということを思い知り、報復感情を懲罰として反映させたら真の更生などできない、ということを納得させられる。

しかし。
キラにはそんな生育環境には当てはまらない。
普通の家庭の普通の13歳が冷血無比な殺人を犯した場合、どう考えればいいのか。
世間も、教育者も、法の番人も、僕らも、まごついてしまう。

正論を吐いても聞く耳などあるわけない。
ただ爆発したいだけの火薬に、かける水もない。
思考力がマヒしてくる、その先の物語だ。

映画は、白黒つけさせない。

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これでもかと見せつける、キラと母の行状。
果ての果てにゆきゆきて、
赦しも乞わなければ、救済はない。
自覚もなければ、贖罪はない。

最後にこれだけはたしかに思うのは、
それでもやっぱり少年審判はきちんと加害を断罪して、更生施設に入れること。
人間性を回復させ、更生の可能性を探るしかないだろう。

キラは僕らを挑発して終わる。
あなたはどう反応するか。

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ちょっと前の村上虹郎に似て非なる、それ以上に不敵なキラ役・上村侑は逸材だ。

★★★★



『凱里ブルース』
ビー・ガン
監督
路邊野餐/ Kaili Blues 2015年 中 1時間50分
イメージフォーラム

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夢や幻想を投影するのによく使われる「象徴的」素材や映像効果なしで登場人物を泳がせるものだから、その夢遊病のような展開にはただ迷うだけだ。

主人公が彷徨うのと同じようにまたはちがうように迷い込むことで、結果としてリアルで不可思議な夢体験をさせられている。

『ロングデイズ・ジャーニー この世の涯てへ』で世界の映画祭を唸らせた若き才能が、その数年前に作っていた長編デビュー作。
構造も作風もほぼ同じだった。
前半から人物も背景も筋も不明なまま進行し、後半は40分にもわたるワンカット長回し移動撮影で観る者をのめりこませる。

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ただちがうのは、『ロングデイズ~』が夢遊病的な体験だと一見してわかるのに対して、最初に書いたように当作はそんな象徴的素材を使わない、
たとえば寺山修司の幻想作品群を観れば、一瞬で幻想だとわかるだろう。
この現実か幻想か区別がつかない作風はデビッド・リンチ作品にも見られるが、アジアの映画はより得意としているようだ。

主観カメラ(POV)はないものの、特定の人物を追いかけるカメラは、そのうち別の人と出会うと代わってその人をつけ回し始め、また他の人に対象を替え・・・と何度も偶然にまかせるかのようにつづく。

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何回も舟を漕いでしまうし、あらすじを読んでから見ても物語はつかめない。
個人的には好きになれないが、夢うつつにさせる映画が悪いとは限らない。
タルコフスキーの映画などは、何度見ても前回眠っていた部分を観ることができて新鮮だったりする。『鏡』なんか、3回とも違う映画だった(;^_^)

しかし、こんなスタイルをデビュー作で確立し、さらりとやってのけてしまう26歳は凄いとしか言いようがない。
少なくともそれはわかる。
あとは不可思議できもちのいい世界に身を任せよう。

kairi2.jpg★★★☆



ちむぐりさ~菜の花の沖縄日記~

2020年6月23日
沖縄慰霊の日


『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』
平良いずみ
監督
2020年 日本 1時間46分 vimeo(配信)

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やさしくてやわらかい。

ドキュメンタリーとしてはこれ以上ないくらいの、あたたかい手のひらで届けられたような、いとおしさとしたしみといつくしみを感じさせてくれる。

「沖縄のドキュメンタリー」と聞いただけで、かなしいかな「2分で結論がわかってしまうから見ない」と言われることが多いなかで、これはちがう。

15歳の女子・菜の花さんのまなざしと、
包み込んで語りかけるようなオジイ・津嘉山正種さんのナレーションと、
主題歌を唄う上間綾乃さんと、
そしてこの映画を作った監督女子・平良いずみさんと。
四者ともに、「告発」調とは一線を画したまなざしのコラボでできている。

なによりも、菜の花さんの「行動力」と「エンパシー能力」が物事を動かしている。

石川県出身の坂本菜の花さんは小学校時代にイジメにあった経験から、小5からは親元を離れて和歌山の全寮制「きのくに子どもの村学園」に移った。
沖縄への体験旅行がきっかけで、高校からは単身沖縄へ移住。
住み込みで働きながら、珊瑚舎スコーレという老若男女が集まるフリースクールへ通う。

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自分がその人の立場になったらどう思うだろう。
そんな純粋な気持ちが、沖縄という場所を見つけ、その地の人々の心を見つけ、そこの靴を履こうとする。
ウチナンチュの身になる。
それはすなわち、シンパシー以上のエンパシーだ。

「ちむぐりさ」(肝苦しい)の意味に通じる。

むかし苛酷な体験をし、今でも国家権力の憂き目にあっているウチナンチュのおじい・おばあが、なぜいつも明るく笑っていられるのか。
「それを知りたくて」3年間住み、話をし、ともに活動した。

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辺野古や高江の米軍エリアに住む人々に会いに行き、実情や気持ちに耳を傾ける。
そこから自分の地元石川に思いを馳せ、近くの浜辺でも昔、米軍の実戦演習場に反対する運動(内灘闘争)があったこと、本土は今では基地反対運動をしたことさえ忘れているのではないか、本土は沖縄の立場でものを考えられないのではないか、と考える。

沖縄の基地エリアの住民のあいだでは、基地に対する思いで分断が起きてしまっている。
しかし単なる分断ではなく、みな共通した複雑な思いを持っている。
基地を妥協して許容している人だって、
「日本は今でも植民地よ。戦争に負けたんだから」
ということを毎日強く意識しながら生きている。
本土で「日本がいまだに植民地である」ことを意識して毎日生きている人がどれだけいるだろうか?

沖縄の人々の明るさのワケは?
最後に菜の花は自分で答えを見つける。

そしてある女性に言われる。
「あんたもウチナンチュさね」

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「悲しくてやりきれない」というフォーククルセダーズの歌を、ウチナーグチ(沖縄言葉)で上間綾乃さんが唄う。
「悲しくて」を「ちむぐりさ」に替えて。
まさに妙案。
これで、歌詞も、意味も、メロディも、最高にしっくりくる。

アニメ映画『この世界の片隅に』コトリンゴさんが「悲しくてやりきれない」を主題歌として唄ったことで話題になったが、何よりもこの歌には一気に間口を広げてくれる効果がある。
ただの“エモ”じゃなくて、哀しみと怒りと慈愛と諦めと絶望と希望をひっくるめた力を秘めているのだろう。

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TVで以前放映された1時間版のドキュメントは、菜の花さんが3年間過ごしたスコーレを卒業するところまで。
映画版ではそのあとのできごとが追加されていた。

沖縄では引きも切らさず墜落・落下事故が起きた。
翁長知事が亡くなった。
知事選があった。
辺野古新基地建設の賛否を問う県民投票もあった。

そこには菜の花さんが戻ってきていた。
しかし、彼女にとってはこの2年間さらなる試練となったのかも。
さらにワジワジし、拭いきれない涙があふれて止まらなかった。

その涙は何なのか、
せめて、最後に菜の花さんの身になって感じてみてほしい。
そこから沖縄の「かなしみ」=「ちむぐりさ」に近づくことができるだろう。

そしたら、地元の人々が単なる<賛成/反対>の白黒をつけて済ませられる問題じゃなく、ほとんどの人がグレーのグラデーションのなかに重なり合って暮らしていることもわかるかもしれない。
本土の僕らは外野から<賛成/反対>を言うのではなく、地元の人の靴を履いて思いをめぐらせることが必要だと、この映画はおしえてくれる。

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もうひとつ大事なこと。
観終わってしばらくして思い返してみると、浮かぶのは菜の花さんの自然なやわらかい笑顔。
「なんでそんな表情ができるんだろう」

笑顔ならぬ「温顔」(おんがん)という言葉がある。
おだやかであたたかみのあるやさしい顔。
笑顔は作ることはできても、温顔は素質だから作れない。

「温顔無敵」なのである。
菜の花さんがオキナワのオジィ・オバァに対して感じたことを、ぼくらは菜の花さんを通して見ていたのだった。

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堀潤監督の映画『わたしは分断を許さない』で、シリアから帰還したジャーナリスト安田純平氏が語っていた。
「遠く離れた人の死に関心のない人は隣近所の死にも関心がないんじゃないか」
同じように、こんなに親しみのある菜の花さんやオジィ・オバァに関心が向かなければ、遠く離れた地への興味など持てるわけがない。
世界の平和なんて祈れるわけがない。

最後に彼女が引用するガンジーの言葉は、僕がよく引用する言葉でもある。
あれを呟く10代って、マララさんみたいで、大したもんだよなあ。

まずは目の前にある菜の花を見つめよう。


「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。それをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」Mahatma Gandhi






なぜ君は総理大臣になれないのか

2020年6月20日


『なぜ君は総理大臣になれないのか』
大島新
監督
2020年 日 1時間59分 ドキュメンタリー
ヒューマントラストシネマ有楽町

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まだ君は小川淳也に惹かれないのか。

昨年(2019)ブレイクした彼を、まず知っているだろうか。
2月、勤労統計不正問題で国会が紛糾したきっかけを作ったのは、アベノミクスの成果をよく見せようと賃金上昇率が偽装されたことを見抜き、論理的かつ胸のすくような弁舌で大臣・官僚たちを徹底追及した彼である。
この国会中継動画がネットや「パブリック・ビューイング」で拡散し、「こんな人がいたのか」と多くの人を瞠目させ、一気に注目を浴びた。

政治家を一切信用しない人々や筋金入りの左翼からは「ケッ」と思われるかもしれない。
しかし安倍政権を糾弾する潔さと理路整然さで、安倍シンパの政治評論家からも一目置かれている若手リベラル(元民主党)であり、現在無所属の49歳である。


これほど真っ直ぐな私利私欲のない性格で、おまけに「地盤・看板・カバン」もない議員が、海千山千魑魅魍魎の蠢く政界で生き残っていけるのか。
今どき比肩しうるのは、ほかに山本太郎や、少なからず共産党にはいるのだろうが、「政治家に向いていないんじゃないか」と家族にも言われ、本人も自覚するほどの出世欲・処世術のなさを、「国民のために」という強い気持ちと実直さだけでカバーしていけるのか、まるで実験標本を観させられているかのような被写体なのである。

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2003年、中央官庁のエリートを辞めて突然地元香川から衆院に立候補した時からの17年間を追う。
4~5歳だった娘さん2人が育っていき、お父さんの選挙を「娘です。」と書かれたタスキをして手伝うまでになった姿、通行人に頭を下げてチラシを配り無視される姿、雨のなか父の名前を連呼する姿、そして結果に泣く姿のシーンに泣ける。

小池百合子の希望の党立ち上げで、不本意ながら苦渋の決断で合流した時の選挙をメインとして取り上げる。

民進党がジリ貧で、前原の強引な小池百合子への接近で党員を唖然とさせ、さらに小池の「排除」発言で騒然とさせ、多くの党員が路頭に迷い大混乱だったのを覚えていると思う。
小川は前原の最側近だったために、安保法制に反対だったにもかかわらず希望の党へ参加することを余儀なくされた。
しかし内心は、地元で総選挙の告示日を迎えてもなお、震えるように「無所属がいいのかなあ」と監督にまで問いかけ、吐きそうなほど苦悩していた。

香川に駆けつけた財政ブレーンの慶大教授・井手英策の応援スピーチは泣かせる。
支援者もみんな泣く。

なんで立憲民主じゃないんだ?と多くが思う中での、自分がいちばん忸怩たる思いだった選挙。

「結局、政治家には“したたかさ”だけが必要なんだろうか」
とあらためて振り返る。

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地元選挙区で勝たないと、党内での発言力を持つことができない、という政党ムラの掟。
1回を除いて全て比例復活で当選という彼のような立場は、すなわち出世もできない。
役職に就かなければ、野党共闘への貢献も半端なままだ。

それが「政党政治」。

たしかに民進党が解体され、「希望の党」に合流するか、無所属になるか、立憲民主の方に加わるか、という選択を余儀なくされたあの時ほど、「政党政治」を恨めしく思ったことはなかったろう。
地元で自民に勝つには、あるいはサイアク比例復活するためにも、少しでも可能性のある合理的答えが「希望の党所属」だったのだ。

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僕もやはり、選挙となれば議員や候補者がどんな人柄かより、まずは政党で選ぶ。
どの党を選べば政権与党を脅かすことができるか、で判断する。
そうしなければ政界地図も悪しき政策も変えられないから。
もちろんその党の政策や思想を支持できることが大前提だが。

ただ、小川議員のような人となりを知っていたら・・・と思うと、たしかに迷う。
迷うが、希望の党には絶対に入れなかった。
それでもこの映画を観ると、「人柄」とその思想に信頼を置けるならば、どの政党にいようとも今回は許してみようか、と思う気持ちもわからないでもない。

自民党議員の地元や永田町での「人たらし」戦術は、万人に有効な力を持っているのも十分わかる。
ただ、だからこそ、何も考えずに義理や人情だけに反応して投票する烏合の人々があまりに多いがゆえの衆愚政治なのだ。

これから先、彼の議員生命も、ドキュメントも、どこまで続くのだろう。

かつて自分で「50歳までに政治家としてピークに達し、キッパリと辞める」と宣言したが、いまやあと1年となった本人はやや後悔気味。
いくらなんでもあと1年で辞めるわけにはいくまいし、辞めてもらっては困る。
「やるからには総理大臣を目指す」という気持ちは今でも本心だ。

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共産党との野党共闘に向けて積極的に活動してきた。
「前原さんほど右じゃないし、枝野さんほど左じゃない。そのあいだの中道を自負している」というような内容のことも明言しているのだから、本来はつなぎ役として適しているはず。
今後も、より力をつけたうえで、れいわ新選組も含めた野党内のとりまとめに尽力してほしい。
それができる数少ない人材だと思う。




麦の穂をゆらす風/セブンス・コンチネント/風の音、愛のうた/挑戦/イエローキッド

2020年6月6日~13日

コロナ自粛期間中。
自宅で旧作バカリ。
マイナー作品多し。
誰に書くともなく。
つぶやきおじさん。


『麦の穂をゆらす風』
ケン・ローチ
監督
The Wind That Shakes The Barley
2006年 アイルランド・英 2時間6分 DVD
カンヌ映画祭パルムドール
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胸が潰される。
圧倒されるほどに襲ってくる無力感。

友情や絆を嘲笑うかのように人の運命を弄ぶ戦争。
しかしその残酷を作り出すのも人間ではないのか。

誰を相手に、何のために戦っていたのか。
大英帝国の横暴な支配や蹂躙と戦っていたはずなのに、結束の強い同志たちが、気づけば敵同士になっている。
仲間を蹂躙し、兄弟で殺しあっている。

この矛盾に気づいているのに止められない、この戦争という究極の不条理に、若者たちを追い立てるものはなにか。

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アイルランドと大英帝国の1920年前後の状況にも目を瞠るが、決してそこだけじゃない、いつの世も、そしてこの日本国の今も、そんな火種に似たものがくすぶっている。
「分断」という名の。

最も危険なのは、それに気づかないことだ。

★★★★



『セブンス・コンチネント』
ミヒャエル・ハネケ
監督
Seventh Continent 1989年 墺 1時間44分 DVD
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最後の30分にたどり着くまで、何も起こらない。
その30分の最後になるまで、何が起きたかもわからない。
しかし、わかった途端、それまでの脈絡のない日常の断片の「反物語性」が、意味を持って見えてくる。

小学生の娘がいる3人家族。
第1部は1987年のある一日。
不感症的な3人それぞれのフッテージの寄せ集め。
見る方は困ってしまう。

第2部は翌1988年のある一日。
ときどき不自然な感情が垣間見えるだけで、物語は掴めない。
見る方は困り続ける。

第3部は翌1989年。
家族はオーストリアからオーストラリアへ移住するらしい。
3人とも依然何を考えているかわからない。
そのまま、最後の30分の行為に移っていく。

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そうか、こんな運命を自ら引き寄せる家族が、脈絡のある日常を送るわけない。
再現シーンがまともな物語になるわけないんだ。

ということで、実話を元にした映画を撮るときに、ハネケ監督はまともな再現ストーリーを撮らないことを選択した。
それが実験的に見えようが、唯一納得のいく手法だったのだ。

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大きな水槽を壊した時、唯一娘は感情を露わにした。

その魚たちが息絶えていくときと、水洗トイレに持ち金を流していくシーンには、「許しがたい」と批判が集中した。

しかし、なかでも「金を捨てる」方に、よりブーイングとバッシングが激しかったという。
「命より金のほうがタブーなんだな」と、監督は確信犯的に笑う。

僕はといえば、トイレが詰まらないかという点でハラハラして、見るに堪えなかったけど。
勿論、魚たちは・・・あれはどうしたのだろう・・・

★★★☆



『風の音、愛のうた』
監督:ピーラサック・サックシリ、プッティポン・サーイシーケーウ、サヨムプー・ムックディープローム
Loving You, Loving Me 2011年 タイ 1時間41分 録画 ロードショー未公開
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これも3人の監督による市井の人々のドラマ。

とりたててとくべつなドラマ性はないが、ふだん知る機会のないタイの「市井の人々の日常」というだけで価値がある。

日常の断片が整理がつかないまま進行するので途中まで退屈してしまうかもしれないが、3つそれぞれが並行して交わらずに進行し、群像劇のようにできていることがわかれば、おちついて楽しめる。

音楽大学の青年とその発達障碍の妹、自然音にこだわる老作曲家の3人の物語は、いちばん興味深いが、もう少し尺があればもっと膨らみをもたせられる。

ほかに、
客を大事にする靴職人の祖父と大量生産の会社を経営する息子、そしてわがまま奔放な孫娘。ある家族の変化と決断の物語。

もう一つは、
軍医である父を尊敬する小学生の息子と、母親の葛藤。テロで危険な地区からバンコクに帰ろうとするが、なぜか息子は父親にこだわり帰りたがらない。
ある核家族の悲しみと愛情の物語。

★★★☆



『挑戦』
監督 : クラウディオ・ゲリン、ホセ・ルイス・エヘア、ヴィクトル・エリセ
Los Desafios 1969年 スペイン 1時間40分 DVD
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時はヌーベルバーグの頃。
しかしスペインではフランコ政権による弾圧もあって、映画は停滞していた。

そんななかでも新たな潮流を感じさせたのが、この3人の監督たちなのだろう。
それぞれ3つの章を分け合ったオムニバスは、スペイン人から見た、アメリカの生活様式に対する屈折した感情を主題にしている。

それは第二次大戦で外野にいて、連合国軍側に協力しなかった(むしろ枢軸国側に協力した)スペインという国のアイデンティティのゆらぎのようなものも関係しているのかもしれない。

スペインについてはあまり知らないので、諸外国への意識形成なども知る由はないのだが、当時はフランスやイタリアに対するよりもアメリカに対する意識が過剰にあったのだろうか、アメリカのイメージがステレオタイプにすぎるところが端々に感じられる。

監督3人ともそれは顕著で、アメリカに対する皮肉というよりも、むしろ自分たちスペイン人の旧態依然さに嫌気がさす裏返しであるところも同時に見せている。

3つとも、決して軽やかなポップさはないが、あっと言わせる展開をラストに持ってくる衝撃力は持っている。
その辺はヌーベルバーグの影響もやはりあるのだろう。

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第3章は、ビクトル・エリセ(29歳)の監督デビュー作。
その4年後には長編デビュー作にして映画史上に燦然と輝く不朽の名作『ミツバチのささやき』を撮っている。

★★★☆



『イエローキッド』
真利子哲也
監督
2009年 日 1時間46分 サンクスシアター(配信)
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主人公であるマンガ家のルサンチマンからひねり出されるストーリーは、同じく憤懣を抱えたもう一人の主役であるボクサーのモデルを得た途端に躍動し、二つの情念は同時進行で描き進むマンガによって誘導され、混同し、同化していく。

それだけならよくある話なのだが、この作品はもう少し複雑でメタ的仕掛けがある。
以下はネタバレというより僕の解釈にすぎず、ちがうかもしれないので、あくまで参考として。

二人の主人公はそれぞれ、虚構に誘導されるかのように行動してしまう。
しかし宿敵を倒す方向で進む物語の結末は一つのように見えて、一つではない。
ボクサーが恨みを晴らすと同時に、マンガ家は自分の虚構をボクサーに投影してもう一人の宿敵を倒そうとする。
ラストに到って、目的が果たされたはずなのに、マンガ家の欲求に基づいた主観と現実は完全に乖離してしまい、妄想なのか、どちらの行為なのか、一瞬錯綜する。
最後の最後に盗撮映像が示されることで客観視のヒントが得られる。

ということで本当の主人公はマンガ家だったということはわかった。

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卒業制作作品としてはかなり高いクオリティだが、ワールドクラスかというとそうでもないのでは。

★★★☆



ルース・エドガー/その手に触れるまで

2020年6月14日~17日

危うい少年の2本。

いつの間にあなたは変わってしまったの?と、おののく親の話でもある。

危うくさせている我々の、今そこの世界の話。


『ルース・エドガー』
ジュリアス・オナー
監督
Luce 2019年 米 1時間50分
キノシネマみなとみらい
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「彼は完璧な優等生か、それとも恐ろしい怪物か」
という宣伝文句。
この手の「天才か、モンスターか」という惹句はよく見かけるが(今なら小池百合子の暴露本を思い浮かべるが)、この作品に限ってはうまい具合にそそのかしてくれる。

サイコホラー、エスパー系SF、犯罪サスペンスといったジャンルものを期待した人にはどう思われるのだろう。
僕としては突拍子もないものよりも、現実に即したコワサの方が趣味なので、イイ期待の外され方だった。


主人公ルース・エドガーは「文武両道に秀で、スピーチやユーモアのセンスにも長けた17歳の少年で、アフリカの戦火の国で生まれた苛酷なハンデを克服している」
そう聞いただけで、模範的なリーダー像が僕らの中にできあがる。
実際、彼は先生からも生徒からも信頼が厚く、将来を有望視され、学校にとっても両親にとっても誇りだ。
ただし、両親はアメリカ生まれの白人。
難民を養子として引き取り、セラピーでトラウマ治療を施してきた。

さて。
この背景だけで、この子にはなにか測り知れないものが秘められているのでは?と、つい想像したくならないだろうか。
思いもかけない行動や思想に走る素地があるのではないかと勘繰りはしないだろうか。

見ている僕らのプロファイリング的な思考傾向も浮き彫りになる。

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担任の黒人女性教師が重要な役回りで少年と関わる。
あることをきっかけに、疑念が積み重なる。

ルースの一点の曇りもない好青年ぶりを前にして、担任のカタブツな猜疑心は行き過ぎなのか?
生徒のプライバシーを侵し、追いつめているのか。
彼女は善なのか偽善なのか。

母親は? 父親は?
善が偽善に変わり、
嘘も方便になり、
保身になる。

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黒人教師がマイノリティに対して、
「逆境を克服した模範生」
「ドラッグで身を亡ぼす落ちこぼれ」
「性的ハラスメントと闘う女性」
など、人物像のレッテル貼りを行っている、と不満が生徒から出ている。

担任は黒人として弱者として、生徒たちに権利者意識を強く持ってもらおうと、社会で生きるための知識と防御策を身につけさせるため、いきおい、厳しめに指導する。
それが裏目に出て反発を招き、不幸な軋轢を生じさせる。

あることがきっかけで、ルースは担任に疑われる。
彼の柔和で真面目な表情からは、とても野蛮なことをするとは考えにくい。
優等生の仮面の下で、どんな思惑を懐に抱いていたのか。
見ている僕らは、彼の味方をするが、担任にも同調できる。

養母と養父は混乱し、息子の味方でいるのか真実を暴くのか、決断を迫られる。
人種も境遇も世代も何もかもちがう親子間で繊細に慎重に育ててきた絆に、ヒビが入る危機が訪れている。

一方、担任は本当に冷たく疑り深い強権的な人なのか。
やがて彼女の「弱者性」が一気に前面に押し出され、ついには差別の餌食になる。

被害者になった彼女に対する、本当の加害者は誰なのか。
誰が本当の嘘つきなのか。

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平気でうそをつく人がいれば、いずれ疑わなくてはいけない。
疑うことを余儀なくされるということは、信頼していた相手を裏切るということ。
苦痛だ。
ウソを一度疑うと、周りの信頼はもろくも崩れ、あっという間に猜疑心で満ちあふれる。
積み木くずし的なカタストロフィになりかねない。


主人公はあえて言うなら、ぎりぎりサイコパスの部類に入るのかもしれないが、その境界型のギリギリ加減が実にいい。
登場人物たちは意味ありげな表情や、いかにもなサイコっぽさは徹底して出さない。

人間の本性を描けば、これほどコワいドラマになるということだ。

隠す、疑う、嘘をつく、騙す、しらを切る。

これだけで、人間のコワさを描くには十分。
しかもそこから人物同士が探り合い、関係性が増悪し、本音が芋づる式に現れ、それぞれの正体があぶり出される。
さすが戯曲(「Luce」J.C.リー)が元になっているだけに、練りに練られている。

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差別は白人の黒人に対する偏見という単純なものではない、という複雑な現実を端的に描いてもいて、慄然とする。
現在全米いや全世界で人種差別抗議デモが巻き起こっているなかでこれを観ることはいいタイミングだ。

いくつもの疑問符を生じさせ、いくつもの命題を提起させるこの脚本は、観た者同士で解釈を話し合ってみると、より面白い。


最後に特筆すべきは、裏の顔を見せない超優等生ルース役のケルヴィン・ハリソンJr.の演技はもちろんだが、何にもまして担任役のオクタヴィア・スペンサーがすばらしい。

★★★★



『その手に触れるまで』
ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
監督
Le jeune Ahmed 2019年 ベルギー・仏 1時間24分
ヒューマントラストシネマ有楽町
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少年とナイフ。
13歳のむきだし。

人を傷つけやすい危うさを常に抱きつつ、
アメッドはダイヤのように傷つかない。
少なくともそう見える。

それは狂信のせいだ。


眉一つ動かさないような強靭な決意を固めたアメッドは、つい1か月前までは普通のゲーム少年だった。
ただでさえ過大な自我が白黒つけたがる思春期において、きっかけはなんであれ、染まりやすい。


世界がどこでも思想ひとつで暴発し、一人で"ホームグロウンテロ"を起こせる環境になった今。
ベルギーのムスリム集中地区はそのマグマの噴出口になる危険が露わになった。
(舞台となったブリュッセルモレンベーク地区はムスリムが5割~8割といわれ、失業率は4割)

わずかな土のすきまから生えた草花は、抜かれると思わぬものが噴き出すかもしれない。

そんな大きな脅威の一粒の種が、小さな小さなところから芽生えてくるリアルを、単なる日常風景のようにスケッチしている。
プレパラートに載せて顕微鏡を覗き込んでいる。

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初めてダルデンヌ兄弟作品を観る人にとっては、今回はとくにあっけにとられるかもしれない。
極端なまでのシンプルさ。
起承転結が不明。
主人公の行動を一定時間そのまま追いかけ切り取る手法(スライス・オブ・ライフ)。
音楽や映像効果を使わず、感情誘導しない。

いつものメソッドだが、『ある子供』『少年と自転車』以来の超絶なシンプルさ。

ダルデンヌがここでさりげなくやって見せていることについて、あなたはどう思うだろか。
ラストの幕の閉じ方は、10人見れば10人とも感想は異なるだろう。
アメッドの行為のよしあしは問わない。
カンヌ監督賞だが、作品の評価もどうでもいい。
1時間24分、とにかく「観察」すること。

監督は恣意性を嫌っている。
言ってしまえば邦題の付け方さえ恣意的だ。
それだけ、僕たちは委ねられているのだ。

★★★★sonotenihurerumade3.jpg


グリーン・ライ ~エコの嘘~

2020年5月31日


『グリーン・ライ ~エコの嘘~』
ヴェルナー・ブーテ
監督
2018年 墺 1時間37分 vimeo/仮設の映画館(Image Forum)
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「環境にやさしい」(eco friendly)
「サステイナブル」
を標榜する会社が増えた。

これ、ほぼウソです。

という、衝撃の事実を次々とおしえてくれる。

いわゆる「グリーンウォッシング」(=環境破壊をしているイメージを払拭するPR施策)についてのルポだ。
世界中で欺瞞の現実を目の当たりにする。

男性監督と女性ジャーナリストがペアで突撃取材に飛び回る“実地検分”のルポ。

インドネシアで一見整然とした森を見て思わず「きれいな自然だ」と呟く監督。
しかし、すぐに彼女にたしなめられる。「これがそう見える??」
正体は一面アブラヤシ単一の人工林で、広大な森を焼き払って植林したもの。

サステイナブルな貢献をしている企業を集めて表彰するイベントで、堂々と活動を披歴する社長や広報たちは、「森林を焼いたりなど一切してません。行ってみればわかります」と豪語する。
でも実際に行ってみれば、目の前は果てしない森の焼け跡だ。酷たらしい死の世界。
伐採しただけだとしても、それが原因で乾燥して森林火災となる例も多発している。
広大な敷地はすべてパーム油を採る企業のためのアブラヤシ農園となる。

オランウータンはいなくなり、煙害で12万人が健康を害し、子どもたちはマスク装着を余儀なくされる。

しかもパーム油は健康への安全性が問題視されている。
有害とされるトランス脂肪酸を含まない代替原料として使われ始めたが、ヤシノミ洗剤としてならまだしも、食品としては避けた方がいい代物。
安いがゆえに企業には重宝され、チョコレートやポテトチップス、カップラーメンなど多くの食品に使われているが、原材料には「植物油脂」としか表記されず、区別できない。

現地の人々の雇用を生む点でどうかといえば、外国企業が地元以外の労働者をつれてくることが多いため、地元の人々の金にも食糧にもならないというグローバリズムの弊害の典型らしい。

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二人はアメリカに渡って、2010年メキシコ湾で海底油田掘削中に原油流出事故を起こした英国BP社の実態を取材。
いまだにつづく海洋生物への悪影響と、無責任な事後処理が明らかに。
さらに、ドイツ、ブラジルと回る。

「いくらなんでも、そんな堂々と嘘はつかないだろう」と思ってしまう僕らを代表して常に甘い考えを示してくれる役の監督に対して、環境エキスパートの相方カトリンは厳しい指摘で一蹴。
この掛け合いが推進力となって面白い。

電気自動車に乗って「CO2を出さないぞ」と監督がご満悦の様子を見せると、すかさずカトリンに釘をさされる。
「充電器にはリチウムが必要だし、充電用の電気はどこから持ってくる? 石炭がまだ使われてるの」

ドイツの壮観なまでに巨大な炭鉱現場へ行き唖然とし、そのRWE社の株主総会に参加しに行く。
その会場ではある騒動が勃発。


各地で環境破壊をする企業への告発活動をするアクティビストたちがいることには、一抹の希望を感じる。
「相手が巨悪なら、それだけやる気が出るのよ」とブラジルでの抵抗活動を仕切る女性は笑う。

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CO2削減を大義名分として、国家は「カーボン・オフセット」という概念を編み出したが、その概念自体、先進国に金で免罪符を与えるような偽善的なものではある。
企業も、「エコ」を売らなければ商品が売れない時代になった。
そのこと自体は環境保全のためにはいいことで、消費者が企業に縛りを与えることによる必然的な結果でもある。

しかし、グリーンウォッシングという言葉は今回初めて知った。
企業が「エコ」という言葉を隠れ蓑に、イメージ戦略だけで取り繕い、ここまであからさまに即バレる嘘をついているとは予想をはるかに超えていた。
日本の政治みたいに開いた口が塞がらない。


後半、例によって、グローバリズムに「Non!」を唱える御大ノーム・チョムスキー氏が登場する。

「環境対策を講じる企業を信用してはいけないのか」という問いに対して、
「提案は受け入れてもいいだろう。ただし、プロパガンダは拒否すべし」
と明快な答え。
要は、プロパガンダかどうか、常に目を光らせておかなければならないということだ。

本当にサステイナブルな取り組みというのは可能なのだろうか。
自然破壊は食い止められるのだろうか。
チョムスキー氏は言う。
「16世紀に議会制民主主義を目標に掲げたとき、それが実現可能だと誰が思っただろうか」

ただし、もう時間はない。

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ドキュメンタリーだが映画として飽きさせない。
カメラのポジショニングや撮り方はかなり手慣れたテクであるし、二人の掛け合いも演出として面白おかしく惹きつける術に長けている。

しかし、こうやって書いていると、この映画だけを見て情報を一面的に信用するには、根拠が十分示されていないことがわかってきた。
女性ジャーナリストの知見を頼りにしているが、ほかの事例が示されないし、データや統計などの情報が少ない。
たとえばパーム油については、「サステイナブルなパーム油は存在しない」という彼女の断定は本当なのか。
小規模農園をサポートする仕組みがあるはずなのだが紹介されていない。
パーム油の食品としての有害性はどんなものなのかについても言及されていない。
洗剤としての有用性はどうなのか、
労働力は地元民がほんとにいないのか、国外からの労働者が何割ぐらいなのか。
森林は最初から焼却したのか、伐採のせいで火災になる場合とどちらが多いのかも曖昧。

パーム油についてのパートの比重が高いわりには具体的なデータが少ないので説得力に欠ける。
詳細を求めようとするといろいろと疑問が後から湧いてくる。
この映画は、見ることで興味を持つきっかけにさせるためのものだ。
そこからは、自分で調べてみるのがスジだろう。

スーパーで食品を買うときには原材料をよく見て買うようにしているが、お菓子類を食べることすらハバカレるような、むずかしい事態に巻き込まれている。

そりゃそうだ、地球という火の車に乗っかっているのだから。

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P.S.

折も折、うちにあった今週の生協宅配カタログに「RSPO認証」が大きくPRされていた。
(写真参照)
ここでは洗剤類だけの扱いで、認証商品を買うと寄付として貢献できると謳っている。

映画のHPには次のように解説されている。

「・・・こうした状況を改善するために、2004年に「持続可能なパーム油のための円卓会議」(RSPO)が設立されました。RSPOでは様々な基準を定めて、その基準が守られているかどうかの確認を第三者機関が監査することになっています。しかし、その監査体制が不十分であり、問題のある農園もRSPO認証を取得している場合もあります。そうしたケースでは、映画『グリーン・ライ』で取り上げたような、実態と異なる「嘘」の主張がなされてしまうことになります・・・」

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弁護人/飢餓海峡/宮本から君へ(連続ドラマ版)

2020年5月21~26日


『弁護人』
ヤン・ウソク
監督
2013年 韓 2時間7分 GYAO
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ノ・ムヒョン(廬武鉉)元大統領がモデル。
高卒の税務専門ノンポリ弁護士が、レジスタンスの人権派弁護士へと劇的な転身を遂げる物語。

1980年にチョン・ドゥファン(全斗煥)軍事政権が始まり、光州での大弾圧事件が起きたあと、釜山にも公安の魔の手が伸び、無実の学生たちに対してアカ狩りが猛威を奮った。
今作はこの拷問と不正裁判があった「釜林(プリム)事件」(1981年)にスポットを当て、韓国の民主化への闘いの一頁を描いている。

弁護士の主人公は、家族のように恩義を感じている親子が理不尽な犠牲にあうまで、全く政治には関心を向けていなかったが、事件をきっかけに突如正義に目覚め、公安・国家を相手にして裁判を舞台に大立ち回りを演じる。

半沢直樹の「倍返しだ!」どころか、まるで江戸町奉行所のお白洲かとも思えるほどの勧善懲悪の過剰演出はあるが、そこは韓国映画ならではのエモーション上等!ということで。

「デモが国を変えられると思ってるのか?」とか「マスコミが嘘を言うわけない」などと冷笑してほざいていた人間が、国家が容赦なく善良な市民を蹂躙するのを目の当たりにすると打って変わって覚醒し、法の番人として不正に立ち向かってゆくヒーローの姿には、観ている誰もが時を忘れのめりこんでゆくことになる。

裁判でクライマックスを迎えたあと、終盤にはあの『1987 ある闘いの真実』(2017)の舞台、ソウルでの「6月民主化抗争」へとつながる。
憲法改正と大統領直接選挙を実現させた、民主化のマイルストーン的抗争だ。
主人公つまりノ・ムヒョンは、1987年には市民レジスタンスとしてあの場所で参加していたのだ。

そんなわけで、映画にはさらなるクライマックスが、再び裁判所において用意されているのだった。

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ちなみに、現大統領ムン・ジェインはノ・ムヒョンの同志として釜林事件の裁判をはじめ民主化運動でともに闘った。


しかしそれにしても、1988年はソウルオリンピックの年。
その前年まで首都で戒厳令だの弾圧だの直接選挙要求デモなどが起きていたなんて驚き。
でもオリンピックの予定があったからこそ、国もそれ以上強硬路線を貫けなかったわけでもあるのだった。


民主化されてまだ30年程度の韓国では、戒厳令のさなかの弾圧事件について作品で取り上げることはなかなかできなかったが、2000年頃からは何本も撮られるようになってきた。
この映画の主役ソン・ガンホは、そんな体制批判映画のほとんどに出演しているような気がするが、やはり制作当時のパク・クネ政権は彼をブラックリストに入れていたことが後でわかる。

韓国の映画賞「青龍映画賞」で作品賞と主演男優賞、助演女優賞を受賞したが、ヤン・ウソク監督は公開後に多くの脅迫電話を受け、しばらく中国で身を隠すことになったという。
時の政権がリベラルか強権的かで、映画の自由度が極端に変わってしまう。

パク・クネの前のイ・ミョンバク政権におけるマスコミ統制のひどさは、ドキュメンタリー『共犯者たち』(2017)で生々しく描かれている。


ソン・ガンホはもちろん、食堂のお母さんキム・ヨンエも熱演。
その息子で拷問にあう痛い役は人気アイドルのイム・シワン。なんともいたたまれない。
国家保安法をたてに蹂躙の限りを尽くす公安のクァク・ドウォンは、長州小力と筒井康隆を足したような顔で冷血を演じる。

★★★★



『飢餓海峡』
内田吐夢
監督
1964年 日 3時間2分 録画
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戦後間もない昭和22年、青函連絡船が台風で転覆した事故と、同じ日の北海道での強盗殺人及び大火災の事件から、物語は始まる。
(これは実際にあった昭和29年の洞爺丸転覆と北海道岩内町の大火をもとにしたフィクション)
一人のベテラン刑事と一人の娼婦、そして一人の復員した大男に焦点を当てた、水上勉原作の映画化作品。
戦後の極度の貧困のなか、元より困窮した僻地で生まれ育った人間の、強さと弱さと、自ら引き寄せる哀しい運命を描く。

時代背景と人間模様をうまく物語として練り上げているところは原作の力だろう。
見どころは役者たちの演技。
3人の主役、三国連太郎、左幸子、伴淳三郎はそれぞれの持ち味を期待以上に発揮して、映画に奥行きを与えている。

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ただ、シナリオのト書きをナレーションで語ったり、状況説明を左幸子につぶやかせたりと、なにかと不自然な叙述方法が多用されるところは、もっと巧く映像で語ってほしかった。

映像に関しては、当時の心象風景を表すため内田監督が技術面にこだわり、16mmフィルムを35mmにブローアップしたり、現像時にソラリゼーションを起こしたりなど、実験的手法を東映に開発させ、それも含めてなかなかの明暗・乾湿の質感を出している。

今村昌平松本清張を合わせたかのような作風である、と言いたいところだが、どちらの特長も映画では出し切れていないことは否めない。

クライムサスペンス的な部分が弱すぎるのだ。
警察の捜査・推理があまりにも稚拙で、何度も「ありえないだろ」とツッコミを入れながら観なくてはならないのは、せっかくの人間ドラマに水を差す。
昔の刑事ものを今観ると、時代とともにさすがに捜査の現場や内幕についての研究・検証が進んだのだろう、ディテールの細かさやレベルの差が歴然とする。

★★★☆



(連続TVドラマ版)『宮本から君へ』全12回
真利子哲也監督
2018年 日 4時間44分 Amazon Prime
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ヤ、ヤバイ、オモシロすぎる。
池松壮亮の宮本への憑依ぶりが激しい。
その強烈なキャラを存分に生きている。
矛盾と妥協のサラリーマン人生に血と汗と唾と涙と青臭さと一本気で立ち向かうドン・キホーテを生きている。
壮絶なまでの役者魂。
ただ派手な演技でインパクトを与えてるだけじゃない。

毎回ドラマの途中でオープニングクレジットが入るのだが、そこで演じる1分間のカメラ前の表情に、それが凝縮されている。12回とも同じオープニングを飛ばさずに観てしまう。

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映画の前にテレビでこの連続ドラマが放映されていたことを今さらながら知り、驚いている。
可笑しくて、哀しくて、切実で、激しい、ストーリーテリングにも快哉。
最終回なんか、無残さと爽快さが両方一気に飛び込んできて、見事に見納めできる。
バイオレンスが神経にくる映画版よりも、むしろいい味かも。

あと、丸刈りにすると池松君はまだかわいい中学生みたいだ。

★★★★

デッドマン・ウォーキング/妻への家路

2020年 3月28日~5月17日

コロナ自粛中の映画鑑賞事情。
劇場で観ないと、なんとも集中度に欠ける。
NetflixやAmazonPrimeなどで配信されている作品のレパートリーも、自分が観ていない「観るべき作品」はネタが尽きてきた。

※もちろん新作の配信プラットフォーム「仮設の映画館」は活用している。
【仮設の映画館】 ↓
https://www.temporary-cinema.jp/

※アップリンクの映画60本3か月見放題の配信サイトもあるが、僕はほとんど目ぼしい作品を劇場で観てしまっている。
【UPLINK cloud】 ↓
https://www.uplink.co.jp/cloud/features/2311/

どちらもみなさんはどんどん利用なさってくださいね。


このコロナ期間中、新作は、先日ブログでレビューを書いた『精神0』『インディペンデントリビング』だけ。
以下、自宅で観た旧作を並べてみる。
台湾関係はつい観てしまう習性(笑)があるのだが、やっぱりレパートリーがはかばかしくないんだよなあ。
そんななか、今はもう解約したWOWOWを以前録りためたものを観てみた。
やはり、いいものはいい。
まずは格ちがいの2本から。



『デッドマン・ウォーキング』
ティム・ロビンス 1995 米 2:02 WOWOW録画
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ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの音楽で始まるこの作品は題名に反してゾンビ映画ではなく、死刑制度問題をど真ん中ストレートに投じる骨太の感動作だ。
アカデミー主演賞を獲得したスーザン・サランドンはもちろんだが、死刑囚を演じたショーン・ペンの演技も真骨頂。
演技のクオリティがこの作品のクオリティの半分を占めるとすれば、もう半分はこの重大テーマを2時間強で描き切ったシナリオを褒めたい。

更生の余地のない凶悪犯に対するカウンセラーに指名された修道女(サランドン)が、周囲の処罰感情のなか死刑囚(ペン)との対話を続け、信頼を得て、執行までの時間をシェアする。

執行の瞬間まで、とりわけ最後の一日をこれでもかと時間をかけて描く肝っ玉には恐れ入った。
ただ、最後の最後まで、死刑囚本人がどこまで気づけるか、加害側と被害側の感情に寄り添うバランスはどうか、と気がかりだった。

死刑囚が自分の罪に気づくかどうかは、罪を犯した原因を自分と周囲が理解することから始まり、人間性を回復するかどうかにかかっている。貧困の環境で育った「人でなし」が「初めてニンゲンとして扱われた」「初めて愛を与えられた」ことにより「人間」に戻りさえすれば、そこから初めて罪に気づき贖うことが始まる。
ドキュメント『プリズンサークル』『Lifers 終身刑を超えて』で描かれたことと同じである。
そこに気づいていないのは死刑制度容認者ばかり。

不安は払拭された。それどころか、期待以上だった。
終盤は圧巻で、サランドンのカトリック教徒としての献身的な対話は意外にも効果が生まれ、ペンは最後の最後で劇的な変化を見せる。
被害者遺族との板挟みになったジレンマも十分に描き、教条的に結論を急いだりしない。
それでも制度化された殺人を目の当たりにさせる残酷さと悲しさは、死刑に対するアンチテーゼを最大限に突きつける。
「デッドマン、ウォーキング!」と看守が声を発するところも驚いた。

付け加えれば、カトリックとして聖書からの言葉がしばしば引用されるのだが、人種差別や貧困を憂い平等を説く反面、「同性愛」を大罪の一つとして数えているのはなんとも皮肉なことで、キリスト教圏の複雑さを物語ってもいた。

★★★★☆



『妻への家路』 チャン・イーモウ 2014 中 1:50 WOWOW録画
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チャン・イーモウ、さすが、惹きつける。
コン・リーもさすがの安定感のうえに、老け役が堂に入っている。
物語の序破急をつくるフックも、初めから終幕までツカミが効いている。
娘の行動、手紙やピアノの使い方。
そしてなんといっても、「記憶」が家族の存在意義さえ左右する究極の皮肉。
こんな残酷な絵があるだろうか、というショットがエンディングとなる。

一国の権力体制が、戦争と同様に市民を踏みにじる。
善人は家族を分断され、何重にも犠牲を強いられ、矛盾の上に矛盾を重ねられる。
国家は大きな過失を犯しても、決して認めずに手のひらを返して知らん顔でまた取り入る。

そんな愚の骨頂を静かにかなしく訴え、痛烈な皮肉をかたちにしている。

★★★★



『桜並木の満開の下に』 舩橋淳 2012 日 1:59 録画
舞台は茨城・那珂湊。はっきりとは描いてないけれど、人物と工場の背景を暗澹と覆っているのは原発事故による被害。
★★★☆

『さよなら人類』 ロイ・アンダーソン 2014 スウェーデン・ノルウェー・仏・独 1:40 録画
壮大かつミニマルなお遊び。美と諧謔。シュールとペーソス。しかし、なぜベルリン金熊??
★★★

『感染列島』 瀬々敬久 2009 日 2:18 AmazonPrime
製作委員会と統括Pro.の唖然とする人数の多さで、この映画の混沌ぶりが理解できる。監督に同情。ラブストーリーをいくつもブチ込んだり、禁断の魔女とゾンビの孤島で未知のウイルスを探索したり、過剰なスリラーにしたり、なぜか都市が地震のような廃墟で煙が上がり車がゴロゴロ転がっていたり、CGを使いまくったり、大物俳優を使いまくったりと、のべつとっちらかっている。
★★☆

『KANO~1931海の向こうの甲子園~』 マー・ジーシアン 2014 台 3:05 AmazonPrime
演出過剰。スケール感が大きい反面、戦争が絡んでくると思いきや、ほとんど関連させずに終わるのが拍子抜け。
★★☆

『南風』 萩生田宏治 2014 日・台 1:33 AmazonPrime
★★☆

『台北に舞う雪』 フォ・ジェンチイ 2009 中・日・香・台 1:46 AmazonPrime
★★★

『STANDARD』 平野太一 2018 日 1:55 YouTube ドキュ
★★★★(前回ブログでレビュー済み)

『レザボア・ドッグス』 クエンティン・タランティーノ 1991 米 1:40 Netflix
今となってはそれほど驚かない。
★★★☆

『フードインク』 ロバート・ケナー 2008 米 1:34 ドキュ AmazonPrime
知識として知っておくのはマスト。自分を構成する食べ物が何でできているのか、それが地球にどんな影響を及ぼしているのか。無知は罪。

『TOKYO!』 2008 仏・日・韓・独 1:51 Netflix
Interior Design ミシェル・ゴンドリー ★★★
Merde レオス・カラックス ★★★
Shaking Tokyo ポン・ジュノ ★★★★ 香川照之と蒼井優を使ったポンジュノセンスが冴えわたる。


『はじめてのおもてなし』 サイモン・バーホーベン 2016 独 1:56 Netflix
移民問題・人種宗教差別の内容は評価するのだが、ストーリーテリングが惜しい。
★★★☆

『AKIRA』 大友克洋 1988 日 2:04 Netflix
今となっては驚かない。原作の何分の一だろう。省略してわけがわからない。
★★☆

『コンテイジョン』 スティーブン・ソダバーグ 2011 米 1:46 Netflix
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新型コロナを予言したこの話題の映画、もうご覧になりましたか。かなり参考になりますよ。『感染列島』はこう作るべきだったというお手本。
★★★★

『ママは日本へ嫁に行っちゃダメと言うけれど。』 谷内田彰久 2016 日・台 1:34 Netflix
★★★

『都市を耕す エディブル・シティ』 アンドリュー・ハッセ 2014 米 0:56 ドキュ vimeo
コロナ以後の生き方。(「フクシマ以後」とも言われていたけれど・・・)

『娼年』 三浦大輔 2018 日 1:59 Netflix
こんな通俗的で凡庸な話を扱ってまで、なぜ三浦大輔は原作を映画化したのか。松坂桃李を半端なポルノ男優として撮ることにそれほど価値があったのか。映画化は自分の戯曲だけにした方がいい。
★★☆

(再)『リップヴァンウィンクルの花嫁 serial edition』 岩井俊二 2016 日 4:00 Netflix
映画本編と同時に撮った分を編集し直してロングバージョンに。ただし、りりィの出演する終盤のシーンはまるごとカット。
★★★★☆

(再)『カンタ!ティモール』 広田奈津子 2012 日 1:50 ドキュ vimeo
★★★★★

(再)『37セカンズ』 HIKARI 2019 日・米 1:55 Netflix
★★★★☆

(再)『ローマ』 アルフォンソ・キュアロン 2018 メキシコ・米 2:15 Netflix
★★★★

(再)『カメラを止めるな』 上田慎一郎 2017 日 1:35 AmazonPrime
★★★☆

(再)『君の名は』 新海誠 2016 日 1:52 録画
★★★☆


1回目と比べると2回目は印象が明らかに落ちる作品と、良いままの作品がありますね。
家で観ること自体が、劇場で観た印象にはかなわないということなのかもしれませんが。

インディペンデントリビング/STANDARD

2020年5月6日


「共生」がキーワードと言える4作を3日間で連続して観た。

『精神0』山本昌知医師がサインする時に添え書きする言葉はまさしく「共生」だった。
『カンタ!ティモール』では、東ティモールの抵抗運動のゲリラ戦士たちは、相手のインドネシア兵を捕らえはするが傷つけはせず、自分たちがなぜ闘っているかを一晩話して聞かせ、解放する。

もはやこのワードは、特定の作品のキーワードではなく、この世界の、この同時代のユニバーサル・ワードなのだ。


『インディペンデントリビング』
田中悠輝
監督
2019年 日 1時間38分 vimeo

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「自由」とは何か。
障碍者にとっては、ひとつには「独り暮らし」である。
この意味の大きさは計り知れない。

「選択」できる自由を獲得するということ。
「権利」とか「尊厳」とか、言ってみれば、日本国憲法の前提のスタートラインに立つということだ。
「個人」として二度目の誕生とも言えるかもしれない。

そんな産声が、スクリーンのあちこちから聞こえてくる。

介助する人とされる人。
介助される人は自立しようと奮闘し、それを手助けする人も介助される人によって成長する。

自立生活センターにおける、障碍者と、それをサポートする介護職。
独り暮らしのために、トライ&エラーして互いが成長する姿が描かれている。

IL」=「自立生活運動」の実践の場だ。

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頭脳明晰な四肢麻痺の男性、
高次脳機能障碍で頭脳が曖昧になってしまった高学歴の若者、
精神・知的障碍を持ちつつ親離れしようとする明るい女子、
車椅子生活で引きこもり15年から脱したばかりで日常会話やマナーが苦手な男性、
あるいは、重度の知的・身体ダブルの障碍がありながら自立への訓練を始めた男性、
ほかにも、筋ジスの女性はTV出演などで広告塔として活躍、さらにアメリカに留学。

みんな、いい笑顔をしている。

様々なタイプの障碍者が登場し、各々初めての体験や失敗を繰り返していくが、生き生きした表情は、例外なく屈託のない子どものようだ。

それこそが、「生きるよろこび」
子どもが何かにつけ驚き、全身で表現し、動きが弾けるような。
彼らは「死んだように生きていた」過去から、「自分で生きる」現在を選択する。
選択できるよろこびを全身で感じ、笑顔で表現しているのだ。

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そして彼らをサポートする介護職の人々の献身的なスピリッツ!
人を助けるために生まれてきたかのようなスタッフたちだが、彼らには彼らなりのモチベーション=動機と体験がある。
人は弱点を強みにすることができる。
自分の弱みを知ることで、弱みを持つ人の気持ちに気づくことができるのだから。


もともと自立センターにサポートを求めに来た障碍者が、自立したあとにサポートする側に回り、スタッフになる、あるいはセンターを立ち上げる。
そんなリーダー的存在になってまたみんなの励みになり、好循環を生んでいく。

助成金や財政は足りないだろう。
公的制度は善人の善意に甘えてはいけない。
そんな背景は描かれていなかったが。

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ここで観られる涙は、ポジティブな涙。
障害を持つ娘から子離れできないお母さんも、娘との関係に失敗しては反省し、泣いて、また笑う。
今泣いても、方向性は未来を向いているから。
自分も周りも、ポジティブは伝染する。
こちらにも。
あなたも、いい涙、こぼれますよ。

https://bunbunfilms.com/filmil/



『STANDARD』
平野太一
監督
2018年 日本 1時間55分 YouTube

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「3.11」から、スイッチがONになった人々。
ギアはニュートラルじゃいられない。
この国の欺瞞に一気に気がついてしまったシティズンは、自分のモヤモヤの正体を大きな「?!」の叫びにして、ストリートへ繰り出した。

それまでの「労組」とか「メーデー」のような幟を立てたデモ組織とは一線を画す。
まったく組織を持たないバラバラのところから集まった、デモ素人たちによる自然発生的なアピール行動が始まったのだ。
主に、その後「首都圏反原発連合」となるメンバーたちが盛り上げ、経産省前の数人は、数十人、そして時に官邸を呑み込む熱波をうねらせ、また潮が引くように地味な活動に戻ったりという軌跡をたどりつつ、今に至っている。

ここに登場するレジスタンスたちは、「TwitNoNukes」のメンバーを中心に、2011年の3月中にすでに行動を開始していた猛者も多いが、「行動」なんて、組織もないんだから決まり事はない。
いつ参加してもいいし、いつ抜けてもいい。
十人十色で、一人ひとり濃淡も色相もちがうカラフルなグラデーション。

気分に任せて叫びたいときに行けばいいし、難しい会議に参加しなくてもいい。
でも、これだけのムーブメントを形づくってきたのは、そのコアにいる献身的で忍耐強い人たちだということは意識してほしい。
この映像記録は、そのための可視化でもある。

民主党政権下での原発反対デモは2012年には官邸周辺に最大20万人を集めた。
その後安倍政権になってからは、すぐに特定秘密保護法強行、つづいて安全保障関連法案では抗議の人々12万人が国会前に押し寄せた。
その後もTPP、共謀罪法、森友加計問題、働き方改革関連法、カジノ法、辺野古新基地建設など、引きも切らさず様々な悪法の強行採決や弾圧や隠蔽・改竄や汚職が相次ぐたびに、切実な抗議の声を上げてきた。
末端ながら自分もその一人だから、彼らの軌跡と心境に共振しながら観た。

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反原発の中心メンバーの数人は当時、ついに国会内で野田首相と面会する機会を得る。
木で鼻をくくったような政治家たちに対して、イルコモンズさんの訴える切実な一言一言は胸を打つ。

途中「SEALDs」や高校生の「T’ns Sowl」も若い世代のハイセンスなムーブメントを興し(映像ではチラリと登場する)、リーダー格の奥田愛基くんは国会で市民の代表としてスピーチに招かれもした。
学生主体のメンバーが卒業していくとともにあとは各々の役割に分散していった。

いかに一般市民に聞く耳を持ってもらうか、そこに常に腐心した活動だった点では、なかなかの成果を上げたと思う。
ヴィジュアル的にもサウンド的にも、格段にシフトアップされた。

2015年には小熊英二慶大教授によってYouTubeから抜粋・編集した『首相官邸の前で』という映画もできたが、今作の方が面白いし、エンパワーメントになっている。

『わたしの自由について~SEALDs 2015~』(西原孝至)というドキュもあったが、これは大学生と民主主義の根本を考える思索の旅のようなルポだった。

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しかし、ムーブメントはブームでは済まされない。
たとえばそこにイジメっ子がいたら、近所のオヤジは諫めに入って怒鳴るくらいのことは当たり前にやろうや、ってこと。
民族差別のスピーチをしていたら、その場で止めなくては、その場で実害が出る。

ヘイトデモがまかり通っていた新大久保や川崎で、アンチヘイトの波も大きくなっていったことは誇らしい。
ただ、「しばき隊」と称したアンチヘイトグループはコワモテも多い。
デモの性格上、「スタイリッシュに」なんてことは言ってられないから、ある意味仕方がない。
上記の国会前や各地の陽気なサウンドデモのようなものとはだいぶちがう直接行動だ。


そんなだれかが、そこにいてくれる。
いまのところ。
あなたが行かないなら、誰かが行かなければならない。
あきらめたら、この国は終わりだ。

今日も、今この瞬間も、政治は必ず市民を欺こうとしている。
国民を隅々まで最大限、統制・管理しようとしている。
このくらいのことをスタンダードにできない世の中なんて。
このくらいのことをスタンダードにできないあなたの心なんて。

今作は、国の中央部での、ここ数年のことだけだ。
沖縄のことを考えれば、戦後ずっとRESISTし続けてきたのだから。
オキナワはすべてをやってきた。
東ティモールもお手本だ。

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「共生」
「包括」
Living together
inclusive
異なる民族、相容れない思想とともに生きる。
「アベ支持者とさえ共生している現実」と登場人物は語っていた。

相手を傷つけず、自分がなぜ闘っているかを話して聞かせる。
東ティモールのように。

「あなたがすべきことを、あなたの場所でやってください」

この映画は、過去の総覧ではない。
これから未来に向かって、僕たちが問われているのである。

YouTubeの予告編、ジンと来ますよ。
   ↓     ↓
https://youtu.be/bfdim8kfd-8


精神0/精神

2020年5月5日
『精神0』
想田和弘
監督
2020年 日・米 2時間8分
配信:「仮設の映画館/イメージフォーラム」
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話題作『精神』から10年(撮影から15年)。

精神科クリニックの山本昌知医師82歳は老いを隠せず、勇退を決めた。
顔出し患者さんのノーカット・インタビューなどで度肝を抜いてくれた前作に対し、今作では山本医師と奥様ヨシコさんに焦点を当てた。

冒頭から診察室での患者さんと山本先生とのやりとりに心打たれる。
患者さんたちはみな長年先生を頼りに生きてきただけに、先生が辞めたらどうしたらいいのでしょう、とストレートな疑問と不安をぶつけてくる。

ある患者さんには「週1回はゼロに身を置きなさい」と伝える。
欲を消し、何事にも感謝をする日。
そんな心の状態を「ゼロ」と表現し、静かにコツを授ける。

肺を患い、声の音量が出ないので患者さんにより接近して語りかける。
そうして「ゼロ」を語れば、先生の日々の実践あってのことだろうと誰もが素直に納得するだろう。

ある患者さんはあるもの(秘)をいつものように無心する。
山本医師は躊躇なく分け与える。
そのシーンもまたひっそりカメラに観察されるのだが、観ているこちらの内心は驚きが加速していく。
患者さんの訴えや質問はしばらく続く。
山本医師は早く切り上げようとする素振りは全く見せずに、喋りたいだけ喋らせる。

この「スローワーク」は長年の精神科医師としてのポリシー&メソッドなのだろうが、勇退を前にして「こうべを垂れる稲穂」のようにますます謙虚に、そして理想的な究極の「患者さん本位」の医療として結実している時間である。
患者さんにも「ありがとう」と声をかける「ゼロ」の境地。

「先生にずっと診てもらいたい」と、どの患者さんにも切実に訴えられ、どうしてもドライに区切りをつけようとは言えずに口ごもる。
「電話番号知ってるだろう」「わしはいなくなるわけじゃないから」と、根っこから培ってきた関係性を維持しようとする人のよさ。

現代の精神科にはありえないことだろう。
精神・心理を専門にする人ほど、距離を一定に保つことが大切だと言われる。
医師の精神を保つためにも。
なのに、この期に及んで患者さんを懐に招き入れようとする。
かつては、切羽詰まった人を自宅に泊めたこともよくあったという。

「もう(先生に)中毒だね」と笑い合う場面もあったが、それでいて、患者さんに過剰依存させていないところが、奇跡の医療というほかない。

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この究極のスローワークは、今般のコロナ禍の只中で見つめると、より格別な象徴的意味を持つように思える。
「アフターコロナ」は自ずとライフスタイルのシフトチェンジ或いはパラダイムシフトをもたらすと盛んに囁かれている。
「超」のつく効率主義、つまり経済のグローバリズムや新自由主義が進みすぎて、人間性に歪みと亀裂を生んでいることに対するアンチテーゼだ。

「都市の空気は自由にする」と昔ある社会学者は言ったが、都会は自由な分、人間関係は希薄で距離感があり、一方、地方は関係が濃密で距離感が近い。
どちらも一長一短だが、その二分法ではなく、人生のスタンスや距離感は、年齢や社会の状況次第で、見つめ直して選択することが必要になってくるはずだ。
「山を下りる」発想と言ってもいい。

食や農をとっても、今や大量生産でいいことはあまり見えてこない。
地球環境や動物たちを見てもそうだ。
そして医療も自由競争の市場原理に脅かされている。

ローカルに、手の届くところで、心の通うことを。
この岡山の一地方の街角の古びた医院にて、地域密着で一人ひとりに時間を割き心を尽くした関係性が営まれているのを見るのは、決して古いことには見えない。
むしろ、また原点回帰するべき目標地点かもしれない。

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さて、後半は奥様のヨシコさんが患者さんとして受診するところから主役として浮き上がってくる。
10年前(15年前?)の撮影時にはチャキチャキ機敏に動き、気配りしていたヨシコさんも、すっかりスローになって夫の昌知さんのお世話を受けている。
ニコニコをたやさないかわいらしさが魅力ではあるが、ふたり暮らしのご老体の昌知さんには、奥様の代わりに家事をしつつ自分に加えて奥様の身の回りをこなすには骨が折れ、少し動くと浅い息づかいが荒くなる。

そんな二人のあいだにもまた、この数年で大きなシフトチェンジがあったのだろう。
昌知さんはたぶん休みもないほど多忙の人生だっただろうことは想像に難くない。
そしてヨシコさんは学生時代昌知さんよりずっと成績優秀だったが、結婚後はひたすら家庭と夫を守ることに尽くしてきた。
それ以上の詳しいことは知り得ないが、いろいろなことがわからなくなってしまったヨシコさんを、昌知さんは仕事よりもずっと比重をおいて見つめ直そうとしていることが一挙手一投足から感じられる。

仕事で患者さんとの信頼関係を培ってきた熟練のスキルがあり、ゼロの境地がある。
百戦錬磨の医師であっても、妻との関係は別物だったりすることは往々にしてある。
しかし、昌知さんの姿を見てほしい。
これからが、「ゼロに身を置く」ことの最大の実践だと言っているようだ。
ヨシコさんあっての昌知さんだということを、何も言わなくとも全身から発している。
ヨシコさんの今にも転びそうなお墓参りを見てほしい。
こんな頼りないヨレヨレの二人を支えるのは、ふたりの手をつなぐ行為しかないのだ。
今はそれが唯一最大の価値あること。

「絆」なんて言葉、使ったことないけど、ここは「夫婦の絆」、考えちゃうね。
でも全く悲愴感なく、意味とか何とか考えることなく可愛くつないじゃってる二人の後姿、見てほしい。

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劇場公開ができない今、「仮設の映画館」という斬新なプラットフォームを立ち上げて公開しています。
全国一斉、2020年5月2日(土)10:00-2020年5月22日(金)21:00まで、絶賛公開中です! (延長の可能性あり)
     ↓     ↓
https://www.temporary-cinema.jp/seishin0/

鑑賞後は、ぜひこちらの「初日舞台あいさつw」動画もご覧ください。
笑いながら舞台裏がいろいろわかります。
https://www.youtube.com/watch?v=3uc7kJ39gVg



前作のレビューも併載しておきます。



2016年2月6日
『精神』 (想田和弘) DVD
2008年 米・日 2時間15分
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顔って何だろう。
人格すべてが現れているように思えるものであり、また逆に人格すべてを裏切るものでもある。
顔で判断するなと言われて、じゃあ顔を隠して写したら、それはそれで失礼じゃないか、となる。その人自身が人格や尊厳を奪われたように感じる。
記号であり、意味でもある。
外面であり、内面である。
顔という外面を剥ぎ取って、内面が残るか。もちろん、残る。でも、なにがちがう。だいぶちがう。
やはり顔は、内と外の両面を持つ。
たとえ人格を裏切るものであっても、その様相がその人の現象なのだろう。

ラジオなら話は簡単なのだが、映像の場合はどうしても映ることの功罪を考える。

だからたとえば脳性麻痺の障碍者たちのありのままを撮った『さようならCP』原一男/’72)でも、不随意な動きをする素顔は、その表情・声・肢体の動きとともに、その人の必死さを何よりも主張しているし、それ以前に存在そのものであり、主張以前のものだ。隠すことは人間を否定することだ。
脳性麻痺を含めた身体障碍者や知的障碍者は、いまやTVに出ることも全く珍しくなくなったが、精神病患者はそうとは限らない。

この映画であらためて驚くのは、まずここに出ている現在治療中の精神病患者さんたちが、みなカメラの前で顔出しを許しているということ。
そして、話している内容も赤裸々で、子供を食べさせるためにカラダを売った、などということまで顔を出したまま話してくれていること。
悲痛な訴えをする人もいるが、生き生きと楽しそうに人生を語ってくれる人もいる。実はインテリだったりする人もいるし、カメラに喋るたびに、おどけて「カット!」と仕切る人もいる。

しかし、もし彼らの顔すべてにモザイクがかかっていたら、どうだろう。
見ている側も、人権も尊厳もないがしろにしている感覚に陥るのはもちろん、そもそも「人間」を描けない。
もしかすると、一般に患者たちの多くは顔を隠すことに強く反対するのではないか。

よく考えてみれば、顔を映されて困ることは何なのか?
写す側・上映・放映する側が、「晒し者」にしてしまうことを気にし、世間の批判を忖度しているだけではないのか。現場の自粛、あるいは“なんとなくタブー”になっているのか。
脳性麻痺の人たちと同様、むしろ自分たちの顔を出してほしい、ありのままの姿を見てほしいと思っているのではないか。
もちろん、患者さん側から見えない“カーテン”を引いてしまうこともあるだろう。

この映画を観れば確認できる。
顔を隠したら、何もわからないと。
いままでそのことすら明白でなかったのは、自主規制でモザイクをかけることで思考停止してきたから。
それを取っ払っただけで、初めて当たり前のことが見えた。
お互いのカーテンをなきものとして、自然と境界がなくなっているこの撮影現場は、一種のユートピアをつくりだしていると言ってもいい。

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中国のドキュメンタリー作家ワン・ビンの撮った作品に『収容病棟』('13)というのがある。
『精神』よりあとの制作だが、同じく精神病患者をモザイクなしで撮った観察映画だ。

『収容病棟』で瞠目するのは、『精神』とちがって撮影者=監督がほぼ透明人間のごとく気配を消していること。
つまり、被写体がほとんどカメラに反応しない。カメラに目を向けることはあるものの、撮影者に話しかけたり、意識して演技したりしない。
撮影者が部屋に入り、どこまでも追いかけ、被写体に肉迫しているにもかかわらず、である。

一方『精神』では、患者たちは面白いようにカメラ=監督に話しかけてくる。監督も普通に会話を返す。インタビューをする。
「観察映画」にしては、予想を上回るほどインタラクティブだ。

この違いは、『収容病棟』がより重篤な患者を“収容”しているからにほかならない。
中国郊外の巨大なコンクリート施設の殺伐とした病棟の廊下や部屋のなかを、ワン・ビンは患者に執拗について回る。でも彼らはまともな言葉が話せないようだ。どうやら薬漬けにされている様子でもある。
だからそんなに肉迫しても、距離感は常にキープされ、“観察然”としている。

片や、精神疾患診療所「こらーる岡山」は、山本昌知医師をはじめ、“献身の権化”のようなスタッフに囲まれて成り立っている。
40年以上見守られてきた患者さんたちは、みな感謝し、信頼している。
そんな親密な空気の中で撮影すれば、自ずとお互いにコミュニケーションが進むのもわかる。

想田監督は「観察」中にインタラクティブになることも「参与観察」と呼んで排除しない。そこにいる限りは関わり合いができるのも自然なことだし、関わり合いも観察の対象にすればいいのだ。
『選挙』でも、被写体である監督の友人・山内和彦氏と車内で二人きりになれば、自ずと会話は進む。むしろそれが映画の主体を成していた。

その上で、『精神』の「観察映画」としての凄味は、患者さんの独白をどんなに長かろうが全くカットせずに最後まで収めるところ。
相手が先生であってもカメラであっても、ずっと独りで喋りつづける。15分間くらいの長尺もあった。
カットしないことで初めてわかることがある。
話の内容よりも、その人の間(マ)とか周囲の空気とか。
それができるのは、やはり映画だけだ。

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撮影時は2005年、小泉政権下、障碍者自立支援法が成立し、1割負担を強いられ、弱者がより弱く、貧しく、痛みを押し付けられる社会に突入した頃。

“現代の赤ひげ”山本昌知医師をメインに据えてもう1本ドキュメンタリーが確実に撮れるだろう、そんな味わいのある、鄙びた古民家と一体の、決して儲からない診療所の物語でもあるのである。

たぴおかたぴおが選んだ2010年代ドキュメンタリー傑作選

たぴおかたぴおが選んだ2010年代ドキュメンタリー傑作選

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10年間で観たドキュメンタリー196本のうち2010年代の作品165本が対象。

(とりわけ2018年はドキュメンタリー豊作の年だったように個人的に感じます)

前回の記事では<劇映画編>を特集しました。
今回はその続きですので、お読みになってない方は劇映画編のまえがきも合わせてお読みください。

ドキュメンタリーというもの、ランキングをつけるのは馴染まないし劇映画よりもさらに烏滸がましい。
あくまで自分にとってパーソナルに刺さった“インパクト”の強さで選ぶことにしています。

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観なくてはいけない! 16本


『標的の村』(三上智恵/日/2013年/1時間31分)※DVDなし
http://tapio.at.webry.info/201501/article_8.html

『戦場ぬ止み』(三上智恵/日/2015年/2時間9分)
http://tapio.at.webry.info/201508/article_1.html

『カンタ!ティモール』 (広田奈津子/日/2012年)※DVDなし
http://tapio.at.webry.info/201801/article_2.html

『隣る人』 (刀川和也/2011年/日/1時間25分) ※DVDなし
https://tapio.at.webry.info/201806/article_2.html

『愛と法』 (戸田ひかる/2017/日英仏/1時間34分)
https://tapio.at.webry.info/201810/article_2.html

『トトとふたりの姉』(アレクサンダー・ナナウ/ルーマニア/2014)
http://tapio.at.webry.info/201709/article_1.html

『恋とボルバキア』 (小野さやか/2017/日)
https://tapio.at.webry.info/201804/article_2.html

『主戦場』(ミキ・デザキ/米/2018)
https://tapio.at.webry.info/20190501/index.html

『私はあなたのニグロではない』(ラウル・ペック/2016/米・仏・ベルギー・スイス)
https://tapio.at.webry.info/201806/article_1.html

『アルマジロ』(ヤヌス・メッツ/2010/デンマーク)
http://tapio.at.webry.info/201508/article_6.html

『みんなの学校』 (真鍋俊永/2014/日)
http://tapio.at.webry.info/201503/article_5.html

『共犯者たち』 (チェ・スンホ/韓/2017)
https://tapio.at.webry.info/201812/article_8.html

『日本と原発』(河合弘之/2014/日/2時間15分)※YouTubeで無料公開中
http://tapio.at.webry.info/201502/article_2.html

『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』(長谷川三郎/2012年/日/1時間54分)
https://tapio.at.webry.info/201302/article_1.html

『プリズン・サークル』(坂上香/日/2019年/2時間16分)
https://tapio.at.webry.info/202001/article_7.html

『いただきます ここは発酵の楽園』(オオタヴィン/日/2019年/1時間21分)
https://tapio.at.webry.info/202003/article_3.html

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このドキュがスゴイ! 15本


『アクト・オブ・キリング』 (ジョシュア・オッペンハイマー/デンマーク・ノルウェー・英/2012年)
https://tapio.at.webry.info/201405/article_1.html

『FAKE』(森達也/日/2016)
信用するか? しないか? 監督と佐村河内が何度も問い、問われ、見ている僕らも問い問われる。作品中、真偽は黒と白の間を行ったり来たり。しかも、ラストが劇的・・・ いや、エンドロールの後がまた・・・! ちょっと! さすが、森達也監督。 マスコミを疑え。マスコミに騙され続ける自分を疑え。そしてこの映画を疑え。そういう自己欺瞞さえ包括した、メタ映画。

『リヴァイアサン』 (V.パラヴェル、L.C=テイラー/2012/米仏英)
https://tapio.at.webry.info/201409/article_2.html

『少女は夜明けに夢をみる』(メヘルダード・オスコウイ/イラン/2016)
https://tapio.at.webry.info/20191114/index.html

『レストレポ前哨基地 Part.1』(T.ヘザリントン&S.ユンガー/2010/米)
http://tapio.at.webry.info/201512/article_3.html

『標的の島 風かたか』(三上智恵/日/2017)
http://tapio.at.webry.info/201704/article_2.html

『サムライと愚か者』 (山本兵衛/2015/独仏英日デンマーク・スウェーデン)
https://tapio.at.webry.info/201805/article_2.html

『子どもが教えてくれたこと』(アンヌ=ドフィーヌ・ジュリアン/2016/仏)
https://tapio.at.webry.info/201809/article_5.html

『いのちの子ども』(シュロミー・エルダール/米・イスラエル/2010年/1時間30分)
https://tapio.at.webry.info/201301/article_6.html

『娘は戦場で生まれた』(ワアド・アルカティーブ&エドワード・ワッツ/2019/英・シリア)
https://tapio.at.webry.info/202003/article_3.html

『シリア・モナムール』(オサマ・ムハンメド&ウィアム・シマヴ・ベデルカーン/シリア・仏/2014)
壮絶なリアルと、ポエティックなメランコリー。 究極のネガティブ映像と、美しい音声のコラージュ。 告発ビデオと、情緒的アート。 相反したふたつの手法を同時に使って奇跡的に成立したこの作品は、悲惨極まりない事実の強固さにかろうじて拮抗するだけでなく、その手法と目的においてゴダール以上に達成度が高いのではないか。

『監督失格』(平野勝之/2011/日)
https://tapio.at.webry.info/201110/article_3.html

『祝福~オラとニコデムの家~』(アンナ・ザメツカ/2016/ポーランド)
https://tapio.at.webry.info/201807/article_2.html

『タリナイ』 (大川史織/2018/日)
https://tapio.at.webry.info/201810/article_3.html

『ジェイン・ジェイコブズ~ニューヨーク都市計画革命』(マット・ティルナー/2016/米)
https://tapio.at.webry.info/201805/article_2.html


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~その他オススメをジャンル別に分類~


生への歓喜/マイノリティ/いのち

『いろとりどりの親子』 (レイチェル・ドレッツィン/2018/米)
https://tapio.at.webry.info/201812/article_6.html

『いのちの深呼吸』 (ラナ・ウィルソン/2017/米)
https://tapio.at.webry.info/201809/article_4.html

『四つのいのち』(ミケランジェロ・フランマルティーノ/2010/伊・独・スイス)※これはドキュメンタリーではないかもしれない
https://tapio.at.webry.info/201106/article_2.html

『エンディングノート』(砂田麻美/2011/日)
https://tapio.at.webry.info/20111017/index.html



告発/調査報道/メッセージ

『ほたるの川のまもりびと』 
https://tapio.at.webry.info/201808/article_1.html

『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』(ジェレミー・セイファート/2013/米・ハイチ・ノルウェー)
https://tapio.at.webry.info/201911/article_2.html

『死刑弁護人』(齊藤潤一/日/2012年)
https://tapio.at.webry.info/201912/article_3.html

『スーパーローカルヒーロー』(田中トシノリ/2014/日)
http://tapio.at.webry.info/201507/article_1.html

『華氏119』 (マイケル・ムーア/2018/米)
https://tapio.at.webry.info/201811/article_1.html

『ラッカは静かに虐殺されている』(マシュー・ハイネマン/2017/米)
https://tapio.at.webry.info/201805/article_1.html

『ラジオ・コバニ』 (ラベー・ドスキー/2016/蘭)
https://tapio.at.webry.info/201805/article_2.html

『人間機械』 (ラフール・ジャイン/2016/印・独・フィンランド)
https://tapio.at.webry.info/201808/article_2.html

『ニッポン国VS泉南石綿村』 (原一男/2017/日)
https://tapio.at.webry.info/201804/article_2.html

『太陽の下で-真実の北朝鮮-』 (ヴィタリー・マンスキー/チェコ・露・独・ラトビア/2015)
https://tapio.at.webry.info/201702/article_1.html

『すべての政府は嘘をつく』 (フレッド・ピーボディ/加/2016)

『世界侵略のススメ』(マイケル・ムーア/2015/米)

『シチズン・フォー/スノーデンの暴露』(ローラ・ポイトラス/米/2014) 

『ルンタ』(池谷薫/2015/日)
http://tapio.at.webry.info/201509/article_1.html

『ミツバチの羽音と地球の回転』(鎌仲ひとみ/2010/日)

『小さき声のカノン』(鎌仲ひとみ/2014/日)
http://tapio.at.webry.info/201507/article_3.html

『フタバから遠く離れて』(舩橋淳/2012/日)
http://tapio.at.webry.info/201503/article_4.html

『ヤクザと憲法』(土方宏史/2015年/日/1時間36分)
https://tapio.at.webry.info/201603/article_4.html

『ザ・思いやり』(リラン・バクレー/日/2015)
https://zaomoiyari.com/


沖縄

『沖縄スパイ戦史』 (三上智恵&大矢英代/2018/日)
https://tapio.at.webry.info/201808/article_1.html

『OKINAWA1965』(都鳥伸也/2017/日) 
https://tapio.at.webry.info/201807/article_2.html

『米軍が最も恐れた男 その名はカメジロー』(佐古忠彦/日/2017)
https://tapio.at.webry.info/201909/article_2.html

『沖縄 うりずんの雨』(ジャン・ユンカーマン/2015/日)
http://tapio.at.webry.info/201507/article_3.html



民主主義/憲法

『わたしの自由について』(西原孝至/日/2016/2時間45分)
https://tapio.at.webry.info/201605/article_7.html

『選挙に出たい』(ケイヒ/中・日/2016年)
https://tapio.at.webry.info/201812/article_3.html

『不思議なクニの憲法』(松井久子/2016/日/2時間2分)

『選挙2』(想田和弘/2013年/日米/2時間29分)
http://tapio.at.webry.info/201511/article_2.html



ローカリズム/グローバリズム/人類学

『ゲンボとタシの夢見るブータン』(アルム・バッタライ&ドロッチャ・ズルボー/2017/ブータン・ハンガリー)
https://tapio.at.webry.info/201809/article_2.html

『あまねき旋律』(アヌーシュカ・ミナークシ&イーシュワル・シュリクマール/2017/印)
https://tapio.at.webry.info/201810/article_3.html

『港町』(想田和弘/2018/日米)
https://tapio.at.webry.info/201804/article_3.html

『牡蠣工場』(想田和弘/日・米/2015/2時間25分)
https://tapio.at.webry.info/201602/article_4.html

『ある精肉店の話』(纐纈あや/2013/日)
https://tapio.at.webry.info/201709/article_2.html

『世界でいちばん美しい村』 (石川梵/日/2016)
https://tapio.at.webry.info/201709/article_2.html

『カピウとアパッポ アイヌの姉妹の物語』 (佐藤隆之/日/2016)
https://tapio.at.webry.info/201710/article_1.html

『渦 UZU』 (ガスパール・クエンツ/日/2016)
http://tapio.at.webry.info/201710/article_1.html



アートと人生

『シュガーマン〈奇跡に愛された男〉』(マリク・ベンジェルール/2012/英・スウェーデン)
https://tapio.at.webry.info/201306/article_3.html

『禅と骨』 (中村高寛/日/2016)
https://tapio.at.webry.info/201709/article_2.html

『顔たち、ところどころ』(アニエス・ヴァルダ&JR/2017/仏)
https://tapio.at.webry.info/201809/article_5.html

『デイヴィッドとギリアン~響きあうふたり』(コジマ・ランゲ/2015/独)
https://tapio.at.webry.info/201804/article_1.html

『人生フルーツ』 (伏原健之/2016/日)
https://tapio.at.webry.info/201801/article_4.html

『キューティー&ボクサー』(ザッカリー・ハインザーリング/2013/米)
https://tapio.at.webry.info/201401/article_3.html

『ピナ・バウシュ夢の教室』(アン・リンセル/2010/独)
https://tapio.at.webry.info/201305/article_1.html

『PINA/ピナ・バウシュ踊り続けるいのち』(ヴィム・ヴェンダース/2011/独仏英)
https://tapio.at.webry.info/201204/article_2.html

『演劇1・2』(想田和弘/2012/日米仏/172分+170分)
https://tapio.at.webry.info/201211/article_3.html



教育

『ニッポンの教育~挑む第二部』 (筒井勝彦/2017/日)
https://tapio.at.webry.info/201801/article_4.html


観察映画

『収容病棟』(ワン・ビン/3時間48分/中/2013)
https://tapio.at.webry.info/201407/article_5.html
『三姉妹~雲南の子』(ワン・ビン/2時間33分/中/2012)
https://tapio.at.webry.info/201306/article_1.html


『Peace』(想田和弘/2010年)
『演劇1・2』(想田和弘/2012)
『選挙2』(想田和弘/2013)
『牡蠣工場』(想田和弘/2015)
『港町』(想田和弘/2018)
https://tapio.at.webry.info/201804/article_3.html

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たぴおかたぴおの「2010年代映画」ベストテン(仮)~選んではみたけれど~

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東日本大震災・原発大人災の直前に始めたこのブログは、世界的コロナ災害の直前に丸9年を迎え、現在10年目に入っています。
この10年間の初めと終わりに、人類の太刀打ちできない未曽有のできごとに見舞われたことになります。

自然災害もさることながら、人災がつねにそれを増幅する。
逆に人災が引き起こす自然災害も、地球上の恒常的な風景となってしまいました。
もはや非日常が日常となり、引き返せないポイント・オブ・ノーリターン。
コロナ禍が一段落しても、今までのような消費生活からはシフトダウンしないといけないでしょう。
果たして人類は生き残れるのでしょうか。
ニンゲンという害獣が生き延びなくても、せめて生物たちだけでも。

というフェーズに入ったゆゆしき状況で、映画などひとたまりもありません。
今般のコロナショックによって、映画演劇界は風前の灯火。
文化芸術に対するこの国の援助の貧困さは、コロナショックが去っても劇場を砂のように崩落させて終わらせるのかもしれません。

とりわけ、ミニシアターや独立系劇場は蘇生できるのか。
ミニシアターがあってこそ成立した映画は数知れず。
果たしてインディーズ映画たちが生き残るのかどうか、心配でたまりません。


☆そんななか、ミニシアターを救おう!と基金を設立するクラウドファンディングが立ち上がりました。
深田晃司監督と濱口竜介監督が発起人です。5月14日まで、ぜひ応援に参加してください。
   ↓     ↓     ↓
<ミニシアター・エイド基金>
https://motion-gallery.net/projects/minitheateraid?fbclid=IwAR3gwLhksvmqZWJ2gHOdn4VHZdJ_ntBr0uZtPcYnmPll8SbdTCOQco37x44


劇場に行けない今、珍しく過去の作品を観返したり、ネットや録画を見る余裕ができ、とくだん飢えを感じたりはしないのですが、目の前の平静とは別に、形の見えない不安が遠くからしのび寄ってきている空気を感じます。

「国難」と名付けられたウイルスのように。
この期に及んでそれを国策の具にする悪政のように。

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ならばいっそ、過去10年間の愛すべきフェイバリットを振り返って、ランキングして遊んでみたらどうだろう、と芽生えた出来心。

2010年からの鑑賞作品計1304本のなかから、新作・初公開作784本を対象とします。
(そのうちドキュメンタリーは除いて別の機会に)

毎年のランキングをつけてはいても、今になって振り返るといくぶん印象が変化し、そのままの順位では違和感もあったりして、かなり悩みました。

もちろん、“毒断と変見”に満ち満ちています。
結局は、自分の「好き」と、社会の「切実」が基準です。


2011年以前と以後では、僕の内面もずいぶん変化してきました。
政治の国家的詐欺を目の当たりにして、遅ればせながら初めて感情が大きく揺さぶられ、日々怒りが募ってきた10年間です。
自ずと映画の見方も変わってきます。

「映画」が、その役割を最大拡張させ、切実な人々のために切実にアピールする役割を負っているものと考えれば、「映画」というメディアの枠や芸術性の概念は何なのか、という命題に突き当たります。

そこを観る者に否応なく意識させる作品こそを、「いい映画」として選びたいと思っています。
もちろん、それは「娯楽作」を排除するものではありません。



1位、2位、というランク付けは無理なので、一かたまり(クラスター)ごとに序列しました。


さて。

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◆「2010年代映画」たぴおかベストランキング(仮)◆


<第1群> 製作年度順に10本

『ヤコブへの手紙』(クラウス・ハロ/フィンランド/2009年製作/2011年日本公開/1時間16分)
https://tapio.at.webry.info/201101/article_6.html

『ヘヴンズストーリー』(瀬々敬久/日/2010/4時間38分)
https://tapio.at.webry.info/201305/article_3.html

『未来を生きる君たちへ』 (スザンネ・ビア/デンマーク・スウェーデン/2010年/1時間59分 )
https://tapio.at.webry.info/201108/article_3.html

『ニーチェの馬』(タル・ベーラ/2011年/ハンガリー・フランス・スイス・ドイツ/2時間34分)
https://tapio.at.webry.info/201203/article_1.html

『おだやかな日常』 (内田伸輝/日・米/2012年/1時間42分)
https://tapio.at.webry.info/201212/article_1.html

『FORMA』(坂本あゆみ/日/2013年/2時間25分)
https://tapio.at.webry.info/201409/article_2.html

『ブラインド・マッサージ』(ロウ・イエ/中・仏/2014年/1時間55分)
 http://tapio.at.webry.info/201701/article_2.html

『聖なる鹿殺し』(ヨルゴス・ランティモス/アイルランド・英/2017/2時間1分)
https://tapio.at.webry.info/201803/article_2.html

『魂のゆくえ』(ポール・シュレイダー/米/2017年/1時間53分)
https://tapio.at.webry.info/201904/index.html

『存在のない子供たち』(ナディーン・ラバキー/レバノン/2018年/2時間30分)
https://tapio.at.webry.info/20190802/index.html


※ただし。 もちろん、これは暫定です。(仮)です。2019年製作作品がこれからもまだ公開されるでしょうから、今年1年待って、2021年の10周年のときにまた何らかのかたちにできればと思います。


<第2群> 10本

『悲しみのミルク』(クラウディ・リョサ/ペルー/2009年製作/2011年日本公開/1時間37分)

『息もできない』(ヤン・イクチュン/韓/2010年/2時間10分)

『キャタピラー』(若松孝二/日/2010年/1時間24分)

『ライク・サムワン・イン・ラブ』(アッバス・キアロスタミ/日・仏/2012年/1時間49分)

『サイの季節』(バフマン・ゴバディ/イラク・トルコ/2012年/1時間33分)

『かぞくのくに』(ヤン・ヨンヒ/日/2012年・1時間40分)

『ある過去の行方』(アスガー・ファルハディ/仏・伊/2013年/2時間10分)

『とうもろこしの島』(ギオルギ・オバシュビリ/グルジア・チェコ・仏・独・カザフスタン・ハンガリー/2014年/1時間40分)※ブログ内では当時のタイトル『コーン・アイランド』で掲載

『そこのみにて光り輝く』(呉美保/日/2014年/2時間)

『バハールの涙』(エバ・ユッソン/仏・ベルギー・グルジア・スイス/2018年/1時間51分)



<第3群> 13本

『見えるもの見えざるもの』(カミラ・アンディニ/インドネシア・オランダ・オーストラリア・カタール/2017年/1時間26分)

『僕の帰る場所』(藤元明緒/2017年/日本・ミャンマー/1時間38分)

『ローマ』(アルフォンソ・キュアロン/メキシコ・アメリカ/2018年/2時間15分)

『心と体と』(イルディコー・エニェディ/ハンガリー/2017年/1時間56分)

『ヒミズ』(園子温/日本/2011年/2時間9分)

『ブルー・バレンタイン』(デレク・シアンフランス/米/2010年/1時間52分)

『鉄くず拾いの物語』(ダニス・タノビッチ/ボスニア・ヘルツェゴビナ・フランス・スロベニア/2013年/1時間14分)

『オマールの壁』(ハニ・アブ・アサド/パレスチナ/2013年/1時間37分)

『ボーダレス ぼくの船の国境線』(アミルホセイン・アスガリ/2014年/イラン/1時間42分)

『あの日の声を探して』(ミシェル・アザナビシウス/仏・グルジア/2014年/2時間15分)

『BIUTIFUL』(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ/スペイン・メキシコ/2010年/2時間28分)

『歓待』(深田晃司/日/2010年/1時間36分)

『淵に立つ』(深田晃司/日・仏/2016年/1時間59分)





以下に、年度ごとに発表したランキングを再掲しておきます。


◆たぴおかベスト・ランキング2019◆

1.『魂のゆくえ』(ポール・シュレイダー/米)

2.『存在のない子供たち』(ナディーン・ラバキー/レバノン)

3.『バハールの涙』(エバ・ユッソン/レバノン)
  https://tapio.at.webry.info/201902/article_1.html

4.『ローマ』(アルフォンソ・キュアロン/メキシコ・米)
  https://tapio.at.webry.info/201903/index.html

5.『ギルティ』(グスタフ・モーラー/デンマーク)
  『ペトラは静かに対峙する』(ハイメ・ロサレス/スペイン他)
  『岬の兄妹』(片山慎三/日)
  『ジョーカー』(トッド・フィリップス/米)
  『水の影』(サナル・クマール・シャシダラン/印)

10.『夜明け』(広瀬奈々子/日)
  『よこがお』(深田晃司/日)
  『金子文子と朴烈』(イ・ジュンイク/韓)
  『バーニング』(イ・チャンドン/韓)
  『ウトヤ島、7月22日』(エリック・ポッペ/ノルウェー)
  『聖なる泉の少女』(ザザ・ハルヴァシ/グルジア他)



◆たぴおかベスト・ランキング2018◆

『聖なる鹿殺し』 ヨルゴス・ランティモス/アイルランド・英

『僕の帰る場所』 藤元明緒/日本
 https://tapio.at.webry.info/201810/article_3.html

『花咲くころ』 ナナ・エクフティミシュビリ、ジモン・グロス/グルジア・独・仏
 https://tapio.at.webry.info/201802/article_1.html

『菊とギロチン』 瀬々敬久/日本
 https://tapio.at.webry.info/201807/article_3.html

『心と体と』 イルディコー・エニェディ/ハンガリー
 https://tapio.at.webry.info/201805/article_1.html

『ロープ~戦場の生命線』 フェルナンド・レオン・デ・・アラノア/スペイン
 https://tapio.at.webry.info/201803/article_1.html

『スリー・ビルボード』 マーティン・マクドナー/英
 https://tapio.at.webry.info/201802/article_1.html

『象は静かに座っている』 フー・ボー/中国
 https://tapio.at.webry.info/201812/article_1.html

『カメラを止めるな!』 上田慎一郎/日本

『万引き家族』 是枝裕和/日本
 https://tapio.at.webry.info/201806/article_3.html

『ビューティフル・デイ』 リン・ラムジー/英
 https://tapio.at.webry.info/201806/article_3.html

『1987 ある闘いの真実』 チャン・ジュナン/韓国
 https://tapio.at.webry.info/201809/article_3.html




たぴおかベスト・ランキング2017

『ブラインド・マッサージ』 ロウ・イエ/中・仏/2014
 
『トトとふたりの姉』 アレクサンダー・ナナウ/ルーマニア/2014/ドキュ
 http://tapio.at.webry.info/201709/article_1.html<
『標的の島 風かたか』 三上智恵/日/2017/ドキュ
  http://tapio.at.webry.info/201704/article_2.html
『見えるもの、見えざるもの』 カミラ・アンディニ/インドネシア/2017
 http://tapio.at.webry.info/201712/article_1.html
『あゝ、荒野』 岸善幸/日/2017
 http://tapio.at.webry.info/201712/article_2.html
『幼な子われらに生まれ』 三島有紀子/日/2016
 http://tapio.at.webry.info/201709/article_3.html
『雪女』 杉野希妃/日/2016
 http://tapio.at.webry.info/201703/article_1.html
『午後8時の訪問者』 ダルデンヌ兄弟/ベルギー・仏/2016
 http://tapio.at.webry.info/201704/article_3.html
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』 ケネス・ロナーガン/米/2016
 http://tapio.at.webry.info/201707/article_1.html
『ブランカとギター弾き』 長谷井宏紀/伊/2015
 http://tapio.at.webry.info/201709/article_2.html
『オン・ザ・ミルキーロード』 エミール・クストリッツァ/セルビア・英・米/2016
 http://tapio.at.webry.info/201709/article_3.html
『殺人者マルリナ』 モーリー・スリヤ/インドネシア/2017
 http://tapio.at.webry.info/201712/article_1.html
『私は好奇心の強い女』 ヴィルゴット・シェーマン/スウェーデン/1968(日本ほぼ初公開)
 http://tapio.at.webry.info/201702/article_5.html
『アダムズ・アップル』 アナス・トマス・イェンセン/デンマーク・独/2005(日本ほぼ初公開)
 http://tapio.at.webry.info/201702/article_5.html

以上、14作品



たぴおかベスト・ランキング2016
 
第1群

オマールの壁 (パレスチナ)

リップ・ヴァン・ウィンクルの花嫁 (日)

淵に立つ (日)

この世界の片隅に (日)


第2群

ハッピー・アワー (日)
天国はまだ遠い (日/短編)
SHARING (日)
ケンとカズ (日)
ヒトラーの忘れもの (デンマーク・独)
ガール・オン・ザ・トレイン (米)
手紙は憶えている (加・独)
ルーム (アイルランド・加)
サウルの息子 (ハンガリー)
雨にゆれる女 (日)
ある戦争 (デンマーク)
ジュリエッタ (スペイン)
ヴィクトリア (独)
        
以上、17作品


◆たぴおかベスト・ランキング2015◆

    
サイの季節 (バフマン・ゴバディ) イラク・トルコ 2012
★★★★★

~~以下、ベスト10まで~~(記載順位はゆるやかな序列)

ボーダレス ぼくの船の国境線 (アミルホセイン・アスガリ) イラン 2014
http://tapio.at.webry.info/201511/article_1.html

ザ・トライブ (ミロスラブ・スラボシュビツキー) ウクライナ 2014
http://tapio.at.webry.info/201505/article_4.html

あの日の声を探して (ミシェル・アザナビシウス) 仏・グルジア 2014
http://tapio.at.webry.info/201505/article_1.html

おみおくりの作法 (ウベルト・パゾリーニ) 英・伊 2013
http://tapio.at.webry.info/201502/article_5.html

神々のたそがれ (アレクセイ・ゲルマン) 露 2013
http://tapio.at.webry.info/201504/article_3.html

恋人たち (橋口亮輔) 日 2015
http://tapio.at.webry.info/201512/article_1.html

トイレのピエタ (松永大司) 日 2015
http://tapio.at.webry.info/201506/article_3.html

百円の恋 (武正晴) 日 2014
http://tapio.at.webry.info/201501/article_3.html

さようなら (深田晃司) 日 2015
http://tapio.at.webry.info/201511/article_3.html


(過年度作品)

BIUTIFUL(A.G.イニャリトゥ)2010 メキシコ・スペイン
http://tapio.at.webry.info/201501/article_7.html

ペタルダンス(石川寛)2013 日
http://tapio.at.webry.info/201510/article_2.html

ガザを飛ぶブタ(シルヴァン・エスティバル)2010 仏・ベルギー
http://tapio.at.webry.info/201512/article_4.html



◆たぴおかベスト・ランキング2014◆
画像
      ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞の坂本あゆみ監督(左)

★★★★★     (記載順位はゆるやかな序列)

FORMA (坂本あゆみ)

とうもろこしの島(コーン・アイランド) (ギオルギ・オヴァシヴィリ)

ある過去の行方 (アスガー・ファルハディ)

そこのみにて光り輝く (呉美保)

アクト・オブ・キリング (ジョシュア・オッペンハイマー)

2つ目の窓 (河瀬直美)

鉄くず拾いの物語 (ダニス・タノヴィッチ)

愛の渦 (三浦大輔)

金の鳥籠 (ディエゴ・ケマダ=ディエス)


            ~以上、ベスト9

★★★★☆

リヴァイアサン (V.パラヴェル、L.C=テイラー)

ほとりの朔子 (深田晃司)

馬々と人間たち (ベネディクト・エルリングソン)

ジゴロ・イン・ニューヨーク (ジョン・タトゥーロ)

舞妓はレディ (周防正行)

欲動 (杉野希妃)

トム・アット・ザ・ファーム (グザヴィエ・ドラン)




◆たぴおかベスト・ランキング2013◆


おだやかな日常(封切は一昨年末)

恋の渦

父の秘密

ほとりの朔子(昨年映画祭で公開。封切はこの1/18~)

地獄でなぜ悪い

たとえば檸檬(封切は一昨年末)

        以上、ベスト6 (ゆるやかな序列)

偽りなき者

三姉妹~雲南の子

プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ

共喰い

そして父になる

少女は自転車に乗って


        以上、ベスト12 (順不同)

◆たぴおかベスト・ランキング2012◆

ニーチェの馬

おだやかな日常

ライク・サムワン・イン・ラブ

ヒミズ

少年は残酷な弓を射る

かぞくのくに

39窃盗団

ふかくこの性を愛すべし

おおかみこどもの雨と雪

たとえば檸檬

カミハテ商店

Drive


(以上12本)


◆たぴおかベスト・ランキング2011◆


ヤコブへの手紙 

悲しみのミルク

未来を生きる君たちへ  ブルーバレンタイン 

アリス・クリードの失踪

蜂蜜

歓待

ツリー・オブ・ライフ  四つのいのち  アジアの純真

症例X  監督失格

灼熱の魂  アンチクライスト  ふゆの獣 

名前のない少年足のない少女

光のほうへ  わたしを離さないで  

無言歌

キック・アス  家族X  NINIFUNI



◆たぴおかベストランキング2010◆

第1群

ヘヴンズ・ストーリー(瀬々敬久/日)

息もできない(ヤン・イクチュン/韓)

キャタピラー(若松孝二/日)

フローズン・リバー(C.ハント/米)

第2群

歓待(深田晃司)
パレード(行定勲)
半分の月がのぼる空(深川栄洋)

第3群

・イングローリアス・バスターズ(クエンティン・タランティーノ)
・白いリボン(ミヒャエル・ハネケ)
・隠された記憶(ミヒャエル・ハネケ)
・海炭市叙景(熊切 和嘉)
・シルビアのいる街で(ホセ・ルイス・ゲリン)
・パラノーマル・アクティヴィティ(オーレン・ベリ)


三島由紀夫VS東大全共闘/ジョン・F・ドノヴァンの死と生/神に誓って/刺青/イディオッツ/ソドムの市

2020年3月5日~22日



『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』
豊島圭介
監督
2020年 日本 1時間48分 ドキュ
キノシネマみなとみらい
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いやーー、面白かった。
知的コーフンとはこのことだ。

三島由紀夫が討論をする。
つまり、真剣に言葉で闘う。
その貴重なフィルムをたっぷり見せてくれるのだ。
彼が喋ればそれだけで、その辺の色恋小説より何倍も面白い。

しかも前半はしょっちゅう吹き出した。
真面目な顔で可笑しな逆説めいたことを言う。
討論会場にも笑いが巻き起こる。
上質のユーモアは知的な証し。

安田講堂が陥落して4カ月後の5月。
東大駒場900番教室で迎え討つは、全共闘1000人と若き論客の猛者たち。
「論破して切腹させろ」と息巻いて殺気立つ場内に、三島は文字通り「決闘」のつもりで単身乗り込む。

なんといっても三島の凄いのは、討論といっても決して相手の揚げ足をとったり見下したりせず、むしろ学生たちをリスペクトして丁寧に「対話」していることだ。
自分のことを常に「ワタクシ」と呼称する。
口論としての勝ち負けにこだわるのは以ての外。
独りで1000人を「説得」しにかかっているのだ。

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さすが言葉に責任を持ち言葉に魂を宿す作家だ。
相互の「言葉の有効性」がどこまで共有できるかを測りながら、真摯に相対す。
学生側もいっぱしの知識人レベルで、なかでもいちばんの切れ者・芥正彦は哲学的論考においてはむしろ三島を凌駕していた。
(ただし彼との一騎打ちは観念論すぎて途中で横槍が入り、仲間同士の怒号・口論も生じる。たしかに芥氏の論戦は高踏的で僕もついていけなかった。その後、小阪修平が軌道修正して天皇論という本丸に入った)

テーマについて交わるところと平行するところを探っていくが、左右立場の真逆な両者は、よくあることだが実は闘いの「目的」はほぼ共通しているということが判明してくる。

三島は冒頭から「教養主義と知識人のうぬぼれの鼻を叩き割った」と全共闘の功績を認め、反知性主義に同調する。
違いとしては、三島が「天皇」に対する敬愛や「国家」に帰属することへのこだわりが際立つことだが、全共闘も突き詰めれば「反米愛国」の活動だということは三島も理解しており、総じて対立ムードにはならない。

むしろ共産党系「民青」と激しく対立していた全共闘が、民青の牙城である駒場で、しかも三島を壇上に上げるという“反動”(笑)を成し遂げたという奇跡は、その場でケミストリー的な「共闘」とも言えるものを産みだしていた。

突き詰めれば、双方にとって「敵」とは、「ワイセツでふにゃふにゃのニッポン国」なのだ。

そして最後は「諸君の熱情は信じます」と締めくくって去って行く三島。
本人もあとから「実に面白い体験だった」と語ったという。

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その1年半後、自決する。
この討論会でも、それを匂わせていた。

「私は合法的暴力は認めないが、非合法的暴力を否定したことは一度もない」
それは「決闘」の精神だ。
「いざとなったら非合法に闘って自決でもしようと思う」


こんな言葉の真剣勝負ができる人を、今僕らは見ることができるだろうか。
生前の大島渚でさえ、「朝まで生テレビ」では自分の恫喝的発言で番組の演出に一役買ったりしていたし、あの番組自体も揚げ足取りと自己顕示欲の醜い争いでしかない。

もう少し死なずにいてくれたら、大島渚との真剣勝負も見られたかもしれないと思うと、惜しすぎてあらためて無念。
現在生きていたら瀬戸内寂聴とほぼ同じ94歳。
この安倍政権下では狂い死にするだろう。

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TBS所有の貴重なフィルムをできるだけ切らずに流しつつ、社会背景や用語についてわかりにくい部分は、内田樹、平野啓一郎、小熊英二という3世代の知識人がわかりやすく解説してくれる。
並行するインタビューでは、当時参加していた全共闘メンバー、三島の私設民兵組織「楯の会」メンバー、TBS記者小川邦雄、親交のあった瀬戸内寂聴などが内情を明かす。
三島の意外な一面がいくつも紹介されて、実に愉快だ。

気になったのは、当時の討論会場に女性の人影がほとんど見当たらなかったこと。
映画全編を通しても、女性はインタビュー出演の瀬戸内寂聴のみ。
当時の運動自体、女性参加比率は圧倒的に少なかったのだろうが、その日参加していた知名度のある女性もいる。
上野千鶴子もその一人だという。
東大=男性=エリートという当時から続く権威主義を見直す意味でも、出演交渉してもらいたかったものである。




『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』
グザヴィエ・ドラン
監督
The Death and Life of John F. Donovan 2018年 加・英 2時間10分
新宿ピカデリー
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スター俳優と私的な文通を6年間続けていた小学生ルパート。
少年もまた子役から俳優を目指していた。
大人と子供、それぞれの痛切な内面が、主に少年の視点で語られる。

スターのジョンが死んでしまったあと、ルパートは大人の俳優としてジョンと自分の過去の実相を語り出す。

ルパートはなかば強引にある女性ジャーナリストに取材させるが、「なぜ忙しい国際ジャーナリストの自分に取材させるのか」訝し気な彼女に、ルパートは詰問調で問いかける。
その言葉が強い印象を残す。

――遠い世界の大きな悲劇や貧困や差別に対して、こんな個人的な小さな案件が取るに足らないものだとどうして言えるのか?
――僕らのこの悲しみは贅沢な人間の甘えた悩みなのか?
 (文面は不正確。要旨として)

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ジョンがルパート少年を文通相手に選んだのはたまたまだろうが、運命的な糸でつながってはいた。
スター俳優も子役も、いずれも複雑な家庭環境におかれていた。
ジョンも大人としての苦悩があり、ルパートも学校でイジメにあっていた。
お互いが励みや癒しになっていただろう。
しかし6年たったある日、ある事件で瓦解した。

大人あるいは業界のルール上、大人は嘘をつき、少年はひどく傷ついた。
イジメの対象だった少年にとって、いくら正直を貫いても、学校生活でも、家庭の母親との関係でも、信用を失くす結果となってしまった。

善人として登場するクラス担任こそが、はじめにルパートを信じなかった時点で罪が重い。
僕はそう感じ、腹立たしくて仕方がなかった。
(前回のブログで、子どもたちがいつも犠牲になるこの世の不実さを嘆いていたのだけど、この一本もそう)


ところでこの映画は、ジョンの私生活をなぜ文通相手の子どもの視点を通して語らせたのだろうか。
大人にしかわからないことを、いくら文通相手でも子どもに語れるわけがない。
ジョンの謎に包まれた病的な、あるいは病気そのものや、性的指向などは、同時並行でジョン自身の視点で描かれるが、それは死後も(観客以外には)どこにも明かされていない。

大人のジョンの周囲も、言ってみればイジメだらけ。
母の人生も、挫折を繰り返す。
その悪しき皺寄せが、子どもにふりかかる。
大人も子どもも、イジメの構造は相似形であり、子どものイジメは大人に由来するのだ。
そこに焦点を当てて明示する意味で、手法は成功していたのだろう。

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X.ドラン監督特有の、華やかな高揚感と切実な悲愴感が両立した作風。
悲しみは深いけれど、決して暗くはない。
ラストに希望の含みを与えられたのは誰だっただろう。
それを多くの人と共有したいと思っているのは勿論X.ドラン監督。

★★★☆



『神に誓って』
ショエーブ・マンスール
監督
In the Name of God 2007年 パキスタン 2時間48分
ユーロスペース
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2007年制作のパキスタン映画。
日本では4年ぶりの上映で、前回のイスラーム映画祭での大好評以来、多くの人に待たれていた作品である。
今回は大トリとして満員札止めとなった。

インド映画のような熱量と、中東映画のように深遠な指向。
加えて劇中での音楽を駆使したポップなつくり。
本国でもインドでも大ヒットしたと言われる通り、期待にたがわぬ社会派娯楽映画の傑作。
ほかでもなくパキスタンでこのような作品が作られていることに驚嘆する。

宗教・人種・女性差別・テロなど、ムスリムとして宿命的に持つあらゆる理不尽を、9.11をひとつの大きなモチーフとして、凝縮して総ざらえ的に描く。

パキスタンにルーツを持つ3人の若者たちが、単に青春を謳歌しようとするときに、いつのまにか負のループのように強いられる苛酷な道行きを、慟哭の叫びに変えて告発する。

そのメッセージ性を持つ圧倒的なドラマは、国際性と普遍性に富み、遠きにあることの自分たちに障壁を感じさせず、誰の胸にも激しく迫るものがあるだろう。

本国やインドの人々、あるいはムスリムにとってはとくに終盤、「イスラム教にとって音楽は罪か」「異教徒との結婚とは」という核心を突いた提議が裁判所で穏健派と急進派との間で争われることになり、大真面目な教義教育映画にもなっている。

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パキスタンの都市でバンド活動をしている兄弟のうち、兄はアメリカに音楽留学し、弟はムスリムの師に出会って急進的な思想に洗脳されていく。

英国で生まれ育ちムスリムの父を持つ女性は、“白人”の恋人がいるにもかかわらず、イスラムの教義に固執する父親の策略でパキスタンの寒村に連れて行かれ、アルカイダに入った従弟と結婚させられる。
彼女はもちろん怨讐を膨らませ、巌窟王のように機を窺う。

アメリカの兄は“白人”の恋人と結婚したばかりで9.11の悲劇を目の当たりにし、しかもパキスタン人だというだけでビンラディンの仲間との容疑で収監され、非人道的な拷問にあう毎日。

こんな3人に平穏な日は戻ってくるのか??

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まったくとんでもない話だが、実際はまったくよくある話だ。
唖然としながらも、感情を揺さぶられる168分。

主演の女優がどこから見ても美しいのでいつまでも飽きずに見ていられるのは、少々長尺の作品にはありがたい。

まだ13年しかたっていないが、全編セピアに変色している。
オリジナルネガフィルムもマスターフィルムも消失してしまったということで、仕方がない。
リマスターもできないし、DVD化もできない。
まさにレアなフィルムになってしまった。
この先いつまで見ることができるのだろう。

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予告編動画はこちら↓
https://www.youtube.com/watch?v=lEjmukveCco

★★★★



『刺青』
増村保造
監督
1966年 日本 1時間26分
角川シネマ有楽町
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主人公・若尾文子が飄然と恋人を利用し次々と男を毒牙にかける、絵に描いたようなファムファタールぶりに、場内ところどころで笑いが起きていた。

この谷崎原作の文学上あるいは映画文脈上の評価はさておき、この思わず洩れてしまう笑いにこそ、この作品のひそかな愉しみの本質があるのではないか。

若尾文子のセリフの気っ風のよさ。
シナリオ(新藤兼人)のセリフ配置の単純明快な痛快さ。
リアリティより劇画的な展開重視。
主人公同様の竹を割ったようなテンポのよさ。

その辺がこの映画のツボだろうと見た。

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加えてもちろん、そそるツボは、
若尾文子の馥郁たる色気と、ふくよかな白き柔肌の肌理。
決してスリムではない中肉の官能。
その背中に八本足で憑りつく人面蜘蛛との対照的にグロテスクなエロス。

篠突く雨も、綿々と降る雪も、闇を背後にして照明で浮き出る美しさ。
(撮影・宮川一夫

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思いのほか唐突に血まみれの惨劇になるラストも、総じてタランティーノの好みそうなポップな作風の終幕にふさわしかった。

★★★



『イディオッツ』
ラース・フォン・トリアー
監督
The Idiots 1998年 デンマーク 1時間57分 DVD
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「ドグマ95」第2弾作品
知的障碍者たちが、レストランで、街なかで騒いで人々に接触し、からんでいる。
あるいはパニック症状を起こしている。

ところが演技だったことがすぐ明かされる。
無銭飲食のため? 悪ふざけ?


・・・「内なる愚者」を露わにする。

それは差別・偏見の視覚化であり、
自己欺瞞の自覚化であり、
社会の偽善への挑発である。

そんな街頭演劇的で、イデオロギーの実践のような理念。

そういうとかっこよく聞こえるが、やっていることは見た目大人げないお騒がせな迷惑行為であり、
自堕落でアンチモラル生活である。
そんな彼らが10人ぐらいでコミューンのような共同生活を送っている。

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ブラックで痛烈な風刺を利かせた話だと思って観ていた。
トリアーのことだから、ドライにセンセーショナルに挑発して終わらすのかと。

ところが、だんだん予想外に道理にかなった話になってくる。
このくらいのことをしなければ現代社会の家庭や社会からのプレッシャーから逸脱することができないことをきわめて端的に物語る。
社会規範や権力に抗するための、必要なメソッドあるいは処方なのではないかと思える展開に。

そしてウェットな感触になってくるのも意外。
サンサーンスの「白鳥」が何度も使われるのも、それに一役買っている。
(「ドグマ95」の誓いのメソッドに照らせば、その劇伴はルール違反のはずだ)

白痴の純粋さを持つ青年と厳格な家庭から逃げてきた女性が、純愛を確かめ合う。

自由と解放によって、思わぬ「癒し」が得られている。

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愚かでいること。
それは自由でいること。
目的からも、利益からも、属性からも、逸脱すること。
解放されるということ。
それはレメディであるということ。

★★★★



『ソドムの市』
パオロ・パゾリーニ
監督
Salò o le 120 giornate di Sodoma 1975年 伊 1時間57分 DVD
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「元祖トラウマ映画」というものがあるとするなら、それは一体どこまで遡ってどの映画なのか、思い巡らすとガゼン興味が湧いてくるが、パゾリーニ作品がジョン・ウォーターズの極めつけバッドテイスト『ピンク・フラミンゴ』などよりもずっとバッドテイストなのは、よく考えてみれば明らかなのだった。
そのジョン・ウォーターズが好きな映画として挙げている中にパゾリーニの『テオレマ』『ソドムの市』があるとなれば決定的だろう。

TSUTAYAの店舗で、filmarksによる「エログロ・トラウマ映画特集」なる企画コーナーがあって、D.リンチL.V.トリアーY.ランティモスなどが並んでいた作品のうち、観ていないものを手にとったのだった。

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『イディオッツ』は意外にも至極真面目な作品だったが、この『ソドムの市』は徹頭徹尾狂っている。
サド原作だと思えば、それはそれで納得するのだが、映像化するとトンデモ映画となる。

「トラウマ」になる基準はもちろん人それぞれだが、最大公約数的に言えば「エロ・グロ」「バッド・テイスト」「シュール」「不道徳・反社会的」「猟奇的」などの要素が主な項目となるだろう。

『ソドムの市』は、そのすべてだ。
「観た」ことをここで明かすこと自体、もはや尊厳を捨て恥辱を請け負い、自制心を欠いた行為である。

いかに時代背景や政治批判のメタファーとしてインテリゲンチャ式に意味づけられていようとも、スクリーン上に映っている即物的に嘔気を催す映像は美化されようがない。

それでもコワいもの見たさで観たいとおっしゃるならば、じっくり存分にスカトロなどもご賞味あれ。

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パゾリーニはこれを撮ったのが仇になり、完成後数カ月して惨殺死体で発見された。

★★☆

娘は戦場で生まれた/わたしは分断を許さない/いただきます ここは、発酵の楽園

2020年3月1日~8日

子どもたちは希望。
でもそう言う大人たちは、絶望を与えるばかりではないか。

正視に耐えないこの現実。
目をそむけることは許されるのか。

なぜ遠い場所の戦地にわざわざ行って日本の人に報道する必要があるのか?という問いに対して、安田純平氏は、
「遠い場所の悲惨な殺戮に関心を寄せない人は、きっと隣近所の人が死んでも大して気にしないんじゃないか」
と答える。

遠かろうが近かろうが、全てつながっている。
そういう感覚を持てないだろうか。

政治/経済/社会/教育/家庭・・・紙面はなぜ分ける必要がある?

原発/沖縄と基地/エネルギー問題/貧困/環境破壊・気候変動/食と農/教育/道徳/イジメ・虐待/ヘイト・民族差別//LGBTQとジェンダー差別/新自由主義経済/戦争・テロ/難民問題/入管の虐待/人身売買/医療ツーリズム/ひきこもり/自殺/少子高齢化/高度情報化/AI/宇宙産業/福祉/児童虐待/民営化/薬害/依存症/IR/SDGs/動物虐待/愛国/メディアリテラシー・・・
すべて境界はない。
地続きにつながっている問題だ。


そんな共通項の多い濃密な6本。
同一のキーワードが自ずと多くなる。
1本だけは、ヘビーではなく明るく子どもたちの希望に照らされている。
泣けたのは実はそのポジティブな1本のみだった。

※しかし、つい長くなってしまったので、<前編:ドラマ編>3本、 <後編:ドキュメンタリー編>3本に分けることにした。

<後編:ドキュメンタリー編>



『娘は戦場で生まれた』
ワアド・アルカティーブ&エドワード・ワッツ
監督
For Sama 2019年 英・シリア 1時間40分 ドキュメンタリー
イメージフォーラム
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子どもたちが次々と死んでいく。
市街地への爆撃で重傷を負って、血に染まった姿で運ばれてくる。
兄弟たちが震えている、泣きじゃくっている。
床は夥しい鮮血で覆われている。

なんと病院までが標的となる。

凄惨な犠牲者の数々を前に、僕でさえ目を覆いたくなる。
あなたは正視できるだろうか。

そんな中で生きている民間人たち。
子どもたちとお母さんたち。
食べ物はどうしているのだろう。
水道も止まった。
でも赤ん坊が生まれた。

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市民ジャーナリストである母はカメラを回し続け、爆撃による惨状を世界に発信する。
編集された1時間40分、生活の詳細は省き、身の回りの修羅場を見せ続ける。

それは一人の母・ワアドと、一人の赤ん坊・サマという小さな主語から見た、すぐ目の前の現実の風景。
とてつもなく圧倒的な暴虐の光景である。

驚くのは、明日の生死さえわからない日常の中で、家族や友人たちには笑顔が多いこと。
「夜中に背中があったかくなったと思ったら、娘が爆撃の音を怖がっておしっこを洩らしたのよ」
と言って面白おかしく笑いあう。
そんな夜もひっきりなしの爆撃。
いちいち驚き悲しんでいたらキリがないのだ。

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爆音の中、手術台に瀕死の妊婦が運ばれてきて、すぐに帝王切開が始まった。
赤子を取り出すと何の反応もなく、諦めムードが漂いつつも背中を叩いたりして全身を刺激していると、息を吹き返して泣き始めた。
母親も一命をとりとめた。
地獄の中にも神がいるのかとさえ思わせる、緊迫の感動シーンだった。

愛くるしいサマも、笑顔を絶やさない。
いつミルクを飲んでいるのか、わからないけれど。
美しき母ワアドは、弱腰になるときがない。
少なくとも弱味を見せない。
最前線で治療する医師の夫とともに、「逃げない」という意志を貫こうとする。
みんな桁外れの強さを持つ。

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「サマ」は「空」という意味。
空爆のない空を願って付けられた。
原題は『For Sama』
彼女を主題にすることは編集の最終盤で決まったことらしいが、結果としては大成功だと思う。

廃墟の街並みをカメラが上昇して俯瞰する。
ドローン撮影だ。
その状況でどうして可能だったのか、これは彼女の撮影ではないのかもしれない。

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ただ、今までのシリア内戦に関するドキュメンタリーはどれも生死の瀬戸際で撮られた決死の映像だったが、これは映像面では一線を画する撮れ高だということは確実に言える。




『わたしは分断を許さない』
堀潤
監督
2020年 日本 1時間45分 ドキュメンタリー
ポレポレ東中野
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「分断」あるところには、権力がある。

大きな権力に抗して、市民が声を上げることは大切で、民主主義の根幹であり実践だ。
ただ、自分が声を上げているまではいいのだが、青天の霹靂のように悲しみに襲われるときがある。

それは、仲間からの心ない言葉や無視だ。

国家権力に対峙するよりも、仲間だと思っていた人と対峙するのに気力を奪われてしまう。
それが、ここ日本の足元でも絶えず起こっている分断だ。

なぜそんなことが起こるのか。
分断を起こさせているのは誰なのか。
巨悪や権力が市民の弱味につけ込んでいるのか。
僕らの正義が互いに罰を与えようとしているのか。
あるいは関わりたくないことの言い訳に他人を批判するのか。

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ホリジュンは分断を見に行く。
世界中に分断があるから。
近くは入管、福島や沖縄から、遠くはパレスチナまで。

遠くに泣き叫ぶ子どもたちと怒りに震える親たちがいれば、行って目撃し、
近くに見えない弾圧があれば、見えるようにカメラで探る。

主語はできるだけ小さい方がいい。
との考えのもとに、堀潤は「わたし」個人として発信する。
そこで苦しめられている一市民を個人としてクロースアップし、小さな声を拾う。
元TVマンの特性を生かし、現場で自分の美声と巧みな聞き取り術を使ってカメラを回す。
ときに自分の姿も映しながら。

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世界は国家弾圧と分断ばかり。
主題は自ずと大きくなる。
喫緊の重要課題だけでも数知れず。
でも、大上段に振りかぶっても、見向きもされない、聞く耳を持たない。

そこで、ドキュメンタリーはどういう手段をとるか、最初の関門に突き当たる。
小さな庶民をとらえて小さな声を聞きつつ、自分事として捉えてもらう。
そこを入り口に、個人の心情をジャンピングボードにする。
そして地球上をつなぐ同時多発的な負の連鎖の地下水脈に視野を開いてもらう。

各地からのメッセージ映像には、すべて日本人のぼくらに何かを問い、促すものがある。
そう感じるのは、そう促す堀潤の暗黙のメッセージが秘められているからだろう。


分断とは、われわれ自らが自らの陥穽に陥ること。

小さなレベルではイジメとも似てはいないか。
国会前や辺野古基地前の、デモと機動隊との押し合いへし合いにも似ている。
上空から俯瞰してみれば、なんという狭小で無意味な争いだろう。

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小さな個人のわたしは分断をしていないか。
自分の正義感やこだわりが、他人の自由を妨げてはいないか。
見えない権力に、つい迎合してはいないか。
空気を読みすぎたり、空気に気圧されたりしていないか。

見えないものを見てみよう、語ってみよう。
知らないことはたくさんある。
知らなくても当たり前だから、知ろうとしよう。

自分がやらないことの言い訳に他人を批判することは、最も恥ずかしいことだと思い知ろう。
人を褒めよう。

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観に行った初日は、堀潤監督の挨拶スピーチと、ゲスト予定だったがウイルス禍で来られなかった岩井俊二監督との対談ビデオ上映。
盛況だった。




『いただきます ここは、発酵の楽園』
オオタヴィン
監督
2020年 日本 1時間21分 ドキュメンタリー
ジャック&ベティ
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なんで泣けるんだろう。
最後に宮沢賢治の詩でウルウルくるのは、そこに希望しかないから。
地に足のついたポジティブが、みんなの手からも目からもあふれてくるんだな。
「希望泣き」って、あんまり経験ない。

みんな、いい顔をしている。

このポジティブな作りって、人を動かす力があるよな~って思う。
まさにモティヴェイション。
賛同を得やすいし、やってみたくなる。

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人は自然に生かされている。
そう人が思えば、自然は人を守ってくれる。

そういう確信がもてるような実証を、この映画は次々としてくれる。


経済や商売においても、世界はオーガニックを求めてきているし、ビジネスもエシカルやウェルネスは「儲かる」という流れになってきている。

学校給食にオーガニックを取り入れることを最優先事項とした活動が広まりつつあるし、もっともっと加速していかなければならない。

すでに食と農を日常の課題に掲げて子どもたちの健康や自己サバイバルのための実践をしている人にとっても、この映画は大きく背中を押してくれるだろう。

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有機農法・自然農法について知れば知るほど、一般的に思われているような「高い」「面倒」という固定観念が偏見で無知でしかないことがわかる。
目に見えて結果が証明する。
医師や看護師にこそ知ってほしい。
化学物質のおかげで人間が健康になってきたという過信がいまだに医療業界全体を覆っているから。

もちろん食品の生産者や小売りの人にも。
天然酵母にこだわっている店でも、小麦の産地については知らないと答える。

この映画には、様々な先達の知恵と体験が詰まっているが、ここではその内容の紹介はしない。
まずはこの映画を観るのがいいし、観る機会のない人には、文末に監督オススメの本を紹介しておくので、参考に読んでいただくのがよい。

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人の命も動物や地球の命もおろそかにしているこの世界で、あらためて本来のまともな考え方を整理すると、ここに行き着く。
決してエキセントリックではない。
スタートもゴールもここなのだと思う。

「わかってる」という人も、実践するかどうかの問題だ。

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このドキュメンタリーの、何がそんなポジティブさを形づくっているのか。

まずは子どもたちの「おいしい顔」、「楽しそうな顔」、声、動き、素直な反応。
子どもだけじゃない、出てくる大人たちもみんないい顔をしていること。

音楽がいい。
ザ・ハイロウズがポップに心躍らせ、宮沢賢治の「星めぐりのうた」(坂本美雨)がぐんと上を向かせる。

ナレーションの言葉。
小雪の声は女優の才能をあらためて感じさせる。

アニメーションが凝っていて、可愛く、適確だ。

そして最後に、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の朗読。

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単なるドキュメンタリーというには、人を惹きつけるアイデアとイマジネーションがいっぱいで、酵母菌のようにふくれあがっている。

アウトリーチのための方法論としても、大いに学べる。

パンフレットもすばらしいのでオススメ。


<オオタヴィン監督お勧めの「発酵の楽園本」>

「土と内臓」デイヴィッド・モンゴメリー&アン・ビクレー =オオタ監督に映画制作を決意させた一冊。
「あなたの体は9割が細菌」アランナ・コリン
「長友佑都の食事革命」
「農業を株式会社化するという無理」(巻末の養老孟司と内田樹の対談がスゴイ)
「地産地消と学校給食」安井孝

レ・ミゼラブル/種をまく人/子どもたちをよろしく

2020年3月1日~8日

子どもたちは希望。
でもそう言う大人たちは、絶望を与えるばかりではないか。

正視に耐えないこの現実。
目をそむけることは許されるのか。

なぜ遠い場所の戦地にわざわざ行って日本の人に報道する必要があるのか?という問いに対して、安田純平氏は、
「遠い場所の悲惨な殺戮に関心を寄せない人は、きっと隣近所の人が死んでも大して気にしないんじゃないか」
と答える。

遠かろうが近かろうが、全てつながっている。
そういう感覚を持てないだろうか。

政治/経済/社会/教育/家庭・・・紙面はなぜ分ける必要がある?

原発/沖縄と基地/エネルギー問題/貧困/環境破壊・気候変動/食と農/イジメ・虐待/ヘイト・差別/新自由主義経済/戦争・テロ/難民問題/入管の虐待/人身売買/医療ツーリズム/ひきこもり/自殺/少子高齢化/高度情報化/AI/宇宙産業/教育/福祉/薬害/ドラッグ/ギャンブル/SDGs/動物虐待/愛国/LGBTQとジェンダー/メディアリテラシー・・・
すべて境界はない。
地続きにつながっている問題だ。


そんな共通項の多い濃密な6本。
同一のキーワードが自ずと多くなる。
1本だけは、ヘビーではなく明るく子どもたちの希望に照らされている。


※しかし、つい長くなってしまったので、<前編:ドラマ編>3本、 <後編:ドキュメンタリー編>3本に分けることにした。


<前編:ドラマ編>

神も仏もいない荒野で思わず初めて洩らす祈りの声のような作品たち。


『レ・ミゼラブル』
ラジ・リ
監督
Les Miserables 2019年 仏 1時間42分
ヒューマントラストシネマ有楽町
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パリ郊外のモンフェルメイユ。
ユーゴー「レ・ミゼラブル」の舞台。
その地が現在、犯罪多発地区の悲惨な人々の舞台として甦る。

腐敗した警察の、非人道的な警官たち。
多様な人種のるつぼで、「貧民」から脱出できない住民たち。

この対立軸に、小さな分断が同時多発している。

権力の横暴があって、
分断の集積があって、
報復の連鎖がある。

ここでも、ドローンで俯瞰してみれば、街角で卑小な者同士が不毛な軋轢を起こしているに過ぎない。
巨悪からしてみれば高みの見物程度のものだ。
そうやって気を逸らしているあいだに本当の権力者が株なんかを儲けてクルーズ船に乗っている絵が画面の裏側に透けて見えそう。
現代の縮図だ。

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ドキュメンタリーの現実には、劇映画はかなわないと思われて仕方がないが、これなら劇映画の価値は十二分にある。

これが初の長編劇映画となったラジ・リ監督自身、生まれも育ちも現住所もモンフェルメイユで、主にドキュメンタリーを撮ってきた。

なんと、すべて実話から生まれたという。
ライオンを盗んだ少年も。
ドローンを操り、追われた少年も。
ムスリムのカリスマも。
道理でノンフィクション的な強さを画面から放っていたのだ。

やたらと音楽で盛り上げたりエンタメしていないところも、リアル感を出していた。
アクションとカット割りだけで緊迫感が持続する。

演じる素人の少年少女も、感情を昂らせて駆け回っているところはありのままの姿かもしれない。
総じて若い息吹に湧きたっている。
監督も42歳だ。

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ムスリムの導師のようなカリスマ的存在・サラーが最高にかっこいい。
逮捕・服役の常連の様子で、警察や利己的・打算的な人間には目の上のたんこぶらしく、超然とした落ち着きでクールに厳格に人道的な判断を下す。
地区の住民たちにとって無謀な権力に対抗する裏社会の相談役なのだろう。
どんなに善人でも、だからこそケーサツにとっては危険人物なんだろうな。

警察を憎みながらも住民とのあいだで緩衝剤として取引する黒人のボスもいて、重要な役割を持つ。
子どもたちの親や、さらには警官たちの家庭の情景まで映し、衝撃的な事件が決して特異なものではなく、それぞれの生活背景と密接に絡んでいることを見せるのを忘れない。

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そしてラストショットの主役少年イッサ。
あたかもジョーカーが怨讐とともに立ち上がったように、卑劣な権力者に対して憤怒の炎を燃やして立ちふさがる。
その姿をかっこいいなどと軽々しく言えない。
少年イッサが悪のヒーローに祭り上げられるわけではないけれども、こうやって憎悪は増幅し連鎖し拡大していくのだ。

サルコジはこの地区を「社会のクズ」と呼んだそうだが、マクロンはこの映画を観て「解決策をなんとか打つ」と言ったそうだ。
それに対してラジ・リ監督は「(マクロンは)悪人のレベルはもうちょっと低いな」と評する。

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為政者の言葉ひとつで、末端のベクトルはいかようにも変わり得るのだ。

★★★★



『種をまく人』
竹内洋介
監督
2019年 日本 1時間57分
アップリンク渋谷
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イジメにあっている小学生の娘、チエ。
ダウン症の3歳の妹、いっちゃん。
その父と母。
精神科から退院してきた伯父、ミツオ。

仲のよさそうだった5人が、ある事件から一気に崩落する。
チエとミツオ、チエと母、妻と夫、ミツオと弟、加えて祖母たちも。
それぞれの内面の戦争が勃発する。
いや、ミツオが現れる前から始まっていたのだ。

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イジメ。
障碍者。
家族内の複雑な心理。
世間の偏見。
司法・福祉・医療の制度的しばり。
それらを凝縮して見せる。

しかも映画は、その関係性や人間のサガを濃密な縮図にしたうえで、多くを語らず、祈るように寡黙だ。
余計なものは一切なく、観る者は深く深く沈み込み、黙考する。

主人公のミツオとチエが押し黙っているように、沈黙は多くのことを示唆しつつ、映像が物語る。

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主演の岸建太朗が、難役をこなしながら撮影監督も要請に応えた。
そのカメラが撮る闇は深く、ときに暗すぎるゆえに目を凝らして手探りで対象を探す。

画家など異色の遍歴を経て映画を撮り始めた竹内洋介監督はこれが初長編作。
ゴッホの生き様と、東日本大震災の被災地に咲いた一輪のひまわりと、翌年に生まれたダウン症の姪に触発されたという。(姪は妹役で出演)

画家らしく、言葉での説明は極力排し、しかも終盤はカット数まで極端に省き、筋を追うのも難儀するくらいに挑発すらしてくる。
(ストーリーテリングの破綻か、すれすれの妙技か、僕にはわからない)


それぞれの涙にそれぞれの思いが結晶し。
光は、再び歩き出すところのみに射す。
希望は唯一、ひまわりの花に一点集約される。

「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ、何処にも光はない」(明石海人)
という言葉を彷彿とさせた。

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惜しむらくは、ラストショットの振り返るときのヒマワリが、デ・シーカ『ひまわり』に比べてしまうとあまりにも少なくて、あまりにも切なくて。
映画史に残る美しさというには、映像的に物足りない、自主映画の苦しさよ。

それでも何を差し引いたとしても、この映画の映画話法を超越した凄味に、ゆらゆらと揺さぶられた。


テッサロニキ国際映画祭 最優秀監督賞・最優秀主演女優賞(竹中涼乃/10歳)

★★★★



『子どもたちをよろしく』
隅田靖
監督
2019年 日本 1時間45分
ジャック&ベティ
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救いようがない現実。

「事実は小説より奇なり」とは言わせないために、徹底して絶望しかない実際を描いたのだろう。

普通のドラマなら省くところも、予想以上にとことん見せている。

後味がわるくても、正視するしかない。
わかっていても、目をそむけてはいけない。
自分とは切り離せないのだから、どんな人でも。

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家庭環境による虐待や貧困で不遇を被る側が、誰かを傷つける衝動に転化する実態。
つまり被害者が加害者に豹変する連鎖。

宿命に苛まれる大人と、大人(親)に苛まれる子供たち。
連鎖を断ち切れるのか。

最悪の結果になったさらにあとの、ラストが秀逸。

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この直前に『いただきます ここは、発酵の楽園』を観ていたので、あふれる希望から一転、全く対照的な絶望へ、オセロが一気にひっくり返されたような感じに。

元文科省の二人、前川喜平氏と寺脇研氏が企画したことで話題の作品。

★★★☆

ミッドサマー/Red/名もなき生涯

2020年2月26~29日



『ミッドサマー』
アリ・アスター
監督
Midsommar 2019年 米 2時間27分
TOHOシネマズ川崎
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不気味だ。
強烈なトラウマ映画だ。
『聖なる鹿殺し』以来の革新的不気味さ。
なぜこんなに薄気味悪いのか。

ひとつには、この明るさ。
主人公の女学生が絶望的な闇を抱えてきているのに、そして見ている我々の内側もじわじわと闇に覆われそうなのに、おかまいなしに陽の光が降り注ぐのである。
広がる風景は天国のようなまばゆさ。

ふたつには、祝祭そのものが奇怪さに満ちていること。
次から次に不可思議なことが起こるのに、地元の参加者たちはつねに穏やかで、にこやかに笑みを浮かべている。

文明国のなかの或る僻地で、コミューンのように暮らす人々の90年に一度の儀式。
土着の風習なのだろうが、民俗的なものかどうかも怪しく、カルト宗教のようにエキセントリック。
文化人類学的にはあり得ると言いたいところだが、今の文明国にはありえない奇怪さ。
その残酷さは、一部の民族の女性器切除などの非人道性を思わせるが、因襲・文化だからといって許せないレベル。

もはや風習を超えてカルトに極めて近い面が際立つ。
宗教となると一般に、エモーションはコントロールすべきものとして扱う。
その祝祭の参加者たちは、一様にその類の訓練ができているようで、外部からの客が取り乱したときにはマニュアル通りにコントロールする手助けをしてくれる。

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互いに異文化であることを容認できないあいだは、闇と光のように価値観が相容れない。
異界「ヘルシングランド」に入るとき、道を車で進みながら、カメラがゆるやかにぐるっと上下に反転したときから、全てがさかさまになったのだ。

闇の中からは光が見えやすいが、光の中では闇が見えにくい。
しかし、光満ちたところにも闇は必ず存在する。

女学生ダニーの闇からすれば、光も闇もくっきり見えていて、最終的には癒され、明るさをとりもどし、闇を見ない俗悪な男たちは闇に葬られる。

シュールなだけではなくて、ダニーの通過儀礼的なセルフヘルプ物語ともなっているフシはある。
俗物の男性たちなど外部の人間を利用するシステムがありつつ、制裁も容赦ないところは、儀式や共同体を強固に維持しようとする意図の戒律があるのだろう。

この共同体システム自体が、獲物を捕食して棲息するモンスターのようにも思えてくる。

下心とハンパな興味をもって見学するよそ者たちと同列の目線で観客も臨む。
阿鼻叫喚の事態に、痛いしっぺ返しを喰らうのは彼らもこちらも同じだ。

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『聖なる鹿殺し』(ヨルゴス・ランティモス)はオカルトの限界線を一歩踏み越えていたが、これはギリギリ一歩手前で踏みとどまっている。
つまりサスペンスでありスリラーではあるが、霊的な説明に依拠したオカルトではない。
ニンゲンの深層心理をドラマにするときには、この「オカルト限界線」に近づければ近づけるほど深いところに手が届くが、一線を越えてしまうとリアルな説得力に欠けてしまう。

その意味で、限界ギリギリのこの映画は、虚実が曖昧だがリアルな感触を与えてくれる。
ニンゲンの正体を白日の下にむきだしにしつつ。
妙にリアル感ある夢のように、革新的に薄気味悪いのだ。

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今年これ以上の「トラウマ映画」は出てくるだろうか。

平日でも混んでるんだけど、みんな大丈夫なのかな。
男性より女性客の方が多いのはある意味わかるが、インスタ映えする画像や明るさにつられて安易に見に行かないで。
ホラー好きな女性が観て、何人もバッドトリップを起こしている。
「夢に出そう」なことハンパない。

自然の抑えた光と色彩、広角でとらえた構図、細部に至るデザイン画など、音楽も自然もすべて美しい要素に覆われた場所での不吉な夢体験、いや、ドラッグ体験。
画像がウネウネと何気なく蠢いたりもしている。
ショッキングなシーンが多いので注意されたい。
こんなおぞましいものをR15ぐらいで済まそうとしてはいけない。
R25は必要だな。

外観とエログロの中身とがネガ/ポジ反転したギャップ感に、乙女ゴコロは萌えるのだろうか。
いや、これはフツウのホラーに飽きてきた人用の、一段階ちがうものだと心得ていた方がいい。

とにかくこのアリ・アスター監督34歳、素晴らしくとんでもない逸材だ。

★★★★



『Red』
三島有紀子
監督
2020年 日本 2時間03分
109シネマズ川崎
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車の中で、波の音だけが聞こえ、
部屋の中で風の音だけが聞こえ、
雪の中で彼女の息遣いだけが聞こえ、
雨の夜に雨の音が消えたり、ふたりの愛の音が聞こえたり。

そんな音の加減乗除がすばらしく、あざとくもなくきもちよく、主人公の主観と内なる声が伝わってくる。

ほどよい長回しも、生理的にもちょうどよく、じっくりと思いを巡らすのに十分な時間をくれる。
ただ、顔のクロースアップがやけに多くて気になった。

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さて、この原作小説(島本理生)を読んでないのでまともな批評はできなくてごめんなさいと最初に言っておこう。
『浮雲』のような恋愛至上主義的な物語だったら苦手だなあと思っていたら、この作品は想像とは違った。

ある部分、ジェンダーギャップをがっしり考えさせるフェミニズム的な硬派作品。
原作も監督も主役も女性だが、男にこそ観てもらいたい。

今まで古今東西どんな離婚劇でも、常にいちばん犠牲になるのは子どもだから、親の勝手な論理や感情で結論付けるのは大いに疑問視してきた。
同じ三島監督の『幼な子われらに生まれ』(2017)でも、離婚によって子どもたちがもがき苦しむ姿がメインに描かれていた。
私的な話だが、以前わが親戚にも家族を置いて新しい男性と出て行ったお嫁さんがいて、子どもたちも夫も悲嘆に暮れ、親戚中で彼女に対する非難が続いたのを覚えている。
しかし、この作品を観たら初めて、家族を置いて出てゆく妻の気持ちに少しシンクロできた気がした。

これは画期的なことだ。
もちろん、ラスト近くの別れの場面は悲しすぎて、いいとか悪いとか判断も結論もつけようもなく。
いや、つけてはいけない。

それでもそのあと、意を決して正面を向いて歩きだす夏帆の表情。
さらにつづくラストシーンの異様に紅い朝陽のなか、
「いきましょう」
と覚悟を決めて口にする夏帆の表情。

「行きましょう」ではなく「生きましょう」だと気づき、しばらくして『それから』森田芳光/1985)で松田優作に相対して藤谷美和子が発する「覚悟を決めましょう」に匹敵する乾坤一擲の一語だなあと感じ入る。

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夏帆の演じる女性は情愛に振り回されたり情に掉さして流されたりするタイプではなく、自らの意志を正直に自覚し自ら行動する自律型である。
既婚女性にこれだけ毅然と正直にされると、見ている男は何も言えない。

妻夫木は元から幸福顔で、『悪人』でもなかなか不幸に見えなかった不遇の顔なのだが、年季が入ってきたのか今回はツマブキ史上MAXで不幸が滲み出ているように見える。

夏帆の不幸顔は元からで見事にハマっているが、今度はそれに強さが加わった。
いよいよ本格派女優になってきたと感じる。
この三島映画との出会いが、彼女に幸運を呼んだと思う。


念のため記すが、「脱いだから」「大胆な濡れ場があるから」大女優に近づいたとか、一般的にそういう風に言われるキライがあるのは、あまりいいこととは思っていない。
今回は少なくともそうではないし、実はラブシーンが大胆な割にはほとんどヌードを見せていない。
むしろそこに違和感があるくらいに。

★★★★



『名もなき生涯』
テレンス・マリック
監督
A Hidden Life 2019年 米・独 2時間55分
TOHOシネマズ・シャンテ
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単にありふれた農夫である。
彼が成し遂げたのは、単に兵役を拒否したこと。
でも誰にもできないこと。
過激な活動家でもできないことを、思想犯でもない単なる善人が反逆罪となり、最後まで意志を貫き通した。
愛する妻と可愛い幼い三人娘と老母を残して。

実話である。

ユダヤでもないし、ただ首肯けばいいだけなのに。
ただ署名をすればいいのに。
死刑は素直に受け入れる。
妻が会いに来ても、目の前で見つめ合っても、決心は揺るがず。

キリシタンのように踏み絵をたとえ踏んだとしても、面従腹背で信仰心を曲げなければいいのに。
「単に誓いの言葉だけだ。心を変えなければいいんだ」
と何人にも忠告されているのに。

「君はそんなことで世界を変えられると思っているのか?」
「君にとって一体何の得があるのだ?」
と繰り返し問われる。
普通の人にはそれだけ理解できないことだ。

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彼はあるとき、ようやく口を開く。
「私はすべてを知っているわけではありません。だから正しいかどうかもわかりません。ただ、私には感じるんです。受け入れがたいことだと」(正確ではない要約)

最後には、(遺作となった)ブルーノ・ガンツが裁判長として堂々たる風格で登場して問う。
「宣誓を拒否する権利はあると思うか?」
「・・・拒否しない権利もありません」

ここには「人権」がすでにないと言っているのだ。
ヒトラーに忠誠を誓うかどうかなど、もはやクリスチャンとしての信仰心の問題でもない。
自己の良心・信念・尊厳の問題。

「なぜか?」と繰り返される問いには、初めから脳裡にガンジーの言葉を思い浮かべる人も多いだろう。

『あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。』

この言葉は、以来、世界中の多くの活動のモチベーションの拠り所となっている名言だ。

一方、映画は次の字幕で締めくくられる。

「歴史に残らないような行為が 世の中の善を作っていく。
名もなき生涯を送り 今は訪れる人もない墓にて眠る人々のお陰で
物事がさほど悪くはならないのだ」 ジョージ・エリオット

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名匠テレンス・マリックが誇るおなじみの、自然光と自然の環境音を最大限駆使した鮮明な画像とステディカムの動きで、大自然の切り立つ山から人の内面深くまで生き生きと写し取る。(撮影:イェルク・ヴィトマー
神に問いかけるような個人のつぶやきをナレーションで全編通して聞かせるのもお馴染みで、観客はそれを聞いて自分が問われているような心地がしてくる。

近年ごくパーソナルな内面を追う作品が続いていたが、久々に歴史的事象を扱った社会的テーマの作品だと思って観た。
ところが、今回も基本的にはパーソナルな視点から、戦争という大きな理不尽が小さな尊いものまで全て奪い去るところをささやかにひたむきに伝えてゆくのだった。

3時間のうち、前半の半分以上はアルプスの雄大な農場を背景に家族の情愛や哀切を、人物に肉迫した流麗なカメラと音で追っていく極私的な日記のよう。
ストーリーらしきものはシンプル極まりないものがあるだけなので、眠くなる人も多いだろう。
しかし、終盤はその効果と意義が俄然現れてきて、目の前の光景に圧倒されることになる。

「この自然は人間の悲しみに気づいていない」というセリフがあった。
最愛の家族に悲惨な思いをさせた主人公だが、最後には広大な草原や背後に聳える荘厳な山々は、名もなき一人の農夫の行為を明らかに称賛していた。

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ところで。

意外だったのは、国家に反逆した罪なのに、虐待や拷問をそれほど苛酷には受けていないこと。
日本だったら、絵を描いただけで、ちょっと疑わしい本を持っていただけで拷問されるし、下手をするとそのまま殺される。
サインすれば改心しなくても解放されるなんてことは絶対にない。
ナチスの「ゲルマン民族内」の取り締まりは、日本の治安維持法による取り締まりほど厳しくなかったのか。

もう一つ、見逃せない大きなこと。
アメリカ映画の傲慢さは巨匠マリックにおいても例外ではないのか。
オーストリアとドイツを舞台にした話で、当然ドイツ語を使うはずなのだが、みな英語を話している。
時々、威嚇的に話す人や心がこもっていない人の言葉だけドイツ語になり、字幕も(日本語も英語も)つかない。
先日『ジョジョ・ラビット』でも指摘した通り、ナチスが敵性語を喋っているという致命的な欠陥商品にしてしまって平気でいられる心理って何なのだろう。
俳優はドイツ語を母国語とした人たちなのに。
アカデミー賞にはもはや「外国語映画賞」という括りすらないというのに。
韓国語の作品がトップに君臨したというのに。

(前半も最後も「のに」ばかりになってしまった)

★★★★

原田芳雄特集上映/COMPLY+-ANCE/ドン・キホーテ/ジョジョ・ラビット

2020年2月15日~25日


<原田芳雄 生誕80周年 特集上映>(2/22~28)

1940年2月29日に生まれ、4年に1回しか年をとらないから今年ようやく二十歳だという。
2011年7月19日に没してからもう8年半。

ユーロスペースでは1週間、石橋蓮司桃井かおりなどのゲストをトークに迎えて、多くの出演作からわずかながらも全10本を上映。

ぼくの鑑賞時は、妻夫木聡阪本順治、あるいは勝村政信、実娘の原田真由が、主に原田邸で毎年行われた恒例の餅つき大会に関して、常連参加していたメンバーの一員としてプライベートの思い出話を語ってくれた。

親子ぐらい歳の違う若手俳優に対して、リスペクトをもった可愛がり方をする「ヨシオ」(みんなこう呼ぶ)。
「血縁ではなくとも家族」と言っていたように「族」を大事にし、人の集まりが大好きなヨシオの素顔の一端を知ることができた。



『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』
森崎東
監督
1985年 日本 1時間45分
ユーロスペース
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これは名作だ。
シナリオの勝利。

しかも今じゃレアな1本。
2012年にDVD化されたというが、考えてみればよく廃盤にならずに済んだとも言える。
なんせ、内容的にあちこちのムラの人々をざわつかせることになるから。


美浜原発のサイレンが幾度となく村に響き渡る。
また廃液漏れだ。
原発ジプシーたちはその度に夜中でも駆り出され、曇ったヘルメットを被り、放射線量の高い水でビショビショになって作業する。
ときには炉心近くまで入り込んで。
見えない内部被曝も当たり前、足は外部被曝で腐っている。
「その場で死人が出ても放っておくしかない。夜中にヘリが飛んできて、ドラム缶にコンクリ詰めにした遺体をこっそり電力会社がどっかに運んでいくんだ」

こんなセリフに代表されるように、原発業界の闇を告発する。
真偽はともかく、あり得る話だと思っている。
原発ジプシーと呼ばれる男たちは、ワケアリゆえに蒸発しても誰からも気にされない身分の流れ者。

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当時は今ほど風当たりが強くなかったのか、よく作れたものだ。
完成から2年ほどたってようやく公開にこぎつけたという。
その1年後にチェルノブイリ原発事故が起き、警告を先取りした恰好だ。

日本でも同様の未曽有の事態になった2011年以降は、事故によって反省どころか、より一層批判をオフレコにしなきゃならない空気が蔓延しているという、この国の転覆ぶりに気を失う。

今こうした映画は作れないし、撮っても公開は無理だろう。
今年公開されるのは、『Fukushima 50』という「頑張った人を礼賛する」タイプの、誰も批判できない大義名分のある映画。

加えてこの映画は、「ジャパゆきさん」問題や、地元の原発利権をめぐるヤクザと警察の癒着、オキナワ復帰の残滓などが盛り込まれていて、社会問題を痛烈に風刺した悲喜劇だ。
喜劇は悲劇を含んでこそ、とはいえ、これが喜劇というにはあまりにも悲壮感が漂う。

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主人公の原田芳雄(宮里)と倍賞美津子(バーバラ)は、若くして沖縄のコザ暴動で知り合い、本土復帰前に逃げるように密航してきた同志。
戸籍もない状態で本土で生き延びていくしかない二人は、文字通りジプシーとして全国の原発を渡り歩き捨て身の作業をして回る男と、スーツケースを引き摺りストリップ小屋を行脚する女となり、15年間生きてきた。

いまや腐れ縁となった二人だが、ヤクザの手先という身分からなかなか足を洗わない宮里に対して、そろそろ引退して身を固めたいバーバラは身が捩れるほどヤキモキし、しまいに愛想を尽かす。

名古屋と思しき街の一角にある沖縄居酒屋は、沖縄出身者の集まるアジトのよう。
コザから救い出した赤ん坊は、今は不良中学生となって仲間と一緒に担任(平田満)を誘拐する事件を起こす。
福井の原発銀座の労働者相手に売春婦をさせられている娘アイちゃんを匿っていたが、彼女はなぜか突然帰ってしまう。
それを機に、中学の担任を従えたバーバラも、不良中学生たちを従えた宮里も美浜に集まってくる。
アイちゃんは原発事故勃発で負傷した男を匿い、恋仲の二人は一緒にヤクザから逃げようとしていた。
同時に、ともに売春させられていたフィリピン人のマリアも連れて行こうとしていたが、それが祟ってヤクザに狙撃される。
宮里がヤクザに協力して殺したと疑われるなか、マリアだけは密航で逃がそうとみんなで画策する。
追い詰められた港で警察とヤクザに対して、銃撃を始めたのは宮里だった。
犠牲になる宮里に代わってバーバラは一発また一発と狙撃していった。

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ヨシオ45歳時の作。
しかしこれは原田芳雄よりもダンゼン倍賞美津子が主役だ。
森崎東監督は現在92歳で健在。

★★★★



主演の原田のみならず、監督も一緒に追悼したい鬼籍コンビの作品2本。

『われに撃つ用意あり』
若松孝二
監督
1990年 日本 1時間46分
ユーロスペース
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1990年、新宿を舞台に撮られた、全共闘世代への郷愁に満ちあふれたドラマ。
移民たちを宿す多国籍な街となった今でも、ヤクザと警察がつばぜり合いをする闇の世界。
そこからひとりの国籍不明の若い女性が逃げ出してきた。

店じまいの準備をするスナックのマスター(原田芳雄)は行きがかり上、彼女をかくまうことになる。
のっぴきならない事情を察し、やがて意を決してヤクザと刑事を敵に回して逃亡劇を繰り広げる。

終盤はただの全共闘くずれのスナックオーナーから一転、正義のガンマンに変身し、往年のアクションスターよろしく走って殴ってドンパチやり合い、捨て身のヒーローとして彼女を逃がすのに成功する。
去り行く彼女の涙を知る由もなく。

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後半に行けば行くほどハードボイルドなのだが、全般的にクールというより昭和ロマン(平成に撮られているのに)という感じなのは、原作『真夜中の遠い彼方』佐々木譲/1987)のゆえか。
街の風景も人々も昭和感たっぷりに見えてしまうが、今から30年前ともなると、そう錯覚するのもやむを得ないのかもしれないな。

スナックの閉店パーティーに次々と押しかける客たちは、かつての全共闘仲間で今はそれぞれの道でそれぞれの成り行きを持つ身。
かつての同志・桃井かおり、山口美也子、小倉一郎、西岡徳馬、斎藤洋介、そして呑んだくれに身をやつした石橋蓮司など。

原田芳雄50歳のとき。
まるで彼のお別れパーティーに集まったかのようなその光景は、生前葬か復活祭を連想させ、死後9年たった今また味わい深い。

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歌舞伎町コマ劇場前、新宿プラザ・ミラノ座のあいだの広場は、まさしくメモリアルとして瞼に残る。

★★★☆


『ツィゴイネルワイゼン』
鈴木清順
監督
1980年 日本 2時間25分
ユーロスペース
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とにかく原田芳雄の匂い立つような魅力と、荒武者のような凄味と、はらわたに響く声に圧倒される。
これで齢40というのだから、貫禄にたまげる。

もうほんとうにこんな俳優は出てこない。
惜しくてたまらない。


難解というか、わからなくていい映画。
昔見たのかどうかはっきりしないが、これ自体、幻のような映画であるし。
今日見ても言葉がないし、明日語ろうとすれば、批評の不毛さに言葉が挫ける。

内田百閒『サラサーテの盤』が原作だというのは初めて知った。
脚本は田中陽造

お高く留まってるわけではなくて、むしろ諧謔性に富んでいる。
けっこう頬をゆるませながら観ていられる。
どこを切り取っても色んな楽しみ方ができる奥深さ。

むしろ、ストーリーを読んだらシュールすぎて虚しい。
幻想的と言ってしまえばそれまでだが、画面上の見せ方に清順美学が詰まっている。
老成円熟した大林宣彦がいくら頑張っても、この天上界にはやってこられない。
『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』も及ばない、遊びゴコロと耽美主義の極致。

場面転換の独特さに関しては、大正ロマン三部作の『夢二』に到るとさらに進化しているので、ここはまだ中継点のよう。

拍子木の音などを使った劇伴も、おどしのようで何におどしているのかわからない(笑)
しかしサラサーテの楽曲をはじめとした劇伴はそれだけでも耽溺できる。
音楽監督は河内紀

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サスペンスだったり、シュールレアリズムだったり、エロチシズムだったり、大正浪漫だったり、耽美派だったり、高等遊民だったり、悪漢小説だったり、不道徳教育講座だったり、懐古趣味だったり、淫靡だったり、フェティシズムだったり、オカルトだったり。

深い穴の中を探って手を突っ込んでも、色々と触感は艶めかしいが何も掴めない。

大谷直子大楠道代が、想像以上に官能的で綺麗だった。
ヤバイ、と唸らせるショットが数知れず。
蒟蒻をちぎりつづける大谷直子もよかったし、男の目の中のほこりを舌で取り除く大楠道代のショットは、その後エロス・オマージュの対象になったのではないか。

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ただ、原田芳雄が死んでからの終盤はつまらなく感じてしまったのは僕だけだろうか。
主演である藤田敏八監督も勿論いい味を出しているのだが、芳雄なきあとは冥界との境を彷徨ってしまい、観ている方も寂しい。

現実には、ビンパチさんの方が芳雄より14年も早く逝ってしまうのだが(8歳年上)。

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鎌倉を舞台として、切通しを何度も行き来するのが印象的で、訪れて幽玄に触れてみたいと思う。

大井川に架かる島田市の蓬莱橋も出てくるが、子どものころよく遊んだ場所だけに個人的に思い入れがあり懐かしい。
築百数十年を誇る木造の長さ1km近い橋は世界でも類をみないということを後から知った。
劇中では大正期、渡り賃「三銭」
僕のころは10円。
調べたら今も子どもは10円だという(大人100円)。

★★★☆



『COMPLY+-ANCE コンプライアンス』
総監督・他:齊藤工  監督:飯塚貴士、岩切一空
2020年 日本 1時間10分 アップリンク渋谷
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斉藤工がコンプライアンスや自主規制をテーマにしたというので、おおっ、ついに硬派な彼が忖度なく果敢に攻めに出たかっ!と期待をしたのだが、どうやら期待し過ぎてしまったようだ。

「表現の不自由」や「ポリティカル・コレクトネス」の功罪や真相について深く追及してくれるのかと思ったら全然で、コンプライアンスに過剰反応している末端の人々を揶揄しているだけで、自主規制をキツくさせているそもそもの原因について言及すらしていない。

政権を批判しないブラックジョークだけだったら、TV出演可能なコントグループで十分だ。
映画にしてまで作りたかったのが、これか。

冒頭で齊藤自身がパリのバスティーユ広場でのデモを自撮りしている映像は、ただのポーズだったのか。

おりしも、東京五輪、愛知トリエンナーレ「表現の不自由展」、ドキュメンタリー『主戦場』、様々な差別問題など、タイムリーで重大な問題が目の前にゴロゴロあるのだが・・・

この国家が本当に話題にしてほしくないコンプライアンスを取り上げない映画ならば、話題にしてほしくない。
いや、話題になっていない。
客がスカスカだったのも当然だ。

★★☆



『ロスト・イン・ラ・マンチャ』(キース・フルトン、ルイス・ペペ)
Lost in La Mancha 2001年 米・英 1時間33分 ドキュメンタリー amazon prime
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『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』(テリー・ギリアム)
The Man Who Killed Don Quixote 2018年 スペイン・ベルギー・仏・英・ポルトガル 2時間13分
TOHOシネマズシャンテ
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これを観る際には事前に『ロスト・イン・ラ・マンチャ』を観ておいた方がいい。
企画開始から30年もの年月がかかっており、最初の10年で暗礁に乗り上げた時点で「呪われた映画化」の顛末がメイキングフィルムに収められているからだ。

10年目にしてクランクインがかなったと思ったら、撮影早々に乾燥地域なのに大雨と鉄砲水で機材も地形も復旧不能となり、ドンキホーテ役も椎間板ヘルニアで長期入院に。
保険や版権の問題、出資者や資金繰りの問題などで、その後何度もご破算。

当時の主役はジョニーデップだったが、その後はユアン・マクレガーを経て今回のアダム・ドライバーに。
ドン・キホーテ役は馬を乗りこなす老人というハードルがあるためさらに難航。
当初のジャン・ロシュフォールが再起不能となって以降、ジェラール・ドパルデュー、ロバート・デュヴァル、ジョン・ハート、そして最終的にジョナサン・プライスになったというわけ。

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様々なものが失われた30年の経緯の末に、ここでアダム・ドライバーとジョナサン・プライスが躍動しているのを見ると、それだけで感慨もひとしおとなる。
みんなが言うように、まさしくテリー・ギリアムこそがドン・キホーテ。
風車を巨人と思い込み立ち向かってゆく老体は、妄想を妄想と思わず現実化して欣喜雀躍する監督と重ねて誰もが見てしまう。

★★★☆



『ジョジョ・ラビット』
タイカ・ワイティティ
監督
Jojo Rabbit 2019年 米 1時間49分
TOHOシネマズ川崎
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ナチスドイツを題材にしているのに、ドイツでドイツ人がみな英語を喋っている。
それを観てどう物語に入り込めと言うんだ??
「アメリカ人・イギリス人は悪魔だ、人を食うんだ!」とドイツ人が吹聴するその言葉自体が英語では、まるで道理が通らない。
意味不明だ。

物語が国籍を問わないのであれば、まあ許せる場合もあるが、こと戦争相手同士でそれをやっては致命的だ。

いまや米アカデミー賞も外国語作品が最優秀作品賞を獲るような時代になって、何を今さら英語にこだわっているのか皆目見当がつかない。
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ものすごく悲しくて怖い話なのに、軽やかな喜劇に見せる手腕は、悲喜劇の切なさを表現していて巧い。
それだけに、惜しい。

★★★☆


<他の鑑賞作品>

『オールド・ボーイ』(パク・チャヌク)Old Boy 2003年 韓国 2時間 Netflix ★★★★



トーキョーノーザンライツフェスティバル2020

2020年2月11日

10年目を迎えた北欧映画祭『トーキョーノーザンライツフェスティバル』
実は会場の渋谷では、熱く支持されて毎年盛況なのです。

世界認識を深く鋭く抉り、ときに冷たい戦慄とともに、ときにおどけたウィットで、なべて鮮烈に発信する作品群は、商業主義や予定調和とは無縁な、作家のダイレクトな感性と発想が味わえて、良心的な作り手(作品選定D含む)と観客との信頼感さえ生まれているような気がします。

局所的にホットなここユーロスペースに、今年はワンチャン一日だけ来ることができました。
実に示唆的な3作品。
どれもロードショー公開はしていないが、とくに最初に紹介する1本は近いうちに公開されることを願わずにはいられない、日本にも「必要な」作品だと思います。



『陰謀のデンマーク』
ウラー・サリム
監督
Sons of Denmark 2019年 デンマーク 2時間00分 
ユーロスペース(ロードショー未公開)
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圧巻。
おそろしい。
今の社会が。
ニンゲンが。
自分が。


2025年のデンマーク、コペンハーゲン。
街中でいきなり爆破テロが起きる。
国内史上最大の惨事。

1年後、極右政党が勢いをつけ大統領選挙を賑わしている。
移民排斥を主張するカリスマ党首と、彼を支持するネオナチ集団「Sons of Denmark」。
彼らと敵対するムスリムテロ集団。

父を失った19歳のザカリアは、幼い弟と心配する母を置いて、ムスリムのグループに入り、極右党首を暗殺する役目を負う。

ムスリムの先輩マリクとともに計画遂行を図る。
指導体制も信頼のおけるものだった。
家族に黙ったまま最後の挨拶をしたあと、いざ実行へ。

(ココから、ネタバレ注意!)
(飛ばす方はこの次の写真まで飛ばしてください。公開未定なので気にしなくてもいいとは思いますが)

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ところが、見事に裏切られ、罠にはめられる。
マリクは、極右党首から感謝の訪問を受ける。
公安警察からのスパイだったのだ。

ここからが、実はさらなる本題に入る。
主人公はマリクに代わる。
新たな指令は、自分が罠に嵌めた服役中のザカリアに会いに行き、新たな情報ルートをつきとめろというもの。
断り切れずに会いに行き、罵倒されながらも家族との対面を実現させ、涙の再会を目の当たりにする。

大統領選を目前に、極右党首の背筋も凍る演説はさらに熱狂を呼び、当選が現実的になってくると同時に、移民であるマリク自身も危険にさらされる。
極右過激派「デンマークの息子たち」は新大統領の政策公約に調子をよくして、勝利宣言を機に大規模な移民殺戮を仕掛けようと画策していることを知る。

警察の上司は「党首と『デンマークの息子たち』が関係しているという証拠はない」とあしらい、「それより家族のそばで守っていろ」と言う。
しかしマリクは証拠をつかみ、上司を説得し大統領勝利宣言を控えめに行うように党首に直談判しに行く。

しかし、命の恩人であるはずのマリクに対しても、極右のカリスマは突っぱねる。
その時、不安が的中し、すでにマリクの愛する家族は・・・

そしてマリクは復讐の鬼と化す。
大統領就任の演説会場で、舞台袖からターゲットを狙うマリクの脳裏には、自分の家族や、ザカリアとその家族の回想が巡っていた・・・

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とにかく内容がすごかった。
そしてモーツァルトのレクイエムを使った迫真の演出。
クロースアップショットを多用した人物描写。
やや過剰な編集・演出は、この内容ならちょうどよいのかも。

パレスチナの映画『パラダイス・ナウ』でもそうであったように、イスラエルから徹底した武力弾圧が行われている状況下では、自爆テロぐらいでしか反撃できないというムスリム側の事情に寄り添った視点も必要で、そこをきちんと描いてくれている。


家族愛と民族の誇りが、暴力によって反転する。
愛と誇りがあるからこそ、それを蹂躙されると復讐心というバッドな感情に走る。

愛する美徳と、失う悲しみと、暴力・弾圧・不自由への恐怖と、復讐心。


ニンゲンたちの、人倫に悖る性(さが)が一気に露出してしまう。
見ている僕らも、しまいには主人公とともに標的を、
「殺せ、殺せ! しくじるな!」
胸中で叫んでいる。

おそろしい。

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難民・移民たちの押し寄せる欧州は、日本とはいまのところ決定的にちがう。
新自由主義の波を押しとどめても、ファシズムの分断と格差をつくる空気はいくらでも関門なしに伝播する。
ましてや、そもそも難民を作り出したのは欧米自身でもある。
そのブーメランが返ってくるのは当然だが、民衆はそのブーメランをよけようと必死になるのも当然だ。

この映画のすごいところは、現実を如実に見せるために時制をほんの少し近未来に設定して、今にもひび割れそうな卵の殻を実際に割って見せるところだ。
するとほら、あなた即死だよね、ココロも肉体も。
って話。

日本は「いまのところ」って書いたが、全体主義や独裁政治はもう始まっている。
その卵の殻をあえて割ってくれるような作品を作れるのか?
『新聞記者』はいいところまでいった。
でもまだ「これ、誇張しすぎだよね」「ほんとのことなの?」という声も多い。

ここまで危機的状況になったら、ここまで警告的な映画を撮れるのだろうか、日本では?
いや、ここまで作ってもまだわかってもらえないかもしれない。

★★★★☆




『ディスコ』
ヨールン・ミクレブスト・シーヴェシェン
監督
Disco 2019年 ノルウェー 1時間34分
ユーロスペース(ロードショー未公開)
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少年少女たちの煌びやかなディスコダンス選手権会場。
アップテンポのリズムと大音量、派手な衣装と明滅する照明が、冒頭から刺激的なシークエンスを披露する。
女王になったのは19歳のミリアム。
家族で喜びを分かちあう。

しかし、家族の様子を見ているうち、どこか違和感に気づく。
明るい表情の家族4人にはしばしば、ある不安が見え隠れする。

新興宗教の教団中枢にいる父親と、とくにミリアムがそりが合わないのだ。
継父である彼は、教義を生活において実践するように諭すだけでなく、ミリアムとのあいだに過去に何かあったらしい。
母親は何かを隠している。

ある日、ミリアムはコンテスト中に卒倒してしまう。
宗教に帰依しきれていない彼女の信心の問題だと父は決めつけるが、ミリアムの迷いと疑念は深まるばかり。

家族崩壊の危機を感じた彼女は家を飛び出し、もう一つの新興宗教の合宿に参加する。
静かで敬虔な信徒たちと共同生活していたが、ある日突然・・・

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完全に洗脳された信者と全く外部の一般人という対立ではなくて、半端に片足踏み込んだ半信半疑状態の彼女を主人公に据えている。
だからこそ感じる、どこに連れて行かれるかわからない不安。
表面的な明るさと、その裏を一皮めくるたびに感じる薄気味悪さ。
そんな日常に潜む怖さがよく描かれている。

しかし、これがノルウェーの日常として印象づけられてはたまらないだろう。
こんなエキセントリックなカルト教団ばかり蔓延っているわけではないだろうが、移民排斥主義者による無差別テロが発生しているノルウェーの、裏の顔のひとつとして、のっぴきならない事態が進んでいることはたしかだ。

★★★☆


『ザ・コミューン』
トマス・ヴィンターベア
監督
The Commune 2016年 デンマーク・スウェーデン・オランダ 1時間51分
ユーロスペース(日本初公開)
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70年代という時代がよく映し出されている。
今また「コレクティブハウス」という名称で、一部共有・一部個別のかたちで暮らす
シェアハウス的な住居スタイルが浸透しつつあるが、この映画の「コミューン」とは、つまりは一つ屋根の下の共同生活のこと。

友達に限らず、世代も限定せず、互いの自由を極力認めることによって自分の自由の権利を謳歌する。
決め事は全員参加型の会議で民主主義的に決める。

ノリは、意味もなく全員フルヌードで海に飛び込んだりして、いかにもヒッピーの余韻を残しているが、なんとなく「余韻」に過ぎないような哀愁の薫りもしてくる。

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元々の家主である夫婦が、新しい恋人を連れ込んでいいと自分たちで許したために、理想通りの生活が成り立たずに精神的に破綻してくる。
ユートピア的な理想や夢が挫折していく現実が、「コミューン」の時代の破綻を象徴する。

夫婦の10代の娘が、屈託のない思春期の表情で始まり、初体験をして恋人を作り、最後には親の離別を泣きながら勧めるという局面に至る。
加えて、幼い子供の葬儀でみな集合するという結末も、ひとつの時代の終わりを物語っているようで虚しい。

暗いばかりではなく悲喜こもごもというタッチは、監督の同時代体験の郷愁が現れているのだろう。

★★★☆

37セカンズ/静かな雨

2020年2月9~10日

あざとくないから、なおさら響く。
おしつけてこないから、ふるえる。
そんな2本。


『37セカンズ』
HIKARI
監督
2019年 日・米 1時間55分
109シネマズ川崎
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生きる、よろこび。
と言われて、何を連想するだろうか。

生きるということ。
(谷川俊太郎風に)
ひとりで風呂に入るということ。
床を這いずり回るということ。
嘘をつくということ。
だまされるということ。
仕事を人に奪われないということ。
距離を置いて見られること。
夜遊びするということ。
酒に呑まれるということ。
家出するということ。
セックスに失敗するということ。
接吻をするということ。
好きな人に抱きしめられるということ。
知らない人に会いに行くということ。
秘密を知るということ。
仲直りするということ。
好きな人を抱きしめるということ。

生きる苦しみも悲しみも、すべて生きるよろこびに変えるということ。

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この映画にはそれ以上の予想外のことが詰め込まれていて溢れおちてくる。
小さな身体と低い視線から生み出された生の歓喜たち。

これは障害者映画ではなく、”生”とは何かをぼくらに思い知らせる全人類のための映画。

日常を「普通に」こなしている人たちにとっては、「普通」がどんなに貴重なことか思い知る。
ココロに羽根をつけたユマの大胆な行動力は、「生きる」ことへの初期衝動。
欲動が手足を使って躍動する。
乳呑み児が必死で立とうとするときの、思春期に犠牲をかえりみず性に憧れるときの、共通してある本能の疼きだ。

それが障碍者という存在であれば、なおさら凝縮して表現される。
電動車椅子の上でコトコト揺られてゆっくり移動しながらも、その軌跡はActiveで、頭の中では飛翔している。
車椅子から降りたら床の上でも、手足を思いの丈伸ばして、しぶとく動かして。
言葉はスローでも表情は豊かに。

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障碍者を倫理的に啓発的に描こうとするなら、「障害」は障碍者の外部に、社会にこそ存在する、我々の偏見こそ障害だ、ということになる。
もちろんそれは大事なことだ。

でもユマは甲斐々々しく世話してくれる母親と自分の中にも障害があると気づいている。
そして自分のなかの障壁=バリアをフリーにすることを決意する。

周りの人たちさえできないとあきらめていたことを、ユマは先入観なくやり遂げてしまう。
だからポジティブな自分が周りもポジティブにし、それが循環するのだ。

「喜劇」が「悲」も「哀」もひっくるめたものであることを俯瞰しているかのよう。

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近年最大の涙腺崩壊案件。
嗚咽を耐えるのが大変。
終電が迫るのにエンドロールで立とうとする人がいなかった。


俳優たちの巧さが際立つ。
とくに神野三鈴の全身女優魂には惚れ惚れする。
(先日、読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞したばかりだが、来年度の日本アカデミー賞助演女優賞も決まりかも)
渡辺真起子の的確さはいつも通りだが、今回は一段と綺麗に見えた。
板谷由夏も実に上手い。
芋生悠もとてもよかった。

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そしてもちろん、主演の脳性麻痺の佳山明(メイ)の、あざとくない自然体!!
トーンが高くか細い声は、弱そうでいて秘めた強さをもつ主人公として想定以上に効果的だったと思う。

鑑賞後もユマとメイを同一視してしまうが、メイさんにはメイさんのスケールの大きな別の物語がある。(メイキングを早く見たい)
ここは両者同時に称賛しておこう。

ただ、気になる点がひとつ。
TVで観たダイジェスト版=後半省略版では、介護士の俊哉(大東駿介)が交通事故現場に花を手向けるシーンがあって、背景に暗い過去があることがわかるのだが、映画ではそのシーンはカットされていて、彼の不自然に暗い表情ばかりが残ってしまっている。
これはどういうことなのだろうと思っていたら、それについてのインタビュー記事があった。
https://www.asahi.com/and_M/20200108/8116358/?fbclid=IwAR0m99-4Gv77BeEk9N_YFpcx0ht3hxCzbnIKvgElmohnBfCO6jt5jlQGcZE
やはり、彼の抱えるトラウマを示すシナリオも撮られたシーンもたっぷりあったが、全カットになっていた。
それがないと、彼の運転する車の中でユマが夜景を見ながら夢見がちに語るシーンの彼の反応などが説明がつかない。
尺が2時間を多少越えても、残す方がよかったのではないかな、と思う。

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この記事やインタビュー動画を見て、あらためて思う。
ユマが外へ飛び出して出会う人々も、最初はまさしく「障碍者」へ向ける視線をユマに向ける。
最初から「かわいい!」と言ってくれるのは新宿2丁目のドラァグクイーンたちだけ。
普通に相対するのは障碍者専門セックスワーカーの渡辺真起子だけ。
そんな社会の偏見は、僕らの中に無意識にあるものだ。
「私にはない」なんて誰にも断言できない。
「自分でも気づかない差別や偏見がいちばん怖い」と大東駿介も語っている。
「カジュアルヘイト」と同じだ。

板谷由夏のいるマンガ編集部でもそう。
芋生悠の役ですら、「怖くて会いに行けなかった」と告白する。
そんなユマをめぐる人々の心に、スッと風を通り抜けさせる。
同時に、僕らはそれを見て自分をかえりみるのだ。


余計なセリフがひとつもない。
練られたシナリオに、見事な演出。

見なきゃ損、いや見なきゃ罪レベルです。

★★★★☆



『静かな雨』
中川龍太郎
監督
2019年 日本 1時間39分
キネカ大森
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あなたにはあなたの世界があって、それまでの自分というものがしゃんとして立っている。
わたしはそれを手に入れようとなんかしない。
わたしという世界はあなたに触れることさえ躊躇うけど、少しでも交わりたいと思う。

劇中に「世界」という言葉を用いて語る場面が再三出てくる。
でもそれ以前に、不思議なことに、主役である「こよみ」がスクリーンに最初に現れた瞬間、彼女にはそんな確立した彼女の世界の尊さがあって、踏み入るには人としてのわきまえが必要じゃないかって。
そんな印象を抱かせた。

図らずして、それがこの映画のテーマだった。

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ぼくの世界とあなたの世界は独立して成立しており、それぞれは互いに同化しないし共有もしない。
ただ、何らかの交わりによって、一部を共有して同じ夢をみることはできる。

決して無闇に領分を侵してはいけないし、深入りして傷つけてはいけない。
でも、まったく別の世界の住人として無関係に離れてしまってはいけない。
就かず離れず。
クールに突き放すのではなく、まなざしは限りなくあたたかい。

そんな絶妙な距離感を生きていく。

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「記憶」を共有することによる安心感と、共有できないことによる不安感。
距離感を測るために「記憶」というファクターが使われる。

いい思い出は失われるが、悪い記憶も忘れ去られる。
毎朝記憶がリフレッシュされ、一から関係を始めなおす。

そういう物語はいくつもあったが、これはその中でもいちばんドラマチックな展開のない繊細な作品。
忘れても忘れても、毎日確かめ合い、一日一日、少しずつ世界は共振する領域を増してゆく。

そして若い二人はお互いの過去に深入りせず、映画も二人のディテールを詮索しない。
大胆に省き、辻褄より行間を大切にする。

ふたりをとりまく世界観と、映画の作法が一致しているのだ。

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いま日本で最もポエティックな映画作家・中川龍太郎監督。
衛藤美彩という新人を見事にしゃんとした世界を纏った立ち姿で登場させた。
滑舌がよく、あざとくない演技をしている。

全編くまなく高木正勝のピアノがいきわたり、ふたりのもどかしい距離感に淡い期待感と不安感を漂わせる。

センチメンタルになりすぎず、人生の午前にも午後にも似合う、ふたりでもひとりでも鯛焼きをほおばりお茶をすすりながら観ればなおよい、美しい映画。

★★★★

愛国者に気をつけろ!/Lifersライファーズ/マザーレス・ブルックリン

2020年2月1~2日


『愛国者に気をつけろ! 鈴木邦男』
中村真夕
監督
2019年 日本 1時間18分 ドキュメンタリー
ポレポレ東中野
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鈴木邦男さん、かわいかった~
やっぱり、愛されじいさん=愛爺(アイジー)だね。
僕の人生の目標「かわいいジジイになる」の実現がここにある。
でもこの柔和な目は真似できない。

この目があるから、みんな寄っていってしまうのだろう。
この目があれば、どんな人をも「包摂」できるのだろう。
「ミスター・インクルーシブ」と呼ばせてもらおう。

これで、昔はコワモテだったんだって。
バリバリの武闘派だったし。
テロリストと紙一重。
でもミッション系の学生で、生長の家の信者だったことで、殉教者になるのはちがうと思ってた。
日本会議・生長の家から追いやられて、自由になり、自己客観視できるようになってから変わったとか。

でも、「不寛容」には、テッテーテキに不寛容!
「寛容」こそがゆらぎない信念。
「ミスター・トレランス」と呼ばせてもらおう。
オヤジイズムとは真逆。
いばらない、「男の沽券」とか「顔を立てろ」とかには無縁。
そこが女性にモテる。

『彼女たちの好きな鈴木邦男』っていう本だって刊行されたくらいだ。(望月衣塑子、三浦瑠麗、雨宮処凛、松本麗華、香山リカ、中村真夕らによる)
イヤらしくない、来る者は拒まず。
かわいいから、「鈴木邦男に学ぶ、独居老人のススメ」みたいな本を出したら売れる、とまで言われてる(笑)

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「新右翼」と呼ばれる鈴木邦男という人が、リベラルや左翼と同じことを言ってる。
時には新左翼や元赤軍派と意気投合する。
じゃあ、何がちがうの?と思う。
天皇を愛してるの?
じゃあ天皇の戦争責任はどう思うの?
成田闘争のときはどうだったの?
実はアナキストなの?
などなど、イデオロギー的に訊きたいことはいっぱいある。
でも、そこんところは映画は深く突っ込まない。
ここは、「ちがい」じゃなく、「同じ」部分を見つめる場。
同じ部分って、みんなにとって大事なことだから。


今の邦男さんには、民主主義のヒントがある、いや、邦男さんこそが「歩く民主主義」だ。
と思ったのが、この映画を撮るモチベーションだったという中村監督。
ぼくも賛意を表する。

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邦男さんの柔らかい思想への大きなシフトチェンジが、なにをきっかけとしたものなのか。

日本会議・生長の家からの脱落。
「楯の会」に入って三島由紀夫とともに自決した森田必勝は、大学で自分が右翼活動に誘った後輩。
野村秋介の行動と自殺。
新左翼や左翼との討論と評価。

などなど、いろんな挫折と自己客観化の末、たどりついた境地か。
「彼は変わらない。時代の方が大きく左から右へ動いているのだ」という証言もある。


ときどき黒バックに白抜きでバーンと出てくる字幕が、ポイントを突いているのでここに貼っておく。

「不自由な自主憲法より、自由な押しつけ憲法」

「俺たちは保守ではない 右から革命するのだ」

「右翼は自民党の手先ではない」

「集団や国家が暴走するのは 自分たちが絶対正しいと思うからだ」

「意見がちがう人 考えがちがう人 色々な人たちと話したい」

「愛と正義に気をつけろ!」

「国家が政治思想を持つことには反対」

「60年以上、愛国心について考えてきた」


和む表情や姿を映すシーンの合間に、ところどころで頭脳警察パンタのトンガッた絶叫ロック「ふざけるんじゃねえよ」がかかる。
邦男さんがかつて暴力革命も辞さないハードコアな時期があったことを連想させるようなギャップ感があってナイスだった。

邦男さんも映画も「ギャップ萌え」なのである。

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上映後のトークショーでも、三島由紀夫にけっこうこだわっていた。
そもそも森田必勝のことがあって、「一水会」を発足させたのだから、それもそのはずなのだが。
その日のトークゲストは白井聡氏。
最近病気療養中の邦男さんはボソボソと語る。
「あなたのような若い人がそんなにちゃんと知っていると知って驚いた」
「三島自決事件のときに生まれていなかった人たちとは話が通じないと思ってたからねえ」
などと何度も繰り返し、三島没後50年の今、若い白井さんや中村監督を感慨深げに見つめていた。
白井さんも、三島事件が戦後史上の大きな結節点であることを解説し、それゆえに現在の失われた20年をどう位置付け、米国を「国体」とした日本がどこに向かおうとしているのかわからない、とも語っていた。

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政治ネタの作品でこんなに鑑賞後に和む映画も珍しい。
アフタートークでも、邦男さんの柔和な顔と物言いにほだされて、終始ぼくも含めて会場は笑顔に包まれていた。




『Lifers 終身刑を超えて』
坂上香
監督
2004年 日本 1時間31分 ドキュメンタリー
シネマ・チュプキ・タバタ
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誰も顔を隠さない。
終身刑の重大犯罪者。
ガタイも人相も迫力ある。
でも、みな謙虚に聞き、語る。
まるでクリニックのような雰囲気。

さすがアメリカの底力。

現在公開中の『プリズン・サークル』のひな形がここにある。
16年前、アメリカの刑務所で撮られたこのドキュメントは、日本で10年前に初めて取り入れられた心理療法的更生アプローチの先駆けを紹介する。

当時すでに20年以上もの実績があったメソッドが「TC(Therapeutic Community)」と呼ばれるプログラムで、アミティ(Amity)というNPOが受刑者や依存症者に対して、人間性回復や社会復帰への援助のために始めてもう40年ほどになる。

日本で撮られた比較的軽い犯罪の若い受刑者たちと大きくちがうのは、「ライファーズ=Lifers」つまり終身刑または無期刑の人たちだということ。
おのずと受刑期間も長く、年齢も上になってくる。

もうひとつ大きくちがうのは、全員顔のボカシがないことだ。
二つとも、制度的にも慣習的にも日本ではなかなか真似できないこと。

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逆に、同じ点は。
どんな重大事件の犯罪者でも、いかに逮捕歴が豊富でも、どんなにコワモテでも、バックグラウンドはみな似た者同士。
家庭の貧困、親からの虐待、孤児などが原因となって、ドラッグや非行グループに走る。
いわば、弱者であり、元は被害者だ。

初めて人間的に扱われ、親身に相談に乗ってもらう体験をする。
感情が生まれる。
自分が犯したことの原因を探り、反省できるようになる。
罪の意識が初めて生まれ、被害者への贖罪の気持ちが芽生える。

施設内で相談に乗るのは、受刑者の大先輩。
同じLifersとして長年自分を見つめ直してきて、更生への手がかりをつかみ、条件を満たしたらカウンセラーになれる。
そこにもドラマがある。

同じ体験を経てきた者同士の「自助」活動だから、いわばコミュニティであり、命令系統ではないコミュニケーションが人間回復・社会復帰へのいちばんの近道となる。
相談する方もされる方も、互いに贖罪の道を歩む同志なのだ。

日本の刑務所内のような、軍隊式の返事や、手を大腿外側に指先までピンと付けるような立ち方やロボットのような歩き方はしていない。
いたってカジュアルに過ごしているのが垣間見える。

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もちろん、「社会復帰」へのプログラムとはいっても、終身刑や無期刑だから出所は難しい。
それでも、申請すれば毎年、正式な釈放判定会議があり、合格する希望も残されている。
普段の反省・態度・貢献しだいでは、被害者家族からの釈放の要望があることもあるし、仮出所が認められることもある。

映画でも、初の釈放例が出たケースを目の当たりにする。
相談員をしながら30年入っている受刑者も、
「希望があることがうれしい。出所が認められなくてもがっかりはしない。ポジティブに生きていくだけ」
と語る。

もはや「凶悪犯」なんて言葉すら、行方不明である。
「罪を憎んで人を憎まず」なんて言葉は正論過ぎて歯が浮くよ、なんて言っていた自分も行方不明である。

自己を客観視すること。
他人の立場になること。

刑務所の中でも外でも、僕ら誰にとっても、生きるための最大の知恵だ。

    x        x        x

ちなみに日本では、今年出たばかりの内閣府調査で、

「死刑もやむを得ない」 80.8%

終身刑があっても、死刑は
「存続」 52%
「廃止」 35%

日本が世界に追いつくには気の遠くなるような道のりになるだろう。




『マザーレス・ブルックリン』
エドワード・ノートン
監督
Motherless Brooklyn 2019年 米 2時間24分
チネチッタ川崎
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ぼくは探偵ものも推理ものも嫌いじゃないのだが、どうも結果的に苦手らしい。
錯綜する名前、登場する人としない人の錯綜、その相関関係が覚えられない。
覚えようとするうちに、またそれらの真偽も更新され。
落ち着いて推理するどころじゃない。

というわけで、エドワード・ノートンが『僕たちのアナ・バナナ』以来19年ぶりに監督し、主演・脚本・製作も兼ねた意欲作は、NYの雰囲気も音楽もばっちりキマッているのだが、入り込めない。

トゥレット症候群の一種である激しい言葉のチック症を持つ探偵を主役に据えた原作は面白いし、そこに目を付けたノートンも演ずるノートンも意気に感じる。
「if ! if !」と聞こえるチックの発声は、探偵としてふさわしいほどユニークだが、いざというときには致命的。
その面白さをどこまで駆使できていたのかな、とも思う。

話としては、次世代の大型都市プロジェクトのためにスラム街を一掃し、権力に物を言わせて土地開発を強引に進める不動産の黒幕と、「黒人差別・弱者排除だ」と抗議する民衆側との対立が描かれる。
黒幕側の言い分が、日本でもどこでも普遍的にありそうな論理で、なるほどヤツラは市民たちと見ている視点も視線もちがうな、ということがよくわかって面白い。

ただ、フィルム・ノワールの雰囲気をバックに、探偵が長時間追いかけたわりには、その末にたどり着いたのはその程度のものかと、勿体つけすぎ感、拍子抜け感もある。

★★★