僕が跳びはねる理由/モキシー/ブックスマート/夏時間/Buffalo'66/DressingUp

2021年4月10~13日



『僕が跳びはねる理由』
ジェリー・ロスウェル
監督
The Reason I Jump 2020年 英 1時間22分 ドキュ
角川シネマ有楽町
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ポエティックな映画だ。
ドキュメンタリーとは思えないほど。
原作者や自閉症当事者たちの繊細さやセンス・オブ・ワンダーに触発された映像と音。
映像作家は、原作本を読んだり当事者に会ったりした時のインスピレーションをコラージュしている。

原作の東田直樹さんが13歳の時に自閉症の内面を吐露した画期的な著書は、古今東西謎とされてきた闇に光を当てる「希望の書」であり、人々の固定観念が加害と被害を生んでいた「証言」であり、医学的に貴重な「臨床データ」だった。

その後、英訳版が生まれ、海外30か国で出版されて広まり、今回映画まで制作されるに至ったのも頷ける。

僕らは当事者に関わりを持とうと持っていなかろうと、偏見を持っていたことに対する贖罪を少なからず感じるのだろうし。

外面と内面のギャップには、もはや「人は見かけによらない」どころのレベルではない、周囲の人の認知・感知・察知能力を根源から覆すほどの衝撃をもたらすのだろうし。

そして家族が当事者本人(たいていは子供)とのコミュニケーションをあらためてイニシエイトしていくことの歓喜と武者震いに共感の涙を禁じ得ないのだろうし。

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これまでNHKが何度も東田さんを撮ったドキュメンタリーを制作・放映しているので観た方も多いだろう。
そこには、翻訳したデイヴィッド・ミッチェル(自閉症の子を持つ)とのコミュニケートも映されていた。
今回の映画は、やはり自閉症の子を持つプロデューサーが触発されて映画化したものだ。

その子も含め、世界各地の5人の当事者たちを取材して映し、バックに東田少年(当時)の文章を時々ナレーション(英語)にしてかぶせるという手法をとっている。
光や音が過度に襲いくるときの受像機のような効果もふんだんに使っていて、観るものを少しばかり「未体験ゾーン」へ送ってくれる。

当事者のひとりの男性は文字盤で流暢に語る。
自分とコミュニケーションが不可能だと思われていた時はどう思ったか訊かれて、
「人権が剥奪されたように感じた」と。
周りがそれを聞いて沈黙するしかないなか、彼自身はいつも通り意味を成さない発語と顔や頭の動きを反復していた。

またシエラレオネの女子は、ずっと親から守られつつも、古くからの因襲で周囲からは「悪魔の子」と呼ばれ、蔑まれ、家や人身を襲う者までいたという。
それが一冊の著書によって偏見は次第に小さくなっていき、支援者も増えてきて、両親の奮闘で自閉症の子たちのための学校まで作られるまでに到ったのだった。

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2018年のドキュメンタリー『いろとりどりの親子』(レイチェル・ドレッツィン/米)の中にも、自閉症の息子と初めて意思疎通に成功したときの感動シーンがある。
医師が長時間根気強く文字盤を使って言葉を引き出すところを倍速再生で見せ、
「僕は頑張っている。頭はいいんだ」
と訴えていることがわかり、両親とともに顔がゆがむほどに泣ける。
会話ができなかったのはどんな気持ち?と訊かれて、
「a tiger in the cage (檻の中のトラ)」
と答えている。
(当ブログ2018年12月15日)↓
https://tapio.at.webry.info/201812/article_6.html?1618375545



『モキシー ~私たちのムーブメント~』
エイミー・ポーラー
監督
Moxie 2021年 米 1時間51分 Netflix
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高校生女子のカジュアルなレジスタンス。
感情がすなおに揺さぶられてしまった。
うかつにも、一喜一憂。

それは人気の男子(シュワちゃん息子)があまりにもゲスで、女性の校長があまりにもことなかれ主義で、学校全体が男女較差と女性蔑視をそのままにしているから。
家族同然の親友が離れていきそうだから。
性格もリベラルセンスもイケてる男子との恋がダメになりそうだから。
抵抗運動が結果をともなわなくなりそうだから。

しかし、今だにここまで女性蔑視の高校があるなんて。
映画として誇張しているのもわかるけどね。
勧善懲悪を単純化したきらいはあった。

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けれども、地味で内気な女子が身の回りに起きている不平等と矛盾に気づき、親世代のフェミニズム運動に触発され、パンキッシュに覚醒してひとり匿名で立ち上がる姿は、「革命」という名のムーブメントの発生の瞬間を映していて、誰もが胸の高鳴りを感じるだろう。
そして、星★とハート♥でひそかに連帯が広まっていくのを見るときこそ、ゾクゾクウルウルの分泌液が脳内からあふれてくる。

“わきまえない”主人公は「patriarchy」(ペイトリアーキー=「男社会」「家父長制」)なんてクソくらえ!と叫ぶ。
それはときに母親や恋人にも矛先が向けられ、一方は「よかれ」と思って行い、一方は「うざい」と思うときに、どうお互いコミュニケートするか、という問題まで実は孕んでいる。
人種差別も障碍者差別も同列だ。

男性教師は「女性の問題だから口出ししない」とつい言ってしまうが、これこそ禁句。
男性も意識して変わらないと解決しない問題なのだ、つくづく。

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昨年の『パピチャ 未来へのランウェイ』は同じ主題でも、アルジェリアというイスラム社会=男尊女卑をよしとする文化からの抑圧だった。
対して今回のアメリカ映画は、いちおう体裁は「多様性」だとか「平等」だとかを看板に掲げている社会において陰日向でまかり通っている抑圧だからややこしい。

一方で『ブックスマート』(2019/米)のように、LGBTQや人種やルッキズムなどを超えたダイバーシティが当然の前提となった学園コメディも作られている。

そんなガールズ・バディ・ムービーが(3つとも)女性監督によって忌憚なく撮られていること、そしてそれがまっとうに評価されていることには、希望しかない。

ポップなレジスタンス映画は欧米ではこれまでもいくつか作られてきているけれども、いつであっても何度でも手を替え品を替え、作られ続けなくてはいけないね。

「多様性」という点では、日本は大きく世界から遅れをとっているから、学ぶところ満載だ。

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おまけ・・・
『ブックスマート』ではただのおバカキャラだったニコ・ヒラガが、ここでは理想的な恋人役に“昇格”したのが愉快。

あと、ストライキは、全員でやらなきゃね。
全員でやればけっこう成功する。

★★★☆



『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』
オリビア・ワイルド
監督
Booksmart 2019年 米 1時間42分 Netflix
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多様性はあたりまえ。差別こそダサイ。
それを大前提としたところから始まる、コンプレックス逆転作戦。
落ち込んでる暇などない!と、突撃する女子二人のパワーと学園のハッチャケぶりが痛快なコメディ。

映画だしコメディだしという点を差し引いても、日本と比べると高校生にしてはヤリすぎで荒唐無稽!と言いたくなるが、だからといってすべてを現実離れとして片付けると、大事なところを摑み損ねる。
アホなふりして実は若い世代はもう二歩も三歩もリードしている。
主人公のブックスマートな(頭でっかちな)ふたりが、序盤で周りのパリピたちに実は置いて行かれてたということに気づくショックと同じショックを、中高年世代は味わわなければいけない。

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女優である監督が「これからの映画」を作っていて、期待したい。

また、主演の一人、ケイトリン・デヴァーはNetflixオリジナルの『アンビリーバブル たった1つの真実』でも主演しているが、こちらはうってかわって硬派で深刻なレイプ告白をめぐる実話ドラマシリーズ。
多様性やジェンダーフリーでは済まされない現実が立ちはだかる。
僕もまだ見ていないが評価は高いらしい。

★★★☆



『夏時間』
ユン・ダンビ
監督
Moving On 2019年 韓 1時間45分
横浜シネマリン
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これほど台湾映画的な韓国映画があっただろうか。
エドワード・ヤンホウ・シャオシェンか、と呟かずにはいられない。

家族やその欠落を描きつつ、
控えめな感情表現、
食事のシーンの多用、
少年少女をナチュラルに起用し
家の構造を存分に生かし、
季節の風景と空間が寡黙に語る。

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抑えたエモーションが洩れ出るときの凝縮された尊さよ。

不在の母親がようやく現れたときの拍子抜けするほど淡白な再会シーン。
娘の耐える表情、弟のはじけた歓喜、一方で母の顔はほぼ見せない。

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ラストは、もうひとつの家族の欠落が訪れたのをきっかけに奔出する娘の嗚咽で終幕。
韓流のエッセンスもそこに凝縮される。

★★★☆



『バッファロー`66』
ヴィンセント・ギャロ
監督
Buffalo’66 1998年 米 1時間53分
横浜ジャック&ベティ
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野蛮なエゴイストの男が都合のいい女を都合よく翻弄しておいて、その反面、強がっているのは自分の弱さからだとこれ見よがしに弱点を垣間見せ、しかしそれは甘えにほかならないのに純情を気取り、しかも女はそれでも惚れてついてくるという、なんという虫のいい話。

それが主人公のキャラだというだけですまないのは、ビンセント・ギャロの自作自演だから。
彼自身がそういう人格なんだろうと思えてしまうし、じっさい彼がその後も思想的に難ありなのはわかってきているし。

今ならミソジニーの匂いを敏感に察知されるだろう。
こんな女性像はありえない。
おまけにホモフォービアを自演しているシーンまである。
作品の中の人物と実際の本人と同一視するなと言われてもムリだ。

今から当時の作品を観ると、こんなにもギャップを感じてしまうのだな。

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思想やジェンダーギャップだけではない。
アーティスティック・センスも、期待したほどではなかった。
ある種、伝説的な作品なので、見逃していた僕としては要確認だったのだが、当時34週もロングランされるほどホットに迎えられたにしては、それほどトンガッた映像や編集のテクはみられない。
『トレイン・スポッティング』(96)を10年後ぐらいに観た時と同じ感覚だ。

ヒットしたのは、オフビートなセンスがカッコイイとされたこと、ラストが意外にもバッドテイストじゃなく締めくくられたこと(むしろエモーショナリー・グッド)、そんな雰囲気ゆえなんだろうな。

劇伴に関しては、センチメンタルに過ぎずに当てられていて、選曲(キング・クリムゾンイエス)もよかった。

クリスティーナ・リッチの容姿にはこびりつく蠱惑さがあって、この映画の秘宝的魅力のひとつとなっている。

★★★



『Dressing Up』
安川有果
監督
2012年 日 1時間08分 配信(サンクスシアター)
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中一少女が自分の中のモンスターに気づき、父との葛藤を経て、亡き母の過去に向き合う。
そうして自分では制御不能な内面の暴発を、内的世界で咀嚼し、なだめ、腑に落とし、前を向いていく。

そんな難しい役どころを、セリフの少ない演技で当時14歳の(いのり)キララが不敵に表現していた。

★★★





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